6.ローザは百合に打ち勝ちたい(3)
「もちろん、君とレオン殿下に決まっているでしょう!」
叱りつけるように言われて、ローザは絶句した。
「…………えっ?」
呆然としているのはベルナルドも同じである。
「で、ですが叔父様、先ほどクリス殿下は、茶会の主旨は『娘の友人をもてなすためのもの』だと仰っていましたが。参加者も複数ですし」
「本当にクリス殿下の友人をもてなす会ならば、殿下自身が招待し、そこに王妃陛下が参加するものです。参加者が複数なのは、つまり彼女たちが現時点では『婚約候補者の候補者』ということなのでしょう。ただ、両殿下が仕立てたドレスなんて着て登場したら、まず間違いなく、ローザこそが筆頭候補であるとみなされることでしょうね」
「そんな……」
アントン曰く、茶会での選別を勝ち抜ければ「婚約者候補」となり、婚約式の調停を以って正式な「婚約者」となるのだという。
そのレースの第一戦に、すでにローザは出馬してしまっているというわけだ。
いや、出馬どころか、これまでの「恩義」や、レオンたちの仲が良好であることを踏まえると、王妃が気を遣ってローザを引き立てることは十分にありえるのだという。
「茶会で見初められて王子殿下の婚約者に、なんて、恋愛小説なら陳腐とも言えるくらいの状況でしょうに。マナー云々以前に、年頃の君が、そうした小説すら読んだことがなかったと?」
「……返す言葉もございません」
ローザはさっと視線をそらす。
己の偏った読書遍歴が、まさかこんな場面で悪く作用するとは思わなかったのだ。
大陸中の聖書も戦記も神話も暗記し、軍隊のロープの結び方も造船方法も金属の製錬法も知っているローザの、それは唯一の落とし穴と言えた。
「茶会に法的な拘束力はありませんが、慣習を重んじる貴族には重要なことです。参加者は事前に、選りすぐりの茶葉を主催者に献上することになっていて、最後に主催者たる王妃が、一番気に入った令嬢の持ってきた茶葉で紅茶を淹れ、相手に振舞うことになっている。そうなってしまえば、見事ローザは、レオン王子の婚約者候補です」
その王妃自ら淹れる紅茶のことを、クイーンズカップと言うらしい。
ローザは顔を引き攣らせた。知らなかったら、腐教として無邪気に王妃に薔薇茶を勧め、万が一振舞われたら「わーい」と飲み干していたかもしれない。
「わ、わたくし、辞退します!」
なのでローザは、青褪めたままそう言い放った。
「わたくしがレオン殿下の婚約者候補だなんて、可能性を想像することすら許されませんわ!」
だって、万が一そんな事態になったら、それ即ち、ローザがベルナルドの「旦那」を略奪したということではないか。
そんなの、人として一番やってはいけないことだ。
なんだってクリスは、そんな茶会に自分を招待したのかと恨めしく思うが、いやいや、彼女も長らく女性としての教育を拒否してきた人物だ。
恐らく、意味を知らなかったのだろう。ここは年長者として、知識不足を優しく指摘しつつ、きっちり参加を取り下げねばなるまい。
「わたくし、今すぐクリス殿下を追いかけてまいります!」
「いや、君のキャラでは、辞退したって、かえって遠慮と取られるだけ――」
「姉様」
が、今にも部屋を飛び出そうとしたローザを、きっぱりとした声が遮った。
「茶会に、出てください」
ベルナルドである。
アントンの指摘を聞き、しばらく硬直したように黙り込んでいた彼は、今、凄みを感じさせる笑みを浮かべていた。
「ベ、ベルナルド……?」
「僕は今、すごく頭に来ています。こんなやり方で僕を出し抜こうとするなんて」
彼は、知らぬうちに見合いの片棒を担がされたことを怒っているわけである。
が、ローザは当然のように、ベルナルドの怒りを、「旦那を奪われかけたから」と受け止め、半泣きになった。
「そ、そうよね、怒るわよね。でもわたくしがレオン殿下と結ばれることなど、絶対にありえないから。今すぐ断ってくるから、ど、どうか落ち着いて――」
「いいえ。どうせここで断っても、今後同じような事態が起こらないとは限らない。ならば、今回の茶会に出席して、レオン殿下との婚約の可能性を、徹底的に叩き潰してきてください」
が、執り成すように告げたローザを、ベルナルドはきっぱりと遮る。
婚約フラグは回避するのではなく、むしろ殲滅せよということだ。
にっこり笑いながら、好戦的極まりない発言を寄越す弟に、ローザはごくりと喉を鳴らした。
(ベ……ベルたんって、嫉妬するとこうなるのね……!)
そんな場合ではなかったが、初めて見る弟のやきもち姿に、つい心が震える。
いつもの純真なベルナルドも最高だが、腹黒さを滲ませつつ笑顔でキレる彼は、また格別の味わい深さだ。
むしろ、レオンへの好意の発露を、ここにきて初めて目撃した気がする。
(ベルたんの恋心の発露、めでたい……! もう、豆パンを焼かせていただきたい……!)
豆パンとは、祝い事があるときに市民が焼く、豆入りのパンのことである。
ローザは姉として、彼の恋路を全面支援することを改めて誓った。
「わかったわ。わたくしに任せて。万が一カップを渡されたら、叩き割る覚悟で行くわ!」
「いや、クイーンズカップを渡されるほどに見込まれておいて、それを拒否したら、その主催者への侮辱だ。主催者側とは絶縁されて、出入り禁止になりますよ」
「え」
アントンの冷静な突っ込みに、しかしローザはかくんとつんのめった。
それはつまり、王妃から見放されるということか。
王妃から見放されるのはまあいいとしても、王城自体を出入り禁止にされてしまっては、離宮住まいのローザとしては大変困る。
いずれ修道院に駆け込むのだとしても、当面はベルナルドたちのそばでBL万華鏡を愛でていたいのだから。
「でも……それでは、どうしたら……」
「茶会辞退をよしとしないなら、とにかく茶会で、『ローザ・フォン・ラングハイムは王家の婚約者にふさわしくない』と徹底的に印象付けることでしょうね。仮にほかの令嬢にカップが渡らなかったとしても、ローザの悪評が残れば、今後こうした誘いはなくなることでしょうから」
「悪評……それは……」
なかなか捨て身の戦法だ。
ベルナルドが怯んだように眉を寄せたが、今度はローザがきっぱりと断じた。
「承知しました。ならばわたくし、最高に冴えない女性、いいえ、お茶会を混乱のるつぼに叩き込むほどの、史上最低の悪女を体現してきます」
ほかならぬベルナルドのためだ、評判などどうでもいい。
とにかく、自身とレオンの縁組を阻止し、できればほかの令嬢とレオンがくっついてしまうのも妨害せねば。
奇抜に振舞うなどして茶会自体を掻きまわし、縁組成立どころではない雰囲気に持っていくのだ。
ローザは闘志をみなぎらせ、ベルナルドに向かって胸を張ってみせた。
「なので、大船に乗ったつもりでいてちょうだい、ベルナルド」
「……なんだか、姉様に申し訳ないような……そしてそれ以上に、妙な不安感が……」
だが、ベルナルドはなぜだか、不安に駆られたように眉を寄せる。
「姉様、ちゃんと人に嫌われるように振舞えますか? ああ、僕、どうして茶会に立ち会えないんだろう……」
「ならば、私が茶会を見守るとしましょう」
するとそこに、アントンが申し出た。
「身分としては、私もクリス殿下のゲスト。ローザのおまけに茶会に参加させてもらっても、さほど不自然ではありません。ローザが空回りしないよう、貴族マナーにもいくらか通じた私が、さりげなくフォローしましょう」
「まあ、叔父様……!」
思わぬ援護射撃に、ローザは目を見開く。まさか、敵ともいえる彼が、BLのために協力してくれるとは考えてもみなかったからだ。
「わたくし……その、心より感謝申し上げますわ」
「なに、君が王太子妃になどなったら、君自身が徹底的に調べ上げられるのはもちろん、その縁者まで完璧に追跡され、王家の監視下に置かれるようになってしまいますからね。私も他国の救護院経営からは手を切らされ、王家の息のかかった修道院に戻されてしまうでしょう。それは避けたい。なに、自分のためですよ」
アントンはそう言って、優しく目を細める。
ローザは「本当は慈愛深い方なのかも……」と感じ入りかけたが、しかしそのタイミングで、アントンはこう言い添えた。
「君にはまだ、レオン殿下と愛を育む日々などよりも、クリス殿下とじゃれ合う日々のほうが似合う――そう思うひとりの男としての、ささやかな協力ですので、お気になさらず」
「…………」
ぱっと聞いた感じでは、「まだ幼い少女に不本意な婚約をさせたくない」とも受け取れるが、ローザにはわかる。
つまり彼は、ローザには男と結ばれるより、美少女とのいちゃいちゃ百合生活を推奨したいということだ。
結局どこまでも己の欲望のためでしかないことに、ローザは「感動を返せ」と思ったが、考えてみれば自分もまったく同類であったので、その感想はそっと心の棚の奥に押し戻した。
なんだろう。
主義主張は合わないものの、アントンには叔父と姪の関係に留まらない、濃縮された因縁を感じる。
(とにかく、協力してくださるのはありがたいことだわ。でも、叔父様に甘えきるのではなく、自分でできる最大を尽くさねば)
ローザは密かに拳を握った。
これは貴腐人の威信をかけた戦い。つまりローザの戦いなのだから。
とはいえこれまで、淑女に擬態する努力は重ねてきたものの、人に嫌われる方法というのは研究をしたことがない。
ローザ自身、あまり人を嫌った記憶がないので、「不快な人間」の手本すら欠如した状況だ。
(ええと、不快な人、不快な人……お父様? 好色なところが不潔だと思っていたけれど、つまり、わたくしも好き者を演じればよいのかしら。それともアントン叔父様のように、百合好きを……いいえ、それだけはダメね。ダメ絶対)
結局のところ、修道院で新生活を始めた父親のことは応援したいと思っているし、こうした協力姿勢を見せられたりすると、アントンのことも嫌いにはなれない。
好色は不潔だが、それもまた薔薇に転じるのかと思えば美点とも言えるし、百合もまたこうして薔薇を支えてくれると思うのだと、やはり不快とは断じきれないのだ。
(暴言を吐く……のはぷんデレっぽくてアリな気がするし、人を騙す……のも腹黒みがあって好物の部類だし、ううん……)
総キャラ博愛主義が祟って、まるで思いつかない。
萌えポイントなら秒で百個くらい羅列できるのだが。
「あの、大船に乗ったつもりで任せていただきたいのですけれど、その、わたくし……ちょっと、じっくり考えてみますわ……」
懊悩のあまり、ローザは額を押さえて唸りはじめた。
そんな姉を、ベルナルドはこのうえなく不安そうな瞳で見守る。
だから二人とも、アントンもまたローザを見つめ、眼鏡の奥で瞳を物憂げに翳らせたのには、気付かなかった。
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