3.ローザは「推し」を手に入れたい(3)
(ハグ、ゲットぉおおおおおおお!)
ローザはさりげなく、弟の細腰にぎゅっと腕を回してみた。
(んひゃああ! 細っ! すっぽり腕に収まるサイズ感が堪らない! こんなところまで理想的!)
ローザは脳内世界できゃあきゃあ叫びながら悶え転がり、それからぱっと素早く身を起こすと、現実に戻って気を引き締めた。
「お静まりくださいませ、お父様」
静まるべきなのは自分だ、わかっている。
だが、ローザはそんな事実を無視して、冷ややかな視線で伯爵に向き直った。
「年端もゆかぬ、それも、自らの血を引く子どもへの仕打ちとは到底思えません。少しは恥を覚えてはいかがでしょう」
「ローザ、おまえ――」
「この明るい金髪に、水色の瞳。高位貴族にしか現れないこの容貌を無視することなど、許されません。彼は伯爵家で責任を持って養育すべきでしょう」
きっぱりと言い切ると、伯爵は苛立ったような嘲笑を返した。
「はっ。軽々しく言うがなぁ、子どもを一人養うのに、どれだけの金と労力がかかると思う。赤ん坊の頃からなら、まだ後継に育てる見込みもあったろうが、十三年も下町でどぶ暮らしをしていたネズミを引き取るなど、誰がするものか」
「わたくしがします」
背中にかばったベルナルドが、静かに息を呑むのが聞こえる。
振り返ってみれば、彼はそのあどけない瞳を驚きの形に見開いていたので、ローザはにこりと、持てる優しさのすべてを掻き集めて微笑んだ。
(べつに下心はないのよ。わたくし、危ない人じゃない、ない。大丈夫、大丈夫)
人間、嘘をつくときは同じ言葉を二度繰り返すという。
間近で推しの成長を見守りたいという下心バリバリのローザは、極力それを隠しながら、ベルナルドの金髪をひと撫でした。
猫っ毛だ。萌え。
「ベルナルド、と言いましたね。わたくしの名はローザ。あなたの姉です。お母君のこと、心よりお悔やみ申し上げます。そのお墓代、もちろん責任を持ってお支払いいたしましょう」
「え……」
「病で亡くなられたとお聞きしました。きっと、薬代や葬儀の費用も、まだ払い終えていないのでしょう? ならば、それも」
なるべく真っ当な人物に見えるよう、穏やかに話しかけると、ベルナルドは絶句したままこちらを見上げてきた。
ローザは確信する。
この子、目力も天才。
「あなたはまだ十三歳。大人の保護なしには暮らしてゆけない年です。今さらわたくしたちと過ごすのは嫌かもしれないけれど、どうか耐えて。ここで一緒に暮らしましょう。知識と技術を身に着け、自分一人で生活を賄える年になったら、どの人生を進むのか、あなたが選べばいいのだから」
「そ、そんな……」
ベルナルドはあどけない瞳を揺らし、小さな声で呟いた。
「そこまで、していただくわけには……」
「元は、あなたに当然与えられるべきだったものを、遅れて差し出すだけですわ」
いたいけな反論をきっぱりと封じると、ベルナルドは大きな瞳をじわりと潤ませた。
「お嬢様……」
「姉様、と」
「……ねえ、さま」
ぐふぉ、と鳴りそうな喉を、ローザは渾身の力で引き締める。
かなりの労力で表情を押し殺し、頑張りすぎて怖い顔になったところを利用して父親を睨み付けた。
全腐界の希望を懸けたこの勝負、負けるわけにはいかない。
全身から腐力が湧き出し、目に力が籠もるのが自分でわかった。
「この通り、ベルナルドの養育は、わたくしがすべての責任を負います。費用も、労力も、お父様に負っていただくつもりはございませんので、ご心配なく」
「は、大口を――」
「わたくしは本気です」
凛と言い切る。
反論を許さぬ宣言を聞いた伯爵は、思わず口を噤んだ。
目の前の娘からは、十四の少女、しかも酒を浴びたみじめな姿であるにもかかわらず、王者の迫力のようなものが滲んでいる。
(特に、この瞳だ……)
無意識に冷や汗を浮かべている自分に気付き、彼は舌打ちをしそうになった。
ローザの、この紫色の瞳。普段は淡い色合いをしているが、感情を高ぶらせたときや、なにかの拍子に、ぐっと色が深まり、見ている者を落ち着かない気分にさせる。
まるで、己の醜さや無能さを、見透かされているような心持ちになるのだ。
病死した妻――ローザの母親の家系には、時折そうした、「真実の瞳」を持つ人間が生まれたと聞く。
もしかしたら、娘のこれも、そうした現象なのかもしれない。
(いや、騙されるな。こんな生意気な娘に、そんな大層な瞳が宿るものか。こちらを小ばかにしおって……母親に似て、性根の腐ったとんでもない女だ。反吐が出る)
娘に向ける感情としては問題だが、指摘している事実は間違っていない。
だが、幸か不幸か、この場にそれを理解できる人物は、誰一人としていなかった。
現に、腹違いの弟を、ドレスが汚れるのも厭わず抱きしめ、身代わりに酒を浴び、父親に代わって育てると言い放つローザのことを、この場のすべての使用人が涙ぐみながら見守っている。
同時に、自分に対する彼らの敵意が一層高まったのが、肌でわかった。
「ふん……っ。好きにしろ! この腐れ女め!」
結局伯爵はそう吐き捨て、乱暴な足取りで部屋を去って行ったのである。
「なんてことを……。あの、僕……っ。申し訳――」
「いいのよ、ベルナルド。あなたの責任ではないわ。それに、お父様の言うことは、正しいもの」
一連の展開にベルナルドが青褪めるが、ローザは優しく微笑むだけだ。
実際、どうしようもない父親だが、腐りきった性根を見抜く観察眼だけは鋭いと言わざるを得ない。
「わたくし、もっと精進せねばなりませんね」
少なくとも、あの父親に擬態を見破られない程度には。
小さく呟くと、なぜか使用人たちが「う……っ」と顔を覆って呻きだす。
どうも彼らは、ローザが「努力」「精進」といった言葉を口にすると、反射的に興奮しだす体質のようなのだ。
「攻め」属性が育ちすぎて、男性ホルモンが過剰分泌されているのだろう。
ローザは慌てて手を叩き、場の空気を変えた。
「さ! そうと決まれば、まずは早速おお風呂に入りましょう。今日はゆっくり休んで、明日から一緒に頑張りましょうね」
ベルたん、お風呂。
ヨコシマな想いが滲むあまり、さりげなく噛んでしまったが、幸い周囲には気付かれなかったようだ。
よかった、と胸を撫でおろしながら、ローザは今後のあれこれに思いを馳せつつ、いそいそと応接間を出て行った。
「おい、聞いたか、今のローザ様のご発言……」
「ああ……っ。あんな理不尽に罵られておきながら、それでもなお、父親に認められるよう精進する、だなんて……っ。俺は、俺はもう……っ」
「馬鹿野郎! ローザ様は気丈に振舞ってらっしゃるんだ。俺たちが泣いてどうする!」
だからもちろん、部屋の壁に額をくっつけながらすすり泣く使用人たちの声など、耳には入らないのであった。
と、理想の「受け」を手に入れた主人公がここからさらに暴走していくのですが、
…こ、こんな主人公で大丈夫でしょうか…?
大丈夫大丈夫、イケるイケる!という方は、
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次話更新は本日20時の予定です。