32.ローザは思いを理解したい(2)
「いやいやいやいやいや!」
とうとうローザは跳ね起きた。
妄想だと思っていたら、すでに実行フェーズだったなんて。
とんだ危険人物だ!
「なんということを! そんな理由で、里一つを滅ぼそうだなんて! 責めるなら、わたくしだけにしてくれればよいものを……!」
ローザがそう叫ぶのは、攻受誤認の責任を受けてのことである。
だが、カミルはなぜだか、
「おやまあ、目覚め早々。さすが『薔薇の天使』は、自己犠牲がお好きなようで」
と嘯くと、蹲っていたラドゥに向かって、「さて」と、冷ややかに告げた。
「今この瞬間にも、アプトの虫けらどもの間には、着実に『病』が広がっている。広めた私でさえ癒せない、強力な『病』がな。おまえたちはここで呑気に、私に暴言を吐き捨てている場合かな?」
「…………!」
ラドゥが改めて息を呑む。
彼はぐっと拳を握ると、ローザに一言『ごめん、行く』と言葉をかけ、腹を庇いながら丘を駆けていった。
カミルの言葉が真実かどうか、確かめるつもりなのだろう。
「ふ……。馬鹿め、魔力の定義領域が丘の下一帯とも知らないで」
ローザははっとしてラドゥの背中を追った。
つまり、民のもとへと駆けつけたが最後、彼も過剰癒力に「罹患」するということだ。
「ラドゥ様、いけません――!」
「おっと、余計なことは言わないでもらおうか」
呼びかけようとしたローザだったが、カミルに背後から素早く口を塞がれてしまった。
「おまえたちには、『感染』の後焼死してもらわないと、辻褄が合わないのでね。もっとも、癒力の効かないおまえが、一番扱いに悩むわけだが」
カミルは、「ひとまずアプトが培養しているという病原菌に、適当に感染させるか」などとぶつぶつ呟くと、急に穏やかな口調を取り戻し、ローザに微笑みかけた。
「心配はいりませんよ。すぐに彼のもとへ連れて行ってあげますからね、レディ」
豹変ぶり自体もそうだが、髪を根元から引っ掴まれているこの状況に、恐怖しか湧かない。
「い、痛……っ」
「さあ。さっさと麓まで歩いてください。あなたは正義感から、『私の制止も聞かずに』罹患者の治癒に当たり、結局感染して死ぬことになるのです。やがて見つかったあなたが、目も覆うような姿で事切れていれば、皆もいかに恐ろしい『病』であったかを理解してくれることでしょう」
「ふ、復讐の度合いが凄まじすぎませんか……っ!?」
ローザは涙目になって訴えた。
自分だって、萌えのためなら命を懸けられる自信があるけれど、いくら他人の腐道が気に食わないからって、ここまで苛烈な攻撃はしない。と思う。
「わ、わたくしがあなた様を不快にしてしまったことは、よくわかりました! ですが、どうか、お鎮まりになって! 責めるなら、わたくしだけを! 魔力抜きで! 少なくとも、アプトの方々を巻き込むのはおやめください!」
「うるさい口だ」
不愉快そうに眉を寄せたカミルが、ぐいと髪を引きながら、もう片方の手を宙に上げる。
勢いよくローザを打擲しようとしたそのとき。
「やめろ、カミル!」
低い声が鋭く響き、同時にごうっと炎の弾が飛んできた。
真っすぐ肩口を狙ったそれを、カミルは素早く身をよじって避ける。
ぱっと髪を離されたローザは、そのまま丘に倒れ込みそうになったが、ふわりと全身を柔らかな風に持ち上げられ、転倒を免れた。
「姉様!」
見れば、少し離れた場所から血相を変えて駆けつけてくるのは、ベルナルド、レオン、クリスの三人である。
いったいなぜここが、と目を丸くする間にも、クリスが詠唱とともに大地を隆起させ、素早くカミルを拘束する。
「クリスティーネ王女殿下、お鎮まりください。これは誤解――」
「なにが誤解だ。おまえの全身から、未だに敵意が滲み出ているぞ」
カミルはすぐに誠実そうな表情を取り繕って言い訳したが、険しい顔つきのクリスはそれを許さなかった。
「ローザの悲鳴も聞こえた。責めるなら自分だけを責めろという、悲痛な声がな」
どうやら、ローザがぎゃんぎゃん騒いでいたあたりに、三人はこの場に到着したらしい。
レオンは強張った顔でカミルに近付くと、下半身を大地に捕らわれ、身動きの取れずにいる彼を睨み付けた。
「答えてくれ、カミル。ローザと癒術師をアプトの里に連れて来て、なにをしようとしていた? ……なぜ、ローザを敵視する?」
「レオン様、違うのです。我々は、癒術師殿がローザ嬢のために、どうしても薬草を採取したいというので、仕方なく――」
「カミル!」
レオンは、吼えるようにして叫んだ。
「真実を、話してくれ」
真っすぐに、金の瞳でカミルの顔を覗き込む。
相手の瞳を見つめるのは、高い魔力耐性を持つカミル相手でさえ、なるべく避けてきた行為だった。
「――……」
効果は覿面で、カミルの瞳からふっと意志の色が薄らぐ。
彼はしばし俯くと、やがて歪んだ笑みを浮かべはじめた。
「……分を弁えないガキに、私が罰を与えるんだ」
品のよい唇から漏れるのは、呪詛のような呟き。
レオンもクリスも、頬を打たれたような衝撃を覚えて、従兄を見つめた。
「この広大なるベルクを統べるのは、私だ。癒力者……神に選ばれた私こそが、正統な王国を作り上げる。外国の下町なんかで育ったおまえも、女の身で後継を目指していた滑稽な王女も、愛妾の分際で崇高な政治の場を搔き乱した王妃も、異端の徒も、すべて排除して、な」
琥珀色の瞳をぎらつかせながら紡ぐのは、選民思想と軽蔑に凝り固まった言葉だ。
慈愛の癒し手、正義の騎士、そうしたこれまでの印象を覆すような、悪意に満ち満ちた発言だった。
「もっと時間を掛けて、完璧に事を進めるつもりだったのに……そこの愚かな女が余計なことをするから、一気に片を付けなくてはならなくなった……――くそが!」
彼は突然激高し、獣のように唾を飛ばしながらレオンに向かって叫んだ。
「くそ! おまえが分を弁えないからだ! 私を立てろ! 私に傅け! 私が、おまえの上となるべき人間だというのに!」
これまでに目にしてきたどんな人物より苛烈な本性に、レオンは青褪めて黙り込んだ。
「姉様、大丈夫ですか!? けがはありませんか!?」
「え、ええ、ありがとう、ベルナルド。よくここがわかったわね」
「姉様が図書室で『アプトの里が燃える』と仰っていたのが気に掛かって、もしやと思いまして。両殿下に、急いで移転陣を用意してもらったのです」
一方、ベルナルドによって、少し離れた安全な場所に移されたローザは、盛大に安否を気遣われていた。
「まったくもう……! どれだけ心配したことか……!」
眉を寄せたベルナルドは、ローザの両肩に手を置き、顔をぴったりくっつけるようにして全身を検める。
さらりとした金髪が耳の横をかすっていった時など、そんな場合ではないのに――本当にそんな場合ではないのに――、ローザはどっきりしすぎて虚無の顔つきになった。
(え……っ、なに今の「もう」。すごいすごい可愛い、すご、好き)
語彙力が溶ける。やはり義弟の可愛さは神懸かっている。
ベルナルドは神なので、つまり今さりげなく耳たぶをくすぐった彼の吐息は、神の息吹という理解でよかっただろうか。
危うく魂ごと浄化・消滅させられそうになって震えたローザだったが、ベルナルドはそれをどう捉えたのか、ぱっと距離を取り、焦ったような表情を浮かべた。
「あ……っ、すみません」
「い、いえ、全然」
引き換え、自分のこの冴えない返事はどうだ。
ローザは落ち込み、けれどおかげでいくらか冷静さを取り戻した。
こうした一連の行動が、「弟にすら触れられただけで身を震わせるほど、怯え切った少女」として解釈されるものだとは、もちろん夢にも思っていなかった。
「あのね、ベルナルド。医療室に向かう途中で、カミル様が突然豹変なさって、その原因というのが、その、説明しにくいのだけど――」
「経緯の説明なら、大丈夫です。……レオン殿下の瞳の力で、本人に自白させているようなので」
「え」
神妙に切り出そうとしたら、ベルナルドに優しく遮られる。
彼が冷ややかに指差す先では、カミルが「私に傅け!」だとか「私がおまえの上となる!」だとかを、顔を真っ赤にして叫んでいた。
己の性癖をあんな形で世間様に知らせるというのは、いったいどんな心持ちだろうか。
ローザは複雑な心境になった。
「罰を下してやる! 愚かな王子、傲慢な女たち、異端の徒、そのすべてに! 私を見下した者どもめ……。皆、苦しみ息絶えろ!」
と、一際大きな呪詛を聞き取り、はっとする。
そうだ、本当にここでぼんやりしている場合ではなかったのだ。
ローザは反射的に、里に向かって走り出した。
「姉様!?」
「行かせてちょうだい。ベルナルド、あなたたちは来てはだめよ」
咄嗟に手首を掴んできたベルナルドに、ローザは素早く向き直る。
「カミル様が先ほど、里一帯を定義領域として、伝染病のような症状が出るように癒力を放ったの。恐らく、麓に足を踏み入れてしまえば、あなたたちも無事ではいられないわ。取消し不可という魔力の制約がある以上、カミル様自身にも術は消せない。だから、癒力持ちのわたくしが行かなくては」
早口で事情を説明し、ローザは手を振りほどいた。
これまで物を腐らせることくらいにしか使ってこなかったが、今ほど癒力持ちであることを感謝したときはない。
「ですが、それでは姉様が危険に――!」
「わたくしは大丈夫、癒力持ちに癒力は効かないわ。両殿下のことを、お願いね!」
それでも言い募るベルナルドを――ああ、その表情も眩しいほどに美しい――断腸の思いで躱し、ローザはとうとう丘を駆け下りた。
己の不用意な発言が原因のこの事態に、アプトの方々を巻き込むわけにはいかない。
より正確に言うならば、
(萌えの宝庫・アプタス発祥の地を、こんなことで失わせなんかしない……!)
聖地を指一本分たりとも傷付かせざるべし、の念で、ローザは燃えていたのである。