31.ローザは思いを理解したい(1)
『う……』
移動陣に強引に巻き込まれたローザとラドゥのうち、先に目を覚ましたのはラドゥのほうだった。
痺れるような心地のする全身を無意識に点検しながら、ぼんやりと周囲を見渡す。
赤茶けた土に、モザイク状にタイルを嵌め込んだ独特の様式の民家。
家畜と、薬草の匂いを含んだ乾いた風――そこまでを感じ取って、ラドゥははっと息を呑んだ。
ここは彼の故郷、アプトの里。
ラドゥと、そしてローザは、その里を見下ろす小高い丘に、身を投げ出されているのだった。
『なんで……』
「おや、お目覚めですか?」
眉を顰めて呟けば、穏やかなベルク語が降ってくる。
ラドゥがばっと身を起こしてみれば、そこに佇んでいたのはカミルであった。
彼は相変わらず、貴族的に整った相貌に品のよい笑みを湛えていた。
つい先ほどまで魔力を行使していたのか、胸の前で掲げた両手には、きらきらと光の粒子がまとわりついている。
白を基調とした騎士服姿も相まって、ベルクの宗教画にある正義の使徒とでもいった雰囲気だったが、その笑みを注意深く検分したラドゥは、背中をぞくりと粟立たせた。
瞳孔が開いた、不自然な笑み。
穏やかな口調とは裏腹に、全身の筋肉はいつでも動けるよう緊張しており、まるで隙が無い。
「……なぜ、俺たちを、この場所へ?」
それに、この突然の拉致だ。
転移直前のカミルの発言も気になる。
――知りすぎたあなたたちの処分ですよ。
彼がなにか、重大な悪事に手を染めていることが察せる程度には、不穏な言葉だった。
だが、カミルはそれには直接答えず、うっすらと笑んだまま、里を見下ろした。
「ああ、なんて汚らしい」
ぽつりと呟く声は、表情に反して吐き捨てるようだ。
「家畜の糞と、鼻につく薬草の匂い。うんざりしますね。人口以上に多い家畜を飼うのは、動物の体で病原菌を培養しているからですっけ? いたずらに動物を殺め、病を育てる。まったく、まさに邪教の徒だ」
「……違う。俺たちは、ワクチンを生成しているんだ」
ラドゥは、慎重な声で反論しながら、さりげなく身構えた。
目の前の優男からは、もはや隠す気もないアプトへの憎悪が滲み出ている。
強い敵意を感じ取ったラドゥは、本能的に命を守る行動を取ろうとしたのだ。
即ち、懐に忍ばせていたメスを、相手の首元に突きつける――!
「おっと」
だが、里を見下ろしていたはずのカミルは、振り向きもせずに長剣でメスを振り払い、逆にその切っ先をラドゥの喉元へと突きつけた。
形勢逆転だ。
思いのほかの切れ味だったらしいメスによって、彼の手の甲にはうっすらと赤い線が走っている。
それに気付くと、カミルは心底汚らわしそうに顔をしかめ、今度は、躊躇いもなくラドゥの腹を蹴り上げた。
『ぐ……っ』
「次期王の身を傷付けるなど、なんて身の程知らずな。異教の神を祀り、癒力者の地位を脅かす蠅めが。まったく……あの甘ったれな王子さえいなければ、こんな忌まわしい邪教の里、さっさと焼き払ってしまっていたのに」
憎々しげな発言に、体をくの字に折り曲げたまま、ラドゥは目を見開いた。
カミルはレオンの忠実なる騎士だったはず。
アプトへの苛烈な憎悪も、てっきり、ベルクへの忠誠をこじらせたがゆえだと思ったのに。
『あん、た……』
「おや、今さら驚いた顔をしてどうしました?」
カミルはラドゥの顔を見ると、愉快そうに笑った。
それから、琥珀色の瞳をぎらりと光らせた。
「そこの出しゃばりなローザ嬢は、私の野心などとうに見抜いていたようですが、しょせん愚図なあなたは、気付かなかったようですね。貴族連中とアプトの不仲を煽ったのも、傲慢な王妃に癒力を過剰に注いで、病罰を与えたのも、この私ですよ」
「…………!」
ラドゥがかすれた声で、「なぜそんなことを」と呟けば、カミルは「なぜ?」と、大げさに肩を竦めてみせた。
「もちろん、それが正しいからですよ。あるべき姿だから。本当なら、私が王になり、この王国を導くべきだからだ!」
声を次第に上擦らせる彼は、感情を制御しきれぬようだった。
その姿は、躁状態に陥った患者にも似ている。ラドゥは医師としての勘で、カミルが既にまともな精神状態にないことを悟った。
「私は、分を弁えない愚かな女や、汚らわしい異教徒など、けっして見逃しやしない。すべて正すべきなのだ。そうとも、私こそが、誰よりも上に立つに相応しい男、絶対の王者……!」
丁寧な口調もかなぐり捨てて、カミルは浮かされたように話し続ける。
ラドゥに遅れること数分、ローザが目覚めたのは、ちょうどそのあたりだった。
「…………」
ええと。
(な、なにやら、目が覚めたらカミル様のひとり告白大会が始まっていたのだけど……)
わけもわからぬままに移動陣に巻き込まれ、今この瞬間まで呑気に寝ていたローザは、起き上がるタイミングを逸したまま、聞き耳を立て、必死に状況に追いつこうとしていた。
今、カミルは「自分が上だ、絶対王者だ」とかなんとか言っていなかったか。
(ええと、たしかカミル様は、医療室の前で、突然「自分は上だ」と宣言しながら様子がおかしくなったのよね……? 知りすぎたわたくしたちを処分……からの、再びラドゥ様に向かって「私は上だ」宣言なう……?)
途中から目覚めた上に、自分にとって気になる情報しか拾っていないために、理解レベルが著しく低い。
ローザの中でこの状況は「本当は攻めなのに受けだと見誤られて逆上したカミルが、今さら真実を知ったローザたちにキレて、王宮から離れた場所で処分しようとしている」とでもいった具合に解釈されていた。
超解釈をキめたローザ本人ですら「それほんとに?」と不安を覚える展開だ。
(いえいえいえ……さすがにそれはない、わよね……? 自分で「実は攻めだ」と告白しておいて、それを知ったわたくしたちを処分だとか、どんな理論なの? そもそも、攻受を見誤られたくらいで、人ってそんなに怒りを滾らせるものかしら)
これまでローザは周囲に攻受判定結果を伝えたことがなかったので、それが当人にとってどれだけの衝撃を与えるものかがよくわからない。
ただ、異母弟のベルナルドは、日頃あれだけ天使のようなのに、ローザが男同士のカップリング妄想にうつつを抜かすだけで顔色を変えて怒るので、もしかしたら男性にとって、勝手に腐妄想され、しかも攻受を間違えられるというのは、相当に屈辱的なことなのかもしれない。
(……あらゆる可能性を排除してはならないわね)
ローザは、この場面でまったく必要ない謎の律義さを発揮し、うつぶせになったまま、傾聴という名の盗み聞きを続けた。
「だというのに、私のことを従順な雌鶏のように捉える人間の、どれだけ多いことか! 見る目のない愚かな女には、反吐がでる」
カミルの言う「見る目のない愚かな女」とは、もちろん、カミルを養子に迎えるとその気にさせておきながら、それをあっさり放棄した王妃ドロテアのことである。
だが、ローザは神妙な顔で、ごくりと喉を鳴らした。
(……「見る目のない愚かな女」……。やはり、わたくしに攻受を見誤られたことが、逆上の原因……)
そんなまさか。
いやでも、そうとしか。
目を瞑るローザの脳内で、果てしなく明後日な葛藤が渦巻いた。
「それで、その、絶対王者たる、あんたは……俺たちをここへ連れて来て、どうするつもりだ」
感情を高ぶらせるカミルに、かすれた声でラドゥが問う。
どうやら、苦しそうな声だ。
自分が寝こけている間に、彼になにが起こったのだろうと、そろりと目を開けかけたローザだったが、
「はははは!」
カミルが哄笑しだしたので、内心でひっ! と悲鳴を上げてその目を瞑った。
やばいまずい怖い。
この御仁、かなり理性を失っているようである。
「よくぞ聞いた。知りすぎたおまえたちを、この汚らわしい土地ごと焼き払ってやろうというのだ」
(ええっ!?)
びっくり仰天だ。
まさか彼の怒りは、里一つを滅ぼすほどに深いとでも言うのか。
さすがに八つ当たりしすぎだろう。
ラドゥも息を呑み、
「騎士一人の判断で、契約に則り従った土地に火を放つなんて、許されるわけがない。そんなことをしたら、罪を問われるのはあんただぞ!」
と、脅しつけるように反論したが、カミルはそれを一笑に付した。
「それが、許されるのだ。なぜなら、私は正義を行うだけなのだから」
「なんだって……?」
「この土地はな、残念ながら、恐ろしい伝染病に蝕まれてしまうのだ。だから、偶然この地に立ち寄った私は、王国の民を守る騎士として、苦渋の末この地の浄化を行うのだよ」
声の向きが変わる。
薄目を開けてみれば、カミルは今、丘から里を見下ろし、その一角を指差しているところだった。
「アプトの民は、動物を使っておぞましい病の実験をしていた。ところが、神罰が下り、その病が彼ら自身を苦しめるのだ。癒力者が一人を癒す間にも、十にも二十にも罹患者を増やす、恐ろしい威力を誇る病だ」
滔々と語ると、カミルはふっと歪んだ笑みを浮かべた。
「下手な情けを掛けたせいで、王国に危機をもたらしかねないほどの病を起こしたと知ったら、世論はどれだけ王子に失望するだろう。はっ、あの美しい顔が恥辱に震える様を思うと、胸が高鳴るほどだ」
「…………」
ローザはいよいよ虚無の顔つきになった。
彼、真性だ。
そして、己の復讐・兼・嗜虐プランをここまでの断定口調で語れるというのは、かなりの仕上がりだ。
ローザはひそかにドン引きした。
己が腐妄想を垂れ流す際もこんな感じになるのだろうかと思うと、少しばかり、いや、激しく胸が痛む。
「そうだな、病は空気感染するということにしておこう。森を焼く口実になる」
カミルが涼しげに付け足すに、ラドゥは食ってかかった。
「そんなでたらめな病があるもんか! どんなウイルスだって、そんな速さで感染することは不可能――」
「そう、感染などしない。なぜなら、最初から全員罹患するのだから」
カミルは遮ると、愉快そうに両手を広げた。
「癒力とは神の恩寵。人一倍の魔力素養と想像力を持つ、選ばれた者にのみ与えられる奇跡の力だ。癒力者は神と同じく、再生と破壊を同時に司る。つまり……私が願いさえすれば、この里一帯の人間はすべて、治癒過剰によって、病さながらの症状で即座に死に絶えるのだ」
「…………!」
つまりは、王妃が苦しんでいるのと同じ症状を、より過激な形で呈するということだ。
「そして――その魔力は、おまえたちが気絶している間に、すでに発動させた」
「いやいやいやいやいや!」
とうとうローザは跳ね起きた。
妄想だと思っていたら、すでに実行フェーズだったなんて。
とんだ危険人物だ!




