29.ローザは萌え画を守りたい(4)
「聞きたいこと……ですか?」
「ええ。今は二人きりです。特別になんでも答えて差し上げますよ」
「いえ、そうおっしゃいましても、聞きたいことなどは特に」
「嘘ばっかり。私と話がしたいから、こうして誘いに乗ったくせに」
思いもかけぬ言葉を掛けられ、いよいよ戸惑いが深まる。
てっきりローザを赤っ恥状況から救い出してくれたものと思っていたのだが、もしかして彼には違う意図があったのだろうか。
べつにカミルに聞きたいことなどなかったが、自分がなんらかの誘いに乗っていることになっているのなら、彼の求める通り、なんらかの質問をしてみたほうがいい気もする。
(質問。質問……。そうね、ベルたんのことをどう思っているかは確認をしておきたい……ううん、待って、それより、もうひとつ重要な問いを思い出したわ)
質問事項をひねり出していたローザは、そこで重要な疑問を思い出してしまった。
はたして、というかそもそも、カミルは「攻め」という認識で大丈夫なのだろうか。
(「ベルたん総受け計画」の構想中に出会ったものだから、つい反射的に「攻め」枠にいれてしまったけれど、彼本来の性質を改めて見つめたときに、カミル様は「攻め」でいいのかしら?)
これから二人が遭遇しようとしている、対ラドゥという場面において、この見極めは極めて重要だ。
「では、その……」
言葉を選び過ぎたあまり、すでにローザたちは医療室の扉の前にまでやって来てしまっている。
扉のノブに手を掛けたまま、くるりとこちらに振り返ったカミルを、ローザはなんとなく見つめた。
くすんだ金髪に、光の加減によっては金色にも見える、琥珀色の瞳。
王者の貫禄はないものの、高位貴族らしく整った顔立ち。
失礼ではあるが、レオンを全体的に薄めた男、というようにも見える。
(つまり、レオン殿下を「攻め」値500とするなら、カミル様は350、みたいな……)
その場合、彼は純然たる「攻め」と言えるだろうか。
少なくともレオンと並び立つと、彼は相対的に「受け」たりえる気もする。
(でも待って、そのあたりを聞き出したいとはいえ、「受け」「攻め」の用語は私が定義しただけで、けっして一般的な概念ではないし、どう表現すれば……)
ひとり悶々としていると、カミルが静かな口調で促してきた。
「ローザ嬢?」
「その――不躾ですが、カミル様は、レオン殿下の上になりたいか下になりたいかで言うと、どちらです?」
追い詰められて、つい端的にぶっこんでしまったローザの前で、カミルは軽く目を見開いた。
それから、薄い笑みを浮かべる。
「知っているくせに。――上、ですよ」
(えっ!)
思いの外あっさり答えられてしまい、ローザのほうがびっくりしてしまう。
もしやカミルは、その手のことにも理解がある男性なのか。
そして、「攻め」なのか。
聞いておきながら、動揺のあまりリアクションを取れずにいると、カミルがノブを掴んでいた扉が内側から開いた。
「ちょっと。ぼさぼさしないで入ってよ。早く脱いで、火傷を確認させて」
治療用の長服に着替えたラドゥである。
先ほどまで突き放すような冷ややかさをまとっていた彼なのに、この十分ほどで随分とローザへの態度が変わっている。
今や、彼は心配性の兄とでもいった様子だった。
「ほら」
痺れを切らしたように入室を促すラドゥだが、やがて怪訝そうに眉を寄せる。
扉口に立ちふさがったカミルが、やけに熱心に乳鉢を見つめていたからだ。
「なに? あんたにそこに立たれると、ローザが入って来れない――」
「これは失礼」
カミルは言葉を遮ると、唐突に動き出した。
ローザを突き飛ばすようにして部屋に押し込み、後ろ手に扉を閉めたのである。
「きゃっ」
「おいちょっと、そんな乱暴に押し込めとは誰も言ってないだろ!」
悲鳴を上げたローザに、ラドゥが非難の声を上げる。
だがカミルは穏やかな笑みを浮かべたまま、脈絡なくラドゥに尋ねた。
「火傷用の薬草を、もう調合してしまったのですね。でも――残念。あなたは、日頃の怠惰さのせいで、それらの薬草を切らしていることになっているんですよ」
「は?」
眉を寄せるラドゥの前で、カミルはすっと右手を掲げる。
「大いなる血脈に注ぐ奇跡の光に、御名を讃える。鉢に収められた鎮めの葉よ、あらゆる軛を逃れて育て」
――ふわっ
無詠唱、とは言わないが、短めの詠唱とともに、温かな光が乳鉢を包み込む。
だが、その美しい光は、中に収められていた薬草に醜悪な変化をもたらした。
すり潰され、透き通った液体を滲ませていた薬草は、一度元の形を取り戻したかと思うと、どろりと溶けて腐臭を放ちはじめたのである。
「な――……っ」
ラドゥは驚きに目を見開いたが、同じく癒力を持つローザには、カミルがなにをしたのかがよく分かった。
薬草を短時間で無理やり癒し育み、強制的に朽ち果てさせたのだ。
ローザもよくやる、癒力ならぬ腐力。
だが、彼がそんな行動を取る理由は、よくわからない。
「カミル様……?」
「薬草はない。なので、ローザ嬢に恩のあるあなたは、虫けらほどの義侠心を取り戻し、薬草を採取しに行くことを思いつく。あらゆる薬草を育てているアプトの里へ、ね。騎士中隊長以上が持つ移動陣を使えば、半刻もかからず往復できる」
カミルの発言は、言い聞かせるようでありながら、同時に独り言のようだ。
「強引な筋書きですが、辻褄合わせは後でしましょう。なにしろ時間がない」
彼は首を竦めると、あとはもう、二人の反応など取り合いもせず、胸元から取り出した布を床に広げはじめた。
複雑な幾何学模様に、ベルクの古代文字が散りばめられた、白い布。
それは、魔力の乏しい者の空間転移を補助する、「移動陣」と呼ばれる代物だ。
「カミル様、いったいなにを――」
なにか、おかしい。
鈍すぎる生存本能が、ここにきてようやくガンガン警鐘を鳴らしだしたが、もちろん時すでに遅かった。
「もちろん……知りすぎたあなたたちの処分、ですよ」
カミルはそう静かに笑って、穏やかな印象を裏切る膂力で、ローザとラドゥを移動陣の中に引きずり込んでしまったのだから。
「きゃ……――!」
『やめ……――!』
悲鳴すらも、陣から勢いよく巻き起こる風に紛れ、――三人の姿は、医療室からふっと掻き消えた。