2.ローザは「推し」を手に入れたい(2)
屋敷へと引き返す道すがら、ルッツから得た情報によれば、父親が連れてきた隠し子はベルナルドという名の少年で、ローザより一つだけ年下の十三歳。
伯爵と同じ金髪、そして美しい水色の瞳をしているという。
花売りの母親から生まれ、親子は王都の下町で細々暮らしていたそうだ。
母親は、ベルナルドを身ごもった時点で伯爵に訴えかけたものの認知してもらえず、女手一つでベルナルドを育て、昨年病で他界した。
そこからベルナルドは娼館の主人に引き取られていたのだが、そこに、上京していた伯爵が、事情を知らずに遊びに来たのだ。
娼館の主人は彼に、これまでの養育費の支払いと、子どもの引き取りを要求した。
伯爵は拒否したが、立腹した主人がベルナルドを無理やり押し付けてしまったため、見かねた従者が、ラングハイムに連れ帰ったのだという。
「なんということなの……」
ローザは馬上で、話を神妙な顔つきで聞きながら、内心では激しく胸をときめかせた。
(なんて悲劇的な身の上。もしやこれは……影のある「受け」が、来ちゃったかしら!?)
そこには、父親への嫌悪感や、少年への憐憫はもはやない。
なぜなら、父親への嫌悪はとっくに天元突破してしまっているし、事情をよく知っているわけでもない人物に勝手に同情するのも身勝手な話だと思ったからだ。
よってローザは、ただただ純粋に、その少年が理想の「受け」候補となりえるかだけを考え続けていた。
(下町とはいえ、王都出身……。都会の風を感じさせる、洗練された「受け」様かしら。それとも下町育ちゆえのひねくれ「受け」ちゃん。真面目受け……おかん受け……セクシー受け……ああっ、興奮が止まらない!)
動悸のあまり、ちょっと失神しそうだ。
後ろに座るルッツが思わし気な視線を寄越してきたので、ローザは腐臭に気付かれまいと、慌てて心を持ち直した。
(だめだめ。過剰な期待はよくないわ。お父様の血を引いているのなら、お肉野郎という可能性も……。……あ、でもそれなら、性根悪い系の「受け」が、誠実な「攻め」に出会って更生してゆくという展開も……)
やはり、根が腐っているのでどうにもならない。
仕方ないので、屋敷に着いた時点でもう一度気合いを入れて表情を取り繕うと、ローザは父とベルナルドのいるという応接間に駆け込んだ。
一応、それっぽく、隠し子を連れてきたことを形ばかり非難しておかなくてはなるまい。
「お父様! ルッツから聞きましたよ。いったいどのようなおつもりで――」
だが、張ってみせた声は、そこでぷつりと途切れてしまった。
ソファの傍に、所在無げに佇む少年の姿を視界に入れてしまったためだ。
「まあ……!」
(んほぉおおおおおおお!)
興奮のあまり、脳内語調が乱れた。
そこには、ローザの理想が服を着て立っていた。
成長途上のほっそりとした手足。
細い金髪に、あどけない水色の瞳。
顎のラインには幼さが残り、きゅっと引き結ばれた唇には、秘めた意志の強さが感じられる。
恐々といった様子で、こちらを上目遣いで見上げてくる、そのかわゆさといったら。
王都からの長旅が堪えたか、それともこれまでの貧しい暮らしのせいか、今は汚さとみすぼらしさが目立つが、そんなものでこの腐ィルターはごまかせやしない。
その愛らしさ。
庇護欲をくすぐる佇まい。
顔。フォルム。ぜんぶ。
ローザは鍛え抜かれた腐的審美眼でもって、彼を「受け」の超新星だと断定した。
(五百億点満点! 激推し!)
歓喜しすぎて絶叫しそうになり、なんとか口元を押さえてこらえる。
が、それをどう取ったのか、ソファにどっかりと腰を下ろしたラングハイム伯爵は、ふんと鼻を鳴らした。
「みすぼらしいネズミだろう? この花売りの子ども風情が、私の息子だと名乗って、厚かましくも付いてきたのだ」
どうやら彼は相変わらず、ベルナルドを認知するつもりはないらしい。
下町の少年が、金髪に水色の瞳などという、いかにも貴族的な――そして伯爵とまったく同じ色彩を持って生まれることなど、まず無いというのに。
壁に控えていた使用人たちも、さすがに顔を顰める。
だが、伯爵はどこ吹く風だった。
汚らしいげっぷを漏らすと、使用人に合図して蒸留酒のお代わりを持ってこさせる。
テーブルには既にグラスや氷が置かれており、帰宅早々、盛大に飲み散らかしているようだ。
「大嘘つきのやり手婆は、その場で外に放り出してやったわ。だが、子どもを蹴り飛ばすのも、外聞が悪いのでな。高貴なる者としては、慈悲も見せねばなるまいと思い帯同を許したが、まあ汚らしいものだ。臭さに鼻が曲がる」
「…………っ」
ベルナルドが小さな拳を握る。
ふるりと身を震わせる様子に、誰もが憐憫を掻き立てられたが、それでも伯爵を制止するところまではいかなかった。
それだけ伯爵の権限は強かったし、実際問題、ベルナルドはかなりみすぼらしく、汚らしかったためだ。
それに、と、使用人たちはちらりとローザを見た。
もしこの少年を伯爵の実子として受け入れれば、女のローザに爵位継承権はなくなってしまう。
善良で美しい、貴婦人の中の貴婦人――「ラングハイムの薔薇の天使」が、ネズミのような少年と引き換えに身分を損ねてしまうのを、彼らは恐れたのだった。
しかし、
(まあ、このお肉……わたくしのベルたんに、なんという暴言を! 臭いのはどちらよ!?)
当のローザはといえば、そんなことを欠片も考慮せず、内心で激しく怒りの炎を燃やしていた。
元より出家を密かに企んでいる彼女だ。
こんな理想的な「受け」を前にして、己の貴族的立場を云々するなどという発想が、あるはずもないのだった。
「……僕だって、約束を守っていただければ、すぐにでもこの場をおいとまします」
(しゃべった! 声もめちゃかわ!!)
だからローザは、むしろベルナルドを全面支援する心づもりでこの場に立っていた。
敬語にあまり慣れていないのだろう。ほんの少しだけ幼さを残した口調が堪らない。
推しの声をもっと近くで聞きたくて、さりげなく、ちょっとずつ距離を縮めてゆく。
「伯爵様は、僕たちに慰謝料を支払うとおっしゃいました。それを、まだいただいておりません」
(一人称は僕なのね。いい。すごくいいわ!)
「母はたしかに花売りでしたが、嘘つきではありません。伯爵さまはあの場で、一度は『わかった、払う』とおっしゃいましたよね。ならば伯爵様も、約束を嘘にせず、せめて母の墓代を払ってください!」
(その通りだわこのお肉! ああ、それにしたって、場の空気に呑まれかけながらも、お母君のために踏ん張って声を震わせるベルたん……っ。なんという健気さ! これぞ天性の「受け」素養……!)
ローザは雷に打たれたような衝撃を覚えながらも、必死にそれを押し殺し、じりじりとベルナルドに近付いた。
(ちょ……、ちょっとだけ、ボディタッチを……っ。生身の「受け」を、この指先に……っ)
もはや伯爵より重度の危険人物である。
だが、神はローザに味方した。
「はっ、こざかしい! 生意気を吐くその汚らわしい口を、消毒してやるわ!」
伯爵はそう吐き捨て、手にしていたグラスの中身を、勢いよくぶちまけたのである。
――パシャッ。
果たして、蒸留酒はすべてローザにかかった。
なぜなら、素早く身を翻したローザが、ベルナルドに襲い掛かる、もとい、覆いかぶさるようにして、彼を庇ったからである。
「…………っ!?」
(ハグ、ゲットぉおおおおおおお!)
ローザはさりげなく、弟の細腰にぎゅっと腕を回してみた。