21.ローザは「攻め」を揃えたい(3)
我に返ったローザは、「わたくし、なにを……」と口に手を当てた。
まずい。
なにを口走ったかはっきり覚えていないが、取り返しのつかない不敬を働いた気がする。
だが、レオンは暴言を責めるではなく、やけにまじまじとこちらを見つめている。
同時に横からは、ベルナルドが心配そうにローザのことを覗き込んでいた。
「姉様。顔色が悪いようです。大丈夫ですか?」
どうやら、数秒とはいえ真剣に腐に没頭していたため、心臓に負荷がかかっていたらしい。
ローザは「いつものことだから気にしないで」と軽く受け流すと、改めてレオンに深々と頭を下げた。
「大変申し訳ございません。わたくし、舞い上がってしまったのか、妙なことを口走ったようで……。田舎娘の世迷言と、ご放念くださいますと幸いです」
「……ああ」
レオンがじっとこちらを見つめながら、頷く。
この一連の不敬は見逃してくれるらしい。
意外に寛容な男だ。
ほっと胸を撫でおろしていると、彼はほんのわずかに口の端を持ち上げた。
「代わりと言ってはなんだが、ローザ、と呼んでも?」
どこか肉食獣を思わせる、鋭い笑み。
「俺様攻め」の教科書に載せたいほどだ。
ローザは、代償とも言えぬささやかな要望を、もちろん即座に了承した。
「もちろんでございます」
きっと彼は、その辺の脇役には「ローザ」などと呼び捨てをし、真に愛する者に対しては、優しく「ベルたん」などと甘い声で囁くタイプなのだろう。
なぜだか、従者の青年やベルナルドは、驚いたようにレオンを見ている。
ローザは、「え、やだ、びっくり顔のベルたんめちゃかわ」とだけ思った。
「……失礼ですが、姉はやはりまだ本調子ではないようです。大変恐れながら、そろそろ御前を失礼しても?」
と、ベルナルドがなぜか少し棘のある口調で、そう申し出る。
レオンは一瞬だけ面白そうにベルナルドのことを見やると、それから鷹揚に頷いてみせた。
「もちろんだ。むしろ、突然押しかけてしまってすまなかったな。我々が引き取るとしよう。だが、傷の具合は本当に大丈夫だろうか。癒術師の姿が見当たらないようだが」
「この時間は席を外しているのです。僕が手当ていたしましたので、ご心配には及びません」
ベルナルドは、やはりどこか険のある口調で答える。
すると、それを聞き取った従者のカミルが、それまでの沈黙を破って、「それにしても、癒術師殿はどこへ行かれたのでしょうね」と不満そうに呟きを漏らした。
「講義で席を外しているのではなかったですか?」
「本来はそうなのですけどね。彼がその講義をすっぽかしているから、私たちはこうして自由時間になっているのです」
ベルナルドが問うと、カミルは丁寧な口調のまま答える。
それから、秀麗な顔を曇らせた。
「王宮暮らしを享受しながら、与えられた責務も果たさぬとは。一度きちんと、彼に、処遇について考えさせた方がよいかもしれませんね。それとも、彼の肩書を『穀潰し』にでも変えたほうがいいかも」
苦々しい口調である。
側近にして親友の不満を聞き取ったレオンは、執り成すように肩を竦めた。
「同意だが、そう小姑のような言い方をするな。――失礼、二人とも。このカミルは、真面目をこじらせる余り、怠惰の現場を見つけるや、王子であろうが癒術師であろうが、小言を言わずにいられない性質の男でな」
どうやら、カミルは、この場にいない癒術師の怠慢に対して憤慨しているようである。
彼らの会話からは、癒術師の置かれた境遇や、王宮内での対立のようなものが、うっすらと感じ取れたが、ローザはそんなことよりも、
(まあ。カミル様は小言キャラなの? ならば、「オカン受け」の素養もありそうね)
そんな妄想に意識を取られていた。
カミルは高身長だが、レオンのような猛々しさがないぶん、細身の麗人といった印象も受ける。
「ベルナルド総受け計画」推進者としては、「真面目攻め」として遇したいところではあるが、本人の適性によっては、彼を「受け」とするのもアリかもしれない。
(カミル様は……「攻め」か、「受け」か……)
つい、カミルをじっとり見つめていると、本人が怪訝そうにこちらを見返してきたため、慌てて視線を逸らす。
いけない。
いい加減に自制しなくては。
ローザが気を引き締めていると、やがてレオンが切り出した。
「さて。では、しっかり者の弟君も付いていることだし、我々は退出するとしよう」
そうして、ローザに、美しい金色の瞳で一瞥をくれる。
「ローザ。傷のことで相談があれば、いつでも声を掛けてくれ。本宮には自由に出入りしていい。それも詫びの一つだと、妹にも話しておく」
「え……? あ、はい……ありがとうございます」
どうやらこのレオンなる男は、ローザの不敬を見逃してくれるばかりか、本宮へのフリーパス権までプレゼントしてくれるらしい。
そんなにも、妹のために負った傷のことを気にしてくれるなんて、さすがは長男だ。
(そして、さすがはベルたんの「旦那」最有力候補だわ……)
ローザはしみじみと感じ入りつつ、ちゃっかりその栄誉に与ることにした。
だって本宮には、この医療室のほかにも、膨大な蔵書を誇る図書室や、騎士の訓練場など、気になるスポットがたくさんある。これを逃す手はない。
そうして、思わぬ収穫にほくほくしながらレオンたちを見送ると、扉が閉まるや、隣のベルナルドが深々と溜息を落とした。
「ああ、もう……。やっぱりあの王子、精神操作系の魔力も持ってるのか……なんて厄介な」
「ベルナルド?」
声を掛けると、最愛の弟は恨みがましい目つきでこちらを見上げてくる。
「王女殿下に、王子殿下まで。本当に……姉様、あなたっていう人は……」
「え」
もしやこれは、尊いお方を次々と薔薇妄想の糧にしていたことを責められているのだろうか。
焦るローザに、ベルナルドは疲れた様子で尋ねた。
「さっきの、茶髪だとか、茶色の瞳というのはなんなんです? 王子殿下もカミル先輩も、かなり驚いていたようですけど」
「え? ええと、それは……」
まさか、腐的思想を嫌っている弟に向かって、ツイストの利いた「平凡のち俺様攻め」の必要性について語るわけにもゆくまい。
「……ごめんなさい。あまり、うまく話せないというか……話して、あなたに嫌われるのが怖いというか……」
もごもごと答えにもならぬ答えを呟いていると、ベルナルドはなぜか痛ましそうな表情になった。
「……なら、いいです」
「え、いいの?」
「ええ。姉様に危険が及ぶ話でないのなら。……及ぶ話ではないのですよね?」
じっと見つめられて、思わずローザは「もちろん!」と頷く。
むしろ、考えると幸せになる話だ。
ローザがあからさまにほっとすると、ベルナルドはわずかに眉を寄せた。
(姉様はそんなにも、自分の力のことを隠したいんだな……)
ベルナルドは、ローザの反応をそのように受け止めていたからである。
(瞳の色がぐっと濃くなっていたし、さっきのは明らかに、予言か、なにかを見抜くような言葉だった……。でも、そうした力を披露したら気味悪がられる、とでも思ってるんだろうな。父親がそうであったように)
伯爵は、ローザの聡明さ、なにより自分の卑しさを見透かしてくるような「真実の瞳」を、大層疎んでいたという。
きっとローザにとって、神秘的に輝く紫瞳の力は、呪いのように忌まわしいものとして刻み込まれているのだろう。
(べつに、俺はあの王子の正体が茶髪だろうがなんでもいい。無理やり聞き出して怯えさせるよりも、姉様の心がこちらに完全に開くのを待たなきゃ)
ベルナルドなりに、そう気遣ったのである。
ちなみに、ローザの心は、弟に向かってベルトが緩むどころか全開になっているような有り様なので、その配慮はまったく無駄だったのだが、幸か不幸かそれに気付く者はいなかった。
ベルナルドは小さく首を振って、気持ちを切り替えた。
「姉様に危害が及ばないなら、べつに構いません。いつか気が向いたときにでも教えてください。でも、訂正をひとつ」
「訂正?」
「僕が、姉様を嫌うなんてありえませんから」
ごく淡い笑みを乗せて、間近から瞳を覗き込む。
「そのことだけは、よく覚えておいてください。――返事は?」
「え……っ? あ、はい……っ」
「よし」
少年、というよりは、ほんのわずか、男の色気のようなものを漂わせる弟に、ローザはどきりとした。
(ど、どうしましょう……なんだかベルたん、ますます「攻め」がかっている……!?)
無論、心配からだ。
動揺するローザをよそに、ベルナルドは薬品類を素早く片付け、離宮へと戻る準備をしだす。
そのてきぱきとした後姿を見つめながら、ローザは不甲斐ない思いに駆られて、眉を下げた。
(やはりわたくしが情けない人間だから、ついつい弟がしっかりして、「攻め」属性を刺激されてしまうのだわ。わたくしが、もっとしゃんとせねば)
とりあえず、所かまわず妄想に耽る悪癖を改めよう。
薔薇の気配がするたびに、後先考えずにわんわん飛びつく習性も、どうにかしなくては。
そうとも、自重するのだ。
「さて。それでは僕は一足先に離宮に戻りますが、……姉様? なにをしておいでで?」
と、レオンたちに続いて医療室を去ろうとしていたベルナルドが、怪訝な顔で振り向く。
ローザはぱっと、隣の寝台のカーテンに伸ばしていた指を引っ込めた。
「な、なんでもないわ」
べつに、カーテンの向こうに、息をひそめた禁断カップルがいないかな、などと考えたわけではない。
自重。
……自重。
(……でも、せっかく本宮まで来たわけだし、離宮までの道々、いろいろ覗いて帰ろうかしら)
騎士団の練習場が近いようだから、そこはまずチェックして。
ついでに、図書室のラインナップ――薔薇本の有無――の確認と、逢引きスポットの探索、それから、「ベルナルド総受け計画」における「攻め」候補者の洗い出しは、絶対にやっておきたい。
でも、それだけにしよう。
ローザは己の首に手を掛ける思いで煩悩を抑え込み、ベルナルドに、
「わたくし、ゆっくりと外の空気を吸ってから帰りたいから、どうか先に行っていてちょうだい」
と申し出る。
すでに頭の中は、邪な思いでいっぱいだ。
だから――ベルナルドを見送るローザの背後で、寝台のカーテンがわずかにそよいだことには、気付かなかった。
次話は文字数が少なめなので、夜まで待たずお昼に投稿してしまおうと思います。
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今、折り返しを過ぎたくらいのところですが、完結まで腐ルスロットルで駆け抜けますので、最後まで温かく見守っていただけますと幸いです。
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