20.ローザは「攻め」を揃えたい(2)
(ラングハイムの薔薇の天使、か。なるほど、たしかに美しい娘だ)
医療室にやって来たレオンは、驚いて顔を上げたローザを見て、内心で素直に感嘆を覚えた。
繊細な輝きを湛えた金髪に、淡い紫色の瞳。
白磁の肌には可憐なパーツが品よく収まり、わずかに幼さを残しながらも、既に美貌は完成されている。
「知っているかもしれないが、レオン・フォン・ベルクヴァインだ。クリスから、代わりに傷を負ったと連絡を受けたもので、見舞いがてら謝罪に来た。このたびは妹が迷惑を掛けたな。申し訳ない」
神妙な表情を浮かべてみせながら、しかしその顔の下で、レオンは物見高く相手の反応を窺っていた。
しょせんこれまでの人間と同様に、こちらの瞳を見るや理性を溶かし、しなだれかかってくるのだろうという、冷えた予想が九割。
しかし心のほんの片隅には、相手がどう出るのかを、期待する気持ちもあった。
(まさか数週間で、あの頑固者の妹を掌握してしまうとはな)
レオンのベルク帰還によって、唐突に後継者の地位から転落してしまったクリス。
彼女の男装や振る舞いが、傷心と憤怒ゆえであることを、レオンは理解していた。
式典などで会うたびに、敵意に満ちた眼差しを向けられ、彼としても距離を測りあぐねていたのだが、ここに来て、突然クリスがレオンのいる本宮へと駆け込んできたのだ。
その顔にはもはや、鬱屈や子どもじみた反抗の色はなく、ただ、使命感を帯びて凛と引き締まった表情だけが浮かんでいた。
そして、事の経緯を告げたうえで、「自分より上位である兄上から、ローザに一言詫びを告げてほしい」と頭を下げた彼女を見て、レオンは、ローザがすっかり妹を変えてしまったことを悟ったのである。
(さて。やり手の「天使」とやらは、どんな娘か)
レオンのこれまでの経験に照らせば、人から羨望や憧憬を集める人物ほど、その内側には醜悪な欲望を隠し持っている。
クリスはローザにすっかり心酔していたようだが、それを見たレオンは、かえってローザへの疑念を強めた。
少なくとも弟のベルナルドのほうは、これまでに騎士団訓練などで接した感じでは、愛らしい外見とは裏腹に、腹に一物抱えているように見えた。
レオンと目が合うたびに、粗暴な中身が引きずり出されそうになるからだろう、本能的にレオンのことを警戒しているようである。
もっとも、彼の粗暴さは、少年らしい潔癖さをも併せ持つようで、レオンには微笑ましく映ったものだが。
では、姉のほうは?
「傷というのは――ああ、耳に少し傷がついてしまっているな。肌が白いから、なおさら痛々しい」
いかにも心を寄せるように、そっと顔を近付けてみせれば、大抵の令嬢はそれだけで頬を染めるもの。
魔力耐性に乏しい者なら、この時点ですでに恍惚状態に陥るものだ。
だが、ローザはここで、意外な反応を見せた。
「まあ……」
ぽつりと呟くと、じっとレオンを見返してきたのだ。
見惚れているのかといえば、そうではない。
むしろ、不意に色を深めた紫色の瞳に、レオンのほうが惹きつけられてしまったほどである。
彼女は、背後に控えるカミルとレオン、その両方を順に見つめ、挨拶を返す。
凛とした口上や静かな表情は、十四歳とは思えぬほどに老成されていた。
「過分なお気遣い、心より感謝申し上げます。また父の一件での寛大な処分についても、遅ればせながらお礼申し上げます。弟は騎士団でうまくやっているでしょうか。皆さまに温かくご指導いただけていたらよいのですが。後ろにいらっしゃる方は、どのような関係――もとい、ベルナルドの先輩の騎士様でいらっしゃいますか?」
しかも、隙あらばすぐに己をアピールし、媚びを売ろうとしてくる女性たちとは異なり、ローザが話すのは弟のことだけだ。
(俺の瞳が、まったく作用していない……? それどころか、この、引きずり込まれるような感覚のする、神秘的な紫の瞳はなんだ……?)
初めて得た反応に、レオンは内心で驚いた。
この、真っすぐな視線。
理性を失わない姿からは高潔さを感じるのに、――しかし本能のどこかが、負のオーラのようなものを感じ取る。
(なんだ……? この瞳をもってしても、この娘が清純なのか、邪悪なのか、割り切れない)
まったく未知の感覚だ。
戸惑いを覚えながら、レオンがカミルを呼び寄せ、従者兼騎士団指南役として紹介すると、ローザは薔薇が綻ぶような笑みを見せた。
「そうですの、指南役で……。ふふふ、ベルナルドは、こんなにも素敵な方々に囲まれて、日々鍛錬しているのですね」
(腐腐腐……うふふふふふ! ああ、めくるめくBLハーレムが目の前に広がっているわ!)
もちろん、その薔薇の苗床は、腐りきっていた。
(んもう、ベルたんったら! わたくしが「ぷんデレ」に没頭している間に、こーんな素敵な「攻め」二人を周りに侍らせていたなんて! もうもう、どんな鍛錬をしているのよぅ!)
そう。
ローザは、レオンたちと引き合わされてからこちら、貼り付けた笑みの下で、そんな腐的思考に没頭していたのである。
いわば彼女は、金の瞳の誘惑を、菫色の腐眼で弾き返していただけなのであり、溶かされるべき理性が腐りきっている彼女だからこそできる、それは無意識の勝利であった。
(やっぱり大本命は、絵に描いたような「俺様攻め」のレオン王子殿下よね。けれど、いかにも堅物っぽいカミル様も、「真面目攻め」としてぜひラインナップしたいところ。これまで固い絆で結ばれていた主従の二人が、ベルたん登場によって争い合うとかの展開であれば……くっ! わたくし、それだけをおかずに、パン三斤いける……!)
なんだか、にわかに「ベルナルド総受け計画」の展望が開けてきた気がする。
ラインナップ要員・カミルの存在も嬉しいところだが、いやいやとにかくレオンが素晴らしい。
この、優雅と傲慢を併せ持つ、完璧な美貌。
低い声に精悍な体つき。
きっぱりとした口調、皮肉気な口元に覗く、えもいわれぬ男の色気。
きっと、街角で百人に聞いたら百五人が「俺様攻めですね!」とサムズアップしてくれるに違いない、圧倒的「攻め」だ。
(ベルたんとの身長差も完璧だし……それにやっぱり、王道の「俺様攻め」なればこその、様々なシチュエーションが可能になると思うの)
例えば、顎をぐいと掴んで視線を合わせる「ぐい顎」だとか、命令形に潜ませた隠しきれぬ愛情とか。
あとはあとは、ベルナルドにはぜひなんらかの事情で拗ね、その場を逃走するなどしてもらって、レオンにはぜひそれを追いかけてもらって、あっさり掴まえてほしい。
そうして、強引に腕を引っ張って、からの、壁にばぁん!と押し付けるような形で腕の中に閉じ込めるのだ。
(題して、「壁ばぁん」!)
命名はもちろんローザだ。
いよいよ興奮が高じてきた。
本当なら両手で顔を覆ってぴょんぴょん飛び跳ねたいし、あるいは伏して拳を地面に叩きつけたい。
それらの衝動を無理に堪えているせいで、さりげなく抑え込んだ手首がぷるぷる震えるほどである。
(いけないわ……このままでは、興奮が祟ってまた倒れてしまう。ベルたんの将来のためにも、それだけは避けねば……っ。冷静になるのよ、ローザ)
ハァハァしすぎたあまり、上司や先輩の前でぶっ倒れる姉。
それはもはや、禍や公害の類でしかない。
怪訝に思ったのか、レオンはその攻め攻めしい瞳でじっと見つめてくる。
ローザは反射的に、気を引き締めて相手を見返した。
これ以上彼に興奮させられてはならない。
今は無理やり相手に難癖を付けてでも、理想の「攻め」登場に湧く脳内を沈静化させなくては。
(くっ……、俺様攻めがなによ……! そ、そんなのあまりにも王道で……鉄板で、ええと……陳腐。そう、陳腐! だいたい、俺様ぶりを極めすぎると、一周回って「受け」っぽくなる感があるのよ! ……ん? 待って、それって本当にそうよね)
途中から、ローザは本気で心配になってきてしまった。
薔薇界の奥深くには、「俺様受け」という業の深い沼もある。
レオンをそこにはまらせぬよう、彼にはもう少し深みというか、俺様以外の属性を付与した方がよいのではないだろうか。
(例えば……そうね、「平凡のち俺様攻め」とか)
超加速思考演算機と化したローザの脳は、一瞬のうちにそんなキャラ造形を弾き出した。
レオンに、「登場時点では平凡に見えたが、実は黒幕タイプの俺様攻めだった」というツイストを与えるのだ。
既に「平凡」という属性を崩したうえで立ち現れる「俺様」要素ならば、崩壊はしないだろうという計算である。
またこれにより、「『受け』だけが本性を見破る」みたいな胸熱なイベントも実現可能になる。
これはなかなか……いや、かなり素晴らしいのではないか。
追い詰められたためとはいえ、こんなにも深みある「攻め」バリエーションを一瞬で考案してみせた己の才能に、ローザはふるりと身を震わせた。
ちなみに、ここまでが約三秒の出来事である。
(いいわ。すごくいい。となれば……レオン殿下には、いっそ平凡な外見で登場していただいたほうが美味しいわね)
そういえば、レオンもカミルもベルナルド自身も、上位貴族ゆえに皆金髪で、少々単調な感がある。
レオン王子が平民のような茶髪キャラを引き受けてくれるなら、絵面的にもバランスが取れて実にナイスなのだが。
(そうよ、いっそ、殿下には平々凡々の、茶髪に茶色の瞳とかになっていただいて――……って、一国の王子に、さすがにそれはありえないわね……。そもそも、平凡設定もなにも、この姿でベルたんと既に出会ってしまっているのだから、さすがに脳内補完にも無理があるわ……)
と、四秒目にして現実にぶつかり、腐的勢いが急激にしぼんでゆく。
が、さすがに四秒もぼけっと黙り込んでいるのは、不自然に映ったのだろう。
レオンはやけに真剣な様子で視線を合わせたまま、
「ラングハイム嬢? なにか考え事でも?」
と尋ねてきたので、ローザは咄嗟に、腐った思考をげろってしまった。
「いえ。王子殿下が、茶髪に茶色の瞳――」
そして、はっとする。
いくらなんでも、さすがに不敬だ。
「なんだと?」
レオンが驚いたように聞き返してきたので――しかも、ちょっと声が低くなった気がする――、ローザは慌てて撤退を試みた。
「いえ、なんでも! なんでもございませんわ。あの、その、どうぞお気になさらないでくださいませ」
冷や汗をだらだら流して顎を引くが、レオンはなぜだか「ふぅん?」と首を傾げ、ぐっと身を乗り出してくる。
「ラングハイム嬢。俺は、あなたがなにを考えていたのか、ひどく気になる。――話してくれないか?」
金の瞳が、きらりと光る。
それを見た瞬間、ローザは頭の奥がじわりと痺れるような心地がして、不思議なことに、なにもかもを彼に打ち明けたくなってしまった。
「ええと……。殿下は、とても凛々しく、自信に満ち溢れた方で……ベルナルドをお任せするに、ぴったりの方だと、思って……」
声が勝手に舌からこぼれ出てゆく。
ああ、せめて言葉を選ばなくては。
けれどその自制心もすぐに、考えていたことを話さなくてはという強い衝動で、乱暴に塗りつぶされてしまった。
(話す……考えていたことを話す……ええと、わたくし、なにを考えていたのだっけ……)
腐ったことしか考えていなかったはずだ。
レオンはいかにもな「俺様攻め」であること。
ベルナルドの相手役にぴったりなこと。
いや違う、それでは捻りがないと思ったのだ。
「けれど、そのままではいけなくて……。あまりに自信に溢れていると、突然、襲われる側になることもあるから……」
あまりに俺様要素を押し進めすぎると、今度は「俺様受け」に転落してしまうこと。
それから?
(そうだわ、「平凡のち俺様」攻め……)
腐ォースを振り絞って、己の思考を再現する。
ローザは、傍からは神秘的とも取れる平坦な口調で、それを語った。
「だから、殿下にはいっそ、平凡な……茶髪と、茶色の瞳に……けれどそれは、しょせん叶わぬ夢で……」
こちらを見つめるレオンが、改めて息を呑む。
なぜだろう、と思うより早く、
「――姉様!」
凛とした声が耳を打った。
ベルナルドだ。
愛しい弟の声を聞いたことで、耳元でぱんとなにかが弾ける心地を覚える。
我に返ったローザは、「わたくし、なにを……」と口に手を当てた。




