19.ローザは「攻め」を揃えたい(1)
「まったく。姉様は目を離すと、すぐこれなんだから」
「はい……」
「そんなしおらしく頷いても、騙されませんよ。どうせその心は、すぐに危なっかしい考えでいっぱいになるんだということくらい、僕にはお見通しですからね」
「えっ! ……え、ええ、はい……」
「自分を傷付けてきた男爵令嬢を許すばかりか、自領で庇護する、ですって? まったくもう……いったいなにを考えているんだか」
「うぅ、それは、その……」
腐ったことです、とは言えず、ローザは口をもごもごさせて視線を逸らした。
医療室に運ばれる最中もなお、ベルナルドの事情聴取と説教は続いていた。
おまえの危険思想などお見通しだとまで言われて、ローザのライフはもうゼロだ。
もしかしてベルナルドにこの場で見放されて、姥捨て山よろしく、腐捨て室としてここに置いてゆかれるのではないか。
椅子に下ろされたとき、ローザは咄嗟にベルナルドの袖口を引っ張ってしまった。
「ベ、ベルナルド。その……行ってしまうの?」
「…………行くわけないじゃないですか」
そう答えてはくれたが、返事には妙な間があったし、なぜか目を合わせてくれない。
(きっと、何ごみの日に出すか考えているのだわ)
とびくびくしたが、ベルナルドは丁寧な動きでローザの指を外すと、医療室の棚を漁りはじめた。
「あの、ベルナルド……。勝手に医療室の物に触れていいの?」
「怪我の多い騎士団の人間は、ここの物を使っていいことになっているんですよ。この時間、癒術師は講義でいないのでね。もっとも、大抵の人間は癒力で手っ取り早く治してもらう方を選びますけど」
「それはその……重ね重ねお手数を……」
「体質なんだから仕方ないでしょう」
ベルナルドが少々ぶっきらぼうに答える。
そう。彼らは今、貴族かかりつけの癒力者のいる神殿ではなく、くだんの癒術師が待機するという、医療室にやって来ているのだ。
それというのも、ローザ自身が癒しの魔力を持っており、自身には癒力が効きにくいためだ。
火の魔力を持つ人間が決して火傷を負わないように、その魔力を持つ人間には、同系統の魔力が干渉しにくい。
癒力を持つローザは、他者からの癒力も受け付けないし、自分自身のことも癒せないという、大変不便な仕様の持ち主なのである。
結果、癒力者は、他者ばかり癒す「無私無欲の人」と称えられることも多いが、同時に、「自分自身はすぐに弱ってしまう人」といったイメージも強い。
ローザがやたらと清廉だとか病弱だとか誤解されやすいのも、多少はこのあたりに原因があった。
「皮肉なものですね。その辺の魔力を振りかざす貴族は素早く癒力で癒してもらえるのに、癒力者自身はこんな場末の医療室で、庶民のような手当てを受けるしかないなんて」
「まあ。場末だなんて言わないで。立派な王宮、それも本宮の一室だし、見たことのない書物や薬もたくさんあって、素敵な場所じゃない」
不満げなベルナルドを軽く窘めると、ローザは改めて医療室を見回した。
さすが王宮の一室だけあって、中は広々としているし、三台置かれた寝台も、それぞれにカーテンが掛けられ、患者同士が見えぬよう配慮されている。
床から天井まで伸びる棚には、丸薬や粉薬、毒々しい液体やよくわからない器具などがずらりと並び、最上段には神秘的な絵画まで飾られ、それを見たローザはごくりと喉を鳴らした。
(ここが、異端の医師、「褐色の癒し手」の本拠地……。当人にお会いできないのが残念だわ。ああ、でも、寝台もあるし、しかも個室仕様だし、怪しげなお薬がいっぱい……んもう、んもう! 淫靡さに溢れているではないの! けしからないわ、もっとやれ!)
もしかして媚薬なんてものも実在しちゃったりして。
それでもって、恋の処方箋が出されたり、みだらな触診が行われたり、カーテンのかかった寝台の中で秘密のカップルが息を潜めていたり……ああ、妄想が捗る。
息を荒げないように注意深く呼吸をしている内に、ベルナルドは慣れた手つきで傷を消毒してくれた。 うっかり腐った自分の存在ごと消毒されてしまうかも、と危惧したが、幸い耳が溶け消えることはなかった。
消毒液程度では祓えない穢れなのかもしれない。
「消毒はこれでいいとして……どうしよう。包帯も巻いておきましょうか」
「絶対やめて」
ローザは真顔で答えた。
弟は時々過保護だ。
こんな、薄皮一枚切られたくらいの傷、消毒すら必要だったかどうか。
貴腐人の耳たぶなんざ、千切れたところで、きっと唾でもつけておけば再生するに違いないのに。
「わたくしのことはもう十分だから、あなたは早く持ち場へ戻って。わたくしも、もう離宮に戻るから」
「姉様をあの魔窟になんか戻らせませんよ。まずはきっちり、すべての膿だしを終えてからでないと。でも、たしかに僕は一度戻らないといけませんね。……姉様をこんな目に遭わせたやつらのことも、きっちり締めとかねぇと……」
後半は呟く声が低すぎて聞き取れなかったが、なんだかすごく荒っぽい口調だった気がする。
ローザは驚いてベルナルドの顔を覗き込んだが、彼は「どうしました、姉様?」とにこっと微笑んだので、その愛らしさに疑問は爆殺された。
たぶん、聞き間違いだろう。
ベルナルドは少々ひねくれたところもある完璧な「腹黒美人受け」だが、雄々しい人間ではないはずだ。
あまり男性性が強すぎると、途端に「攻め」キャラに転じる恐れがあるので、ローザとしては大変困る。
(でも、先ほどの強引さをとっても、ここ最近のベルたんは、少し「受け」要素が低迷しているようにも思われるわね……。彼を「受け」たらしめる、圧倒的「攻め」の探索が急務だわ)
曖昧な頷きを返しながら、ローザがそんな腐的思索に耽っていたとき、
――コン、コン。
と、扉を叩く音があった。
さては癒術師が戻ってきたのか、とベルナルドが扉を開けに行けば、どうも違ったようだ。
扉口で、少々長めの小声の応酬をした後、ベルナルドはきまり悪そうにローザのもとへと戻ってきた。
「姉様。早速このたびの件を聞きつけ、その……見舞いをしたいと仰る方がいるのですが」
「えっ、お見舞い? この場に? どなた?」
「お忙しくて、離宮にはなかなか顔を出せない方々でして。一人は騎士団の先輩で、もうお一方は……まあ、僕の、上司? にあたる方というか……」
「まあ!」
騎士団長ということだろうか。
マスキュリンだろうか。
圧倒的「攻め」だろうか。
「もちろんお通ししてちょうだい。なぜ躊躇う必要があるの?」
「その、姉様ならば大丈夫とは思うのですが、……その、あまり明るい時間帯に、視界に入れないほうがよいお顔の持ち主なもので……」
「どういうこと?」
いつになく要領を得ない弟の発言に、ローザは思わず眉を寄せる。
もしかして、見るに堪えない傷跡を負っているということだろうか。
だが、トラウマ&傷持ちの寡黙系「攻め」だったとしたら、それもまたよし。
ぜひ、ひねくれた一面のあるベルナルドに反発しながらも心を開いてゆく様を眺めたい。
「もう、早くお通ししてちょうだい。いえ、わたくしがお迎えしたほうがいいわよね?」
前のめりでローザが立ち上がったとき、扉が大きく開き、向こうのほうから部屋に踏み入ってきた。
二人連れのうち、くすんだ金髪の青年は影のように後ろに佇み、もう一人の人物だけが、すっと扉をくぐり抜けてくる。
「突然の訪問で失礼。自分のせいでけがを負ったと、妹から泣きつかれたものでな」
滑らかな低い声を聞き取り、ローザは思わず息を呑んだ。
獅子を思わせる金髪に、金の瞳。
この世のものとも思われぬほど整った顔に、精悍な体つき。
ラフなシャツとズボン姿でありながら、堂々たる風格をまとったその青年こそは――
「初めまして、ローザ・フォン・ラングハイム嬢。弟君から、噂はかねがね」
クリスの兄にして、ベルク王国が王子、レオン・フォン・ベルクヴァインであった。
次回、魔眼の王子 vs 腐眼の貴腐人。
デュエル、スタンバイ!




