17.ローザは腐った友を得たい(2)
「王女殿下! あんまりです。今すぐ退去命令を取り下げてくださいませ」
「もう遅い。皆、続々と荷物をまとめているぞ。特別に許可を出して、騎士団員にも荷造りを手伝わせているからな。退去も実にスムーズだ」
朝一番、珍しく声を荒げて部屋に踏み入ってきたローザに、クリスは片眉を上げて笑んでみせた。
「昨夜ベルナルドを訪ねて経緯を聞かせたらな、凄まじい形相で、手際よく、騎士団員たちによる退去協力を取り付けてくれたぞ。おまえの弟は、かわいい顔をしてなかなか有能だな」
「な……!」
ローザが息を呑む。
ただでさえ心配性の弟になんという共有をしてくれたのか。
いや、そんなことより――
(かわいいって言った。ねえ今かわいいって言ったわ!? こ、ここに来て、殿下がベルたんと急接近……!? まさか、「ダブル受け、からのリバ」という夢の展開が始まってしまうの……!?)
ローザは、推し二人が接近したというその事実に、うっかり萌えてしまった。
そんな場合ではないと思うのに、いやでも、そうか、「受け」の二傑が接近……。
興奮のあまり血の気を引かせたローザを見て、クリスは胸を痛めた。
外面だけは儚げ美少女であるローザが、青褪めて目を潤ませる様子は、「弟を巻き込んでしまったことに衝撃を抱いている図」と映ったのである。
(こいつ……ローザは、人一倍繊細なくせに、弱さを見せまいとするところがあるからな)
クリスから見るローザとは、そうした人物である。
いつも相手の気持ちに寄り添い、些細なことでも大喜びするくせに、自分のことには無頓着。
クリスのせいで嫉妬を買い、嫌がらせに遭っても、それを周囲に悟らせず、問い詰められれば、青褪めながらも「気にしていない」と首を振る。
挙げ句、「犯人とは友達になりたいと思っている」ときたものだ。
そう言い放った際、ローザの顔には一切偽りの色が浮かんでいなかったのを思い返して、クリスは歯ぎしりしそうになった。
(そういうやつなんだ。された仕打ちに怯えはしても、犯人を憎もうとは思わない……善意の塊のような人間)
初めて挨拶に来た時、ベルナルドの見せた過保護ぶりに内心呆れたものだが、今では彼の気持ちがよくわかる。
この、どこまでも純粋で、だからこそ危なっかしい彼女を見ていると、年上だろうがなんだろうが、周囲は庇護欲を掻き立てられずにはいられないのだ。
クリスは、お人よしのローザのために、彼女が納得しやすい理由を提示した。
「べつに、強制退去はおまえのためだけではない。離宮内――令嬢たちの間でいじめが横行した結果、被害者の中には心を患い、恥を忍んで癒術師の診療にかかっている者もいるとわかったんだ。おまえに嫌がらせを仕掛けたアリーナもその一人だ。そうした者たちに恥をかかせ続けてまで、離宮に留まらせるわけにはいかないだろう?」
一方、あくまでBL使徒を確保したいだけだったローザは、それを聞いてさすがに反論を躊躇った。
(いじめが横行? それならたしかに、人道的にはアリーナ様たちを解放したほうがよいのかもしれないけれど……ああでも、せっかく、ともに沼にはまってくれそうな逸材なのに……)
そして、もうひとつ腑に落ちない点がある。
「その……、癒術師というのにかかるのは、そんなに恥ずかしいことなのですか……?」
クリスの言う、「癒術師にかかるのが恥」という意味がわからなかったのだ。
それを聞くと、クリスは「そうか、癒術師は今のところ王宮内にしか存在しない役職だな」と頷き、ローザに改めて向き直った。
「去年、我が王国が、南方のアプト小王国を属国化したのは知っているか?」
「はい。たしか、当時行われた『教義統一戦線』の戦果の一つと認識しておりますが……」
「建前はそうだな。だが実際は、母上――王妃陛下の病を癒す手立てになりはしないかと、王陛下が強行した侵略だ。アプトの民、特に首領の一族は、優れた医術の使い手として知られているからな」
「まあ……。王妃陛下がご病気でいらしたことも存じ上げませんでしたわ」
「魔力で病が癒せぬなど、ベルクの恥だ。癒力者の立場を考慮して、公表はされていないからな。ついでに言えば、民のためという側面もある」
クリスは口元を歪めて相槌を打った。
ベルク王国は大陸随一の領土と国力を誇るが、その源泉は貴族たちの持つ魔力だ。
魔力持ちは国内で優遇され、その権威は決して傷付けられない。
ただし、癒力――癒しの魔力にも不自由しなかった結果、ベルクの医療技術発達は遅れ気味だった。
これまでは、癒しの力を持つ貴族、つまり癒力者を教会に派遣して凌いできたものの、それを続けるには、王国は大きくなりすぎた。
そこで、魔力を伴わぬ医療――即ち、癒術を操るアプト族を呼び寄せ、技術を吸収すれば、癒力の及ばぬ病にも対処できるし、同時に民のためにもなると、王国はそう考えたわけだ。
「陛下は、めぼしい医師だけ連行し、異教の地など焼き払ってしまえばよいと考えていたが、兄上は不要な軋轢を嫌った。魔力で無血開城を迫って、自治の維持と引き換えに、最も腕の良いと言われる首領の息子を連行するに留めたんだ。まあ、この行動には、王宮内でも賛否が分かれるが」
ローザは真剣な表情で頷いた。
異教の徒、囚われの身の上。
大国の世継ぎと首領の息子、つまり二人の王子。
愛憎渦巻く宮廷ドラマの可能性をひしひしと感じる。
「ところが、その首領の息子――癒術師は、王妃陛下を一度診察するや、『癒術師の領分ではない』とさっさと匙を投げてしまった。それではと、ベルクに癒術を伝導させるべく、王宮の一室を与えて宮廷医師として働かせてはいるものの、あまりうまく機能しなくてな」
「まあ。なぜですの?」
「幼稚な理由ではあるんだが……アプトの民は、教義も容姿も、我々から見ればあまりに異端的なんだ。保守的な貴族は、やはり、彼ら――『褐色の癒し手』にかかるのは抵抗がある」
色の異なる肌、異なる言語。
本能的に身構えてしまう上に、「魔力は神からの恩寵である」という前提が、ベルクの貴族たちのアプト蔑視をますます助長した。
魔力も持たぬ異端児たちに、体を触られたり、知らない薬を飲まされるのをよしとしなかったのだ。
癒力のほうが早く癒えるとなれば、なおさらに。
「なるほど……」
ローザは神妙に頷いた。
浅黒系。
「褐色の癒し手」などという厳かな二つ名。
肌に触れての診療。
まさかこの王宮内に、そんな芳しい要素をてんこ盛りにした人物がいたとは。
「……その、癒術師様というのは、威圧的な体格でいらっしゃるとか……?」
「ん? どうだろう。兄上と同じくらいの歳だし、体つきは細身なほうだと思うが。ただ、気位が高い分、高圧的な雰囲気はあるな。見目も、異国の麗人という感じで、けっして悪くはないんだが、ただやはり、我々には異端性が勝ってなぁ……」
「なるほど」
どちらかといえば、「受け」だろうか。
ローザは床の絨毯の編み目を数え、必死で己の関心を散らした。
今は未来の使徒確保に向けて、全力を尽くすべき時だ。
目先の腐レーダーに反応している場合ではない。
(……けれど、後で癒術師の詰める医務室を覗いてみましょう)
心の最重要事項ノートに筆圧強めでメモして、ローザは意識を切り替えた。
「よくわかりました。そのような状況下、癒術師にかかるのは、体質的に癒力が効かない者を除けば、よほどお金がないか、後ろ暗いことのある者たちだけ……つまり、恥であるということなのですね」
「その通りだ。慎みをなにより求められる貴族令嬢が、こそこそと異国の癒術師通いをすることなど、あってはならない。離宮でのいじめがアリーナをそうさせているなら、管轄者たる僕が状況を改善する必要がある」
「ですが、当人に意志を確認することもなしに――」
それでもなおローザは食い下がろうとしたが、それは言葉の半ばで途切れさせられてしまった。
なぜなら、
――キィ……ッ。
ノックも許可もなしに、クリスの部屋に踏み入ってきた者がいたからである。
その正体を認めて、クリスとローザは目を見開いた。
亜麻色の髪に、こげ茶の瞳。
リスのように小柄な体つきの彼女こそ、まさに噂の人物。
アリーナ・フォン・ヤンセンだったのだから。
「アリーナ・フォン・ヤンセン……? 不敬だぞ、誰の許可を得て、この部屋に入ってきた」
「…………」
クリスが鋭く叱責を飛ばしても、彼女はなにも言わない。
ただ、その瞳はせわしなく動き、体は不自然に揺らいでいた。
不自然な沈黙、そして行動。
どうやら彼女は、精神の均衡を失っているようだ。
濁った瞳を見て、クリスは癒術師が処方したという薬の存在を思い出す。
癒し育む癒力とは異なり、化学的に無理やり精神を鎮静させる薬は、時に心を破壊してしまうと聞いたことがあった。
もしかしたら彼女は、今、薬の支配下にあるのかもしれない。
クリスは咄嗟にローザを庇うように身構えたが、ローザは軽く首を振って、それを制止した。
まあ、自分自身も、あまりに完成度の高い薔薇本を読むと、こうした症状を呈することがあるので、少し様子見をと思ったのだ。
「……私の」
やがて、床に視線を落としたアリーナの唇から、吐息のような声が漏れ出た。
「私の、なにが、いけなかったでしょうか」
「なんだと……?」
「私は、父からの命令通りに、あなた様のお話し相手として、この離宮にやってまいりました。成果を上げるまでは、帰ってくるなと言い含められて。あなた様に、けっして嫌われるわけにはいかなかったから、優しく接しようとして、なのにあなた様から『下がれ』と言われたから、ずっと下がっておりました。帰る場所もないので、いじめられても我慢し……お従姉様の言うとおりに、ローザ様に脅迫文をしたため、……すべて、言う通りに……言う通りにしていたのに……っ」
俯いていて表情は読み取れないが、声がどんどん上ずってゆく。
クリスは眉を寄せて、一歩前へ踏み出た。
「アリーナ――」
「なのになぜ、突然退去になるのです!? こんな無様な『成果』を掲げて、どの面下げて帰れると!? こんなにも……っ、そう、こんなにも、つらい思いに耐えたのに……っ!」
突然爆発したように、筋の通らぬ内容を叫び出すアリーナ。
だが、身を乗り出すクリスを、やはりローザは制止した。
感情突沸も、支離滅裂な叫びも、貴腐人としては大いに共感できる現象だったからだ。
(それにやはり、彼女には、作家の素質がある……)
後半、彼女はほとんど七五調で叫んでいた。
無意識にしているのだとしたら、かなりの文章的リズム感。
テンポのよい文章を書けるBL作家は、ぜひ手に入れたいところである。
ローザはごくりと喉を鳴らして、目の前の使徒候補生を見つめた。
アリーナはいよいよ涙を流し、叫びつづけていた。
「人でなし! あなたが悪い……なにもかも。そうよ、あなたは、なにがしたいの……!?」
そうして、血走った眼で、指をクリスに突きつける。
「押し付けられる『友人』を、後から拒むくらいなら、最初に断るべきなのよ! 陛下が送り込むのだと、言い訳をするくらいなら、あなたが陛下に言えばよかった!」
「…………っ」
クリスは怯んだように顎を引いた。
家臣の娘の、完全に礼を失した暴言。
権力的にも、物理的にも、彼女はアリーナの言葉を封じることができる。
だが、それができなかった。
アリーナの言葉が、クリスの心を深く抉っていったからだ。
「あなたって、とっても中途半端だわ。私はずっと思ってた。送り込まれる『友人』を、軽蔑の目で見るくせに、けっして親を止めはしない。解決もせずに放置して、ある日いきなり強制退去。傷付くことには敏感なのに、他人の傷には気付きもしない……っ」
ちなみにローザは、七五調のリズムが気になりすぎて、クリスに同情するどころではなかった。
「見なさいよ、誰もが笑うその姿! 半端に男のふりをして、反抗でもしているつもり? 結局あなたが変えたのは、その服装と口調だけ……髪すら切れずにいるのにね。すぐに戻せる場所だけ変えて、悲劇に酔っているのだわ!」
「…………っ」
最も繊細な部分を攻撃され、クリスが唇を噛む。
ローザもまた、しみじみと感動して黙り込んでしまった。
もはや芸としても通用しそうな七五調の叫び。
それでいながら、相手の思考を深く捉える理解力と、がっつり心を抉っていく言葉選びはどうだ。
彼女は男爵家からも伯爵家からも舐められ、いじめられていたようだが、この才能さえ開花させれば、きっと大物に化けるに違いないのに。
(この洞察力からして、きっとアリーナ様は、キャラ読みするタイプね。ああ、わたくしの腐った細胞を移植してでもぜひBLに目覚めさせ、夜を徹して語り合いたいものだわ……!)
そんな場合ではないと重々承知しつつ、ローザはうっかり興奮に拳を握った。
約一名の場違いな熱視線に気付かず、アリーナは歪んだ笑みを浮かべた。
「……ねえ、殿下。いっそ私が、手伝いますわ」
「なんだと……?」
「私には、とにかく『成果』が要りますの。男爵家が求める王家の覚え、王女殿下の『お気に入り』……。あなたに賜る金品か、……そうでなければ、そう、……その、魔力に溢れた、輝かんばかりの金髪……」
とうとう七五調が崩れる。
アリーナは、ゆら、と、不穏な動きをしながらこちらに近付いてきた。
ずっと握りしめていた拳には、剃刀の刃が握られていた。
「アリーナ、なにを――!」
「その髪、切って差し上げる!」
追い詰められた獣のような、狂気じみた素早さで、アリーナがぶんと腕を振り回す。
クリスはすかさず手をかざし、指先に魔力を凝縮させた。
この距離で魔力を揮えば、相手は到底無事では済まされない。
しかしアリーナもそれを理解しているだろうに、彼女は一切躊躇わなかった。
もう、理性を失っているのだ。
刃を剥き出しにした剃刀を、熱を帯びるほどの魔力が、体ごと弾き飛ばす――!
――どんっ!
だが、魔力を放つ寸前、なにかに強く体を押されて、クリスは勢いよく床に投げ出された。
はらり、と、一瞬遅れて、金の髪が頬を滑ってゆく。
ただしそれは、クリスのものではなかった。
彼女のものではなく――こちらを抱きしめるようにして覆いかぶさった、ローザのものだった。