15.ローザは倒錯しまくりたい
「――で」
衝撃の邂逅から十分後。
ローザは、恐れ多くも王女殿下のソファに丸まり、ブランケットを借りたうえで、壁にもたれる王女から睨み付けられるという、不測の事態に陥っていた。
「いい加減、落ち着いたのか?」
クリスティーネ――本人としては、男性名のように「クリス」と名乗っているらしい――はぶすっとしながらも、そう問うてくる。
ローザは慌てて背筋をただした。
「は、はい……! 王女殿下には、大変申し訳なく――」
「姉様が謝る必要なんてありません。いかに陛下のご息女であれ、突然炎風で病弱な女性に襲い掛かり、気絶するほどの恐怖を与える人物のほうが、誰が見ても加害者なのですから」
「ベルナルド!」
一国の王女相手に、冷ややかな視線を浮かべてみせる弟を、慌てて制止する。
そう、ローザは、先ほどクリスの姿を見るなり、その場に崩れ落ちたのであった。
もちろんそれは、扉にぶつかりそうになったからなどではなく、心の準備もなしに、いきなり理想的な「受け受けしい美少年」を見てしまったからである。
例によって興奮のあまり気絶したのを、ベルナルドが「恐怖によるもの」と解釈してクリスに猛烈抗議。
幸いローザはすぐに目覚めたのだが、その時には、王女の部屋で休ませてもらう運びとなっていたわけである。
(ああ……。王宮に来たからには、ベルたんにふさわしい「攻め」を探索しようと思っていたのに、まさかこんなに質の高い「受け」キャラとエンカウントできるだなんて、人生って不思議。今回ばかりは、この昏倒体質に感謝だわ)
ローザはおずおずとクリスの姿を窺う。
甘さなど欠片もないつり目がちの瞳に、気の強そうな顔立ち。
素っ気なく結わえた金髪と、膨らみのない乗馬服姿も相まって、まさしく「気位の高い少年」といった感じだ。
(何度見ても、間違いない。これこそ……まさしくわたくしの思い描いてきた、「ぷんデレ」!!)
説明しよう。
ぷんデレとは、ローザが考案した「受け」のバリエーションの一つで、「最初はぷんぷん怒っているけれど、『攻め』と心を通わせる内に、徐々に態度を軟化させ、しまいにはデレデレと甘えるようになる」という、ギャップが嬉しいキャラクターのことである。
ベルナルドが担当する「腹黒美人受け」に次いで、ローザが最も深く愛する「受け」キャラであった。
ラングハイムには、基本的にローザに優しい男たちしかいなかったため、この手のキャラクターに遭遇するのは至難の業だ。
さらに言えば、普通の少年が不機嫌面をしていたら、単純にかわいくないし、場合によっては怖いだけなので、三次元世界での実現はほぼ困難と思われていた。
だが、まさかそれを、この離宮で目撃しようとは。
いや、中身が女性であるというのは、薔薇ラブにおいては致命的であるのだが、ローザはそれよりも、絵面の麗しさとキャラの成立を優先した。
我ながら、わざわざ女性の王女を一度少年として捉え直し、そのうえで女性役の「受け」に配置するなんて倒錯の極みだが、男同士でないと萌えない性分なので、これはもうどうしようもない。
倒錯こそが人生だ。
(おお、薔薇の神よ。あなたはわたくしを見捨てなかった……!)
ローザが感じ入りながら、じっとクリスのことを見つめていると、彼女は決まり悪そうに眉を寄せた。
「……なに。おまえも、僕に謝れって言いたいのか」
「いえ、滅相も」
(ぷんだわ。ぷんぷんしている)
「ふん。本当なら即座に追い払うところを、部屋で休ませてやっただけでも感謝してほしいね。だいたい、これくらいで気絶するなんて、王宮勤めに向いてないんじゃないか」
「おっしゃる通りでございます」
(おこなのね。クリスたんったら、おこなのね)
クリスは険悪な口調で凄むが、あらゆる悪意を「ぷん」として受け止めてしまうローザの敵ではない。
だいたい、いくらつんけんしてみせたところで、嫌っている相手を部屋で休ませている時点で、根は優しいと思うのだ。
(根はいい子ちゃん、というやつね……腐腐腐)
適当に相槌を返しつつ、じっとりと相手を見つめていたら、クリスは苛立たしそうに髪をかき、その手を宙に叩き付けた。
「なんだ、さっきから適当な返事だけ寄越して。思っていることがあるのなら、さっさと言ったらどうだ!」
鋭い口調で言われて、目を見開く。
これでも、適当な相槌でもそうと見破られぬほどには、演技力を身に付けていたつもりなのだが。
もしや、腐った思考が口から流出してしまっていただろうか。
驚くローザに、クリスは吐き捨てるように続けた。
「言っておくが、僕には大地属性の上級能力で、嘘を感じ取る力がある。おためごかしを言われても、肌でわかるんだ。だから、おまえが僕の恰好や振舞いを馬鹿にしているのなら、最初から素直に言ったほうが身のためだぞ。ほかの侍女たちのようにな」
「え?」
ローザはきょとんとし、一拍遅れて、クリスの発言を理解した。
なるほど、言われてみれば、王国の第一王女が男装し、「僕」と名乗るのは、常識に反しているというか、アレなことなのかもしれない。
察するに、これまで彼女に仕えてきた者たちも、男装を止めるよう促してきたのだろう。
というか、王女に女性らしさを教え込むことこそが、「話し相手」に与えられた役割なのかもしれない。
だが、
(なにを仰っているのかしら。殿下が女装したら、そんなの、ただの美少女ではないの)
己の腐活動第一主義のローザからすれば、そんなのナンセンスであった。
繰り返すが、ぷんすかしていても可愛いという「ぷんデレ」の魅力は、該当人物がそもそも愛らしいからこそ成立するのだ。
怒っていてもいまいち迫力に欠ける、物理的な小柄さ。
強気でありながらも結局「攻め」には敵わない華奢さや、繊細さ。
生身の男が「ぷんデレ」を体現しようとしても、そううまくはいかない。
つまり、この現実とは思えぬほど見事な「ぷんデレ」ぶりは、少女でありながら少年として振舞う、クリスの異様さのおかげで成立しているわけだ。
そう思うと、その異様さに感謝すら捧げたくなる。
そんなわけで、
「なにを仰います。わたくしは、殿下のその恰好や振舞い、とても素敵だと思っておりますわ」
とローザが心から述べると、クリスはむっとしたように眉を跳ね上げた。
「だから、いくら口で言いつくろっても――、…………」
それから、なにかを感じ取ったかのように、ぽかんとした。
「……え? 本気……?」
「もちろんでございます」
ローザは真顔で頷いて、今一度クリスをじっくりと見つめた。
彼女がどんな経緯で男装しているのかは知らないし、さして興味もないが、仕上がりについてはまったく申し分ない。
けしからん、もっとやれの心境だ。
「いっそ、髪を切ってしまってもよいかもしれませんね」
「…………!?」
クリスですら切るのを躊躇った、女性の命の長い髪。
それすらも必要ないと言い切る過激な発言に、緑の瞳が見開かれる。
だが、それをよそに、ローザは腐の思考に没頭していた。
(そうそう、うっかり少女っぽさが残らぬよう、髪も切ってしまって……んん? ちょっと待って。長髪というのは、それはそれで、物語上の重要なアイテムたりえるわね……)
ローザははたと気付いた。
長い髪のままだと、少女らしさがぬぐい切れないと思ったが、逆に、それを切り取る行為というのは、実に男らしい、ドラマチックな一幕となるのではないか。
(例えば……例えばよ。クリスたんはまず、典型的な「受け」キャラとして登場するの。ぷんデレ属性を持つ、少々幼い男の子よ。そして、ベルたんと、「受け」同士の友情を結ぶ)
それは、「攻め」と「受け」の間では成立しない、「受け」同士であるがゆえの、爽やかできらきらとした友情だ。
未分化ゆえの清らかさ。
言葉すら必要としない、まるで二つのスプーンのように、ぴったりと一致する二人。
(けれど、やがて変化が二人を襲う。幼かったクリスたんは、ある日心身を一気に成長させるの。戸惑うベルたん。なぜなら今までは、どちらかといえば、ベルたんがクリスたんを導くことのほうが多かったから)
反発するベルナルド。
二人の間に、これまでになかった緊張が走る。
けれど、その不和を乗り越えてでも、クリスには遂げたい想いがあったのだ。
幼かったクリスにとって、ベルナルドは常に一歩先を行く存在だった。
けれど今は違う。
ベルナルドの秘めた悲しさや弱さに(この辺りは捏造)、成長したクリスは気付いてしまったのだ。
(ある日、秘めていたなんらかの過去が明らかになって、それらがベルたんを襲う。それを見て立ち上がるクリスたん――いえ、クリス! 彼は、自らを「受け」にせしめていた長髪を、自らの手で切り取る! そして、ひたりとベルたんを見据えて言うのよ。「もう、僕は守られる側の人間じゃない。これからは僕が、君を守る」!)
己の発想に、ローザは鼻血を噴くかと思った。
それは「受け」から「攻め」への転換。
分化。
世界が裏返る、革命的瞬間。
リバーシブルという、一粒で二度おいしい、画期的な発明――!
「……いえ、嘘ですわ。殿下の長い御髪は、やはり残しておくべきものと愚考いたします。いつの日か巡りくる、大切な時のために」
どこまでも自分本位な発想のもと、ローザはあっさりと発言を撤回した。
「え……?」
クリスは当然戸惑った。
ローザの発言の意図がわからない。
それでも、彼女が嘘偽りのない本心を述べていると、わかってしまったからだ。
言葉を詰まらせた王女に、ローザはにっこりと笑いかけた。
「下がれと言われていたのに、すっかり長居してしまって申し訳ございませんでした。この通り体調も回復いたしましたし、ご挨拶も差し上げられましたので、わたくしどもはこれで失礼いたしますね」
「え……ああ……」
今度はさっさと退室を宣言されてしまい、クリスが曖昧に頷く。
気が付けば、完全に相手のペースに呑まれてしまっていた。
「ベルナルド、参りましょう。――王女殿下、本日はありがとうございました。わたくし、殿下にお会いできて、早くも刺激や発見をたくさん頂きましたわ」
一方のローザはといえば、相手の動揺になど頓着せず、早く部屋を出たい気持ちでいっぱいであった。
攻受転換というこの驚異的な発明を、一刻も早くなにかに書き記し、後世に伝えなくてはならない。
「腐腐っ。それでは、ごきげんよう」
ああ、今日も妄想が捗る。人生は薔薇色だ。
思わず、にやけた顔でクリスを見つめてしまう。
来たときとは打って変わって、ローザは風で膨らむ帆のように胸を高鳴らせながら、いそいそと退室したのであった。
「……なんなんだ、あいつ」
呆気に取られ――けれどその分、すっかり怒りを忘れてしまった、クリスを残して。