14.ローザは「推し」を自慢したい(2)
(まったく、うるさい小蠅どもめ。身の程を知れっつーの)
ローザの数歩後ろを歩くベルナルドは、微笑みの下で毒づいていた。
もちろん、王宮勤めの侍女たちが、彼の愛するローザを攻撃してきたからだ。
わざと聞こえるような声量。新米を排斥してやろうという嫌がらせの一つだろう。
(はっ。どいつもこいつも、王女のお気に入りになれなくて、尻尾を巻いて帰った意気地なしのくせに)
ローザを守ると決意してから、ベルナルドは己の外面のよさをぞんぶんに活かし、方々での情報収集に努めていた。
もとより王都育ちで、しかも娼館に寝泊まりしていたものだから、貴族の醜聞にも詳しい。
結果、彼はローザよりもよほど、ベルク社交界についての正確な情報を手に入れていた。
それによれば、この離宮で勤める侍女たちというのは皆、もともと、「王女殿下のお話し相手」として招聘された貴族の娘たちだ。
性格に難ありの王女に「友達」を用意すべく、レオン王子との接触を餌にして、王妃が手を回したらしい。
玉の輿を狙って、自分に自信のある女性たちが続々と離宮勤めを始めたものの、しかし結果としては、いずれも失敗。
ある者は王女に媚びて嫌がられ、またある者は気さくさを演じて不敬に取られ、皆、即日で王女の御前を下がらせられている。
とはいえ、どの侍女たちも、それなりの家格を持つ貴族令嬢。
そのまますぐ家に戻されるのも外聞が悪いということで、なんとなく離宮を離れられずにいるのだ。
王女の部屋には近づけず、かといって、帰る当てもない。
結局、暇を持て余して、新米を同じ境地に引きずり落とそうとする、嫉妬の塊――それが彼女たちの正体だ。
(ま、あんたらには姉様を引きずり落としなんか、できやしないだろうけど)
先ほどの一幕を思い出して、ベルナルドは内心で意地悪く笑う。
没落貴族だの貧相だのと言うので、悠然と微笑みかけてやったら、相手はぴたりと口を閉ざしたものだ。
(多少知恵のあるやつは、敵意に気付いて怯えてたし、頭の悪い連中は、ただぽかんとして見とれてたっけ)
ローザなんて、むしろそれ以上に頭の悪い感じで見とれていたのだが、幸か不幸か、それに気付くベルナルドではなかった。
(それに、姉様の素顔を見たあいつらの顔といったら!)
姉のベールをめくり、その素顔を見せつけてやった時の反応を思い出し、ベルナルドは愉快さに心を震わせる。
透き通るような白い肌、宝石のような紫の瞳に、可憐な唇――あの奇跡のような美貌を前にしては、彼女たちだって見当違いの陰口は叩けまい。
もっとも、「貧相な装い」という部分については、ベルナルドも少しばかり、思うところはあるのだが。
(姉様……結局、自分のことには銅貨一枚すらかけないんだから)
この上京に際し、ローザは、ベルナルドのことには気前よく支度金をはたいたというのに、自分のこととなると、途端に財布の紐を固くしていた。
ベルナルドは、それが不満だったのだ。
(いや、わかってる。あの人は、本当に高潔な人なんだ)
なにかにつけ、「わたくしは、あなたが輝く姿を見るのが一番幸せなのよ」と微笑むのがその証拠だ。
人の幸せばかりを祈り、自分のことには無頓着。
あんなに高潔で、見ていて心配になるほど慈愛深い人物を、ベルナルドはほかに知らない。
そして、その態度が、もしかしたら幼少時からの自己否定の結果かもしれないと思うと、やるせない気持ちにさせられるのだった。
(あの豚親父のことまで、最後まで笑顔で見送ってたっけ……)
ベルナルドたちが扇動する形で、半ば言いがかり的に修道院蟄居へと追い込んだ父親。
彼は最後まで憤慨し、怒鳴り散らしていたが、ローザだけはそんな彼を、感情をこらえるように震えながら、それでも笑みを維持して見送っていた。
伯爵の身分を実質上奪われ、誰もが見下した態度を隠さなかった中、彼女だけは、手紙を書くからと言い募っていた。
「いつまでも待つ」「愛の報せを待っている」とまで告げられ、さすがの伯爵も目を潤ませるのを、ベルナルドは見た。
ローザの慈愛深さに触れ、とうとうあの卑劣漢が悔い改める瞬間を。
(なんて人だよ……)
薄汚れた下町の少年でも抱きしめたローザ。
奴隷に堕ちた少女たちを庇ったローザ。
虐待を仕掛けた相手にすら、愛を差し出してみせたローザ。
高潔と慈愛を司る「薔薇の天使」が下界に舞い降りたなら、まさしく彼女の姿をしているに違いない。
そんなローザを、ベルナルドは心から眩しく思うが――同時に、強い焦燥にも駆られる。
あまりに汚れなく、美しい人。
彼女の繊細な心を、なんとか自分が守らねば、と。
いやいや、彼女のメンタルは鋼鉄ザイルですよ、と指摘してくれる人物は不幸なことにいなかったため、ベルナルドは前を歩くローザを見つめて、こっそりと拳を握った。
もしローザが王女に気に入られれば、王子の婚約者候補という未来も拓けてくる。
しかし、ベルナルドはそれを応援する気はさらさらなかった。
(玉の輿は女の夢かもしれないけど、姉様に余計な気苦労はさせるもんか。気に入られも、嫌われもせずに無難に過ごして、さっさとラングハイムに帰る。それで、姉様と俺で仲良く暮らすんだ)
我ながらこじらせていると思うが、ベルナルドはローザを王妃にさせる気などさらさらなかった。
貴族などというのは、ろくでもない連中ばかり。
その親玉の王族なんて、輪をかけて酷いに決まっている。
病弱で繊細な姉が、そんな連中から目を付けられるなどという事態を、許すわけにはいかなかった。
だからこそ、初日だけとはいえ、ベルナルドはこうやって男子禁制の離宮にまで付いてきたのだ。
(ひとまず、姉様を蔑ろにする馬鹿どもは牽制して……王子はそう簡単に出没はしないだろうから、あとは、王女対策だな)
王子が遊学先から戻ってくるまでは、公爵家のカミル・フォン・グートハイルと並び、ベルクの後継者と目されていたこともあった王女、クリスティーネ。
ベルナルドと同い年の十三歳。
金髪緑瞳の優れた容姿と、大地や火を操る魔力を持ち、その性格は猛々しいという。
(すぐ大声を上げたり、物を投げたりするところも度し難いけど――)
噂が正しいなら、それよりもローザを困惑させかねないのは――。
ベルナルドは眉を顰める。
ちょうど回廊が途切れ、二人は王女の住まう部屋の前に立った。
「いよいよね。どんな方かしら」
ローザが愛らしく胸を押さえ、扉の前で呟く。
失礼のないようベールを持ち上げ、二人が扉の前で跪いた途端、それは起こった。
「クリスティーネ王女殿下、ご在室でしょうか。わたくしどもは、殿下の無聊を慰めるべく、ラングハイムより参りました――」
――ばん!
言葉を言い切るよりも早く、熱風に圧されるようにして、乱暴に扉が開け放たれたのだ。
「きゃっ!」
「姉様!」
咄嗟にベルナルドが手を掴んで後ろに引いたため、直撃は免れたが、驚いたローザは尻もちをついてしまった。
「なんだ、飽きもせず、また僕のお目付け役がやってきたのか?」
アルト、という言葉を思わせる、涼やかな声が中から響く。
こつ、と靴音を立てて、ゆっくりとこちらにやって来たのは、真っすぐな金髪を首の後ろで結わえ、細身の体を乗馬服に包んだ、少年だった。
「しかも二人。ふぅん、どっちも人形みたいにきれいな顔だ。でも、結構。お人形遊びが嬉しい年でもないから、さっさと帰ってくれる?」
猫のように細められた、翡翠色の瞳。
腰に片手を当て、傲岸不遜に小首を傾げた、けれど美しい容貌。
少年のように振舞うその人物こそ――ベルク王国第一王女、クリスティーネ・フォン・ベルクヴァインであった。
ツンデレ、登場。