13.ローザは「推し」を自慢したい(1)
馬車での移動を二日。
長旅の末、とうとう王宮の一室に通され、ローザとベルナルドはほっと息をついた。
ソファセットにベッド、奥の小部屋には簡易のキッチンと、バスルーム。
客間というよりは、宿泊を前提とした部屋だ。
誠意を見せるべく王都内の屋敷を王室に献上したため、二人は今後、それぞれ離宮や騎士団寄宿舎に身を寄せることとなっている。
そのため、手続きが済むまでの今日だけ、ローザたちはここで寝泊りすることを許されていたのであった。
「さすがに、疲れたわね……」
「はい、姉様。お茶を淹れましょうか?」
「なにを言うの! わたくしが淹れるわ」
旅装を解くや早速姉の世話を焼こうとする弟を、ローザは鋭く制止して立ち上がる。
推しの淹れてくれるお茶なんて、カップごと家宝にするに決まっているが、長旅の後に手を煩わせるのは本意ではない。
ローザは手際よく荷物の中から茶葉を取り出すと、心を込めて紅茶を淹れた。
腐った心を込めた紅茶をベルナルドに取り込ませる、それすなわち彼を内側から腐敗させるも同然だ。
(ベルたんが日々「受け」らしさを開花させていきますように)
祈りを飛ばしながらカップを手渡すと、ベルナルドは嬉しそうに顔を綻ばせた。
ローザは内心で素早く最難関関数を唱え、襲い掛かろうとする衝動を抑えた。
「それにしても……まさか僕たちが王宮勤めになるとは思いもしませんでしたね」
「そうね。この一ヶ月、わたくしの予想を越えることの連続だったわ」
ソファセットに落ち着き、二人はしみじみと言葉を交わす。
特にローザは、半ば遠い目になって過去を振り返っていた。
(お父様は修道院送り、わたくしたちは領地を維持、だなんてね……)
父親を起訴すると決めたものの、正直なところ、ローザは一時謹慎くらいが関の山かと思っていた。
違法奴隷売買や海賊の寄港許可は罪に違いないが、どちらも「知らなかった」と言い抜けられないこともないし、そもそも伯爵の権力を使えばねじ伏せることも十分可能だったからだ。
まあしばらく謹慎させて、その間に実権や決裁権だけ頂戴するか、などと考えていたローザ。
しかし、ベルナルドをはじめ、騒ぎを聞きつけた屋敷の者たちが筆頭になって領民たちを扇動し、断固たる態度で「身分の剥奪を! いっそ投獄を!」と求めてきたのである。
(お父様……色狂いでそこまで嫌われていたのね……)
もちろん彼らの怒りは、「ローザ様を虐待し、挙句海賊を引き入れて危機に晒すなど言語道断」というところによるものだったのだが、当の本人はそのあたりを理解していない。
結局、父親の処遇については、重い刑罰を求める領民たちをローザが宥める形で、修道院送りとしたのだった。
もちろん修道院送りを決めた理由としては、将来の自分の出家に備えて、清貧生活のレベル感を探らせておきたいというのもあったのだが、最大の理由は――
(男性用修道院……殿方だけの薔薇の園。腐腐腐、あんなお父様でも、薔薇愛に目覚めちゃったりして)
そんな腐りきった布教精神だった。
(ああ、お父様。わたくし、貴方のことを初めて心から応援できます)
最後まで処分に抗議し、ローザを罵っていた父親のことを、彼女は込み上げる笑みを必死に押さえ込みながら見送ったものだ。
「毎日必ず手紙を書きます。お父様もどうか、お手紙をくださいませね。わたくしは、いつまでも待っております」
と、修道院の情報横流しを依頼したら、父親は動揺したように目を見開き、じっとローザを見つめてきた。
そこでローザは、畳みかけるなら今だと踏んで、十数年ぶりに彼の手を取り、ぎゅっと握りしめた。
「いつまでも、ずっと待っております。あなたの、愛の報せを」
視線を合わせ、「薔薇愛レポートをよろしくね」との思いを込めて念押ししたら、彼はたっぷり十秒近く黙り込んだあと、おずおずと頷いた。
目が少し潤んでいたような気もするから、ローザの腐的情熱に、いよいよ彼も圧倒されたのかもしれない。
勝った、とローザは思った。
そんな感じで、ここまではローザも大満足の展開だったのだ。
ただ、今回、領民たちの憤怒があまりに凄まじかったため、びびって領地を返上しようとしたら、それについては領民たちに全力で止められた。
どうやら、長年の腐葉土づくりと、薔薇本を広めるための布石として始めていた識字教育が、思っていた以上に感謝されていたらしい。
やはり腐は世界を救う。ローザは確信を深めたものだった。
(それにしても、まさか今回の件が原因で、ベルたんが王宮勤めになるとは誤算だったわね)
ローザの最大にして唯一の誤算は、そこだった。
これで一件落着、あとは修道院に滑り込むまで、ベルナルドの薔薇愛模様を物陰からニマニマ眺めようと思っていたのに、なんとそのベルナルドが王都に招集されてしまったのだ。
なんでも、年若い伯爵家後継者に、社交界的経験を実地で積ませるための措置だという。
まさか丸々ベルナルドとの日々を奪われると思っていなかったローザは、大いに焦った。
そんなとき、「王女の相談役として姉の登城も許可する」と聞き、一も二もなく飛びついたのである。
(わたくしはピンチをチャンスに変える女……。想定外の王都行きも、必ずや萌えに昇華してみせる……!)
男子禁制の離宮勤めということで、男性同士の絡みを見る機会は激減してしまうだろうが、それなら同僚の女性陣をこの甘美な沼に引きずり込めばよいのだ。
王都にいる間に親友をゲットして、ともに修道院デビューするのが理想的だ。
高度な識字訓練を得ている貴族令嬢――つまり薔薇ラブ作家候補は、喉から手が出るほどほしいのである。
さらにさらに、第一騎士団は、離宮外周の警備も担当すると聞く。
つまりこれは、ベルナルドをはじめ、凛々しい騎士服に身を包んだ国防系男子を、時々は目にすることができるということに他ならない。
ローザは、向かいのソファで紅茶を啜る弟を改めて眺め、でゅふふと笑み崩れた。
白を基調とした、真新しい騎士服。
猫っ毛の金髪が、滑らかな白い頬が、磨き上げた金色のボタンが、きらきらと輝くこの眩しさはどうだ。
きっと、凛々しいという形容詞は、彼を表現するために誕生したに違いない。
(制服は、いいぞ……。この圧倒的魅力を前にしては、どんな殿方もベルたんズ愛――略してBLの沼に引きずり込まれざるをえないわね)
こっそりと拳を握るローザの脳裏では、千年に一人の「受け」・ベルナルドを中心に、王宮を舞台としたBL万華鏡が展開されていた。
題して、「ベルたん総受け計画」。
王宮内で多種多様な色男たちを見つけ出しては、ベルナルド周辺に誘導・配置し、BLハーレムを形成するのだ。
そして自分は、彼らの織りなす恋模様を物陰から楽しむ。
そういえば、王女の話し相手は、うまくすれば王子との遭遇機会にも恵まれるそうだから、その折にはぜひベルナルドを売り込もう。
(すると、いずれは王国を巻き込んだ壮大なBL劇場が出現……!)
自らの玉の輿という発想が抜け落ちているローザは、そんなことを皮算用して、先ほどから大興奮しているのであった。
おかげで、例によって顔色が悪くなってしまったらしく、向かいのベルナルドが心配そうに身を乗り出した。
「姉様、顔色が……。やはり、王女殿下への面通しを前に、緊張なさっておいでで?」
「え? いいえ、全然」
ローザは即座に否定したが、心配性のベルナルドは顔を曇らせた。
「初日の今日だけでなく、毎日僕も姉様に付いて離宮に上がれればいいのにな。王女殿下は、じゃじゃ馬との評判ですから……僕は、姉様が心配です」
彼は下町とはいえ王都育ちなので、パレードや噂話を通じて、田舎にいたローザよりも詳しい王室情報を入手していたらしい。
じゃじゃ馬なの? と首を傾げるローザに、
「正確にはじゃじゃ馬というより……。いえ、まあとにかく、物を投げつけたり叫んだりして、気に食わない『話し相手』はすぐに辞めさせてしまうのは事実のようですね」
ベルナルドは言葉を選びつつそう答えた。
早々にお役御免になるのは困るなぁと思ったが、いやいや、さっさとクビになれば、騎士団付きの洗濯女にでも再雇用のチャンスが開けるかもしれない。
それもアリだなと、ローザはあっさり腹をくくった。
ちょうど王女に挨拶へ行く時刻となったため、ローザたちは身支度を整え、離宮へと向かう。
王女が寝泊りする場所だ。
ローザの病弱さとベルナルドの幼さを理由に、今回は特別に二人一緒での挨拶を許可してもらっているが、基本的には男子禁制であるため、衛兵を含め、男の姿はほぼ見つからない。
代わりに、貴族階級出身と思しき侍女たちが、そこここに控えてこちらを凝視しているので、それに気付いたローザは胸を張った。
「ほら、見て。あれが、ラングハイムの――」
「まあ。姉のほうはベールをかぶっていてわからないけれど、弟のほうは見事な金髪だこと。愛らしい顔だわ」
(ふふふん。ベルたんの愛らしさは、性別を超えて人類を惹きつけてしまうのね。わかるわ)
ベルナルドのことを最強の「受け」とするローザだが、それを広義に「多方向から愛を捧げられまくる」と捉えるなら、女性からモテてもなんら問題ない。
男女総受けはいいぞ、と、つい表情が緩んだ。
だが、
「でも、下町育ちなのでしょう? しょせんは金メッキのような美しさなのではなくて?」
「それに見て、弟のほうはそれなりに飾り立てているけれど、姉のほうの貧相な装い! 一人分磨きたてるので精いっぱいということでしょ。実質、没落貴族ね」
くすくすと嘲笑混じりでの言葉を聞き取って、ローザはむっとした。
なんと審美眼のない連中だ。
しかしそれも、
「しょせん、王女殿下に振り回される生贄というだけなら、あの程度で十分――」
「まあ――、…………!」
なぜだか皆ふつりと会話を途切らせたので、ローザは怪訝さに首を傾げた。
「…………?」
「ふふ。さすが王宮ともなると、こんなに美しい方々がたくさんいらっしゃるのですね、姉様」
振り返ってようやく理解する。
ローザの背後で、ベルナルドがにっこりと微笑んでいたのだ。
わずかに小首を傾げたその角度、ふわりと揺れる金髪、なによりあどけない、純粋な空色の瞳。
この日のために、ローザのへそくりをすべて放出して身支度を整えた弟は、爪の先まで、いや、産毛の先端までもが美々しく輝いている。
(ぐっふぉ……ぁ!)
流れ弾の笑顔にすらうっかり心臓を射抜かれたローザは、脳内で体をくの字に折り曲げ、勢いよく背後に吹き飛んだ。
まったく、見る者の度肝を抜く、この圧倒的魅力はどうだ。
(こらこら! かわいいが過ぎるぞ! 突然微笑んで、不意討ちのように人から言葉を奪うだなんて……っ。ベルたん、あなたっ、そんなことして、人として誇らしくないの!?)
口元を両手で覆い、静かに錯乱していると、ベルナルドが「あ」と声を上げた。
彼はすっとローザのベールに手を伸ばし、それをめくりあげた。
「姉様。睫毛の先に、なにかが」
「え」
もしや腐った思考が具現化して、目からはみ出したりしているだろうか。
露わになったローザの素顔を見て、周囲が一斉に息を呑む。
ローザは慌てて目を瞬かせたが、ベルナルドは小さく笑い、ぺろっと舌を出した。
「失礼、気のせいでした」
そう言って、ベールを戻す。
(見間違いということ? え、なに、今のてへぺろ? いったい誰の許可を得てそんなにかわいいの?)
ベルナルドのかわいさに、心臓がドコドコと高鳴って止まらない。
ここで倒れてはまずいので、ローザはぐっと丹田に力を込め、こっそりと体勢を立て直した。
鼻血が噴き出ぬよう、遠くに向かって視点をずらす。
「……そう? ならいいのだけれど」
「失礼しました。さあ、行きましょう、姉様。こんなところで、時間を無駄にしてはもったいないですものね」
だから、彼女の背後で弟が笑みに毒を含ませ、ひんやりと周囲を睥睨していることには、もちろん気付けなかった。