10.ローザは危機に晒されたい(2)
「おう、いい子にしてたかァ?」
乱暴な音と共に扉が開き、海賊の男が乗り込んできた。
先ほど「お頭」と呼ばれていたあの男だ。
妄想から「受け」が抜け出てきたように思えたローザは、つい肩をびくりとさせてしまった。
少女たちも、咄嗟に解かれた手首を後ろに隠す。
幸い庫内は薄暗く、縄の無いことに酔った海賊が気付くことはなかった。
素直になれない系「受け」、もとい、海賊のお頭は、雄臭い顔に下卑た笑みを乗せて告げた。
「おまえらに、いい知らせがある。よーく聞けよぉ」
彼は手近な樽を蹴飛ばし、そこにガンッと足を乗せた。
「本当はおまえらは、このまま、下世話な豚貴族や、がめつい娼館に売られる運命だった。だが、俺のかわいい部下が、あんまりに頼み込むもんでよぉ。慈悲深い船長としては、おまえたちにもちょっとくらい、いい思いをさせてやろうと思ったのさ」
船長の言葉と同時に、後に続いて入ってきた男たちが、にやにやと興奮を隠せぬ様子で笑う。
マルタなどは、その意図を察して、さっと顔色を変えた。
「なにせ、俺たちはこの航海の間中、ずっと女に飢えていたもんだからよぉ……わかるな? おまえらが売り飛ばされる前に、俺たちがわざわざ天国を見せてやろうってんだよ! 海賊流のな」
「…………!」
少女たちが一斉に息を呑んだ。
自分たちがこれからどんな目に遭うのか、その場で理解せぬ者はいなかった。
「そ……っ、それって……!」
いや。
(もしかしなくても、女不足のあまり男に走った海賊たちによる、薔薇ラブの一幕を見せてくれるということかしら……っ!?)
約一名、頓珍漢な理解に至った者がいた。
すでに思考リソースをすっかり腐方向に持っていかれていたローザだけは、船長の宣言をそのように受け取ったのだ。
(そっ、そうよね!? 女がいないと言ったら、普通そういうことだものね!? 海賊流の天国を見せてくれるということは……つまり、そういうことよね!?)
性懲りもなく鼓動が高まってきた。
心臓に血液が集中しすぎたせいで、体がふらふらする。
具体的にはなにを見せてくれるのだろう。
ハグだろうか。それとも寸劇。
キスくらいはするのだろうか。
「さぁーて。特等席で楽しみたいやつは、前に出て来い。総出で楽しませてやるよ。おまえら自身に選ばせてやる。さあ、誰だ?」
声を聞き、少女たちは皆、じり、と一歩後退した。
(皆、なんて奥ゆかしい方々なの……?)
最前列で見たいとは思わぬものなのか。
それとも、縄抜けの礼に、ここは譲ってくれるということか。
少々申し訳ない気もしたが、ローザは我慢できず、意を決して進み出た。
「わ――わたくしが」
途端に、少女たちがどよめく。
マルタに至っては、真っ青になって声を張った。
「この、ばか……! あんた、そんな小さいっていうのに――!」
意外に年功序列を気にするタイプだったということだろうか。
(ごめんなさい、マルタさん。でもわたくし……譲れないの)
目に力を込めて、肩越しに頷いてみせたら、マルタはなぜかふるりと身を震わせた。
ローザによる裏切りがショックだったのかもしれない。
ほかの少女たちも、男たちとローザから、目を逸らしたい、いややはり見ずにはいられない、といった様子で視線をさまよわせている。
(わかるわ。皆さま本当は、興味津々なのよね)
やはり、薔薇ラブが嫌いな女子などいない。
ローザは強く確信したが、もちろん、実際の少女たちの心境はそうしたものではなかった。
(信じられない……)
例えばマルタなどは、先ほどから、衝撃で心臓が張り裂けそうな思いをしていた。
(こんな子が、本当にいるってのかい……?)
幼少時から奴隷としてこき使われ、あげく娼婦となったマルタは、基本的に神の存在など信じてはいない。
同時に、「慈愛深い貴族」などというものの存在など、笑い飛ばしてしまうほどだった。
天は奴隷を救わない。強者は弱者を搾取することしか考えない。
信じられるのは自分と、あるいは同じ境遇の女たちだけ。
それが、マルタの長年の指針だったのだ。
だが――。
(なんてきれいな、姿だよ……)
小柄な体を真っすぐに伸ばし、海賊に向き合うローザの姿に、マルタは心から震えた。
天使のように美しい顔。金の髪。
淡い色だと思っていた瞳は、彼女が力を込めると神秘的な紫色に輝く。
汗を滲ませ、ふらついてまで魔力を揮い、縄を解いてくれたローザ。
動揺する女たちを、たった一言で宥めてみせた彼女。
そして今、この場の誰よりも高貴で、年少であろうに、彼女は後ろ手に女たちをかばってみせる。
その華奢な背中が、どんな言葉よりも雄弁に、彼女の高潔さ、そして慈愛深さを語っていた。
「ほおー! まさか嬢ちゃんのほうから来てくれるたぁな! ん? おまえ、金髪だったのかぁ!?」
海賊たちが下卑た笑い声を上げ、上機嫌に腕を伸ばす。
その汚らわしい指が、無遠慮にローザの髪を掴み、ぐいと引っ張るのを見て、マルタは固く目を瞑った。
(くそ……っ!)
ああ、こんなにも彼女のことを尊いと思うのに、自分が彼女の身がわりになれるかというと、やはりそれは恐ろしいのだ。
なまじ、マルタは男の恐ろしさを知ってしまっているから。
(神様……! 誰か!)
彼女は臆病な自分を罵りながら、生まれて初めて、神に真剣に祈った。
神。天使。
運命や宿命。
なんでもいいから、どうかこの少女を助けてほしい。
マルタが組んだ両手を強く握り合わせた瞬間、それは起こった。
「――ここか!」
ばんっ! という激しい音とともに扉が蹴り倒され、男が踏み入ってきたのである。