9.ローザは危機に晒されたい(1)
総合日間1位御礼ということで、今日も白昼堂々投稿させていただきます。いかがわしい主人公で恐縮です。
続きは本日の20時に!
ブクマや評価、感想にレビュー、本当にありがとうございます。
一方。
小さな窓越しに、すっかり白い満月が昇りはじめた夜空を眺めながら、ローザは溜息を落としていた。
(想定外の連続だわ……)
その細い両手は、荒縄できつく縛られている。
足は、半歩ずつ歩けるような長さを残し、同じくきっちりと拘束されていた。
犯罪者や奴隷を移動させるときに、よく使われる結び方だ。
ローザは今、港の際に建てられた暗い倉庫に、食糧や水とともに押し込められていた。
「うっ、うっ……。神様……っ」
「……ぅっ」
ついでに、すすり泣く女たちも一緒だ。
彼女たちもローザと同様に縛られ、この倉庫に閉じ込められていた。
年若い女が大半だが、肌や髪の色は様々だ。
泣く体力もないほど弱った者や、船酔いをしている者もいて、彼女たちはここで捕まったのではなく、船でここへと連れて来られたのだということがわかった。
恐らく港での検閲を逃れるために、一時的に倉庫に押し込まれたのだろう。
人さらい、あるいは人身売買。
ローザは寄港のついでに、その一座に加えられたというわけだ。
(怒涛の展開だったわね……)
ピンチに遭って魔力を高めようというざっくりとした計画のもと、念のため魔力で髪の色を変え、港に立ち寄って半刻。
ローザがまず目にしたのは、船の傍で陽気に酒杯を掲げる荒くれ者たち――農地ではあまりお目にかかれない、荒々しいほどに鍛え抜かれた男たちの姿だった。
強い日差しに晒され焼けた肌。
荒縄と帆を操る太い腕。
厚い手で仲間の肩を叩き、大げさに笑い声を上げる彼らの姿は、寒冷な大地と向き合う農民とは、また趣の異なる男臭さがあった。
男らしさと「攻め」らしさはイコールではないが、やはり近似的にはなる。
(ほほう……総員、攻め値が異様に高いわね)
彼らを前に、ローザは思わず神妙な顔で唸った。
これまで、農地は頻繁に視察していたが、屋敷から離れた港まで、それも夜に行き来するのは周囲がうるさいため、ほとんどしてこなかった。
だから、時々しかやってこないグローバル港湾系従業者――平たく言うと、海賊の存在を、すっかり失念していたのだ。
(わたくしも、まだまだね。こんなにオイシイ存在を視野に入れていなかったなんて)
ここ数年、理想の「受け」探しに躍起になっていたローザだったが、なるほど、絶対値の高い「攻め」を導入することによって、相対的に「受け」側の「受け」度を深めるという手もあったのだ。
目の前で杯をぶつける男たちはどれも、その辺の男など簡単に押し倒してしまえそうな、見事な体格をしている。
威圧的な眼光、堂々とした風格。
男すら従え、支配する、男の中の男たち。
(なるほど?)
ローザは真顔で頷いた。
しかも、ここが重要なのだが、一般的に航海中、船上には――「積み荷」扱いの女性奴隷を別にして――女っ気がないという。
海賊とは基本的に男性のみで構成されるものだからだ。
つまり……。
(なるほどなるほど?)
ローザは深く頷き、しかしはっとして首を振った。
(いえ、だめよ。この集団の中で無理に「相対化」を行う必要はないわ。彼らはあくまで総員「攻め」と定義したうえで、そんな彼らを導入することで、ラングハイムの男たちの「受け」値を深める。そうした活用法こそが正しいわ)
どちらにしろ腐っている。
しかも、ローザが熱っぽく男たちを見つめたり、ぶんぶん首を振ったりしていたために、こちらの存在を気付かれてしまった。
「なんだぁ……?」
彼らのうち、最も小柄な男が立ち上がり、酔いまかせの強い力で、物陰に隠れていたローザを引っ張り出したのだ。
「おい、見ろよ! きれいな嬢ちゃんを拾ったぜぇ!」
「おお! 上玉だなァ!」
途端に、赤ら顔をした男たちがどっと湧く。
あれよという間に、ローザは男たちの輪の中に連れて行かれ、無遠慮な視線を浴びせられた。
「お頭ァ。こいつ、俺のにしていいですかい」
「いや、ダメだ。今回は『積み荷』が少ねえからな。見たところ、こいつぁ随分いいとこの嬢ちゃんだ。高く売れるだろうから、手を付けず『しまって』おけ」
「えぇー! そりゃないっすよぉ。俺、もう股が寂しくてしかたないのに!」
「うるせえ。それならケツの穴にてめぇの拳でも突っ込んどけ」
(えっ! 今なんて!?)
海賊たちの下卑たやり取りには、これまでローザが読んできたどの書物にも登場しなかったフレーズが満載だ。
思わずローザが目を見開いて、ぱっと顔を振り向かせると、男たちはそれをどう解釈したか、「おぉー、可哀そうに、怯えちまって」などとニヤつきはじめる。
「大丈夫、あそこの倉庫には、おまえさんの仲間がいっぱいいるからな。お頭の機嫌次第じゃ、あとで様子を見に行ってやるから、まあのんびり待ってろよ」
そうして、手際よくローザを縛り上げると、突き飛ばすようにして倉庫に押し込んだのである。
(べつに、うかうかしていたわけではないわ。ただ、ピンチに遭って魔力を高めるという、所期の目的に沿って行動しているだけ)
無残に擦れてしまった肌を見つめながら、ローザは自分に言い訳する。
そうとも、目的のためには、こうした危険に遭遇する必要があったのだ。
べつに、意外に統制の取れた海賊集団を見て、つい「攻め」度をランキングしたくなってしまったとか、もうちょっと近くで彼らを見学していたいとか思ったわけではない。
いや、ちょっとは思ったが、それは薔薇教の信徒として正当な欲求のはずで、非難されるべきではない。
(……でも、この程度のピンチでは、一向に魔力が高まる気配がないわね……)
ただ、縄で拘束された現状まで含めても、ローザが大して危機感を覚えていないため、言い訳は言い訳としての機能をしていなかった。
だって、自分の持つ癒力――つまり生育を速める癒しの魔力を応用すれば、植物性の縄を腐敗させることもできるし、木製の扉を腐らせて脱走することもできる。
やはり腐は万能だ。
(絶対値の高い「攻め」の存在にはときめいたけれど……やはり、ベルたんの萌え萌えしい言動を見るときほどではない。これでは全然尊死できない、もとい、心臓に負荷がかからないわ)
自分はすでに、ベルナルド以外に反応しない体になってしまったのだ。
つい自嘲が漏れる。
すると、
「あんた、今笑ったのかい? 随分落ち着いてるじゃないか」
すぐ傍から、驚いたような声が掛けられた。
振り返ってみれば、声の主は、婀娜っぽい年上の女性である。
一見してその道のプロとわかる彼女は、肌に食い込む縄にも慣れた様子で、軽く肩を竦めた。
「無理して笑うくらいなら、今思いっきり泣いて、ついでに吐いときなよ。狭い船庫で吐かれでもしたら、こっちの迷惑だ」
そういう彼女は、船での移動も慣れている様子である。
ローザが見つめ返すと、「あたしはマルタ」と短く名乗り、縛られた腕で器用に黒髪を掻き上げた。
「花売りさ。娼館で金をちょろまかしてたのがバレて、あいつらに売られた。ま、元は奴隷で、こうやって売り買いされるのも初めてじゃないから、どうってことないけどね。でも、他はたいてい、借金のカタに売られたり、攫われたりしたお嬢ちゃんたちだ。泣き声がうるさいったら」
マルタは顔を顰めたが、ローザを見ると不思議そうに首を傾げた。
「だけど、あんたは泣かないんだね。怖くないのかい?」
「そうですね、あまり。どちらかといえば、薔薇の使徒としての使命感のほうが強いと言いますか……」
「は?」
「あいえ、なんでも。わたくしはローザと申します」
初対面からうっかり腐発言に走りそうになり、ローザは慌てて自制した。
「皆さん、彼らに商品として捕まっているということですよね。わたくしたち、どこかに売られるのでしょうか?」
ついでに、さすがにこの状況も見過ごせはしないので、問うてみる。
経験者だからだろう、マルタの答えは明確だった。
「そうさ。大抵は王都の娼館へ売られてくねぇ。でも、一部はここで下ろされると思うよ」
「解放されるということですか?」
「いや、逆さ。ここで売られるんだよ。なんてったって、ここ――ラングハイムって言ったっけ。ここには、女好きで有名な豚伯爵がいてね。海賊どもが港に出入りするのを見逃す代わりに、一人二人、女を差し出すことになったそうなんだ。さっき男たちが話してた」
「…………!?」
ローザは絶句した。
マルタが言うのは、間違いなく彼女の父のことだ。
(あんの豚肉……っ! なんということを!)
最近ベルたんの養育に心血を注ぐあまり、父親の監視の方を疎かにしていた。
恐らく彼はその隙を突いて、格安で素人の女を買ってしまうことを思いついたのだろう。
奴隷を買うことは違法ではないが、それが攫われた少女だった場合、話は別だ。
しかも昨今、性目的での奴隷の購入は禁止されているというのに。
(奴隷プレイが許されるのは二次元までよ!)
腐りきってはいるものの、いや、腐道をある程度極めているからこそ、ローザは父親へ激しい怒りを燃やした。
あのお肉、あとで屠る。
だがしかし、マルタは赤い唇をにっと持ち上げて、ローザに笑いかけた。
「ね、あんたもさ、ここで買われるといいね。娼館暮らしは不自由この上ないけど、貴族の性奴隷なら、うまくすりゃ愛人にはなれる。見たとこ、あんたが一番上玉だもん。あたしと協力して、二人一緒にここで下ろしてもらわないかい?」
「いえ。そもそも、わたくしたちが、買われる、などということが、あってはなりませんので」
父親への怒りで、言葉が震える。
それを聞いたマルタは、縛られた両手を、説得するようにひらりと宙に掲げた。
「まさか、誰かが助けてくれるなんて信じてるわけじゃないよね。よしな、よしな。いいかい、あたしらみたいな身持ちの悪い女を救う神様なんて、いやしないんだ。自分でちょっとでもいい環境を掴み取らなきゃいけないんだよ。貴族の愛人が、あたしらの目指せる頂点だ」
力強く語る彼女は、本当に自分を弱者として割り切っているようだ。
それでいて、人懐っこい性格でもあるらしい。
つり気味の黒い瞳には、呆れの表情のほかに、純粋にローザを心配するような色も滲んでいた。
「特に、この船のやつらに気に入られちまったら最悪だ。あんた、下手に男たちに歯向かうんじゃないよ? あいつらってまじで最低だから。海賊ってのはさ、欲望の塊だってのに、航海中は女が不足してるもんだから――」
「不足しているものだから……?」
ローザはドキドキしながら反芻した。いや、その続きはわかっている。
(殿方同士のラブに向かう、ということね!?)
興奮のあまり、心臓に一気に血が押し寄せる。
傍目にはさっと青褪めたローザに、マルタは気を使って言葉を切り、神妙な顔で頷いた。
「……まあ、そういうことさ」
もちろんマルタの発言の意図は、「女に飢えた海賊たちに、慰み者にされる」ということである。
「……そういうこと、なのですね」
しかし、ローザは明後日の方向にそれを受け取っていた。
(どうしよう……。ますますここを離れがたくなってきたわ……)
やはり、あの頭と呼ばれていた男が「攻め」の筆頭であろうか。
いや、それとも意外に航海長あたりが「攻め」で、船長は「受け」。
そう、船長には優れた統率力があるものの、ふとしたことで心の均衡を失ってしまう弱さがあるのだ。たぶん。
それを、普段は穏やかな航海長が、時々獣のような一面を見せながら、寄り添い支えてゆく。とかだと嬉しい。
体の内側からふつふつと腐ォースが湧き出てきて、ローザは慌ててそれを魔力の形で発散した。
麻でできていた荒縄の「成長」を速め、腐らせたのだ。
腐力を利用した縄抜けである。
「あんた、その力……! それに、その髪……!」
「え? ああ、魔力ですね。ほかの魔力を使うと、変装は解けてしまうのです。驚かせて申し訳ありません。あ、よろしければマルタさんもどうぞ」
貴族しか持ちえぬ超自然的な力、そしてふわりと光を放って色を転じた金髪に、マルタがぎょっとして叫ぶ。
ローザは上の空のまま、手近な少女たちに腐力縄抜けを行使しまくった。
(やっぱり、寄港中は娼館にも行けるだろうから、彼らの薔薇ラブ行動は観察できないかしら。……ああでも、それがきっかけで、海賊カップルに亀裂が入ったりして)
縄を腐らせる。
腐らせる。
腐らせまくる。
(やっぱりおまえは女がいいんだな、と吐き捨て背を向ける「受け」。けれどその太い腕を、さらにがっしりとした「攻め」の腕が掴む。振り払う、いえ、振り払えない。「攻め」は苛立たしそうに言うのよ。「くそっ、結局、おまえの顔がちらついて、女なんか買えなかったさ」……!)
縄を解かれた少女たちが、驚きに目を瞠る。
貴族だけが持つという魔力。それを、詠唱もなく、しかもこんな下層の女たちのために行使するなんて。
奇跡を前にして、一斉にざわめきかけた彼女たちに、ローザは鋭く囁いた。
「しっ。静かに」
今、とてもいいところだから。
(驚く「受け」。けれど咄嗟には素直になれない。なんとか腕を振り払って甲板の上を逃げ去るのよ。追いかける「攻め」! 両者激しい攻防! からの、帆ごと体を抱きしめてフィニッシュ! 「俺のキャプテンはあんただけだ」。恋の航路に面舵いっぱぁああい!!)
興奮のあまり、心臓が高鳴り、腐汗が滲んできた。
少女たちの手首に縋り付くようにして、息を荒げている自分は、きっと立派な変質者に見えるだろう。
「あ……あんた、大丈夫なのかい……」
マルタが恐る恐るといった様子で呟く。
怪しまれているようだ。
ローザは汗を拭って、「大丈夫です」と誤魔化した。
変質者ではない、大丈夫。
と、そのときだ。
「おう、いい子にしてたかァ?」
乱暴な音と共に扉が開き、海賊の男が乗り込んできた。