0.プロローグ
初めて異世界恋愛ジャンルにお邪魔させていただきました!
よよよよろしくお願いいたします…!震
気持ちのよい初夏の昼下がり。
黄金色に実った小麦に鎌を入れていた農夫のカールは、あぜ道を進む小柄な影に気付き、ぱっと顔を輝かせた。
「おい、ティモ、見ろよ。ローザ様が来てるぜ!」
「えっ!? どこだ!? うおっ、まじだ!」
仲間のティモに呼び掛けると、すぐ近くで穂を縛っていた彼も慌てて振り返り、目を瞠る。
それから、二人は揃って相好を崩した。
「……はぁー、日に日に綺麗になっていかれるなぁ」
視線の先には、日よけのフードをかぶった、細身の少女の姿があった。
ミルクのように白い肌に、滑らかな頬、可憐な唇。
フードからこぼれる蜂蜜色の髪は、陽光を弾いてきらきらと光り、淡い紫の瞳は、まるで菫の花を閉じ込めたかのよう。
十四という年に見合い、わずかに幼さを残しながらも、既に完成された美貌を持ったその少女は、名をローザ・フォン・ラングハイムという。
カールたちの住まうこのラングハイム伯爵領の当主の娘であり、彼らが一心に慕う相手であった。
「まーたお供も連れず、一人で出歩かれて……。大丈夫なのかね」
「仕方ないだろ、お館様がアレなせいで、ローザ様を世話する女を配置できないんだから。少なくともこの領内で、ローザ様に悪さしようだなんて不届き者はいないだろうよ」
「そりゃあそうだが……。体が弱くてらっしゃるのに、途中で倒れたりしたらどうすんだ。無給でもいいからローザ様のお世話をしたいって野郎なら、いっぱいいただろ? あいつらは今なにしてんだよ」
「皆一度は屋敷に押しかけたそうだが、今は収穫期で忙しいだろうからって、ローザ様自らが帰しちまったんだよ」
「くぅっ、本当にできたお方だよ」
カールとティモはひそひそと囁き合う。
日頃はがさつさで知られる二人だったが、ローザについて語り合うその声には、彼らにできる最大限の敬意が籠もっていた。
ローザ様は、豚から生まれた天使。
ラングハイム領の住人たちは、ほとんど本気でそう信じている。
それというのも、当主のラングハイム伯爵は、女好きで、ぶくぶくと肥え太り、重税を強いる浪費家であるのに、彼から生まれたはずのローザは、繊細な美貌を持ち、幼いながら懸命に領に尽くしているからだ。
かといって、早くに病死してしまった母親似なのかといえば、そういうわけでもなさそうだ。
男勝りの性格で知られた彼女の母親は、最期の枕もとでさえ娘に向かって、「あの伯爵と結婚したことだけが人生唯一の失敗。あなたは幸せになるのよ」と笑うような、女傑であったから。
娘のローザは、父親から金髪を、母親から病弱さと聡明さだけを受け取り、心清らかな乙女に成長したようである。
伯爵が女漁りのために王都に出かけても、娘のローザは領に留まり、せっせと仕事をこなす。
伯爵が見栄のために宝飾品を買い漁るのをよそに、娘のローザは魔力を活かして腐葉土を作り、領民たちに分け与えてくれる。
伯爵が侍女に手を出そうとしたときには、ローザが果敢にそれを諫めたという。
さらには税率を上げようと企む伯爵に、折に触れ止めるよう説得しているのも彼女だということだ。
その結果、ローザは伯爵から煙たがられ、デビュタントを迎えてもいい歳だというのに支度もしてもらえず、社交シーズンのたびに一人領に放置されている。
しかも身の回りの世話をする侍女たちも全て下げられてしまった。
住人たちは大いに心を痛めたものだが、しかしローザは気にしていない様子だという。
それどころか、一人で身支度を整え、領の方々へと視察に訪れる始末。
わたくしのことは大丈夫だからと、華奢な体で健気に笑い、それから透き通った菫色の瞳でじっとこちらを見上げながら、領民の日々の生活について尋ねたり、労いの言葉を掛けてくれるのだ。
「俺ァ、ローザ様を見るたびに、心が浄化されるのを感じるよ。ああいうのを、穢れなき天使っていうんだなぁ。ついこの間も、私費で修道院に寄付したらしいぜ」
「ああ、しかも、孤児たちに読み書きも教えてるんだよな。修道院は、ローザ様を十二使徒になぞらえて、『薔薇の天使』って呼んでるらしい。ぴったりだよな」
「『薔薇の天使』は、たしか高潔と慈愛を司るんだっけ。まんまローザ様じゃねえか」
「本当に、税は高いし、領主はクソだが、ローザ様だけが俺たちの希望の光だよ。彼女こそ、貴婦人の中の貴婦人だ」
カールとティモはうんうんと頷き合う。
それが視界に入ったのか、あぜ道を歩いていたローザが振り向き、嬉しそうに手を振った。
二人はぶんぶんとそれに手を振り返し、それから同時に溜息をついた。
「今、俺たちを見て『ふふっ』て笑ったの、遠くからでもわかるぜ……」
「ああもう……かわいいかよ」
顔をにやけさせる彼らの先では、ローザが手を組み合わせて何かを呟いている。
きっと、豊作を祈りでもしてくれたのだろう。
まるで宗教画のように清らかな光景。
しかし、彼女の後ろから猛スピードで馬が近付いてきたことで、その祈りは中断された。
どうやら、屋敷から使用人が追いかけてきたらしい。
てっきり、病弱なローザを心配してのことかと思ったが、それとも少々異なるようだ。
馬丁の少年が慌てた様子でなにかを告げると、ローザもまた驚いた顔になり、軽やかな身のこなしで馬に飛び乗る。
そのまま急いで屋敷へと戻ってゆくローザたちを、二人は首を傾げながら見守った。
「どうしたんだろう」
「たしか今日は、伯爵様が戻られる日だったな。事故とか? あるいは、王都で女に騙されて、隠し子を押し付けられたか、身ぐるみはがされて帰ってきたか、倒れたか……」
「それなら朗報だが、心優しきローザ様は、そんなこと間違っても思わねえんだろうなァ」
その後も二人は、あれこれと憶測を立てながら農作業に戻った。
噂好きの彼らは、これでなかなか鋭い観察眼を持っている。
立てた推測の内のいくつかは、近い将来に正しかったと証明されることとなった。
だが、そんな彼らでも決して気付かなかったことがある。
それは例えば、二人を見つめるローザの瞳が、やけにねっとりとしていたものだったということ。
二人が仲良さげにすればするほど、彼女は嬉しそうであったこと。
それから、彼女が去る直前に呟いていた内容というのは、
「腐腐っ。きっとカールが『攻め』で、ティモが『受け』ね。ああ、神よ、今日もたくさんの尊みをありがとうございます」
こんな内容であったこと、などである。