EP55:side.炎の世界 scene.1
<三人称全知視点>
圓が命を落とした日の夜、巴との二人部屋で咲苗は幼子のように号泣し続け、気づいた時には寝てしまっていた。
それほどまでに、二人の最愛の人を喪ったという事実は大きかった。百合薗圓という少女と園村白翔というクラスメイトの少年――二人にそれぞれ蓄積されてきた想いは彼が満身創痍になりながらも愉快そうに命を擦り減らし、咲苗達を生かしてくれた戦場で彼を置き去りにしてしまった時点で複数の感情が爆発して咲苗の心は咲苗の知らないうちに疲弊してしまったのだ。
ヴィーネット達に啖呵を切った時は新たな目標に頑張るんだって心に決めた筈だった。
だが、時間が過ぎるに従って後悔の思いが、押し殺した筈の感情が堰を切ったように溢れ返る。
――きっと、今の私のことを見たらヴィーネット達は笑うだろうな。私がまどかちゃんに相応しくないって……きっと言うと思う。
悲しいなんて思わず、すぐに気持ちを切り替えるようでは、それこそヴィーネットやホワリエルから幻滅されるだろう。泣いてばかりで何かを為そうとしない者に嫌悪感を抱くが、心の底から大切な人の死を悲しみ、その悲しみと折り合いをどうにか前に進もうとする者を二人は決して笑ったりしないのだから。
だが、咲苗にそのことに気づく術は無かった。そんな親友の姿を見ながら、巴もまた複雑な感情を命を落とした彼に向けていた。
親友を悲しませる選択をした圓に対する怒り、彼の口から語られた正論に心のどこかで納得している自分と咲苗のことを親友だと言っておきながら結局何もしなかった幼い日の自分に対する怒り、なんでこんなにも大切に想っていた相手に真実を明かさなかったんだという怒り、咲苗の大切な人はあろうことか、自分と咲苗が結ばれることを願っていたという事実に対するもどかしさ。
彼が生きていたのは間違いなく巴達が生きていた日常よりも苦しい世界だった。その世界で圓はあらゆる悪意と戦い、摩耗し、精神が壊れていった。
勇者なんて目じゃない、あの化け物達と互角に渡り合えたのは彼が本当の意味で戦い続けてきたからだ。それを知れば、「美少女剣士」などと世間で持て囃されてメディアの注目を集めて伸びていた天狗の鼻が折られる。
巴達は表側の人間だった。いくら剣の腕に秀でていても裏側の者と対峙すれば勝ち目はない。……それを、表側から裏側の人間となった圓は自らがゴルベールですら勝ち目がないと判断する敵と対峙して勝利をもぎ取る、或いは善戦するという形で教えてくれた。
巴達には解決しなければならない問題がある。圓の側近という月紫という女性によって殺された勇者曙光を含むクラスメイト三人の死。
鮫島と東町の二人が親友を狙っていたこと……これについては解決して後は心の整理だけになっているが、まだ彼らを操った者――裏の人間がいる。
その他にもう一人、化野のような圓側ではない裏の人間が異世界に来ている。それは果たして誰なのか? いずれにしても色恋沙汰の発展系という若気の至りの派生ではない、本当に綿密に計算し、なんらかの明確な目的に向かって動いている者がいる。月紫は手っ取り早く全体像を複雑にするものを省いただけに過ぎない。裏側の人間の炙り出しはこれからなのだ。
「…………安心して、咲苗、貴女のことは私が守る。そして、必ず貴女を愛する人の者に連れて行くから」
今度は絶対に守ると、もう逃げないと心に誓って。
巴はすやすやとベッドの上で眠る咲苗の髪をそっと撫でた。
草木も眠る丑満時。巴も咲苗の隣でいつの間にか眠ってしまっていた。
そんな二人の頭上は無数の黒い蝶が飛んでいた。
ヒラリヒラリ、と部屋の天井を舞い遊ぶように。――二人の少女を眠りの底に沈めるように。
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気がつくと咲苗と巴は見たことのない場所にいた。
岩と沸騰したように泡が生まれは潰れていく赤い血液のような熔岩によって彩られた世界――二人の記憶に照らし出せば、それは火山と呼ばれている場所だった。
「……巴さん、どういうことなんだろう? さっきまで巴さんの部屋にいた筈なのに」
「私にもよく分からないわ……まさか、異世界召喚……」
以前は決して信じられなかっただろう。だが、創作の中だけのものだと思っていた異世界召喚は確かに存在したのだ。
シャマシュ教国に召喚したのと同じように、再び召喚させられたのではないのか……だが、周囲には誰の気配もなく、何者かが召喚したという説の信憑性は低い。
「……いや、これは異世界召喚じゃねぇよ。……異世界召喚なら召喚者がいるだろうが、ここには見当たらねえからな。それに、俺は眠る直前に確かに黒い蝶を見た。……こういうのはうちのボスの得意分野だからよく分からねぇけど、異世界召喚とはまた別の何かしらの干渉……蝶を使った夢への干渉ってところじゃねえか?」
声がした方に目をつけると、いつの間にか咲苗と巴のいる地点から僅かに離れた場所の岩の上に一人の男が座っていた。
三十代ぐらいの気怠げな目をした男だ。作業着のようなつなぎと一切手入れされていないボサボサ頭という出で立ち、そして片手に持つ剪定バサミと抱えた楽器ケースという全く統一性を感じさせない見た目は彼をより一層不審者に見せる。
「おっと……失礼、ついな。しかし、こういうおっさんが若い女の子達に声を掛けた時点でセクハラ扱いされるものなのか? ぶっちゃけ対象外だっての。うちのボスはこういう女の子二人? いや、もっとかも知れないけど、沢山の性質の違う女の子達が絡み合う姿を想像して鼻血を出すような俺には想像もつかない趣味を持っているからなぁ。きっと二人を見たら喜んでカップリングさせたと思うぜ。んじゃ、俺はそろそろお暇させて頂きますか。花の女子高生? みたいな二人に変質者扱いされて留置所とか行きたくねぇし。この世界に留置所があるかは知らないけど」
「ま、待ってください!!」
絶対に呼び止められないだろうと高を括っていた気怠げな男は(どちらかと言えば大人の魅力溢れる女性がストライクゾーンなので対象外だが)、クラスのアイドルとして人気を集めるであろう見目麗しい少女に声を掛けられて思わず二度見した。
「……はっ? 何? 俺捕まるの!? ……というか、おかしいよね!? 大体痴漢の冤罪といい、短いスカートを履いているのに中が見えて『変態!』って責められたり、理不尽じゃね? まあ、ぶっちゃけそんな理不尽な奴は俺のチャカで脳天撃ち抜いてやるけど……本当はそういうために使うものじゃないんだけどな。俺は花と怠惰な生活をこよなく愛する人畜無害な庭師なんだよ」
「何もされていないのに、初対面の人を痴漢扱いしたりしないわよ! ……そうじゃなくて、貴方もこの世界に来てしまったのよね? 私達が知らないことも知っていそうだし、一人よりも三人の方が生存しやすくなるんじゃないかと思って」
「それに、私は回復魔法が使えますし、巴さんは剣を使えます。巴さんは「剣道小町」や「美少女剣士」と呼ばれている凄腕の剣士で――」
「やめてよ、そんなんじゃないわよ!」
巴が咲苗にこれ以上喋らせまいと口を塞ごうとする中、気怠げな表情の男の顔が僅かに真剣味を帯びた。
「ああ、もしかして五十嵐巴さんと柊木咲苗さん? 鳴沢高校の二大女神か。うちのボスのお気に入りの……なるほど、道理で見た目スペックが高い訳だ」
「…………もしかして、まどかちゃんの知り合いですか?」
「まあ、知り合いっていうより雇い主っていう方が正しいな。……自己紹介がまだだったな。俺は百合薗家の全庭師を統括している庭師統括の役職に就いている斎羽勇人、三十二歳、彼女いない歴=年齢。花を愛でることが大好きな狙撃専門の暗殺者だ」
剪定バサミを地面に置き、勇人と名乗った男は楽器ケースの中からPGM ヘカートIIを取り出しながら不敵に笑った。
「まあ、そう警戒するなって。俺は圓様のご友人に武器を向けたりはしねえよ。俺が殺すのは暗殺対象と、圓様に危害を加えようとする輩だけだ。……まあ、お前らにも結果的に圓様が政府連中が雇った暗殺者によって間接的に殺害される土壌を作ったっていう殺すには十分な理由があるが、咲苗さんは圓様のことが好きだから、一緒にいたいと思ったから突撃しちゃったんだろ? 他人の迷惑も顧みずに。まあ、そういう若気の至りってものは結構あるもんだよ。うちのボスは例外的に老成し過ぎているだけだ」
圓は裏の世界に踏み込む以前にも普通の小学生よりも遥かに老成しているところを窺い知れる点は多々あった。
「確かに、小学生の頃のまどかちゃんはちょっと可愛げがなかったかもしれませんね。でも、一人だけ大人だったからこそ、俯瞰した視点から物事を捉えることができたんだと思います」
圓の視点は小学生の頃から「イジメ? なんでそんな非生産的なことをするの? バカなの?」という極めて論理的で生産性を重視した子供にはない視点だった。だからこそ、圓はイジメに割り込んだし、これから素晴らしい作品を紡ぐかも知れない芽が摘まれてしまうことを避け、真っ直ぐ成長できるようにとアドバイスを送ったのだ。
他人の成長や利益、叶えたい夢を応援しつつも、結局最後は自分に利益が戻ってくるように行動する――その点は今の圓にも通じている声質である。
「確かに、圓様はたまに俺より年上じゃないかっていうくらい広い視野で物事を捉えていることがあるな。俺がサボっているのを見ても『まあ、たまには休みたいよねぇ』って見逃してくれるのも圓様だけだからな。他の連中は見つけたら『働け馬鹿者』か、蔑みの視線を向けてくるし、本当に慈悲深い天使様だよ」
それ、大人としてダメなのでは、と思った咲苗と巴だが、それを決して口にしたりしない。
二人は空気が読める女子高生なのである。
「まあ、そもそも菩薩みたいな慈悲深い心が無ければ自分を殺しに来た殺し屋を部下にしようとなんてしないよな。……おっと、話はここまでだ。何か出て来たようだぜ」
衝撃の事実がポロっと勇人の口からこぼれ、それについて詳しく聞こうとした咲苗達だったが、それを妨げるように炎を纏った馬が五体姿を現した。
「そんじゃあ、お嬢さん達、前衛は任せた。俺は狙撃専門だから、俺に二人を守って戦うとか男らしいことは無理だから。というか、今時女の方が度胸がいいからダメなおっさんよりも断然適任だよな」
流石に受けたことのない知り合ったばかりの女子高生を前衛に出して、自分は安全な後方から狙撃をするから守れという態度に流石の二人も思わず「はっ?」となったが、勇人はあっという間に後方に陣取って、どこからか取り出した札を一枚消費して四次元空間から魔法陣の刻まれた弾丸を含む複数の弾丸が仕舞われた弾丸ベルトを取り出した。
「さあ、見せてやるぜ! 百合薗家最強の狙撃手の実力を!!」
本来かっこいい筈のセリフがそれまでの本人の行動のせいで完全に台無しになっていた。




