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とりとめのないエッセイ・短編集

雪に包まれて

作者: 秋月

 白が一面に敷き詰められた銀世界が、目の前に広がっている。


 雪がしんしんと降り続け、見る見る内に積もってゆく。昨日からずっとこうだ。彼女はその光景を見て、明日の昼ごろには晴れる事だろう、と考えていた。


 特に学説に基づいた物ではない、ちょっとした勘に過ぎない。だが、彼女はこういった勘だけを外した事は無かった。


「かー……寒いねぇ。猫のあたしにゃ、ちと寒すぎだね」


 そう呟いて、彼女は自分の体を抱くようにして震えた。頭の上に生えた猫の耳も、寒さゆえがペタリと閉じてしまっている。尻尾はズボンの中だ。黒い鼻先を隠すように、彼女はフードを更に深くかぶった。


 獣人である彼女の肩身は、人間の街では狭い。だが、彼女はそんな事は気にしなかった。青色で縦長の瞳孔を持った目も、ふさふさとした獣の耳も、くねりと自在に動く尻尾も、彼女自身の誇りだからだ。


 それに、人がそれを良しとしているのもある。その首に揺れる金のドックタグは、まごうことなきSランク(特級)冒険者の証である。名のある冒険者であり、災厄への抵抗手段である彼女を、表立って蔑もうという者はいない。


 名を、“殲光の“ナーザ。猫の顔を持つ、尻尾族を代表する冒険者であった。




 しばらく雪の中を歩いていた彼女は、不意にスンスンと鼻を鳴らした。匂いがしたのだ。雪の中でも分かるような暖かなそれは、酒精の匂いであった。独特の辛い匂い、火酒だ。


 酒の匂いと知るやいなや、ナーザは小走りで向かい始めた。


 尻尾族は、元来より寒いのが苦手である。それは、最強と謳われるナーザにおいても同じだ。なら、何故年末の大雪に外にいるのかと言えば、それは年に一度の行事の為だ。


 ナーザは、最強の冒険者で、よき指導者でもある。じきに初老を迎えんとするナーザを、師匠だ先生だと慕う声は多い。


 そうして、彼らはいつしか結盟を作り出すほどの大勢になり、ナーザの教えを受けた者達の結盟、“残光“として成った。ナーザは、知らぬ間に名誉結盟長となっていた。


 無論、困惑はあったものの、慕われていると知って、ナーザも悪い気はしなかった。


 雪道ながらに、軽快に歩き出した彼女は、そう時間もかからず目的地にたどりつく。雪の中たたずむそれは、酒場である。カンテラの明かるさが、窓から外へもれて、雪で反射している。


 ようやく姿の見えたそれに、ナーザは寒さから逃れるべく駆け込んだ。




「あ、ナーザさん! お久しぶりです!」


 元気な声がナーザの耳に届いた。同族のミミだ。茶色の毛並みが逆立って興奮を示している。尻尾も、しきりに左右に動いて落ちつか無げだ。なにせ、一年ぶりの再会であり、目指すべき師との再会でもあるのだから、仕方もない。


 そんな少女の姿を見て、ナーザは微笑ましい気分になった。そうして一度ぶるりと震えてから、口を開いた。


「遅れちまってすまないね。なんせ、この大雪だ……」


 雪にまみれた防寒具を適当なところに掛けると、適当な椅子を引っ張ってきて、ナーザもほっと一息ついた。なにも大雪だけが彼女の遅れた理由ではない。しかし、突然の依頼で冒険者の予定が変更される事は良くあることだ。誰も気にしはしなかった。


 そうしてざわざわとしていた店内が、ナーザが来たことでゆっくりと静かになって行く。五分とかからない内に、賑やかさは静寂へと塗りつぶされた。


 それは、毎度の恒例のようなものだった。仕方なく立ち上がったナーザを、何名かが引っ張って、吟遊詩人が使う壇上へと上るまでもそうだ。


 ただ黙ってナーザを見る結盟員達に向かって、彼女はため息を一つついてから、口を開いた。


「今年もそろそろ、終わりがちかいね」


 ポツリ。こぼれた言葉に、誰もが耳を澄ませる。雪の降る音が響いた。


 ナーザも窓を見ながらそれを聞いていたが、しばらくしてまた、口を開いた。


「楽しかったこと、辛かった事――色々あったろう?」


 何名かが、何かを思い出しているような顔でうなずく。中には、涙ぐむ姿もあった。仲間の死でも、思い出したのだろうか、とナーザは一瞬考えた。


 冒険者にとなり、戦うことを生業とした物にとって、仲間の死は避けられない。生きている限り、何時の日か死ぬ時が来るとはいえ、冒険者のそれは、往々にして唐突に訪れる。ナーザも過去に経験し、涙を流したことがある。


 不意に視線を外して、ナーザは集まった全員を一望した。依頼で抜ける事を宣言した者以外にも、欠席者が何名か居た。一年に、三、四人ほどこうして居なくなる。そうする度に、できれば骨を拾って、結盟の所有する土地に墓を立ててやるのが通例だ。


 死んだ名前を思い出してやりながら、彼女は瞑目した。そして、また開く。青色の瞳がカンテラの光でキラリと輝いた。


「だからこそ、今日は盛大に祝おうじゃないか! 楽しかった事を語って、辛かった事を分かちあって、酒を飲んで忘れな!」


 不意に掲げられた彼女の手には、木製のジョッキが握られている。その中に、上等な麦酒(エール)が入っているのは明確だ。


「さあ、また騒ごうじゃないか!」


 快活に笑ったナーザは、ジョッキになみなみと注がれた酒を一息に飲み下した。深いコクのある、しかしどこかフルーティーな味わいが舌に染みる様に美味く、ナーザはくぅ、と声をもらした。


 それを見た結盟員たちは、一瞬顔を見合わせたが、自分たちもジョッキをぶつけ合わせて酒を飲み始めた。宴会が再開したのである。


 肩を組み、歌い、料理を食う。当たり前の様に、今日生きている事を祝う。ナーザはそれを、微笑ましく見つめ、酒を呷った。料理にも手をつけて、その味を楽しんだ。


 しかし、話しに行こうとはしなかった。


『いいの?』


 不意に、ナーザの肩の上から声がした。それは、常人には聞こえない声だ。俗に、"妖精語"と呼ばれる。


 返答に、ナーザがいいんだよ、と呟く。さも当たり前の様に自らも妖精語を発しながら、酒をまた一口。そうしながら彼女は、チェリーを一つ摘まんで、肩に座っている妖精に差し出してやる。


「アタシは良いのさ。辛いことも無けりゃ、楽しい事だってほとんどない。武勇伝が聞きたきゃ、いくらでも語ってやるけどねぇ」


 そういって、またジョッキの中身を飲み干した。拭った口に、わずかに泡が残っている。


 冒険者が明確に組織化されて、早四十年程になるが、現時点で最も長く活動しているのはナーザ一人だけになる。


 冥王の復活だとか、迷宮から魔物が溢れ出したりだとか。そんな事で一人、また一人と居なくなり、ついには一人になってしまったのである。昔は誰か死ぬ度に泣いたものだ、とナーザは懐かしんだ。


 そうして出来た今のナーザは、仲間の死に泣く事は無かった。


『そっか』


 悲しげに呟いた妖精の声に、ナーザは返答しない。


 長年、生きてきた。若いように見えるナーザは、その実、四十を超えている。その年を、仲間の死を看取り、体験し、そして積み重ねた。ナーザはその度に、技を受け継いできた。だからこそ、今の強さがある。


 かつての戦友が身に宿した剛力を受け継ぎ。


 病に侵された剣士からその夢幻の如き剣術を伝授され。


 耳長き賢者より魔法の術を教わり。


 誰よりも弱かった男から、不屈の心をもらった。


 そうして重なり、絡まり、輪になったそれ。冒険者の歴史たる力を、芯に秘めている。だからこそ、彼女は泣かないのかもしれなかった。今まで幾百という死を看取って来たから悲しみになれたという訳ではない。墓を見るたびに、彼女の心の中に悲しみが湧き出してくる。


 だが、涙という形で表に出てこない。ただ、それだけなのだ。


 背負ってきた命がある。看取った死だ。そして彼女には、背負っている命がある。


 目の前に広がる光景こそ、彼女の望んだ理想郷。共に笑い、辛さを分かち合い、支えあう。"残光"という名で、ナーザを慕い付いて来てくれた、無数の弟子たちがいるそここそ、正に目指すべき場所だ。


 こんなに温かい場所を背負う為には、涙なんて流している暇はないのだ。少なくとも、彼女はそう考えていた。


「くく……。世界を救う価値だって、あるってもんさね」


 再び酒の注がれたジョッキを掲げて、彼女は静かに笑った。上等な林檎酒(シードル)が静かに揺れて、香りを放った。


「ナーザさん! 冒険のお話し聞かせてください!」

「私も聞きたいです!」

「俺も! 俺も! ドラゴン退治の話!」


 ミミを先頭に、年少の者たちがナーザのところへと来た。よぉし、と立ち上がったナーザが語り始めると、宴会に参加した吟遊詩人が場面に合わせて音楽を変え、臨場感を際立たせた。


 いつの間にか年長の者や、酔っ払って騒いでいた者達まで話しを聞き始め、ナーザは知った顔で包まれる事となる。


 武勇伝に目を輝かせ、心躍らせる自らの弟子の様子を見て、ナーザは再び静かに祈った。


 いつか、自分が死んだ後も。この伝統が続きますように、と。




 一面銀世界が広がるそこに、たった一軒だけ酒場がある。猫爪亭というその酒場は、年に一度、大雪の降る季節になると、ある結盟が一年の無事を祝う宴会をする。


 笑い声がし、軽快な音楽が聞こえ、誰かが武勇伝を語っている。そんな暖かな光景が、一年に一度だけ広がる。屈強な男や女、魔法使い、人間、長耳、獣人や亜人、出身の違いもなく、皆そこで笑みを交わす光景が。


 明日にはまた、死と隣り合わせの生活をしていく事になる者たちだが、今日だけはと多いに騒ぐ。


 雪に包まれていても、そこだけはひどく暖かな場所であるという。


「この雪道で迷ったら、あんたもその酒場を探すんだね。きっと、暖炉の火は付けっぱなしで、美味い酒もでてくるさ。くくく……」


 猫の顔を持つ、年老いた尻尾族の女は、そう言って旅人に笑いかける。


 その胸に、"残光"と刻まれた首飾りが、静かに光を反射して煌いていた。







もしよければ、他の「秋冬温まる話企画」参加作品もご覧になられてはいかがでしょうか。

キーワードに 秋冬温まる話企画 と入っているのが参加作品となります。

面白い作品も多数ございますので、是非ご覧くださいませ。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  一人の冒険者の物語のエピローグのようで、闘いに明け暮れていても人との繋がりを紡いできたカッコ良さが見えました。 [気になる点] 誤字報告です。 >不意に視線を外して、ナーザは集まった全…
[良い点] いいですねぇ。 雪の中に明かりが見えるようです。酔っ払いたちの話し声や笑い声が聞こえてきました。
[良い点]  この作品は異世界ものにあって、私にはそれだけでない興味深く読ませるものがありました。  読み進むにつれ、先週会って、酒をくみかわしながら昔話に花を咲かせてきたばかりの学生時代の友人たちを…
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