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「伝染病から人類を救え」
それが祖父が言い残した最期の言葉だった。
人類の繁栄も幾度かの核戦争で終わりを迎え、今や文明は先代が残した土地と英知を食い潰しながらかろうじて維持されている。
この渦中に突如現れた幾つかの謎の生物。
それらにもたらされた伝染病により、文明の維持が不可能になって早幾ばくか……。
暑苦しい。体に不快な汗を滲ませ、俺は目を覚ました。
頭の中に霧がかかったように意識がはっきりしない。
ここはどこだ?
そうか、ここは逃げ延びた街……ロデァニアでの俺の根城だ。出来損ないの俺に医療技術を叩き込んでくれた祖父はここにもういない。
かつて俺が生まれ育ち医療技術を学んだ街、(名をパノティアと言った)は、伝染病罹患者が3割を越え、行政により区間ごと文字通り″処分処置″が取られたのだ。
辺境の小さな街だったが、祖父と街の人は祖父の持ちうる一通りの医療技術を学び終えていた17の俺を″処分処置″が施行される前に街の外に逃がしてくれた。
『伝染病から人類を救え』の言葉を俺に託して……。
ふと窓に目をやる。窓からは既に西日が差し、闇の訪れが近いことを告げる。
じいちゃん、パン屋のおっさん、薬屋のおっさん……。
あの人達はもういない。不意に目頭が熱くなる。
だが俺はこんな所でくじけてる訳にはいかない。一瞬天を仰ぎ、俺はこの身に変えても伝染病の解明だけは果たすと、更に決意を固くするのだった。
干渉に浸っている時間は最早無い。
とりあえず何かを口にしたい。 テーブルの上の黒い干し肉を手に取り、一口かじる。
コールタールのような香りが一瞬で鼻腔に抜ける。酸化した油を口一杯に流しこまれたような不快な油分と共に、僅かな酸味が舌を喉の奥へと押しやる。
「相変わらずひどい味だぜ、これが完全食品ていうんだからたまったもんじゃない」
あまりの不味さにふと独り言が漏れた。
暫くぶよぶよと筋の残る肥溜めのような肉片と悪戦苦闘していると、不意に街が喧騒に包まれる。
イスにかけてあった白衣を軽く羽織ると、まだ微かに重さが残る体を引きずり家を出た。
街の外れに位置する俺の根城から街の中央部に向かって歩くこと暫く、中央部に向けて街は騒がしさを増した。
いったい全体何があったって言うんだ……?。
ここからでは人垣に埋もれてこの騒動の原因を見ることが出来ない。
俺は近くにいたいかにも兵士然とした男に疑問を投げかけてみることにした。
「いったい全体何があったって言うんです?外が騒がしくて落ち着いて飯も食えない」
兵士然とした男は俺の風貌をちらっと一瞥すると言った。
「その格好、あんた医療技術の覚えがあるのか?先ほど街の外れに妊婦が倒れているのを連絡地帰りの私が見つけた。妊婦にしちゃまたま若い少女だが……。とにかく見てやってくれないか?」
「俺はミナイだ。あんたは?」
「俺はこのロデァニアでの一兵士。ジークムントだジークと呼んでくれ。」
ジークは人垣を掻き分け、俺を渦中の少女へと案内してくれた。少女を見た瞬間、俺の思考は硬直した。
確かに少女はまだ若かった。身丈のほどは俺の胸くらいだろうか……?。
肌着だけを身につけ、光に反射した上等なシルクのような銀色の髪を持ち、艶かしくも見えるふっくらとした唇に仄かに血を滲ませ、その小さな顔を今は苦痛に歪ませている。
そんな少女がとても蠱惑的に見え、思わず息を飲んでしまった。
医療技術を施す者としては失格だな、じいさんが生きてたらなんて言うか。
思考が硬直したのは何も少女が魅力的であったからからだけではない。少女には暴行の跡が散見され、その胎児で膨れたであろう腹はおおよそ人間の胎児が詰まっていることに懐疑的になるほど怪しく蠕動していた。今度は思わず息を詰まらせ思考が硬直してしまったのだ。
ハッと我に返り、俺は少女の診察を開始した。まずは意識レベルの確認からだ。
「あんた、どこから来たんだ?」
「んっ…うっ…ん…」
少女の返答はない。
「自分の名前は?」
今度は先程より強い口調で声を掛ける。
「…っ、わ…私は…ゾーイ、…は…私を、殺せ…」
荒い呼吸の中、途切れ途切れ返答が帰って来た。
「おい、私を殺せとはどういうことだ?」
疑問に思い更に質問を重ねるが、気力が尽きたのか、ゾーイと名乗る少女はまた意識を失ってしまった。
ゾーイは既に破水が始まっている。見るからに自然分娩出来る状態でもない。これは一刻を争うかもしれないな……。
とっさにジーク協力を求め、手術の為、ゾーイを家に運び混み手術台変わりのベッドに横たえさせる手助けをして貰った。
「おいミナイ。この少女、ゾーイと言ったか?はなんの病なんだ、普通には見えないぞ。まさか件の伝染病ではあるまいな?」
ジークが問う。
「伝染病ではないことは確信できる。腹の子が大過ぎて分泌できるきないでいるだけだ。腹を捌いて子を取り出せば回復に向かうだろう。」
腹には何が詰まってるか分からないが……。
まだ不振そうな顔を向けるジークに、人払いとドアの鍵の施錠を頼み、ケトルを火にかけ俺は手術の準備に取り掛かるのだった……。