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第二話 友達は0と1

 学校生活において悩みを抱える生徒は非常に多い。

 下らない交友関係は勿論、恋愛事情、授業の予習や課題、さらにはクラブ活動に至るまで、問題は日々尽きない。

 だが、これは表の問題だ。口に出すことも何ら憚られないし、宿題やってないんだ、と笑いながら言えば、誰かがノートを見せてくれるかもしれない、そんな程度の問題でしかない。

 本心で思い悩んでいない悩みなど、それはもう、日常を象る刺激スパイスの一つでしかなく、胡散臭い宗教もとい、相談所に足を運んでまで誰かに相談すべきことでもない。

 では、裏の問題はと言えば、いじめだったり、不登校であったり、と、学校自体を苦痛と思えるほどの深い悩みのことだろう。だけどそれはそれでまた、人に相談しようと思う人間は少ない。

 高校生なら、余計な心配をかけたくない、とか単純に恥かしいとか、誰にも自分の痛みは分からないとか、我慢しようとか、そんな自己完結が大部分になることだろう。

 そもそも、高校が始まってまだ一週間と少し。一体誰がこの短期間で、そんな深刻な悩みを抱えているというのだろうか。

 残念ながら思い当たる節がないので、

「妹よ、お前なんか悩みとかあるか?」

 と、もっとも近しい家族たにんである妹――愛に意見を伺った。

 すると妹は、眠そうな瞳を半分閉じて、投げやりに、

「兄がきもい事……」

 そう言いやがった。

 うん、こいつに聞いた俺が馬鹿だった。

 だが、この程度の暴言で引き下がる俺ではない。

「他には……?」

 すると今度はうんざりしたような顔をして、瞼を閉じたまま人が作ったベーコンエッグをもしゃもしゃと咀嚼した。

 ごっくん、と喉を通った音がした後、

「兄の作る朝食のレパートリーが少ないこと……」

 と、言われて、俺は眉間に皺が寄るのが分かった。

 これが作って貰う側の態度だろうか。少なくとも、俺は毎日違うメニューを用意している。一週間おきにかなりのメニューがループしていることは認めるが、それにしたって我が妹にだけは文句を言われたくはない。

 何せこの妹ときたら、朝はいつまでたっても起きない、起きても二度寝をする、髪の毛は自分で梳かない、朝ごはんどころか晩飯すら一回も作ったことがない、部屋の掃除もしない上、たまに動くのがだるいと俺に食卓までおんぶに抱っこを要求する典型的自堕落女で、どうして俺がそんな奴に文句を言われなければならないのかは、甚だ疑問である。

 勿論、血縁関係があるから、という至極全うで、かつ理不尽な理由付けはできるものの、それにしたって俺はもう少し労われても罰は当たらないと思う。

 ちなみに、今日のメニューがシンプルなのは片手しか使えないのが不便だったからだ。と言うか、片腕骨折している兄に普通朝食を作らせるか? 普通、妹か母といった女性陣が取って代わるべきじゃないのか?

 クソ、これだから人生はろくでもない。

 ちなみに、俺が入院している間は父が朝夕の食事当番をしていた。これだから家の女性陣は使えない。

「はぁ……お前が何の悩みも抱えていないことが分かったよ……」

 そう、言って俺はオニオンスープを一口飲む。

 目の前では、食パンをもしゃもしゃと食む愛がいて、その姿にうんざりした。

 あり得ない。

 普通、こういう典型的駄目兄貴には万能で世話焼きの妹がいるものではないのか。なんかこう、言わなくても毎朝起こしに来る妹とか、ご飯だよ~とか言ってくれる妹がいるのがテンプレじゃないのか。こいつの持ってるラノベではそうだった。

 クソ、あり得ない。

 そのくせ、この愚妹は見た目だけはそれなりに良い。

 いや、遺憾ながら訂正しよう、かなり良い。俺と血が繋がっているのか疑うレベルで可愛い。可愛げは皆無だが。

 同じシャンプーを使っているはずなのに、ここまで違いが出るのかと言う艶やかな黒髪、手入れもしていないのに汚れのない真っ白な肌、人形のように儚げな体躯、小学生とは思えないほど大人びた雰囲気。十人が見れば十人が美少女と言うのは間違いない。

 唯一俺と似ている部分を挙げるならば、俺以上に気だるげで退屈そうな瞳、だろうか。

 だがまあ、二人で歩けば職質されそうなほど、俺達は似ていない。神様はきっとステータスを振り分けるのが下手に違いない。RPGは苦手と見た。

 妹は鈍重な足取り、ではなく手取りで朝食を完食したが、俺は皿に残された小さな違和感を見逃さなかった。

「おい、妹。ミニトマトも食べろよ」

「…………」

「無言で食器を片すんじゃねー!」

「…………?」

「無言ですっ呆けるんじゃねー! 小学生の頃から好き嫌いしてんじゃねーよ。怠惰が直らんぞ」

 食べても直らないとは思うのだけれど。

 ちなみに、こいつは加工したトマトは食える。だが、トマトそのものは嫌いらしい。

 ピザを焼いてやったり、ミートスパを作ってやったりした時は、食うくせに、意味が分からん。

「兄よ、この紅き宝珠をさずけよう」

 中二病患者か、お前は。

 ちなみに何故かこいつはラノベをかなり持っている。普通逆だろ、駄目兄貴が持つものだろ、それは。

「言い方を変えてもかっこよくねーし、食ってやらねーよ」

「むぅ……」

 そう言って、少しだけ考えるそぶりを見せた後、妹は、

「お兄ちゃん、はい、あーん」

 とか、言いやがった。

 媚びた目で、この上なく可愛らしく。

 手に持ったミニトマトを、恋人に食べさせるかのように差し出してきたのだ。

 自分の妹に少しでも可愛げがあると思っているであろう俺以外の訓練されていない兄貴諸君は容易く篭絡されるであろう完璧な笑みだ、さりげない上目遣いがさらに攻撃力を増す。

 それはまるで天使の微笑。

 だが、甘い。

 どんなにうまく擬態したとしても、偽物は何処までいっても偽物。普段から残酷な現実を見せ付けられている俺には通用しない。

 俺を騙したいなら、アイドル養成所にでも行って作り笑いの練習でもして来い。まあ、お兄ちゃんは絶対に許しませんけども。

 俺は妹が差し出したトマトを奪い取ると、そのまま口の中へ押し込んでやった。

「むぐーぅ! むむー、むぇえええ、むぁあああ、むむぅ!」

 意味の分からない苦悶と共に、涙目で、口元を濡らしながら咀嚼する妹を眺めて、俺は満足げに頷いた。

 どうせ、むがー! 兄、何をするのだ、まずいうざい、死ねぇ! とかなんだろうけど、相手にすると疲れるので、俺は妹の分まで食器を運び、片づけを済ませた。

 ちなみに、皿洗いくらいはお前がやれ、と言ってやった時この妹は、

『兄は両利きだからできるでしょ』

 とか言いやがった。

 できるけど。

 五歳の頃から包丁を握り、七歳の時には我が家の台所を預かる俺は片腕でも余裕で家事くらいこなせるけれど、そう言う問題ではないだろう。こいつに気遣いと優しさをどうして与えてやらないんだ、神様よ。

 さらに母は、

『じゃあ、いつもより早起きしないと駄目ね、時間かかりそうだし』

 と言いやがった。

 だからそう言う問題でもない。

 結局、手伝いをしてくれるのは、既に出勤した父くらいなものだ。

 世の女性の手料理に期待する男子諸君、残念ながらこれが現実である。

 未だに寝ているであろう母の分の朝食をラップに包み、スープを温めて飲めと書置きを残した所で、俺の朝の仕事は終わった。

 そのまま登校するかと思ったが、妹に伝え忘れたことがあったので、伝えることにする。言わないと後で文句を言われそうで面倒くさい。

「おい、妹。そういえば、俺は五月に入るまで帰るのが遅れる、晩御飯が七時以降になりそうだが我慢しろよ」

 と言うと、我が妹は肩を竦め、君には失望したよ、と言わんばかりにため息をこぼす。

「兄よ、自らの存在価値を捨ててまで何をするというのだ」

 心底使えないガラクタを見るようにこっちを見てくる妹。

 うざい、特に顔。

 仮にも兄に向ける表情なのかと、小一時間くらい説教をしてやりたい気分だった。

「お前、しまいにゃマジで晩飯作ってやんねーぞ?」

 わりと本気で俺がそう言うと、妹は百八十度態度を変えた後、

「ごめんなさい、お兄様。私、少しだけ我侭を言ってしまって。それで、何をなさるのですか?」

 などと、清楚風な言葉使いで謝り始めやがった。一々芸達者な奴だ。

「部活」

 と簡潔に答えた俺に、今日初めて目を見開いて、

「怪我悪化した? それとも、無理して熱出した? 寝てて良いよ、うん」

 とか言い出す。

「ちげー、無理やり入れられたんだ。五月には止める予定だから気にすんな」

 と、ありのまま事実を言えば、心底退屈そうな表情に戻って、

「何だ、平常運転じゃん、心配して損した」

 なんて言う。

 ほんと、誰か可愛げのある妹を俺に下さい。







 妹と別れ、学校へと足を運んだ俺の前には、何故か美少女が立っていた。

 いや、訂正しよう。

 立ち塞がっていた、と言ったほうがこの状況に相応しいだろう。

 校門を彩る桜がアーチのように花を開き、春の薫風に揺られて視界の全てを埋め尽くさんとばかりに舞い上がる花吹雪は、思わず目を惹かれるには十分すぎるとは思う。

 だけど、そんなものはどうでも良いと思えるほど、彼女の容姿が強引に俺の視線を引き寄せた。

 着ている服は見慣れた秋学の制服なのだけれど、何故かこの美少女が着こなすと清楚に見えた。

 眉にかかる程度の前髪がすっと下ろされていて、左右の肩から流れ鎖骨へと落ちるストレートの黒髪が風に靡く。スカートからは白い太ももが、シャツからはすらっと伸びた腕が覗くのだが、色っぽいと言うよりかは、美しいと言った方が正しいのだろう。そのくせ、無表情のまま全く表情が動かないから、愛想とか可愛げとかが余り感じられなかった。まあ、妹ほどではないが。

 だが、勿論、彼女は俺の知り合いではないし、初対面である。

 少女は何故か、こちらを見つめている。いや、睨んでいる、と言った方がいいのだろうか。とにかく、表情から感情を読み取るのが難しい。

 というか、勝手に道を塞がれて、予鈴まで鳴り終わって、後十分で遅刻になってしまうこの現状で、怒りたいのは常識的に考えて俺のほうだろう。そもそも、何で絡まれているのかが分からない。

「道を開けて欲しいのだが?」

「断わるわ」

 俺の至極全うな意見は一考の余地なく却下された。

 意味が分からん。

「お前は誰だ? 何故道を塞ぐ?」

「っ…………貴方、もしかして覚えていないの?」

 そう言われても、俺は彼女の顔に見覚えはない。

 そもそも、俺と関わりを持つ人間など片手で数えられるのだから、間違えようがない。

 べ、別に、悲しくなんてないんだからね。

「いや、初対面、だよな? 幼い頃生き別れた血の繋がった妹とかなら是非とも家に来て欲しいが」

 ついでに、片手が不自由な俺の代りに晩御飯を作って欲しい。

 まあ、基本的に俺は女性の料理スキルを信用していないのだけれど。

「そう………………勝手ね…………」

 そう言うと、彼女は身を翻して去っていた。

 そう言えば、昨日もそんなことを言われた気がする。

 だけどやはり、俺の何処が勝手なのか、皆目見当がつかない。俺ほど他人に迷惑をかけずに日常を送る人間はそうはいないと思っているのだけれど。

「何なんだ、一体……」

 事故にあってから、と言うか高校に通うことになってから、俺の日常は何故かおかしい。

 俺は中学時代、女子と会話したことは数回しかない。と言うか、それ以前に、早坂意外と話した記憶はほとんどない。

 か、悲しくなんて(略)

 それなのに、どうしてこんなに意味分からない女性に声をかけられるのか、謎だ。

 俺が疑問に頭を悩ましていると、

「うぉおおおおおいっ! 何でおめーが、あの四ノ宮息吹と会話してんだよ! んだよ、モテ期かよ! 高校デビューかよ! 昨日あんだけ否定しやがったのに、なんだよお前、ずりーぞ!」

 五月蝿い声が後ろから響いてきた。

 たかが一会話にこれほどまで執着し、大声で叫ぶ人物の心当たりは一人しかいない。

 と、言うか、俺の知り合いは一人しかいない。

 か、悲しい。

「朝から五月蝿いぞ、早坂……」

「うるさくもなるわ! この大噓つき野郎! 何で、四ノ宮息吹はお前なんかと……!」

 何故か恨めしそうにこっちを見てくる早坂に俺は鞄を投げ付けた。

 すると、早坂は持ち前のとんでも反射神経で、半身をを引くと、高速回転しているはずの学生鞄の持ち手を掴んで見せた。その動作に一点の淀みもなく、無駄にスタイリッシュなのが腹立たしい。そのまま、片腕が使えない俺の代りに率先して持ち運んでくれるという気遣いまでしている。ほんと、何なんだこいつは。

 相変わらずの改造人間っぷりに俺がどん引きしていると、

「んで、聞かせろよ! 何処で知り合ったんだ?」

 などと、妄言を吐き捨てやがる。

 強いて言うなら、今、さっき、校門で、だ。

「早坂、お前は勘違いをしている。俺はそもそも四ノ宮なんて奴は知らん。さっきのは、俺相手なら喝上げが可能だと踏んだ不良が絡んできたんだ、間違いな――」

「とうっ!」

 俺の台詞にかぶせる様に早坂が空手チョップを繰り出した。おいお前、今両手塞がってたよな? どうやって殴った?

「痛いぞ! 何をする?」

 どうやらこいつ、あの一瞬で右手に持つ鞄を上に放り投げ、俺を一発叩いた後、空から降ってきた鞄をもう一度掴んだらしい。何だその無駄に無駄しかない高等テクニックは……

「あのな、言うに事欠いてそのいい訳はない。四之宮息吹は特進の生徒だぞ? んで、そんな超、超、超、優等生がお前なんかから喝上げすんだよ、おかしいだろうが」

 それに俺は少し納得して、考える。

 何だ、あいつ特別進学コースの天才だったのか。

 ならば、確かに早坂の言葉は正しい。

 学園でたった三人の成績優秀者、それと特定分野において目覚しい功績を残した者で構成される特別進学コースは秋晴学院高校が誇る天才の集うクラスである。

 そんな、彼らが俺なんかに構うことはまずない、と断言できる。

「おかしいな……だが、俺はあんな能面女は知らん」

「能面女ってお前……あのクールでちょっとおっかない所がいいんじゃねーか! それによう、あいつはマジで凄すぎんぜ、入学試験は全科目満点で合格したとか何とか言う超天才で、実家は超金持ちとかなんとか。さらには、あの容姿だ、そりゃあモテる。新入生彼女にしたいランキング堂々の五位入賞だぜ? もう少し愛想があればトップに躍り出ても不思議じゃないスペックだぜ!」

 そんなランキングは知らん。

 相変わらず頭の中真っピンク野郎が。

 しかし、それならば一層不思議だ。そんな人間と接点など全くない。

「そんな学校一の高嶺の花にお前がねー、いやー流石の早坂さんもびっくりですな!」

「うざい、死ね」

 だが、まあコネを作るならこの上ない人材であることは間違いない。目標である年収一千万に近づけるかもしれない。無論、俺のようなつまらない人間にそれができるとは微塵も思わないが。

 俺と早坂は話しこんでいたこともあって、本鈴まで短くなってしまった時間を埋めるように急ぎ足で教室へと向かった。

 ちなみに、俺の席は左から三列目、その一番後ろだった。まだ入学したばかりなこともあって、出席番号順の並びである。早坂は俺の鞄を置くと、自分の席へと向かいクラスの野郎共と楽しげに話し始めた。そんな風に周囲がなにやら楽しげに会話している中、俺はポケットから携帯音楽機を取り出そうとして、止めた。もう、朝のホームルームまで二分しかなかったからだ。

 いつもならば、無駄な騒音を耳に入れないために、躊躇うことなくそうするのだが、今日は少しだけ目的がある。

 ゴリラ女こと、琴月彩音に依頼、もとい脅迫されたが故に、問題を抱えていそうな生徒を探さねばならないのだ。

 だが、そう簡単に見つかるはずもなく、皆それなりに楽しそうに見えた。俺と同じようにただ席に座ってるだけの生徒もいるが、彼らも別に孤立しているようには見えない。むしろ、孤立しているのは俺だけかもしれない。

 一見して暗そうな眼鏡君はクラス委員の仕事をしているように見えるし、隣の席の女子はノートに男を描いてニヤニヤしている。決して困っているようには見えない。

 そりゃあそうだ。

 入学一週間で学校嫌いになる奴など、そもそも学校に来ていない可能性すらある。

 曲りなりにも難易度の高い受験を勝ち抜き進学した彼らが、早々に絶望を抱えるなどまずあり得ない。

 俺が人間観察をしていると、チャイムが鳴って、大嶋教諭が入ってきた。相変わらずのマシンガントークで、いつの間にかホームルームが終わり、学生の本分である授業の時間が訪れた。

 俺は結局何の手がかりも掴めないまま、時間だけが過ぎ去っていくのだった。





 校内に再びチャイムの音が鳴り響く。

 学校によって、様々な種類があって、入学したてであると以前いた中学時代の音に馴染んだ耳が拒否反応を示すことも珍しくはない。そんな違和感を感じながら、昼休みは訪れた。

 早坂が昼休みになると、あいも変わらず昼食の提案をされたが、俺はいつもの如く突っ撥ねた。

 複数人と一緒に飯を食った所で、話についていけず空気を悪くするのが目に見えている。中学時代から執拗に誘ってくる早坂だが、俺は一度も了承したことはない。

 そもそも、あいつは俺などに構っている暇を捨てれば、交友関係を広げるも容易いはずだし、女子と仲良くする機会も増えることだろう。あんな奴に気を遣うつもりはさらさらないが、余計な借りと手間を作りたくないだけなのだ。

 と、いう訳で俺は購買でパンを買い、そのまま屋上へと向かった。

 学内には広い食堂とテラスが完備されているため、屋上で飯を食おうとする奴は少ない。

 静かな場所を探すならば、屋上か図書室と相場が決まっているのだ。

 少し歩けば屋上への階段が見えてきて、縦開きのドアを開ければ、澄み切った空が広がる屋上へ到着だ。

 屋上と言えば、開放感があって、ベンチとかお花とかそう言うのがある生徒の憩いの場所を想像するような人間もいるかもしれないが、基本的にそうではない。誰も人が来ないと言うことは、放置されがちで汚い。ベンチなんてものはあるはずもなく、花の代りに風に乗って飛んできた落ち葉が数枚、ぽつりと存在しているだけだ。

 錆びた給水塔の傍は、中々に汚く、床も綺麗とは言い難い。こんな場所で座り込んで飯を食う奴は俺のような変わり者か、それともいじめられている人間か、ぼっちか――

「――なんで、お前がここにいる……」

 さて、見知らぬはずの先客は、一体どれに当て嵌まるのやら。

 そこには、俺が自然と口にしてしまった言葉に何の反応も示さないまま、能面の様な顔で弁当を食う四ノ宮がいた。 

 だがまあ、これ以上相手にする必要もない。

 俺は持ってきたレジャーシートを広げた。相変わらず片手での作業は不便である。パンを口に咥えて、俺は敷いたレジャーシートの上に腰を下ろした。

 高校界広しといえど、レジャーシートを持ち歩いている高校生は俺ぐらいなものだろう。別に自慢でも何でもないのだが。

 そうしていると、

「――何故お前も座る……」

 何故か寄ってきた四ノ宮が、俺専用シートに腰を下ろしやがった。

 しかも、何の断りもなく。

 さも、当然のように。

 そして、

「あら? 貴方は一人だけ綺麗な場所に座って、可愛い可愛い女の子を汚い床に座らせる気なの? 最低ね」

 なんて言いやがった。

 それならテラスにでもいけよ! お前なら歓迎されるだろうが、普通。

 俺は怒ってもいいと思う。だがまあ、ここで五月蝿く言えば早坂と同レベルかと思い、止める。

 人が怒りを沈めているとさらに彼女は、

「せっかく私のような美女が隣に座ってくれているのだから、一生に一度の幸運と思って感謝しなさい」

 なんて、追い討ちをしかけてきやがって。

 少なくとも、お前が横に来て喜ぶのは早坂ぐらいなものだろうが。

「はぁ……朝の事といい、今の状況と言い、なんだ、お前、俺に恨みでもあんのか? 俺の一時の憩いを奪って楽しいのかよ、能面女」

「勿論よ、私の平穏を壊してくれたわ。自首をするなら早いほうが情状酌量されやすいわよ? ちなみに私のことを能面と例えるなら貴方はのっぺらぼうかしら、余りに特徴がなくて顔が覚えられないわ、何とかしなさい」

 一の悪口を言えば、二も三も返ってくる。何だこいつ、人間悪口製造機か? 舌に油でも引いてんじゃねーのか。

 無口な奴かと思えば意外と良く喋る。

 発した言葉は九割以上悪口だが。

「お前はとりあえず俺の両親に謝れ」

 誰も好きでこんな顔に生まれたわけではない。ちなみに可もなく不可もなくだと自分では思っている。

「ご両親も不憫でしょうね、生まれてきたのがこんなので」

「こんなのって何だよ、こんなのって! やっぱお前、俺に謝れ!」

 すると、さも不憫そうに、こっちを見てきて。心底同情しますとばかりに口を開く。

「あら、具体的に言って欲しいのかしら? そうね、パッとしない顔、暗そうな性格、捻くれてそうな根性、大したことない頭、それと、お弁当も持ってこない家庭力のなさ、かしら、それと――――」

 そんな、彼女の言葉に俺は今度こそぶちぎれた。

「お前……ふざけるなよ……」

 左腕に持っていたアンパンを握りつぶし、静かに怒りを燃やす俺に、彼女も言葉を発するのを止めていた。相変わらず無表情だが、今の俺は彼女の悪口を止めさせる程度には威圧感を発しているらしい。

「言うに事欠いて、家庭力がない、だと……!? 五歳にして包丁を握り、七歳で一家の厨房を預かり、忙しい父と自堕落な母、それともっと自堕落な妹を支え続けた一家のハウスキーパーたるこの俺が、家庭力が低いわけがないだろうがぁああああああああああああああああっ!」

 弁当を作らなかったのは片手での朝食作りに時間を割いたからだ。もし、万全の状態なら余裕で作ってきただろう。

 料理という一分野においては、早坂に一歩か二歩程度劣るものの、掃除、洗濯、妹の髪の手入れから、母の化粧までこなすこの俺は、間違いなく家庭力のある男子である。 

「…………そ、そう……」

 若干呆れたように引いている四ノ宮に俺は構うことなく続けた。

「いいだろう、右腕が動くようになった暁には、俺が弁当を作ってきてやろう。その味を知って自分の愚かしい発言を後悔するがいい!」

 俺は高らかに宣言すると、握り締めたせいで餡がはみ出たパンを口の中に放り込んだ。

 その後、俺達はそれぞれの弁当に舌鼓を打つ。手作りもうまいがたまには市販の大雑把な味付けも悪くない。

 時折響く悪口を無視すると、少しだけ機嫌が悪そうになる。相変わらず無表情だが、隅っこの眉毛が少しだけ動くことが判明した。

 だが、それを案じて言葉を返せば暴言の嵐が飛んでくる。

「あら? 女の子の話を無視するなんて、だから貴方はモテないのでしょうね。まあ、会話ができた所で貴方はモテないでしょうけれど」

 訂正、無視しても暴言の嵐は絶えない。

 まあ、こいつのことなど全然、全く、これっぽちも興味ないが、話せば少しはそいつのことが見えてくる、気がする。

「と言うか、お前なんでこんなとこいんの?」

 詳しく知る気は皆無なのだが、それくらいは聞いておこうと声をかけて見るものの、

「貴方には関係ないわ」

 と言われるだけ。

 負けじと、質問を続けてみる。

「お前もしかしてぼっ――」

「貴方には関係ないわ」

 語尾がほんの少しだけ強くなった。当たらずとも遠からず、か。

「友達いなさそうだよな、お前……」

「あら、貴方は友達なんていう、不確定且つ不明瞭なものを信じろとでも言いたいのかしら? 随分と御めでたい頭をしているのね、類人猿でももう少しまともな思考ができると思うわよ?」

 俺は琴月以下なのか、実に心外である。

 だがこいつの言葉は明らかに友達いない奴の台詞だ、理解はできるが。

「誰もんなこと言ってねーっての。友達なんて信用した瞬間、やれ金を貸せ友達だろう、席を譲れ友達だろう、話を聞かせろ、俺ら友達だろう、と。友達と言う言葉を行為を正当化するための魔法の言葉のように使う連中がバカみたいに湧いてくる。これは、俺の持論だが、友達とは打算無しでは作ることができないものなのだよ」

 初めはきっと、退屈を埋めるため、だとか寂しさを緩和するため、だとか、そんな感情が衝動となって他者を求める。そしてその内に、一人、また一人、と友達と仮称する人間が増えていけばいくほど、学校と言う社会の中で、あるいは生活の中で、地位が上がったと錯覚でき、自尊心が大きくなっていく。何せ、友達は多いに越した事はない、と言うのが共通の認識になっていて、またそうありなさい、と教えられるからだ。友達百人できるかな、なんて典型的な洗脳であると言えば、少し言いすぎな気もするのだけれど。

 友達でいることに感謝しろ、人は傲慢にもそう思うようになるし、何故だか理解できないが、友達が少ない人間は不幸な奴だとか、可哀想な奴だとか、寂しい奴だとか、そんなレッテルが貼られ、疎外されていく。これこそまさに、典型的な社会の間違いである。

 だがまあ、それだけで済めばまだマシな方だ。

「友達だから借金の保証人になれ、友達だからインチキ教材を買え、友達だからマルチ商法に参加しろ。はぁ、全く、友達なんてろくでもない、自分から作りに行こうとする人間は病気だ、間違いない」

 そんな俺の言い分を聞いた四ノ宮は憐れむように言葉を発した。

「……貴方、友達いないのね……」

「……お前もな……」

 おかしい。

 どうして俺達はいつの間にか傷口を抉りあっているのだろうか。

 こいつは、俺とは違いその性格だけで友達を作っていない、あるいは作ることを避けている、または避けられている、とそんな感じだろう。仮に、俺の妹が如く作り笑いを浮かべられるようになれば、友人になりたいとか、友達から始めませんか、とすぐに人が寄ってくるだろう。それが、好ましいかどうかは置いておいて、彼女には選択肢がある。だが、こいつのことだ、そんな愚かな真似はきっとしないと俺は思っているのだけれど。

 きっと、こいつは俺とは違う独善主義者。

 成功と言う確かな論拠を持つが故に、一層性質の悪い、独り善がり。

 きっと、彼女は正しいから、屋上で一人飯を食っているのだろう。そこにはきっと、自信しかない。

 俺のように仕方なくこの選択肢を選んだ訳ではないことは明らかだ。

 まるで自分が間違っていると言われているようで腹は立つが、彼女の方が成功者で、きっと俺のようなモブではないのだから仕方ない。だから、俺はいつものように白旗を上げて、この場を退散することを決める。

 それと、最後に、今日一番の不幸に見合う成果を期待するように、俺はつい聞いてしまった。

「おい、四ノ宮。お前、悩み、とか……あるか?」

 そんな俺の質問に、彼女は間髪を容れず――

「無いわ」

 分かりきった答えを返した。

「だよな」

 俺はそのまま、屋上を後にした。

 もしもの話などしたくもないのだけれど、この時俺が、背を向けたまま疑問を投げかけていなければ、彼女の眉が微かに揺れたことに気づけていたのかもしれない。







 人とは我侭な生き物である。

 退屈を持て余しているときに時間を無駄に浪費したかと思えば、時間が足りなくなったと後になって嘆き始める。

 タイムイズマネーと言い出すモブキャラ達はきっと、タイムイズノットマネーと苦心する成功者の気持ちは分からないのである。かと言う俺も全く分からないのだが、今はとにかくそんな気持ちだ。

 現在進行形で焦っている。

 嫌な汗が、流れて行くのが分かってしまう。

 何せ、もしなんの手がかりも掴めないまま部活動に顔を出せば、間違いなく暴力女の鉄拳制裁が待っていることであろう。

 あいつはけが人にも平然と暴力を振るえる、そう言う女だ。

 時刻は既に放課後。

 ホームルームが終わり、教室の中の人間も、一人、また一人と去っていく。

 タイムリミットが迫るどころか、もう迎えている状況なのだ。

「おい、早坂! お前、困っている人を知らないか? 知っているよな? 知っているんだろ? な、隠し立てすると良いことはないぞ? さあ、教えろ、すぐ教えろ、今すぐ教えろ!」

 言いながら、俺は教室にいた早坂に迫った。

「うぉおぃ! 何だ、急に……なんか、怖いぞ、お前……」

 どうやら俺は自分が思う以上に狼狽していたらしい。人間追い込まれると醜い部分が曝け出されるのは間違いない。

「こっちは命が懸かってるんだよ! 放課後すぐ来いとか言われてるし、なんかこう、どっかに今すぐ死にたいとか絶望抱えてる奴はいないのか!」

「無茶苦茶言ってんな……てか、お前さん、部活に入ったのか? 何に入ったんだよ、教えろよ! いやー、俺は嬉しいね、人間嫌いのお前が進んで集団の中に入っていくとは、お父さん感動で涙が零れてきそうだぜ!」

 なんて、本当に感極まったかのように言う早坂だが、お前は大いに勘違いをしている。

「違う。大嶋先生に連行されて、潰れることが前提のサークルに入れられただけだ。五月には解放されると言う完璧な俺の計画だ」

 若干事実と違うが気にする必要はない。俺は純然たる事実を口にしているのだから。

「へー、潰れかけ、ね。なら一層期待できそうだ。なんたって、お前さんが入ってんだからな」

 一体こいつが俺の何処を見て過大評価しているのか皆目見当がつかないが、人は皆勘違いに縛られて生きているものである。当然、この俺も含まれているので、誰が間違っていたのかは未来を見なければ分からないのだけれど。

「はぁ……もう駄目か……」

 元々、ほぼ不可能な難題なのだ。

 見つかるはずもない。

「なあ、早坂……類人猿に通じる理屈ってあると思うか?」

 きっとあいつのことだ。

 俺がどう説明した所で拳が飛んでくるはず。

 理屈よりも本能で行動するタイプなのだ、あいつは。気づけば体が動いていた、とそんな所だろう。将来上司にすら拳を突きつけている姿が明確に浮かぶ。

「んだよ、屁理屈ならお前の得意分野だろ?」

 平然と失礼なことを言ってくる早坂に失望のため息をぶつける。

「それは話が通じる相手には、という前提条件が必要なのだよ。大嶋先生とか、暴力ゴリラとか、人の話を聞こうとしない人間に理屈など無用の長物だ……」

 俺は失意のまま教室を後にした。

 言い訳を考えながら、学生会館へと向かう。

 本校舎を出てて、サッカー部が使用している東側のグラウンドを抜け、少し進めば部活動ごとに教室が振り分けられた学生会館が見えてくる。私立だけあって、学生が利用する施設はかなり充実している。何せ、部員数二人のお気楽サークルにまで部室を提供しているのだから。

 白亜の城とは呼べないが、真っ白の建物である会館はそれなりに見栄えがいい。現代らしく角ばった建造物で、間取りが切り分け易いであろう。三階建てで、教室数は確か、二十数個、それに加えて自販機が備えられた広場とコンピュターを複数台置いているサイバーライブラリも確かあったはずだ。

 だから、それなりに広いこの建物に何の部活があるか正確に把握している人間は少ないであろうし、三階の最奥に位置する意味不明なサークルに顔を出そうとする物好きはいないのであろう。部室に近づけ近づくほど人の声が遠ざかり、辿り着く頃には人影さえなくなっていた。

 そして、眼前にある一枚の扉。

 何の装飾もない横開きのドアが、今は地獄への門に見えてしまっている俺は、多分精神のどこかがおかしいのであろう。

 息を吐いて、大きく吸い込む。

 そうして、覚悟を決めて俺は教室へと踏み入れた。

(さて、なんていい訳をすれば、殴られずに済むのか……)

 もしかすれば、話が通じるかもしれない、とそんな淡く儚い願望は、

「遅いっ!」

「ぶべしっ!」

 零コンマ二秒で瓦解した。

 何なんだいつは。

 不良より手が早い。

 俺はけが人だぞ、加減しろ。

「終わったら早く来なさいって言ったでしょ。何してたの?」

 何をしていたか、など考えるまでも無く、お前の無理難題をどうにかしようと努力していたんだ、察しろ。

「こ、困ている人間を探していた……」

 すると、琴月は俺の鳩尾に埋めていた拳を離して、くるっと一回転すると、俺の顔を覗き込んできた。

「で、何処にいるの、困っている人?」

 と、そんな彼女の言葉に、俺は思考を回転させ、慎重に言葉を選んで口を開く。

「……そう、あれだ。困ってる人間はいるが、何の成果もないこんなサークルに相談しようとする人間は一日くらいじゃ出てこないというか、なんというか…………」

 そんな俺の言葉を少しは理解できるのか、琴月は表情に暗い影を落としていった。

「つまり……?」

「……その、あれだ。もう少し時間が経たないと、相談なんて来ない、と思うぞ……だからその、振りかぶった拳を下げてはいただけないでしょうか?」

 そう、俺が心の底から懇願し、謙って言った瞬間。

 琴月はにっこりと微笑んで、

「い、や、よ」

「ひぶしっ!」

 振り下ろした。

 は、鼻が――

 つか、顔面! 狙いが、顔面!

 女子が、普通顔面を殴るだろうか、しかもグーで。

 あり得ない。

 これだから女子は……いいか、平手で顔面を殴打されてありがとうございます、と言いたがっている男子諸君、これが現実だ。

「はぁーあ、使えない。どうすんのよ! 依頼人がいないと部活になんないじゃない!」

 それはつまり、お前は一週間と数日部活をしていなかったと言う自白でいいんだな。

「お前、今まで一人で何してたんだよ……?」

「…………」

 そう、俺が聞くと、急に黙り込む琴月。顔には分かりやすいくらい焦りが浮かんでいる。横を向きながら、髪の毛をいじる琴月を俺は見つめた。

「ほ、ほら、あれよ。ひ、ひ、人を助けるとはどういうことなのかなーって、て、哲学していたのよ!」

 咄嗟に考えた言い訳としては上出来だ。俺もお前の口から哲学なんてワードが出てきたことに驚いたぞ。

 だがまあ、もう少し平静を装え。

「で、実際は?」

 まあ、聞かなくてもゴミ箱に捨てられたお菓子の袋と、私物であろう少女マンガを見れば、何をしていたかは明らかなのだけれど。俺は今度ケトルでも持ってくるかと密かに考えを巡らした。

「……雷撃少女、面白いわよね?」

 つまり、こいつの哲学の参考資料は漫画である、と。

 いっそ、漫画喫茶研究会に名前を改め、少女マンガを読む部活にすればいい。ちなみに、『雷撃少女』は一巻が妹の部屋にあった気がする、確かそこそこ面白かった。

 俺は一つ頷き、机の上の二巻を手に取った。




 秒針が、時間を刻んでいく。

 そんな音だけが教室に広がること、およそ数十分。

 変化は唐突に訪れた。

 コン、コン、と。

 静寂を破るように、教室のドアがノックされたのだ。

 俺は一瞬、幻聴かと思ったが、それはすぐさま否定された。

「し、しゅつれい……しま、しゅ…………」

 極度の緊張故か、語尾が聞き取りにくい上噛み噛みな、そんな震え声が響いたのだ。

「……ふぇ、ちがっ! あ、あの、しゅ、出撃します……」

 何処へ行こうというのかね。

「あれ、あれ、違う。あの、失礼、します?」

 何故に疑問形。

 どれだけ緊張しているか知らんが、大丈夫か、お前の脳内は……。

 扉から入ってきたのは、一人の女生徒だった。

 ここ最近美少女を見慣れてしまったこともあってか、彼女の容姿は、特徴なく普通だと言える。強いて特徴を挙げるとすれば、それは目を引かないということだろう。別に悪口を言っているわけでなく、彼女が故意にそうしているのだ。

 瞳を覆い隠す前髪、猫背、下を向いた首、なるべく視線を合わせないようにしていることがありありと分かる。だから、彼女はなるべく目立たないようにしようとしているのだろう。

「お前、えっと、だれだっぶべしっ!」

 お客様を歓迎すべく、名を聞こうとした瞬間。凄まじい衝撃を秘めた平手に俺は突き飛ばされていた。

「ふぇ!」

 ほら見ろ、驚いているじゃないか。だが、残念だったな。この魔境ではこれが平常運転だ。

 そして良く来たな、これで、お前も犠牲者の仲間入りだ。

「いらっしゃい! 三組の新田結衣ちゃんよね? さ、入って、入って」

 って、あれ?

「いや、あの……」

「遠慮しないで、さぁ。あー、そっちの馬鹿は勝手に死んでるから気にしないで」

 違う、犯人はお前だ。

「し、失礼、します」

「うん、どうぞ、どうぞ!」

 おい、何だその笑顔は。

 何だその愛想の良さは。

 俺は拳で歓迎されたぞ、何だこの格差は。どういうことだ。

 これがあれか、部活動で学ぶ格差社会の現実。クソ、これだから人生は下らない。

 猫背女を暴力ゴリラが案内している中、俺は真っ赤に晴れた右頬を押さえながら立ち上がった。

「と言うか、何で名前を知っている、お前一組だろ……」

 ストーカか、お前は。

 そんな俺の疑問に、琴月は、お前何言ってんの? と目で言ってくる。

 そしてうざい、特に顔。

 琴月はため息混じりに口を開いた。

「あのねー、普通同級生の名前くらい覚えてるでしょ」

 いや、その理屈はおかしい。

 どうしてたった一週間程度の時間で、四百人はいる新入生の名前をフルネームで覚えられるんだ。俺なんて中学時代の同級生の名前は早坂しかしらない。

「さてさて、あのバカは放っておいて――新田さん。何か困ったことがあるのよね? 何でも相談して、救済部部長としても、私個人としても協力するよ、ね!」

 そう言って、軽くウィンクをする琴月。

 うむ、流石に見た目だけ美少女がやると絵になる。男と言わず、女まで惹かれそうな魅力がそこにはあった。

 まあ、中身については言及すまい。

「えぶしっ! 何故殴る?」

「なーんか、失礼なこと考えてたでしょ?」

 何故分かった。

 いや、一応褒めてたはずだ。クソ、これだから人生は理不尽だ。

「あ、あの! 私ッ! あの……その……大嶋先生に、進められて……その……」

 恥かしそうに体をもじもじさせながら、そんなことを言う新田。それに俺は無性にも苛立ちを覚えてしまった。勿論それは彼女自身に向けたものではない。

 またか。

 またあのマシンガンが、この気弱そうな少女を篭絡し、ここへ押し込んだのか。

 彼女は見たところ口下手だ。俺ですら、一言も話せなかったのだから、この少女があの教師に対抗できるはずもない。

「で、この胡散臭い場所に押し込まれた、と」

 俺の言葉に新田は頷く。それはそれはご愁傷様。

 だがまあ、初めてのお客様に、うちの部長はキラキラしている。これで暴力が無くなれば……いやそこまで贅沢は言うまい。せめて少なくなってくれれば万々歳だ。

 清涼剤が来たと思って、ここは歓迎すべきだろう。

「じゃあ新田さん、改めまして救済部部長、琴月彩音です、こっちは奴隷一号、名前は、えっと、ポチだっけ?」

「あー、はいはい、ポチですよー」

 何だ、鳴けばいいのか。

 それとも、泣けばいいのか、俺は。

「い、一年三組、新田結衣です。ほ、本日は、その、しょ、商談があって来ました!」

 何を売るつもりだ、お前は。

 見たところ何も売れそうなものは持っていないだろうに。

 春を売るなどと考えているならば止めたほうがいい、金を稼ぐ手段を持てる奴がやる売りなんてろくでもないものだから。

「えぶしっ! だから、何故殴る!」

「エッチなこと、考えてる顔だった!」

 お前はエスパーかよ。

「……相談、です…………」

 まあ、訂正しなくても分かるけど。

 新田は大きく深呼吸をしてから、改めて話し始めた。

「私、その、人見知りで、ドジで……そんで口下手で……見た目もあんまり、よくなくて、その……あの……その――」

 要領を得ない新田結衣の相談を纏めると、

 上がり性、人見知り、加えて持ち前のドジっ子属性により、人とまともに会話することが苦手な新田は小学中学と友達が少なく、高校に入学して一週間、昔からの知り合いもおらず、未だに友達がいない。

 それだけならいいのだが、来週には臨海学校での新入生オリエンテーション合宿があり、斑決めで孤立することが目に見えている、と。どうにか仲良くなろうと努力するものの、何を話していいか分からなくなって、すぐに逃げ出してしまう。

 どうすればいいだろうか、と。

 これが我が救済教、もとい救済部に始めて持ち込まれた新田結衣のお悩み相談だった。

「ふむ、なるほど。つまり、結衣ちゃんは仲の良い友達を作りたい、そういうことね!」

「は、はい」

 ちなみに、説明を理解するのに二十分かかった。

 確かに、こんな友人は傍にいると鬱陶しいかもしれない。

「そうねー、まずはほら、話し方の改善ね。友達になるなら話し易い相手って印象を持たれたほうが良いと思うの。と、いうわけで、相手の目を見て、かつ笑顔で会話ができるように練習しましょ?」

 ふむ、さすがにお助け部を気取るだけあって、ちゃんと相談に対して解決策を提示している。

「は、はいっ!」

 だが、この手の性格の人間は今までの癖がそう簡単には抜けない。

 新田は瞳を髪の奥に隠して、キラキラと輝く琴月の視線から逃げている。

 それはそうだ。ただでさえ気の弱い新田が、クラスの中心にいそうな琴月の放つ凄そうな人オーラに耐え切れるはずがない。

 リア充はいるだけで、周りとは違う空気を持っているのである。反対に、非リアもまた、人を近づけないような空気を持っている。二者の持つ空気は反発し、リア充は一層リア充に、非リアは一層非リアになる。これぞ、リア充反発の法則である。

「う~ん、もっと、ほら、私を見て!」

「あう、す、すみません……」

 まあ、うまくはいかない。

 視線を逸らすか逸らさないか。

 それを左右するのは心の持ち様である。

 自信をつけないことには、人の目を見て話すことなどできない。

 確か、中学時代も新田のような女子がいたような気がする。まあ会話もしたことがないので気がするだけだが、彼女も確か良く本と眼鏡で視線を隠していたな。

 結局、その深層心理にあるのは不安や心配といった雑念であり、明確な根拠となるだけの自信が存在していないことだと俺は思っている。

「ちょっと、見てないであんたも手伝いなさいよ、奴隷一号!」

 と、今度は矛先がこちらに向く。

 正直、こんなどうでもいい悩みなど、どうなろうとしったことではないのだが、何もしなければこいつに怒られそうなので、少しぐらいは協力しておこう。

「んー、そうだな。新田だっけ、お前さ、自分が可愛いと思うか?」

 そんな俺の言葉に、新田は見る見る表情を暗くしていって。

「ふぇええっ! わ、わたし、その、元々顔、そんなに可愛くないし、あの、お洒落とか、できないし、その、あの、根暗だし、不細工で、ごめんなさい」

 と落ち込んでしまう有様、これじゃあ駄目だ。

「あんた、女の子に何聞いてんの!」

「ま、待て、落ち着け! ちゃんと、説明してやるから殴るな!」

 俺の叫び声を聞いて琴月の拳が眼前でピタリと止まった。

「ふぅ……で、だ。視線を逸らす人間にも幾つかのタイプがあるが、俺が解決策を提示するとしたら自信をつけること、これを第一に提案する」

 そのための方法も複数あるが、手っ取り早い方法がある。

「そのためには、まず新田――」

 俺は新田の方を向いて言う。

「お前が可愛くなればいい」

「ふぇええええええええええええっ! そ、そんなの無理ですよぉ~」

 と、言うが別段そんなことはない。

 彼女は別に不細工ではないのだし、太ってもいない。素材は磨けば必ず光る。ただ輝きがダイヤモンドの奴もいれば模倣宝石に過ぎない奴もいる、それだけだ。どちらを見ても人は綺麗だと言うだろうし、彼女の理想が高すぎない限り何の問題もない。

 有名な歌も言っているだろう、可愛いは作れるのです、と。

 問題はその努力の仕方が分からないこと、照れと恥かしさが邪魔をすることだ。自分に臆病な奴は基本的に着飾ることを余りしない。それは自分に自信がない、そんな感情表現であるとさえ言える。

「無理、と決めるのは自分だ。他人じゃない。嫌なら止めればいい、俺は別にどっちでもいいのだから」

 そっけない俺の言い方に不満そうな琴月だが、こればっかりは本人が決めてくれないとセクハラになる。俺はまだ犯罪者にはなりたくないのだ。

 新田を見れば、俯いて逡巡しているようだ。

 だけどまあ、こんな寂れた部活にまで顔を出したんだ。ここでやめる理由はあるまい。

 彼女は少しだけ顔を上げると、覚悟のできた瞳で、

「や、やります! やらせて下さい!」

 と、言った。

「よろしい、では手始めに、可愛いを作ろうではないか」

 俺はそう言うと、新田に近づいた。

 物凄く近づいた。

「ひゃっ! え、え、え、あの……」

 呼吸音や心音が聞えてきて、新田の顔が茹でダコのように火照っていた。

「ちょ、ちょっと! 何で、あんたがそんな近づいてるのよ! 離れなさいよ!」

 と、何故か琴月まで焦っている。

 意味が分からんが、二人はどうせ下らない勘違いをしているのだろう。

 俺は気にせず、新田へと手を伸ばし、その顔に触れた瞬間、

「いやッ……!」

 そう言って、身を縮こませた。

 同時に、

「ふんっ!」

「いぎゃあああああああああああああああっ!」

 殴られた。

 琴月に。

 何故だ、何故お前が殴る。

 お前の拳は新田より多分百倍くらい痛いのに、何故当事者でもないお前が殴る。

「な、な、な、何やってんのよっ!」

 だから、何故お前が焦る。

 新田はと言うと、俯いたまま頭から蒸気を出していた。漫画みたいな奴だな、こいつ。

「何をする、琴月。俺はただ、こいつの肌を見ていただけなのに……」

「セクハラ禁止!」

「ブベラッ!」

 意味不明だ。

 はぁ、だがまあ、分かったこともある。

「流石に高校生、肌に潤いと張りはあるし、荒れも少ない。だが、如何せん暗く見える。明るく見せた方が効果的だな。琴月、お前化粧道具持ってるか?」

「い、一応、持ってるけど……」

「んじゃ貸してみろ、パパッとやる。本格的な道具はないから簡潔になるが、化粧に頼り切るような年齢でもあるまい。二十分くらいでできるやつにするからちゃんと覚えろよ、ついでに眉毛も少し剃るか」

「って、あんた、化粧とかできるの?」

 なんて目を見開いて聞いてくる琴月に俺は自嘲するように頬を緩めた。

「愚問を……俺はめんどくさがりな母のメイクを小さな時からやっている、片手があればメイクなど朝飯前だ」

 そう言って、俺は琴月から化粧道具を受け取る。

 やはりと言うか、持ち運んでいる物なので足りないものが多いが、そこは目を瞑ろう。

「それはそうと、琴月…………お前、これ、買ったはいいがほとんど使ってないだろう?」

 それに、琴月は分かりやすく反応する。

「な、何の証拠があって――」

「お前は分かりやすい殺人犯か……まあ、お前の場合素材が一級品だからか……変にメイクしなくとも白雪のように肌は白いし、目元もぱっちりしてやがる。卑怯だな、うん」

「ほ、褒めたって何もでないわよ!」

 と、俺が言うと、今度は何故か照れだした。意味が分からん。

「まあ、化粧は手順だ。顔にあったメイクをするのがポイント。女性の理想の顔型は、縦横が1:1の卵型って言われているが、新田は少し丸みがある顔だな、年齢よりも幼く見えるのが特徴だ。さて、では下地、ベースメイクから――」

 俺は慣れた手つきで作業を続ける。

 母が仕事で食事に行くときは良くこうやって化粧を整えたものだ。今では本人よりうまい自信がある。

「ほい、完成」

 色合いをうまく調整することで、明るく見せると同時に、手入れされていない眉毛、睫毛を整えて、少しだけつけ睫毛で目元をぱっちりと見せる。どんよりとした雰囲気も少しはましになっただろう。

「ふぁあああああっ……」

 なんて感嘆の声を上げる新田だが、慣れればこんなものは誰にだってできる。

「次は髪だ。目を隠すな、適当に伸ばすな。せめて伸びたなら整えるか括るぐらいしろ、動くと乱れるんだから」

「は、はいッ!」

 恐縮しだした新田の髪を俺はいじった。

 変に難しくすると、間違いなくこいつは自分でできなくなるだろうから、簡単なので行こうと思う。

 結果、選んだのはサイドテール。

 これなら、結い方も簡潔だし、少し手を加えれば大人っぽく見える上に、髪留めに拘ったり、毎日色を変えたりするだけでお洒落に思える。

 そして、完成した新田結衣に鏡を差し出した。

「ほれ、可愛いは作れるだろ?」

 彼女は鏡を見ては目を開いて、また閉じる。

 まるで鏡に映る姿が自分でないかのように。 

 大袈裟もいい所だ、本格的な道具もなく、その場しのぎでそれなりに見せれるようにしただけ。だがやると、やらないでは雲泥の差がある。

「あんた、やるわね……」

 琴月が珍しく俺を賞賛した。

「あ、ありがとうございました!」

 そして、新田が頭を下げてそんなことを言う。

 だが、これで問題が解決したわけでない。

 付け焼刃で、自信が掴めるか、従来の性格が改善されるか、と言われれば、そうでないと答えるしかない。

 これは切っ掛け作りなのだ。

 今まで暗かった少女が、少し明るく、それ以上に可愛くなれば、話してみようかな、とか思う人間が一人くらいは出てくるだろう。その時どう答えるかは彼女次第である。

 自信をつけるにはまず可愛くなる、これは二つの方法を秘めている。

 一つ目は先ほど言った切っ掛け作る方法。

 そしてもう一つは、他者を見て、比べ、それを自信にする方法だ。

 誰かと自分を比べ、あの子よりも可愛い、あの子よりもモテている、あの子よりも友達が多い、そうやって、誰かを下に見ることで人は自信をつけていくものだ。

 だけど、きっと、彼女はそれができない。周囲が当たり前としてやっている、格付けをすることができない。それは、今まで下を向いて生きてきた彼女の持つ優しさなのだと俺は勝手に思っている。

 後は、まあ、甘いものだの流行のアイドルだの、好きなことを琴月と話していればいい。

 役目を終えた俺は、再び教室の隅で、『電撃少女』の続きを読み耽るのみだ。

 だが、

「ちょっと、あんたもこっちで友達作りの作戦、考えなさいよ!」

 そんな琴月の呼びかけが響いた。

 と、言われてもな、

「友達を作る気がない人間に、どんなアドバイスを求める気だ、お前は……」

 強いて言うなら情報を集めろ、それくらいか。まあ、早坂の受け売りだが。

「それは……」

 言いよどむ琴月にを無視して、俺は本に目を落とす。

 すると、今度は別の方向から声が発せられた。

「あ、貴方は、それで寂しくないんですか!?」

 と、新田が俺に聞いてきたのだ。

 必死そうに。

 今にも泣きそうなほど顔を歪めて。

 それに、俺は頭をかく。

「私はっ! …………私は、寂しくて……皆に馬鹿にされて、家族に心配されて、そんな中学生活を送っていたから! だから、そんな自分を変えたくて、必死になって……」

 そうか。

 彼女は自分を嫌っていたのか――だが俺はこんな自分がそこまで嫌いではない。

 友達なんていなくてもいい、と本気で思う自分が、そこまで嫌いではないのだ。これもまた、俺が捻くれているからかもしれないが。

 けれど、それ以上に――

「俺は友達が少ない。というか、はっきり言えば一人しかいない」

 憎たらしい、ピンク脳の改造人間以外に、交友関係など皆無だ。

 卒業アルバムには何の落書きもされていないし、スマフォのラインは家族しか相手が設定されていない。

 そんな、傍から見れば、というか社会の共通認識からすれば、寂しい奴、下らない奴、きもい奴、うざい奴、そんでもって、どこにでもいる一モブキャラクターに過ぎない。

「だったら――」

「でも、零じゃない」

 俺は別に一人が好きなだけで、一人でいようとしているわけじゃない。

 だから、これ以上は必要ない。

「俺はこれ以上友達を作ろうと思ったこともないし、これ以上欲しいと思ったことも一度もない」

 そもそもこいつ等は勘違いしている。

「これは俺の持論だが、友達とは打算で結びついた間柄をそう呼称しているに過ぎないのだよ」

 だけど、それでも――

 近しいものを友達と言いたいのならば、

「友達は作るものではないのだよ」

 それが、友達人数一の俺が言える唯一のアドバイスだ。 

 まあ、誰かに理解されるアドバイスではないとも思うのだけれど。

「じゃあ、どうすれば――」

 正解なんぞ俺も知らん。

 だからその答えは自分で探して欲しい。

 俺は再び、静かになった教室で、漫画へと視線を落とした。 

 

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