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第一話 部活動で見る社会勉強

長いです、まったりお読み下さい。

「だはははははははははははははははっ! な~にが死ぬ、だよ! たかが右腕骨折しただけで、死んじまうとか、早とちりしすぎだろ、千崎よう」

 放課後の教室で煩わしいほどに大声を上げて笑い叫ぶ、旧友に、

「笑いすぎだ。死ぬほど痛かったんだよ、現実を知らぬ愚か者め!」

 そう言って俺は、負傷していない左腕で座ったまま奴の足に向けて空手チョップを繰り出したのだが、すぐさま自分の短絡的な行動を後悔する事となった。

「いってぇ……!」

 まるで岩でも殴ったかのような感触と、鈍痛、そして痺れが左手を襲った。何故か殴った俺の左手が痛みを訴え、殴られたはずの旧友は楽しそうに笑っている。

 クソっ。

 どんな身体してやがる、この筋肉達磨。俺はこの上なく憎憎しげに早坂を睨んだ。

「おいおい、病み上がだろ、な~にやってんだ。しばらくは安静なんだろ、入学早々一週間も入院してやがったしな」

 秋晴学院高校一年二組、早坂誠二。服を着ると着やせするタイプなのだが、その内には鋼のような筋肉を宿していて、殴った左手がまだずきりと痛む。身長はやや高め、二枚目とは言えないが容姿も決して悪くはなく、スポーツは基本万能、だが本人は料理だったり、ジグソーパズルだったりが好き、と趣味はどこか女々しい。

 中学からの知り合いで、中学時代友達がいないことで有名な俺に唯一、頼んでもいないのに付き纏う変人なのである。最も、こいつがどこか頭のねじが緩んだ変人であることは純然たる事実ではあるのだが、本人が聞けばきっと、お前の方がよっぽど変人で、お前にだけは言われたくない、と反論することだろう。

 そして俺はそれを否定しない。

 一般的に見て俺はどう考えても普通ではない。そう言うと、自分は特別で、何か自慢しているようにも思えるだろうが、世界の隅っこにでも無意味にいて、ここは○○村ですとだけひたすら呟くだけのモブキャラクターと同価値な俺は普通でない上、特別でもないのだから、これはまた救いようがない。

 まあつまる所、俺という人間は何処にでもいる一般人で、何処にもいない歪んだ高校生なのだろう。簡単に言えば社会不適合者とでもいうべきなのだろうか。こんな思考を無意味に回している時点で、自分が変人であることも何となくだが納得できる。

 だけれど、そんな異常者こそ、社会において普通であるべきだと俺は思う。

 まあそんな俺の持論はどうでもいい。

 どういう縁の巡り会わせか、高校になっても早坂と同じクラスであることを、入学式から一週間もの間入院していた俺は今日知ることができたのだった。

「しっかし、意外だよな」

 そんな早坂はこっちを見て、心底意外だとばかりに口を開いた。

「お前さんが猫を庇って交通事故とかあり得ないだろう。俺はお前が他人なんて金魚の糞程度にしか考えていないと思ってたが、動物は別なのか、猫好きだとか?」

 と、早坂は言う。

 たかだか三年を古い付き合いと呼んで良いのかは分からないが、それなりに付き合いがある以上、俺と早坂はお互いのことを知っている。

 そんな彼は率直に、俺が自分を犠牲にして誰かを助けるなどあり得ない、と言いたいらしい。

 そして、それは正しい。俺――千崎心は、そこいらを無意味に歩き回るモブキャラクター共に興味はなく、そんな者のために命をかける事など死んでもごめんだと考えていたはずだし、動物など庇護の対象としては論外だとも思っていた。どちらかと言えば保健所に連絡する方の人間である。

 咄嗟に口にした出鱈目だが、早坂に対しては少し現実味が足りなかったのだろう。

 そもそも、あの日俺が何を守ろうとしたのかよく分かっていないのだけれど、誰を守ったかも良く覚えていないので、とりあえず猫を助けたと言っていたのだが、早坂は十中八九嘘だと思っているのであろう。筋肉のくせに、意外と頭は回るようだ。

「まあ、あれは俺の人生の汚点だ。だからお前は真似をすんなよ。まあ、もっとも、お前なら車程度に轢かれてもピンピンしてそうだがな……」

 冗談交じりに俺は言う。

 無論、本気で言ったつもりなどなかった。

「んだよ、改造人間か何かかよ、俺は……」

 まあ、幾らこいつが人間離れした体格をしているとはいえ流石にないか、と思ったのだが、

「だけど、まあ流石の俺も車が相手だとかすり傷くらいはつきそうだ」

 などと、至極当然のように言いやがった。

「やっぱ、改造人間じゃねーか! お前の体をどっかの研究所に持っていけば金が取れるな、これは。よし、ちょっと大学病院までデートしようぜ、早坂」

「んで、高校最初のデートが男相手、それもお前となんだよ、死んでも嫌だね! 俺は高橋さんとか中村さんとかとぜひとも放課後デートしたいねー」

 と、ピンク脳の馬鹿は自分の身を守ろうとしない。

 やっぱ研究所にでも売り払っちまおうか、こいつ。

「誰だよ、そいつら……まあ、誰でもいいか……俺には一生関係ないだろうし」

「んだよ、同級生ん中では抜きん出て可愛いぞ、中村さんは同じクラスだしな。一個上の水無瀬先輩は大和撫子って感じの正統派美少女だし、うちの担任の春ちゃん先生も中々いい。この学校来て正解だと思ったなー、こんなにも女子のレベルがたけーからよ!」

 そんな理由で、進学校の勉強に励み、見事合格してみせる我が友人は、中々に変人なのだろうか。

 まあでもそれは至極全うで、実に高校生らしいなと思う悪友に、俺は一つため息をこぼす。

「……まあ、頑張ってくれ…………」

 投げやりな俺の言葉に早坂は少し不満そうだった。

「ったく、相変わらず荒んでんな……その死んだ魚と言うか、ゾンビというか、精気のない目をどうにかしたら、お前も少しはモテそうなのによう。どうだ、高校デビューしてみろよ!」

 と言いながら、清清しいほどの笑みで言い寄ってくる。

 近い。

 そしてうざい。

 こいつは脳ミソの中ピンク一色で、現実が見えていないようなので、旧友の好みとして無駄とは思うものの忠告はしておいてやる。

「はっ、アホらしい。愚かなお前に教えてやろう、学生時代にモテようがモテなかろうが意味などないのだよ」

「負け犬の遠吠えにしか聞こえねーぞ……」

 呆れるような、それでいて憐れむようにこっちを見てくる早坂。人が親切心で言ってやっているのに。

 正直うざい。

 特に顔、顔がうぜぇ。

 だが、俺は早坂と違って幾分か大人である。無知故の過ちぐらいは許容してやろう。 

「まあ、聞け――――いいか、高校生のカップルなんてもんは一時の幻にすぎないのだよ。高校生ってのは彼氏がいる彼女がいるって言えるだけのステータスが大切であって、交際の中に本質的なお付き合いなど存在してはいない。誰かに彼女が、彼氏がいます、と自慢することで充実に溺れたいだけなのさ。俺はあいつ等よりも、優れている、充実しているって感じでな」

 息を吸って、俺は続ける。

「だから、長続きしない。打算込みで引っ付いたカップルの本質は酷く脆い。中学の頃を思い出せ、付き合い始めたってカップルが一体何ヶ月持った? 一年以上付き合ったカップルなんて一組いりゃいいほうだったろうが。つまり、人生において高校の交際などに意味はない、妄想に取り付かれるのは止めておけ」

 高校生活における恋愛など、所詮はただの暇つぶしである。本気の交際など万が一にもあり得ない。多感な時期もあってか、誰かと興味本位で付き合って、うまくいけばそれで良いが、大抵はそうならないのが現実なのである。

 ただうまくいかないだけならいいが、はっちゃけすぎて子供でも作ってしまえば、それだけでもう、取り返しがつかないほど人生は壊れやすくもある。

 我ながら高校生の思考とは思えないが、母親や父親の仕事を見て、そのての問題は聞いたことが結構あるのだ。

「でもよう、ほら、将来のためになんだろ。女性とのお付き合いに慣れとくのは大事だろうが」

 なんて、早坂は言い返すが、それも間違いだ。

「はぁ……だからお前は馬鹿なのだよ」

 高校生の恋愛が、女性経験が、将来の交際に意味を齎すと考えているようだが、現実はそれほど優しくはない。

「いいか、馬鹿なお前にも教えておいてやる」

「んで、お前、そんな偉そうなんだよ……彼女いない暦=年齢の癖によう」

「うるさいのだよ、貴様は無知の智という言葉を知らんのか、自分が無知であることを理解している者のほうがそうでないものより微かだが偉いのだよ。まあ、それはいいとしてだ、現在の恋愛の経験は未来には意味がない理由を説明してやろう。その理由は至極単純で、大人の恋愛ってのは、顔だとか、性格だとか、付き合いの長さだとか、そんな物は一切関係なく、甲斐性の一点で決まるからなのだよ」 

 そう、現実を考え、将来を前提としたお付き合いで必要なのは十分以上の資金を持っているか、否か、それだけなのだ。

「だから、高校の一恋愛に現を抜かす暇があるなら、将来年収一千万へと到達する方法を考えることこそが、正しい高校生活であり、充実した日々というやつなのだよ」

 モテないと嘆く人間は、ただ甲斐性がないだけである。

 コミュ障だろうが、オタクだろうが、俺みたいな捻くれものだろうが、金さえ持っていれば将来はモテる、間違いない。

「んだよ、それ……まあ、お前の言うことは大抵あってっから否定はしねーけどよ……それってつまんねーよ――」

 と、少しだけ同情するように言ってくる。

 それに、俺は微かに笑って頷いた。

「それが、普通の考えだ。そう言う意味でお前は俺より正しい。だから、考えを変えろなんて言うつもりもないし、言う資格も俺なんかには存在しない。そもそも、誰かが真似できるような考え方だとは微塵も思わないのだから」

 そう言うと、早坂は肩を少しだけ竦めて、窓へと視線を逸らし、笑った。

「だははっ。やっぱ、おめーは面白いな、意味わかんねーけど」

「それは貴様が馬鹿だから、なのだよ…………」

 人生と言う暗い現実は知らないほうが幸せだ。

 俺が親父の信念とそれを嗤う様に壊していった現実を見て、後悔してしまったように。

 現実主義者リアリストとして生きるよりも、空想家ロマンチストとして生きた方が、人生は華やかで、楽しくなることだろう。幸運な人間は、最後までその幻想が壊れず、充実を得ることができるかもしれないのだから。

 窓の外を俺は眺めた。

 放課後、もうすぐ暮れてくるだろう空は、空しくも果てがないように広がっているように見えて、思わず失笑すら浮かべてしまった。

「って、そんなことよりお前、部活動何入るのか決めたのか? うちは一年は皆特別な理由がない限り、何らかの部活動に所属することが推奨と言う形でほぼ強制されてんだぞ?」

 と、思い出したかのように早坂が告げてきた。

 それに、俺は一つ頷き、

「知らん」

 と答える。

「うっぉおおい! 放課後までに決めとけって春ちゃん先生も言ってただろうが!」

「はっ、俺は部活になど入らん」

 何部に入るか、などと無意味な思考をする必要は初めから存在していないのだ。

 だが、先ほどの言葉とは裏腹になるのだが、基本的に学生は部活動に所属すべきだと俺は思っている。勿論それは、友好関係を広げるだとか、青春の汗を流すだとか、出会いがあるかもしれないだとか、そんな下らない理由では断じてない。

 部活とは社会勉強なのである。

 日本に住まい、将来も日本で働くと言うならば、下らぬ縦社会の軋轢、窮屈さと苛立ち、さらにはそれをうまく回避する穏便な対応を今のうちから学ぶべきなのである。

 実際、会社の上司や、先輩に「お前、ちょっとこっちの仕事やっとけよ」だとか「飲みにいかんかね?」だとか、望んでもいないお節介や理不尽を押し付けられることは多々あるのだから、学習しておくことは非常に有用なことである。そこでの対応如何では人生は大きく変わってきてしまうのだから。

 まあ、だからと言って、放課後の自由時間を削ってまで取り組む価値はないと俺は判断するのだけれど。何故ならば、そうして時間を割いてまで、将来に繋がるであろう活動を行っている部活動は存在しないのが普通だからである。

「言うと思った。だが、春ちゃん先生を説得するのは大変だぞ? あの人意外と熱血だし。ちなみに俺は料理研究会に入った」

「聞いてねーよ。つか、相変わらず似合わねーよな……」

 似合わないが、料理の腕は一流である。五歳の頃から包丁を握っているこの俺より料理がうまいとは、流石は定食屋の倅である。

 だが、こいつが包丁を持ってると、強盗か凶悪犯罪者にしか見えないのだから、不思議なものだ。そのくせ作る料理は抜群にうまい、特に親子丼は絶品である。

 久しぶりに、こいつの親子丼が食いたくなった、とそんなことを思っているとチャイムがなって、

『――一年二組、千崎心さん? 君? し、至急職員室、大嶋先生の所まで来てください』

 などと放送で呼び出しを受けた。

「おっ! 春ちゃん先生の呼び出しか? つか、放送の子、お前のこと男女の区別ついてねーな、確かに心って女の名前みてーだしよう」

 なんて早坂は言うが、名前はともかく、俺は全然女らしくはない。

 髪も黒髪で短いし、体付きも確かに細いが筋肉はちゃんとついているし、毛も生えている。一番女性に近しいのは小顔であることかもしれないが、それだって全体を見れば少しも女の要素になりえない。男の娘とか銘打たれて、女性よりも平然と可愛いと言われる男子など、所詮現実には存在していないのである。

「言わなくても分かるっての。別に名前で性別を間違えられようと俺は一向に困らん」

「んじゃ、心ちゃんって呼んでやろうか?」

「気色悪い、死ね」

 俺が言うと、早坂は笑いながら鞄を持って、席から立ち上がった。

「なはは、まあ俺も言ってて気持ち悪くなったな。んじゃあ、そろそろ部活に行ってくるぜい。お前さんも精々春ちゃん先生を説得するこった」

「ふん、俺にかかれば教師の一人くらい容易く説得できるのだよ」

 俺は当然の如く断言する。

 それに早坂は苦笑すると、頑張れよ、と一言だけ残し教室から消え去った。

 幾ら部活動が推奨されているからと言って、義務でない以上逃げ道は幾らでもある。この学校も教師の許可を貰った書類を提出すれば帰宅部でなんの問題もないのだ。

 俺は根拠のない、いや根拠はそれなりにあるつもりの自信を引っさげて、職員室へと向かった。









「な、何故こうなった…………」

 仄かに翳る夕暮の光を浴びている教室の入り口で、俺は膝を屈していた。

 あり得ない。

 俺は今頃、普通に下校をしていたはずなのに、どうしてこんな、まだ部活とも言えないゴミの掃き溜めに、こんな価値のない場所にきてしまっているのか。

 全てはあの悪魔のような教師のせいなのだが、思い出すと腹が立ってくる。しかしながら、不幸なことに、俺はあの教諭と一年間の付き合いをしなくてはならない。そう、思うだけで心の中は絶望に染められていくように感じた。

「ちょっと、あんた。そんなとこで突っ伏してないでさっさと入りなさいよ。相談したいこと、あるんでしょ?」

 五月蝿い。

 何処からともなく聞えた声に俺は苛立ちをぶつける。

 今俺は人生における二つ目の汚点を晒し、後悔の深遠を覗いているところなのだ。

 そもそも、俺がこうなってしまったのは、あの日――

「とぅえええぇいっっ!」

「ごふぅっ!」

 気づいたときには、既に俺は吹き飛ばされていた。

 腹部を貫き、背中へと抜けていく凄まじい衝撃に、思考はおろか呼吸さえも止まった。

「げほぅっ! げっほっ! 痛ってえええええええええっ! 貴様、何しやがる!」

 思考を妨げたのは、少女の華麗なる腹蹴りである。

 白のフリルがほんの一瞬だけ目に入ったが、こっちはそれどころではない。

 何だ、この放し飼いゴリラは……

 どう見ても、手に巻きついたギブスが、けが人だと告げている相手を、普通蹴るか、ありえねーだろ!

 器用に俺の右腕を避けていたのは、彼女なりの気遣いかもしれないが、いらねーよ、そんな気遣い!

 そう思いながら顔を上げれば、そこには――――

 天使のような微笑を浮かべ、悪魔のようににやりと笑いを深める、美少女がいた。

「うるさい! 人の部室の前で、変質者の如く蹲る危険人物を排除しただけよ。ほら、何も問題ないじゃない」

 そう、言った少女は、これまで見てきた誰よりもうざいと思ったが、憎らしいほどに容姿が整っていた。

 地毛であろう鮮やかな茶髪は左側が三つ編みにされていて、あどけない印象が伺える。小さな卵型の顔は純白のキャンパスのようで、ぱっちりとした瞳に桜色の唇が彩りを添えていた。胸はやや小さめだが、それがまた儚さを増しているようにさえ思える。目の前の少女は、生涯でたった数度しか見たことのない(見たといってもネットの写真だが)、そんなレベルの美少女だと確信を持って言える。

 だが、容姿と中身はまた別問題だ。

 俺は腹部に残る鈍痛を未だに味わっているのだ、恨み言の一つくらいぶつけたくなる。

「てめー! けが人だぞ? この右腕に巻かれたギブスが目に入らんのか、暴力ゴリラ!」

「はっ! 男の癖にウジウジと文句言ってんじゃないわよ! 後、誰がゴリラだごらぁあああああっ!」

 と少女は俺がけが人であることを承知の上で、再び臨戦態勢を取った。

 俺は最大限の警戒心を持って少女を見据えていた、が――

 一瞬。

 そう、一瞬だ。

 瞬きをしてしまった、それを悔いた時にはもう、少女の姿は移ろっていて。

 残像を残して、消えた。

 と、思っているといつの間にか俺は首を絞められていた。

「……ま、て、……ぎぶ、ぎぶだか……ら…………し……ぬ……」

 背中に当たっているであろう胸の感触だとか、初めて近づく女の子の匂いだとか、そんな物に気を取られる余裕は一切なく、ただひたすら薄れ行く意識の元、俺は死の恐怖だけを感じていくのである。

 ギシギシと悲鳴を上げる頚骨の音が鎮魂歌を奏でているかのようだった。

 そして、俺は今度こそ、本当に本当の死を覚悟して――

「ま、この辺にしといたげる」

 そう言って少女は確実に決まっていた腕を、俺の首から離した。

「げっほッ! うぇっほっ! げほっ! …………もう、やだ、お家に帰りたい…………」

 俺は死神の足音が去ったのを確認して、ようやく部室の全体を見渡した。

 後方に下げられた幾つかの机。四角に置かれた長机とパイプ椅子、前方にはホワイトボードが置かれていた。

 簡素な部屋だが、部員数一のサークルに与えるにしては豪華すぎる。

「で、あんた誰よ、何しに来たの? まあでも、いいわ、この私――救済部部長、琴月彩音ことづきあやねに何でも言ってみなさい。万難を払いのけ、あんたを救ってあげるわ!」

 俺が教室を眺めていると、琴月とか言う少女はそんなことを言う。

 しっかし、救済部とはまた、大きく出たな。新手の新興宗教かよ。

 色々と矛盾を指摘してやりたい衝動が沸いてくるのだが、とりあえず彼女の問いに答えるならば、今一番して欲しいことは、

「この部活、廃部にして欲しい」

 と、心のままに願望を言った瞬間。

「ふんっ!」

「あべし……!」

 神速の回し蹴りが、肋骨の隙間を抉るように突き刺さった。

 何故だ、俺は確かにお前の要望に答えたはずなのに。

「嫌がらせなら帰りなさいよ!」

「帰れるもんなら帰りてーよ、類人猿! お前がこの部潰すか、大嶋先生を説得してくれれば今すぐにでも帰る」

 そもそも、あの話を聞きやがらない早口教師が全て悪い。俺は悪くない。

 誰が好き好んで放し飼いゴリラと会話なんぞするか、保健所は今すぐ仕事しろ、畜生め。

「誰が類人猿じゃ、ぼけええぇっ!」

 と、神速の拳が眼前でピタリ、と止まって。

「……ってあれ? でも、大嶋先生ってことは………………」

 何故だか考える素振りを示した。そして、

「うぇええええええええええええええええええーーーーーーーーー!」

 絶叫した。

 かなり五月蝿い。

「じゃ、じゃあ、あんたが新しい部員? 嘘、なんでよりにもよって新入部員がこんな口の悪い捻くれ野郎なのよ! 良い人見つけてくるって約束したのに――!」

 俺の何処が口が悪い。

 少なくとも、俺はきちんと日本語を喋っているのだから、類人猿と同格にはされたくない。

 つか、待てよ。

 約束とは、誰と誰のだ?

 考えるまでも無く、それは部長であるこいつと、今口にされていた我が担任。

 つまり――

「貴様かぁあああああああああああああああああっ! 貴様が大嶋先生に余計なこと言ったせいで、俺はこんな所に連れてこられたのかよ! ふざけんな、俺の帰宅部生活を返しやがれ!」

「はっ、こっちだってあんたみたいな勝手な事をしてくれる奴はごめんだっての!」

 そう言い放つ琴月に俺は首を傾げた。

「ふむ、俺は何も勝手なことなどやっていないのだが?」

「あんた……覚えてないの……?」

 信じられない、と言いたそうにこちらを見てくる琴月。

 だが、初対面の相手に勝手をしたと言われては、どうしようもない。顔がきもいとか存在そのものが苛立つ原因だとか言いたいのならば、むしろ正義は俺にあるだろう。

「何が勝手、なんだよ。初対面の人間に蹴りを連発したり、首を絞める貴様の方がよっぽど勝手だろうが」

「……………………そぅ…………って覚えてるでしょ、部活廃止しろとか意味わかんないこと言って! そもそも――――」

 と、何かぶつぶつ文句を言っているが意味が分からないし、聞えない。

 それに部活を廃部にして欲しいのは心の底からの願望だから、どうしようもない。

「と言うか、部活は正規部員が三人以上に加え、顧問を通し、生徒会が承認して初めて部活動になるんだよな。だから今はサークルに過ぎないだろ、ここは……」

「へっ!? そなの?」

 知らないのかよ!

 何で部長なのにそんな間抜け顔で驚いてるんだよ!

 サークル作るときに説明されなかったのか? いや、されているが忘れたという可能性のほうが高そうか。

 全く、ボノボのほうが頭が良いのではないか、仮にも自分の部活だろうが。把握しとけよ。

「そうなのだよ、ちなみに五月が始まるまで――つまり、新入生レクリエーション合宿が終わるまでに部員数が三人を越えなかった場合は、救済サークルとやらはなくなる。そうなれば俺も晴れて、この監獄からおさらばできる訳だ」

 そう、俺が言うと琴月はしばらく頭を抱えるように考え始めて。

 しばらく、うんうんと呻いた挙句、

「そう、ならいいわ。取り合えず今はあんたで我慢してあげる」

 なんて、こちらの意思などお構いなしとばかりに無視して、琴月は傲岸不遜に言い放った。

 だけどまあ、それ自体は構わない。あの教諭に負けた時点で腹は決まっている。

 五月までと言う条件ならば、少なくともこの茶番に付き合ってもいいだろう。

「はぁ……まあ、いいけどよう……で、結局何する部活なんだ、ここ……」

 そう言って俺は椅子を引いて、腰掛ける。

「良くぞ聞いた、奴隷一号」

「猿が人を飼うとか、おめでたい頭だな……」

 と、言った瞬間。

「ふんっ!」

 剃刀のような拳。

「ひでぶッ!」

 そして、あらためて一言。

「で、奴隷一号」

「ひゃ、ひゃい」

 人は圧倒的暴力の前にはこうも無力な存在である。俺は頷く以外に選択肢はなかった。

「我が救済部の活動は、人助けなのだ! それも、ただの人助けではない」

 妙に自信に満ちた琴月が言う。

「学園生活に困る生徒、教員、隣人、さらには他校に至るまで、困っている人々に慈愛の心を持って手を差し伸べる。そうすることで、彼らに新しい世界を掴ませるのだ! 人生を劇的に変化させ、新たな自分を自覚させる、故に救済部なのだ」

 きらきらと光る瞳が言っている。

 どうだ、凄いだろう、と。

 ネーミングセンスはない上に、まるで子供がアニメに影響されて思いついたかのような部活動である。

 俺は、実に下らない、と言いそうになって、止める。

 嘘をつくのは趣味ではないのだ。その相手がたとえ暴力ゴリラだとしても、だ。

 彼女はどうせ気づいてもいないだろうが、この部活動は非常に理に適っている。

「はぁ……」

「何よ、なんか文句あんの! 言ってみなさいよ……」

 俺が馬鹿にしたと思ったのか、彼女は再び拳を構えた。

「わーったからその物騒な拳を引っ込めろ……」

 そして俺はもう一度ため息をこぼして口を開いた。

「琴月、貴様にも一応聞いておこう、学校とは何をする場所だ?」

 すると、琴月は少しだけ考えて、

「そりゃあ、友達作ったり、勉強したり、思い出を作ったりする場所じゃないの?」

 と、杓子定規に答えた。

「そうだな。だが、はずれだ」

 と、俺は言う。

 大きく首を振って、推理小説を解説するように丁寧に続ける。

「学校とは社会勉強をする場所だ。社会に出る前の準備段階、それが学校の存在意義であり、その大部分を占めるのが学業なのだよ」

 何故勉強をしなければならないのか、ともしも俺が問われたならば、こう答える。

 自らの商品価値を高めるためだ、と。

 だけど、これだけではまだ半分。

「これは、俺の持論だが、人間の社会と言うものは0.0001%の成功者が回しているものなのだよ。残り99.9999%は成功者が集めたモブキャラクターに過ぎない。日本の人口に照らせば、約一万人。これが成功者の数だ。そして社会でうまくいく秘訣はこの一万人程度の成功者と縁を結ぶのが一番手っ取り早い」

 人が分かりやすく言ってやっているにも関わらず、何も理解できていないような顔をする琴月に構わず俺は続ける。

「その可能性を少しでも上げると言う意味でお前の活動は遺憾ながら正しい」

 勿論それは正しいだけなのだが。

「…………つまり、私は天才ってことね!」

 にも関わらず、頭をパンクさせた琴月が適当なことを言い出す。

「絶対、お前理解してないだろ! まあいい……つまり、お前の言うように少しでも誰かを助けて恩を売り、コネを作ることは理に適っている、と言っているんだ。成功者の甘い蜜を吸えるポジションにより近くなるだろう」

 つまり、学校の意義のもう半分はコネを作ることなのだ。それを考えれば、この救済部とやらは正しくなってしまう。

 だけど、そんな俺の心からの賞賛に、何故か琴月は不満そうだった。

「なんかそれ、やな感じ」

 しかも、んな世迷いごとを言う始末だ、あり得ない。

「それだけじゃない、仮にその一万人に出会えなくとも、と言うか出会えないのが普通だが、それでも交友関係を越えたコネを作ることは非常に有力なのだよ。恩ってのは友達付き合いを超える確かな力がある。――一般的に言って、大学の方がこの意味合いが強いが、高校だって別に例外な訳じゃない。つまり、学業のほかに部活動を利用して人に恩を売るこの部活は学校生活において、決して悪くないということだ。そこら辺で出会いだとかのたまうテニスサークルや、飯代を稼ぐこともできないサッカー部などよりも遥に機能的且つ建設的だ」

 だけど、それでも。

 俺には関係のないことだ。

 中学時代の友達の数を数えてみれば分かるように、俺は人と関わるのがうまくない。そして、自分がどれ程つまらない人間か自覚もしている。

 そんな社会不適合者にとって、学校と言う舞台は余りにも残酷で、無価値だ。

 だから、この部活も非常に有力で魅力的であると客観的に判断できるが、俺にとってはガラクタ同然。

 絵に描いた餅。

 机上の空論。

 分かりやすい、絵空事。

 それ以上に、

「…………堂が歪んで経が読めぬ、か……」

 まあ、それが俺と言う人間だから別に構わないが。

「何一人でぶつぶつ言ってのよ、気持ち悪い……」

 人がせっかく褒めてやっているのに、琴月は侮蔑で返しやがった。

「ま、幾ら正しくても部員がいなきゃ即解散。この部は終わりだ、なんか当てがあるのか?」

 そんな深刻すぎる問題も、彼女は歪みない自信と共に言う。

「そんなの、簡単よ!」

 それに、俺は少しだけ驚いた。

「ほう、聞かせて貰おうか?」

 そう聞くと、琴月は椅子を引き、足を組んで、視線を投げてきた。相手は明らかに俺より背が低いのに、何故だか見下された気分になってくる。

「依頼者を助ける代わりに、部活動に入って貰えばいいのよ! ね、簡単」

「……お前…………さっき恩を売るのはやな感じとかのたまっていなかったか……?」

「いいのよ、私が言うのは。それに、私の部活に入れるなんて幸せなことじゃない」

「何処の圧政者だよ、お前……」

 その内革命が起こるぞ。その時は俺が先導してやろう。

「まあでも、それだって依頼者が来れば、の話しだろ? クラブ会館の最果てにあるこんな教室に来る物好きがいるのかねー」

 ちなみに俺は、そんな物好きではなく、理不尽教師に連行されてここまで連れてこられただけだ。

 あの人は人の話を聞くことを知らない。

 当初俺は二つの屁理屈を持って、高校生活における部活を回避するつもりだった。

 一つ目、俺は入院していたこともあって、一週間部活に参加できていないこともあり、周囲と馴染むのが難しい。

 二つ目、現在進行形で右腕が使えないので運動部には所属できない。

 これを押し通して、部活動には入りにくいことを説明し、煙に巻くつもりだったのだ。

 だがあの教師はこちらの説明を聞く以前に、

『あ、やっと来た、千崎君。部活動決めた? 多分決まってないよね? 右手怪我しちゃってるし。あ、でも、大丈夫、先生ちゃんと考えてるから。ちょうど良いサークルがあるのよ。可愛い女の子が一人だけのサークルで、将来部活になれば私が顧問になるつもりなの。千崎君は皆と少し雰囲気が違うって言うか、大人びてるっていうか、なんか普通の部活とかあんまし馴染めそうもないし、ちょうど良いと思うのよ。あ、でも、これ別に悪口じゃないんですよ、むしろ褒めてるのです。部長さんはやる気はあるんですけど、落ち着きがないし、一人で色々やると失敗しそうで困ってたんですけど、千崎君が一緒にいてあげたらうまくいきそうって思うのです。これ、教師の勘ってやつですね、結構当たるんですよ! と、いう訳で、今からクラブ会館のほうへ行きましょう。あ、先生荷物持ったげますよ。けが人は、遠慮なんかしちゃ駄目。さ、ほら――』

 と、一言も話せないまま、気がつけばこの教室にいたわけだ。

 なんなんだ、あの教師は……

 良く喋る。というか、喋りすぎる。

 とにかく、一方的に喋って、それが、普通に不快でないのが余計に性質が悪い。大人の美貌と、持ち前の明るさ、それが会話に不思議な色をつけ、聞き手を不快にさせないのが不思議で仕方ない。

 それは多分彼女が好意からくる言動を行っているからなのだろう。現に今回の提案も迷惑でしかないことは代りないが、俺が上げるべき問題点を悉く解決している。

 部員数の少ないサークルならば、参加日の遅れに伴う孤立はなく、さらには運動部ではないのでけが人でも大丈夫というおまけつき。

 つまる所俺は、戦う前から敗北していたのかもしれない。

 ともかく、俺はマシンガンこと大嶋春先生にここまで連行されたわけだが、そうでなければ、会館の三階、それも隅の隅にある、活動方針もよく分からない部員数二のサークルに一体だれが足を運ぶと言うのか。

 蟻地獄でさえ、もう少しまともな場所に作るだろう。

「と、いうか今まで依頼者とかいたのか?」

 そんな俺の至極全うな疑問に、

「…………」

 琴月は黙った。

 しかも、目まで逸らしやがった。

 さらにさらに、口笛を吹きやがる。おい、音出てねーぞ。

 それはもう、無言の体を為してはおらず、ただ真実を口にしているようにしか思えない。

「誰もいねーのかよ! やっぱ、廃部まっしぐらじゃねーか!」

「うっさい! 文句言うな! 不満を口にするな! あんたはもう、救済部の一員なのよ! 責任とんなさいよ!」

 無茶苦茶すぎる!

 これが、あれか。上司の責任を何故か取らされる新入社員。社会の軋轢はやはり部活動で学べることが証明された瞬間である。

 俺は文句を言いそうになって、止める。どうせ何かを口にした瞬間、拳が飛んでくるに決まっている。ならば、ここは適当に受け答えしてやり過ごすのが無難だ。

 どうせ、五月いっぱいで俺は解放される。そうなれば、平穏な高校生活が約束されるのだから、できる限りこいつの好きにさせておけばいいのだ、そうすれば間違いなくこのサークルは潰れる。

 俺はにやり、と笑うとできるだけ平然と言う。

「そうは言うが、俺にどうしろと? 人が来ない相談所に価値はないぞ」

 最近は弁護士でさえ、クライアントに困っているのに、どうしてこんな学生の相談所に人が来ようか。

 そして、そのまま営業停止になれば万々歳という寸法だ。

「じゃあ、拉致つれて来れば良いじゃない!」

 清清しいまでの笑み、だが俺は笑えそうにない。

「おい、今明らかに物騒なこと考えてたよな、な!」  

 教唆の次は誘拐ですか。

 流石は救済教、やることが違う。

「と、いうわけで、明日までに一人、困ってる人を連れてくること、いいね!」

 と、そんなこんなで、俺は誘拐の実行犯を任された訳だが、こんなものが俺の三年間にも及ぶ高校生活を縛る鎖になってしまうとは、この時の俺は露ほども思っていなかったのである。

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