眠り姫
そこは、ただただ白い部屋だった。
壁。天井。床。ベッド。全てが白い、小さな部屋。
天井はそれなりの高さがあるが、部屋の片隅に置かれたベッドから反対側の壁までの距離はさほどない。ベッドから立ち上がって手を伸ばせば中学生でも簡単に届いてしまう。窓は一つもない。唯一の出入り口にはめ込まれた扉もやはり白い塗装が施されているが、材質は硬質な金属だと一目でわかる。
どう考えても、生活をするための空間ではなかった。
ここは、どこ?
ぼんやりする思考を巡らせるが、少女に理解が出来たのはここが『自分のいた病院ではない』と言う事実だけだ。
頭が、痛い。
『中の娘は目覚めたか?』
『騒ぐ事もありませんのでまだかと』
『フム、与えた薬が強すぎたか?』
『我々は眠れる森の美女が目覚める前に事を進めて欲しいのですが』
『なに、この部屋はあの娘の為にしつらえた特別室だ。己の力も操れぬ小娘では簡単には破れぬさ』
何の話だろうか?
自分は、どこで何をしていた?
思考が繋がってくれない。
『ところで……はきちんと……ったのか?』
『は。……からそ……告が』
『怪しい……だな。前……も……がらマス……や……が……』
意識を保っていられない。微睡みの闇に飲まれていく。
扉の向こうから聞こえてきたその会話は、少女にとって酷く大切なものなような気がした。
〈大丈夫。貴女は護るから。私達が、いつも護っているから〉
二度目の覚醒は、はっきりとした目覚めだった。すっきり、とはいかなかったが。
「……っ」
声にならない苦悶。頭が痛い。それに、気分も悪かった。
カレンには未だ経験の無いことだが、カレンの不調は二日酔いのそれに良く似ていた。無論、アルコールによるものではない。
無意識にこめかみの辺りを押さえながら顔をしかめる。
(気持ち悪い……)
胃の中で何かがのたうち回っている。そんな感覚がカレンを襲っていた。胃の内容物がせり上がって来そうになるが、カレンはなんとかそれを嚥下する。耐えること数回。
『目が覚めたようだね』
ドア越しにしゃがれた声。一度、目を覚ましたときにきいているのだが、夢と現実の狭間にいたカレンにはどこで聞いた声なのか思い出せなかった。
「……だ……れ? ここは……どこ?」
フーッ、フーッ、と深く呼吸を繰り返しながら尋ねる。気を抜けば吐瀉物を撒き散らしかねない。
自分の身に異常事態が起きている最中、胸中は不安と恐怖で恐慌寸前だ。かろうじて耐えられているのではなく、体調の悪さがそれを上回っているに過ぎない。
「失礼するよ」
そう言ってドアを開けたのは、腰の曲がった白衣の老人。声と同じくしわがれた肌が頭頂部まで地続きになっている。
「随分と体調が優れんようだね」
カレンの問いに応えるつもりはないらしい。
唐突に腕を掴まれた。抵抗しようとしたが身体に上手く力が入らなかった。幸い、危害を加えるつもりは無いらしく、手首に指先を押し当てて脈を取っているようだった。
状況があまりにも不鮮明過ぎて、どうしたら良いのかが分からない。
自分は、病院にいたのではなかったのか?
老人が何者なのかは分からないが、とりあえず今すぐ何かをされる、ということはなさそうだ。そう判断してカレンはゆっくりと、記憶を辿り始めた。
病院で医師に自動養護施設の所長という老紳士を紹介され、そこに憤怒の形相で東雲が乱入してきた。その後暫くは、東雲が医師や老紳士と東雲が自分の処遇について話し合いを続けていた筈だ。
自分の為にとにかく親身に、真剣になってくれる刑事の姿を思い出し、少し胸が温かくなるのを感じた。
医師たちが退室した後も暫く東雲と話をし、夕刻には彼も帰路につく。問題は、その後だ。
何が、あった?
霞む記憶を手繰り寄せる。
ズキン、ズキンと頭が痛む。
酷く疲れを感じて横になり、そのままベットで仮眠をとった。夕食の時間に声をかけられ一度目を覚ましたが、その後……
(……そうだ。ご飯、食べられなかった)
運ばれてきた夕食に、カレンは手をつけなかった。食欲がなかった。食べたい、と思えなかったのだ。それを心配した看護師が、「無理に食べる必要は無いけど元気になるには体力がいるから」と点滴を用意してくれたのだ。その処置を受けながら深い眠りに落ちて、気がついたらここにいた。
どのくらい眠っていたのだろうか?
自分の居場所どころか時間の感覚さえ混乱していることに、ここでようやく気がついた。
「フム。動悸が激しいようだ。やはり薬の投与し過ぎだな。あの馬鹿者どもが。抑制剤が強すぎれば貴重な被験体が失われると言うのが未だに分からんらしい」
あからさまに苛ついた言葉。この状況でその苛立ちが自分に向けられないことがせめてもの救い、か。
老人はカレンから手を離すと扉の外に声をかけた。
それに呼応して入って来たのは二人の少女だ。白衣を着た老人が医者だとすれば看護師や助手と考えるのが妥当だろうが、如何せん若すぎる。カレンには自分と変わらないくらいに見えた。




