死相
ポタリ、ポタリと頬を伝う雫が落ちてアスファルトに濃黒色のスポットを生む。
噴き出した汗が銀月の白い肌をびっしりと被っていた。
凄まじいまでのエロチシズムが、化け物達の戦場と化した街角に場違いに溢れ出していた。男が見ていれば、その異様さも忘我の彼方に置き去りにし、魅入っていたかもしれない。
吸血鬼の持つ魔魅の力か。元々人間の男だった事の名残か。少年からおぞましい姿に変貌を遂げた残りの二体の怪物は、いつの間にか同士討ちの手を止め、低く唸りを上げながらその複眼に美神を映し出す。昆虫のような瞳がギラリと鈍色の虹彩を放った。それは人間から遠くかけ離れた生命体の明らかな欲情の色。
銀月はその感情を正確に読み取りながら微塵の動揺も見せないままに視線を受け流した。普通の女性なら恐慌に陥るであろう怪物からの視姦に耐えうるのは、強靭な精神的な強さではなく圧倒的な無関心に起因している。
「お前達の遊び相手は私」
いつものように髪を掻き上げながら囁くように一言。まるで警告に聞こえない警告を与えながら、銀月は第二射に備えていた。
高まる熱量。
人体は元々、微弱な電気を発している。心臓・脳・筋肉──ありとあらゆる部位で発せられるその熱量は本来、専用の医療機器を用いてようやく測定するのがやっとの極微弱なものだが、銀月は、その熱量を意図的に操作し、極大レベルへと増幅する事で落雷と同レベルの稲妻を生み出すことが可能だった。人体に内蔵されたプラズマライフルと言って差し支えない。
実用化どころか理論すら組み上がっていない兵器を、自らの身体で体現できる。不死身の化け物が持つ特殊能力の一つ。十分な充電の時間さえあれば、その威力は稲妻を超える。
「多少なりとも同情はするわ。いくら人の道に外れた子達でも、自分の意思と関係もなしに殺戮兵器にされる謂われはないものね。どこの誰だか知らないけど、こんな手段で人を玩具にするなんて、本当に虫唾が走る。でもね、ここは、戦争の道具が闊歩していい場所じゃないの。それが、私達みたいな超兵器なら尚更よ」
パチパチと、銀月の周囲に青白い火花が弾けた。
「制御もされずに死と破壊を撒き散らすなら、そうなる前に殺してあげる」
そこには何もなかった。怒りや憤りに満ちた言葉でも、憎しみや哀しみを帯びた言葉でもない。
当たり前の事実をただ並べているだけ。まるでその日の天気の話でもしているような口調。
コレが銀月という女の本質であると理解させるには十分だった。
「私達は所詮、過去の遺物。誰も知らない歴史の産物なの。禍々しい大輪の花を咲かせても決して実を結ぶことのない徒花。それを刈り取るのもまた、同じ時代から生きて、同じ役割を担った生物兵器の仕事」
銀月の口から語られた言葉を、いったいどれ程の人間が理解しうるのだろうか?
吸血鬼の正体。
それと対峙した怪物の正体。
「残念だけどもう終わり。性能に差が有り過ぎたわね」
とんっと、銀月が地を蹴った。
──ゴアァァァァァァァァァッ!!!
二匹の生物兵器が咆哮を上げた。
人を怪物へと変えた薬物に狂化された生存本能と戦闘衝動が全身に駆け巡り、同時に迎撃の体勢をとるが、遅い。
「ふっ」
腹腔に溜まった息を鋭く吐きながら、舞うように怪物の間を縫った。銀月の細腕が撫でるように、立て続けて怪物に触れる。
圧力を極限まで高めた雷刃が瞬間的に解き放たれる。
先程の一撃とは比べ物にならない強振が二発。
──轟! 轟!
その音は冥府の門を開く片道切符。
二匹の怪物は全身の肉を灼かれ、血を沸騰させてゆっくりと崩れ落ちた。
その場に残るのは血まみれの一つと燃え盛る三つの肉塊。
逃げ惑っていた人々の姿は既になく、化け物同士の戦場は一転して静けさを取り戻していた。静寂の中、ぜぇぜぇと荒い呼吸だけが響く。
「……まったく……余計な体力……使わせて……」
ぼやきの中に色濃い疲労が滲み出ていた。
最強の刃は両刃の剣でもあるのだと、その力無い声で解らぬ者はいないだろう。
頬は痩け、眼下を黒く窪んでいる。汗にまみれた肌は水分を出し尽くしたのかの如く乾き、薔薇の色を窺わせていた唇は皮膚と同様に乾燥し紫に染まっている。
死相。今の銀月の表情を一言で的確に示すのに、他の言葉はいらなかった。
それほどの消耗を迫られるだけの熱量を、破壊の刃として解放したのだ。
不死の筈の女が漂わせる死の雰囲気は、それでも尚、美しかった。




