6、んむふふふ
「ごめんね」私は河野くんの右に座り、彼の顔を見た。
赤く腫れていて、すごく痛々しい。
「井坂さんは何も謝ることないよ。謝るべきは僕の方さ。ごめんね」
そうだなあ、とナルシストは皮肉めいた声を出した。「お前は五十嵐から一万円騙し取ったんだから、悪いのはお前だろうな」
そう言われると、河野くんは申し訳なさそうにうつむいてしまった。
「ちょっと!」私はそんな理不尽に声を荒らげるのを我慢できるほど心が広くない。「それはあんたの指示でしょ! 河野くんは何も悪くないわ!」
「いいねえ、そういうちょっと気が強い所。俺の女に――」
「いやよ」
「即答かよ。まあ、楽しみにしておくよ」
「……!」私はナルシストを睨む。
ナルシストは「そういうところが好きなんだよ」とばかりに、ふっ、と笑った。「それにしても、プロのニラメッカーとのニラメカイズ・バトルは楽しみだな、ハハハ」
だからニラメッカーって何よ、とこの男に訊く気にはなれなかった。
ナルシストがにやけている横で、金髪もまた鼻の下を伸ばしてにやけていた。
このふたりの顔が今、横から見えているんだけど、横から見る金髪はより一層似合ってない。
すると、河野くんの呟く声が聞こえた。「大丈夫、かな」
「大丈夫よ」私は優しくも力強い声色を意識して言った。「五十嵐くんならきっとこいつらに勝ってくれる」
勝手に言ってろ、と金髪が小さく吐き捨てる声も聞こえた。
私は思わず彼を睨んだけど、彼はただ前を見据えていた。「……」
この金髪は、ナルシストに忠誠を誓っているのかな。ボスとパシリという構図じゃなくて、尊敬する上司と可愛がっている部下という構図にも見える。
こんなどうしようもないようなやつらでも、美的な絆があるのかもしれない。そう思うと、宙に数センチ浮いたような不思議な気分になった。
でも、金髪が似合ってないことと生理的に受け付けられないことに、一寸の狂いも生じてはいない。
まさかこんなことになるとは、と私は溜息をこぼす。全く面白くないよ、これ。
――きっと奈美ほどの美人が近付いちゃったら襲われるよ。なんと言ってもそんなボロ倉庫に溜まっているような変な人だから。
ふと今朝の会話が頭をよぎる。
――いやいや、本当に変な人は誰であろうと襲うのよ。
まさか本当に美人じゃない私までこんな目に合うとは……。
ん? ボロ倉庫?
もしかしてここって……。
そのとき、ガチャッとドアノブを回す音が聞こえた。
「待たせたな」五十嵐くんたちが入ってきたのだ。
五十嵐くんは自身のある堂々とした表情で、奈美は真剣な顔。パシリは平常運転で不安げだ。
「おう、待ってたぜ。外で何話してたんだ?」
「こいつの、」五十嵐くんは自信なさげなパシリの肩を抱いた。「正直な意見を聞いていたんだ。お前たちのこと、怖いってよ」
パシリはうつむいてボスから目を逸らした。
「そうか。まあ、ヤクザは怖いもんだからな。でも、」ナルシストは力強い目で目を逸らしている睨む。視線を逸らしているのにパシリはビクッと肩を震わせた。「まだお前は俺たちのものだ。分かってるよな? え?」
「……はい」震えた声だった。
怖がる彼を見て、ナルシストはほくそ笑んだ。「じゃあ、ニラメカイズ・バトルと行くか」
「おう」
「でもその前に、」ナルシストは言いながらゆっくりとパイプ椅子に腰かけ、奈美を指差した。「そこの女も河野たちの横に座りな」
「え?」奈美は目を細め、五十嵐くんは眉毛をピクッとさせた。私はナルシストの意図が分からず、じっと彼を見つめた。
「とっとと座れ」
「……」奈美は渋々、と言った感じで私の右に座った。
「これで、簡単には逃げられねえよな。おい、パシリ。ドアの前に立ってろ」そう言ってナルシストはヒヒヒと笑う。「お前らが何を考えていたかは知らねえが、そう簡単にはさせねえよ」
すると、五十嵐くんが観念した、という困り果てた表情で溜息を吐いた。「このドアは鍵が壊れている。だから、負けたら奈美ひとりだけでも逃げられるよう、ドアの近くに立っててもらおうと思ってたんだけどな」
奈美? 呼び捨て?
「もしかして、」そこでナルシストは座ったまま前傾姿勢になった。「お前ら付き合ってるのか?」
「……ああ」
え? そうなの?
奈美を見てみると、彼女はじっと五十嵐くんを見つめていた。
そうだったの? と私は小さな声で訊いた。
「……ええ」奈美は小さく首を縦に振った。「黙っていて、ごめんなさい」
ふと薫の笑顔が脳裏に浮かんだ。まるで死んだ人を回想するかのように。
まさかこんなひどい結末があろうとは。
五十嵐くんは力強く、声を震わせた。「奈美だけは、お前らに渡すわけにはいかない……!」
彼の台詞を聞き、ナルシストは楽しそうにはしゃぎ出した。「ヒャハ! かっこいいねえ! 好きだよ、そういうの! でもちょっと浅はかだったな。お前らの弱点は俺を舐めすぎたところだ。ヤクザだってバカばっかりじゃないんだぞ」
五十嵐くんはうつむいた。奈美はじっと五十嵐くんを見つめている。
「逆に聞くけどさ、奈美ちゃんじゃない方はどうでも良かったのか? そんな口ぶりだったが」
奈美ちゃんじゃない方。ずばり私のことだろう。
「あいつは……あわよくば、くらいの……」
「おい、委員長。あとでぶっ殺す」
そこで、金髪が一歩前に出た。「じゃあ、ついでにもう一個冥土の土産に聞いちゃおっかな」
「冥土の土産は送るものだ。それとも、冥土に行くのはお前なのか?」
「あっ」金髪は言葉を漏らし、顔を赤らめた。どうやらこっちは本物のバカみたいだ。
「黙ってろボケカス!」ボスがキレると、金髪は「すみませんでした!」と一歩下がる。でも、金髪は懲りずに切り出した。「で、聞きたいことがあるんだが」
「……なんだ」
「お前らは……やったのか?」
こいつはどうしようもない性欲の塊だな、と私は溜息を我慢できなかった。
「やった、って何を」
「とぼけるな! 男女の関係でやったやってないと言ったらあれしかないだろ!」
もう溜息だけじゃ耐えられなかった。「あんた、下ネタ以外頭にないの?」
「うるせえ! 黙ってろブス!」
「あんたに言われるほどブスじゃないわよ! だいたいね、前々から気になってたんだけど、あんた全然金髪似合ってないのよ!」
「うるせえよ! 脱がすぞてめえ!」
こいつ、下ネタしか頭にないのね。私は呆れることしかできなかった。
ボスもこの醜い言い争いに堪忍袋の緒が切れたのだろう。叫んだ。「テメエもうるせえんだよ! 下がってろ!」
「すみませんでした!」金髪は素直にもう一歩下がる。
「で、」ボスは前傾姿勢のまま五十嵐くんの顔を低い位置から覗いた。「やったのか?」
結局こいつもエロしか頭にないのね。
「それは……言えない」
「彼女のプライバシーを守るためってか?」
「……ああ」
「それじゃあ交渉決裂だな。今すぐお前を殺してレイプ開始だ」
ドクッと心臓が震えあがった。
「やめろ!」五十嵐くんの形相は今にもナルシストを掴みかかりそうな怖いものだった。
「じゃあ、言え」
五十嵐くんは悔しそうに靴の底を地面にこすり、うつむいて言った。「……まだだ。俺は奈美としてないし、奈美は俺が初めての彼氏だったはずだ」
あれ? 中学のとき彼氏がいたことがあるって聞いたことあるんだけど……嘘だったの?
奈美の方を見る。彼女もうつむいている。
「本当に? そんなにかわいいのにまだひとりとしか付き合ったことがないの? 奈美ちゃん」
奈美は顔を上げ、見下すように微笑むナルシストと目を合わせた。「……ええ。中学まで、男子が苦手で」
初耳だった。
奈美は、私に今まで嘘をついていたの?
奈美の方を向いたけど、彼女はナルシストを睨んだままだった。「……」
「なるほど。たまにいるよね、そういう娘。じゃあ奈美ちゃんは売春でもしてない限りは処女ってわけね」
「してない」
すると、金髪が「むふふ」と鼻の下を伸ばした。「ひとりエッチとかしたことあるの?」
「ないわよ!」
すると、より一層金髪は鼻の下を伸ばした。「んむふふふ」
うっわ、キモッ。
「じゃあ、そっちの俺好みの娘は?」ナルシストは私ではなく五十嵐くんに訊いた。
「……どうせない」
「どうせって何よ! 確かにないけど!」
「うるせえブス!」金髪が叫ぶ。
「死ね金髪!」私も叫ぶ。
そのとき、何かの着信音が鳴った。
「俺だ」五十嵐くんはズボンのポケットからケータイを出し、その画面を見て顔を訝しそうにしかめた。
「見せろ」
「……」五十嵐くんは少し戸惑いながらもナルシストにケータイを渡した。
ナルシストは勝ち誇ったようにほくそ笑みながら、五十嵐くんからケータイを取り上げた。「なんだこれ」
「いたずらメールだな。メアドも知らないし」
「ストーム・ラブ・ラブ・フィフティーン? わけの分からないアドレスだな」
ストーム・ラブ・ラブ・フィフティーン? それって……。
「じゃあ、」五十嵐くんはナルシストの手から自分のケータイを引き抜いた。「ゲスい話はこれくらいにしてにらめっこ始めようか」
「そうだな」
そのとき、五十嵐くんは自分の腕時計を見て、言った。「今、三時五十九分三十秒か。どうせだから四時丁度に始めようぜ」
「いいねえ」
私もポケットからケータイを取り出し、時間を見る。数字が四十から四十一へ、四十九から五十へ切り替わる度に鼓動が緊迫感を演出する。
「5、4、」五十嵐くんがカウントを始めると、ナルシストも声を合わせ始めた。「3、2、1、0!」
私はじっと目の前の光景を眺める。
ナルシストはまり○っこりのような顔をし、五十嵐くんはしゃがんだ。そして、ほぼ同時にパシリがドアを開け、ナルシストが大きく仰け反った。
「……え?」
次回、ラスト。明日のこの時間更新予定。
もしよかったら少し前に投稿を始めた「VSオカン」もよろしくです。一話目は読了時間一分なので気軽にどうぞ。次話はおそらく明日のどこかで上げるかと。




