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未練がましい僕のピリオド

作者: このはな

「あ、雨」と言って、君が空を見上げたので、僕も上を向いた。

 薄い膜を張ったような雲が広がっている。

「とうとう降ってきちゃったね」

 その小さなつぶやきに、「だね!」と明るく笑い、同意してあげたかったのだけど。


 僕の声は、どうしても君に届かない――。





「それじゃ、木戸くん。そろそろ帰るね。明日、学校が終わったら、すぐ会いに来るから」

 よっ……。

 よっ!

 よっしゃあ~! とガッツポーズ。

 るりちゃんが僕にかけてくれた言葉は、まるで天使のささやきだった。ふわふわと体が宙に浮きかねないほどだ。

「う、うん! また明日。おれ、ここでずっと待ってるからさっ」

 僕がそう言ったのと、るりちゃんの傘がパッと開いたタイミングは同じだった。

 るりちゃんは目を伏せ僕に背を向けると、そのまま歩いていった。石畳の道の先にある階段をゆっくり下りていく。

 水色の傘が完全に見えなくなるまで、僕は彼女から目を離すことができなかった。



 遠くで踏切の鳴る音がした。

 いよいよ雨粒が大きくなってきたようだ。あっというまに地面が黒ずんでいく。

 ああ、僕は一人。たった一人ぼっちなんだ。

 彼女が去ってしまうと、一人でいることの静けさに耐え切れそうになかった。へたりこみそうになる。

 っと、やば。

 ついに、ふらっと足を崩しかけたちょうどそのとき、甲高い声が飛んできた。

「だあっ! おまい、何やってるんだよっ。か~っ、見てらんねえなあ!」

 振り向いたら、小さな女の子が立っていた。ピンクのレインコートと長靴姿。くりっとした大きな瞳の美しい少女だ。なぜだか赤い首輪をした黒い子猫を連れている。

「真っ平らなところでスっ転ぶなよ!」

 そして、もったいないことに、少女は苦虫をつぶしたような顔をしているのだった。

「なんだ、おチビ。また来たのかよ……。言っとくけど、転んでないぞ。ちょっとふらついただけだ」

 僕はうんざりして答えた。

「また来て悪いか。おまいこそ、相変わらず未練がましい奴だな。彼女が帰っただけで、へたるなんてさっ」

「未練がましいって、おれが?」

「あたりまえだ! おまい以外のだれがいるって言うんだよ」

 ふん、ほっとけ! そんな目で見るなよな。だいたい、おまえみたいなガキは、お呼びじゃないんだよ。

 と、心の中だけで思ったはずなのに。

 次の瞬間、激痛が走った。下半身から脳天にまで一気に突き抜ける。

「てえーっ!」

 あまりの痛みに耐えかねて、尻をおさえながらピョンピョン地面を跳ねまわった。

「おまっ、おまえ、年上に向かってよくも!」

「さっき、ウチの悪口言ったじゃろ!」

 つんとすまして、僕を蹴り上げた足を下ろす美少女。その足元で、黒猫がニャアと呆れたように鳴く。

 くっそう。はい、言いました。確かに言いましたとも! 正確には、思っただけですけど。

「おまいが思っただけでも、ウチの耳には、ちゃんと聞こえてる。つーの!」

 はあ、便利、便利。便利すぎてうらやましいこった!

 すると、彼女の片方の眉がぴくっと動いた。

「木戸、もう一発お見舞いしてやってもいいよ?」

「え、ちょっ、それは、えっ!」

 尻をガードするために、僕はあわてて後ろに飛びずさった。





 最近の僕は、この乱暴なJS(女子小学生)によく絡まれる。

 彼女が姿を見せるのは、決まって、るりちゃんと会ったあとだ。どこから来たのか、僕の前にひょっこり現れて、妙なことを言うのだった。

「おまい、このままだと終いには、後悔が残るだけだぞ。できるだけ早く、胸の内にあるものをなんとかするんだな」

 などと言われても、僕にはわからない。

 僕の胸の内にあるものって、いったいなんなんだろう――。



「ねえ、木戸くん。今日は料理クラブの日だったんだよ。あたし、クロッカンを焼いたんだ」

 雨で憂鬱だった昨日とは違い、今日はよく晴れて気持ちのいい天気だった。爽やかな初夏の風が僕たちの前髪を揺らす。

 僕とるりちゃんは、いつものように小高い丘の上で話をしていた。

「久しぶりに焼いたし、おいしいかどうか自信もないんだけど……」

 るりちゃんはうつむき加減に小さな声で言いながら、茶色の紙袋を取り出した。甘くておいしそうな匂いが、ふわふわと漂う。

「わ、うまそうな匂いだな。けど、食べるのがもったいないよ」

 正直言うと、僕は今、食欲がなかった。て言うか、最後に空腹を感じたのがいつだったのか、思い出せない。

 でも、彼女がいっしょうけんめい作ってくれたんだ。めっちゃ嬉しいぜ!

「ありがとう。あとでゆっくり食べるよ!」

 るりちゃんはニコッと笑うと、紙袋を僕に手渡そうとした。が、僕の指が紙袋に触れる直前、彼女の手が止まった。

「ごめんなさい、木戸くん。あたし……」

 彼女の手が震えているのに、僕は気づいた。

 ハッとして彼女の顔を見たら、頬に大粒の涙がいくつも落ちていた。

「バカだよね、あたし。いつまでも、こんなことしてたらいけないって。木戸くんに頼ってばかりじゃいけないって、わかってるのに」

 彼女の声は今にも消え入りそうだった。

「もう二年たってるんだもの。なのに、どうして木戸くん以外の、他の人を好きになれないんだろう」

 その言葉が重くて、とてもつらい。

 そうだ。僕は、とっくにわかっている。

 大好きな彼女をいちばん苦しめているのは、この僕なんだ。僕が未練がましくて、諦めが悪くて、いつまでもこんなところで彼女が来るのを待っているから……――。

 このことを認めたくはなかった。

 彼女を抱き寄せて、なぐさめたかった。悲しみから守ってやりたかった。なのに……。

「るりちゃん……!」

 彼女の名を呼ぶことしかできないのだ。



「ごめん、るりちゃん」

 彼女の耳に決して届かない言葉をつぶやいた。


 僕と彼女のあいだを、初夏の風が吹き抜ける――。





 どのくらいの時間がたっただろうか。すでに日は沈んでいた。丘から見える黄昏の町に、ネオンの明かりが灯っている。

 るりちゃんが帰ったあとも、僕はずっと考えていた。

 考えに考え、そして、ようやく決意が固まったとき、やはり彼女が僕の前に現れた。

「未練がましいおまいが、よく決心したもんだな。本当にいいのか?」

 今日の美少女は、雨でもないのにレインコートを身につけていた。もちろん黒猫も一緒だ。

 君には僕の考えなんか、お見通しだったんだ。そうして、ずっと待っていてくれてたんだね。

 僕は頷いた。

「決心するのに、二年もかかったけどね。ようやく僕の胸の内にあるものが何かわかったんだ。遅すぎたかな……」

「おまいより、もっと時間のかかる者が過去にたくさんいたよ。たとえば、崇徳院とか、将門とか」

 もしかして、少女は僕をなぐさめようとしているのだろうか。

 思わず、ぷぷっと笑ってしまった。

「なんだよ。全部、大物じゃん。僕なんかより」

 少女はムキになった。

「笑いごとじゃない。人間の恨みや未練は、ずいぶん恐ろしく哀れなものなんだぞ。木戸だって、そうなってもおかしくないところだったんだ。それにウチも。この子もね」

「え、君たちが?」

「うん、そうだよ。その証拠に、ウチはいつもこれを着ているんだ」

 少女はそう言って両手を広げ、くるりと回った。ピンクのレインコートの裾がふわっと広がる。

「ウチはともかく、この子は、人間として生まれるのをやめてしまったぐらいだもの。かわいそうな子なんだよ」

「へえ、そうなんだ……」

 少女の傍らにいる黒猫を見た。僕の心中をわかっているかのように、彼はニャアと鳴いた。ゆったりとした動作で、長い尻尾を左右に振っている。

 え、彼?

 フッと笑みがこぼれた。

「今、この猫が男だとわかったよ。そっか、おまえも僕と同じだったんだなあ」

 嬉しくなって、どういうわけか泣きたくなってしまった。熱くなった目頭を制服の袖でゴシゴシ擦る。

 ここを発ってしまったら、僕は自分が何者であったのか忘れてしまうだろう。この制服を着て、るりちゃんと下校デートをしたことも。公園で初めてのキスをしたことも。彼女だけじゃなく、両親や友達、僕のために泣いてくれた人たちすべてのことを忘れてしまうのだろう。

 けれど、僕が忘れてしまっても、みんなに時々思い出してもらえれば、それでいい。あんな奴が昔いたなあ、って笑顔で思い出してもらいたい。

 みんな、そうやって記憶の中だけの存在になっていくんだ。やがて、完全に忘れ去られる運命だとしても。

 やっと受け入れることができた――。


「僕、行くよ。るりちゃんが他の男と結婚するところ見たくないし、自分の墓の前でうじうじしていたってどうしようもないし。それに、この思いを伝えたいんだ、彼女に」

「うん、その意気だ。次に生を受けたときは、もう少し長生きしろよ。迷っていたら、またウチらが迎えに行ってやるからな」

 少女の言葉に、「ぜひ頼むよ」と僕は返した。

 がんばれ。

 声がしたので下を向いたら、黒猫の瞳が金色に強く輝いていた。まるで月の光のようだ。あったかい。


「さあ、目を閉じろ。彼女のところへ送ってやる。最後に夢の中で会うといい」


 僕は目を閉じた。

 るりちゃんの笑顔を思い浮かべる。


 ありがとう。僕は、君に出会えて、本当にいい人生だったよ。

 君の幸せを祈ってる。



おわり


この小さな話は、ずっと前に書いた「おぼろ月夜の猫」と同じ世界観で書きました。

なので、ラストは同じような感じです。


ありがとうございました!

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