第六話 約束の日没
あれから少なくとも10分は経過しただろうか。
僕の頭の中では、さっきの会話が鮮明に再現されていた。
頭で、理解しようと思えば、思うほど拒絶する。
僕は行くあてもなくフラフラと、廊下を歩いていた。
だが、やはり最後に行き着くのは、彼女の病室の前だった。
僕は、できるだけゆっくりドアを開けた。
唯は、相変わらずベッドの上で眠っていた。
ほんの少し、青白くなった彼女の寝顔は、懐かしく感じた。
時間が経つにつれ、僕の心は鼓動を早めていた。
―彼女の記憶が戻りつつあるならば、僕の彼女と一緒にいられる時間も今この瞬間にも、少しずつ削られているのだろう。
―僕はいつまで、彼女の寝顔を見ていることができるのだろうか。
―彼女の左腕は本当に、もう二度と動かすことが出来ないのだろうか。
多くの謎を残しながらも、長い長い夜が明けた。
きっと、彼女が目を覚ます頃には、僕の存在は、この世から永遠に消え去ってしまっているだろう…。
ぼんやりとそんなことを考えていたら、唯が目をさました。
―約束の時間は日没。…もう少し時間がある。
「…唯。」
「あたし…変な夢を見ちゃった。
お父さんとお母さんが飛行機の事故で死んじゃったの。」
彼女は苦笑を浮かべ、頬に残る涙のあとを、洗い流すかのように大粒がつたう。
「あたし…記憶を取り戻さなきゃよかった…。
ううん、それより、ずっとあのまま目を覚まさなきゃよかった…。
リストカットをすれば死ねると思ったのに…生きてるし…。
なんで生きてるんだろう…。つらいよ…。」
僕はかける言葉が見つからなかった。
すべては僕のせい。
僕は、恐怖に打ち勝てなかった。
悪魔と取引をして結局彼女を苦しめてしまった。
―ごめん…、ごめん…唯。
「…歩くんは、ずっとあたしのそばにいてくれるよね?あたしを一人にしないよね?」
―それは、多分『友達』として…。
「…うん。もちろんだよ。」
できることならそうしたい。友達としてでもいい。
ずっと…そばにいられるなら…。
「…よかった。ありがとう。」
そういって彼女は涙を流したまま微笑む。
…そろそろ日没だ。
「僕、約束があるから…ごめんね。
…ありがとう。
好きだよ、唯。」
僕はそう言うと、後ろを振り返らずに病室のドアを閉め、走り出した。
さようなら、唯。
今まで本当にありがとう。
死ぬほど好きだったよ…。