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世界史A  作者: MICKEY
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第8話「アメリカ合衆国の発展~南北戦争~」

アメリカ合衆国は1783年、パリ条約により「ミシシッピ以東のルイジアナ」を手に入れる。この時の大統領は「ジェファソン」。

更に20年後の1803年には「ルイジアナ」(ミシシッピ以西)をフランスから買収し、領土を倍増させた。


1812年、「米英戦争」が起こるも勝敗は決せず。しかしこの戦いで合衆国は「経済的自立」を達成。第2次独立戦争とも言われる。


1819年、「フロリダ」をスペインから買収。「モンロー」大統領が1823年に「モンロー宣言」を出し、ヨーロッパ諸国との「相互不干渉」を主張。孤立主義とも言われる姿勢であった。


「テキサス」は1836年に独立、45年に合衆国領に。


更には1846年「オレゴン」を併合、イギリスとの領土国境は「北緯49度線」に決定する。


1848年、「米墨戦争」により「メキシコ」と交戦。合衆国は圧勝し、「カリフォルニア」を獲得。

カリフォルニアにディズニーランドがあるのは「米墨戦争」のおかげじゃなイカ?

これにより合衆国の領土は大西洋岸から「太平洋岸」にまで到達した。


更にこの年、カリフォルニアで金鉱が見つかり、「ゴールド・ラッシュ」が起こる!

イイネ!ビッグサンダー・マウンテンだね!西部の人口は急増した。


19世紀の合衆国の歴史は「西部開拓」時代。

東部やヨーロッパからの「移民」は、自分の「実力」だけを頼みに「フロンティア」を開拓していった。

彼らは先住民や環境との戦いの中で、「自主・自立の精神」、フロンティア・スピリッツを育んで行ったのだ。


フロンティアが西に移動していくことを「西漸運動」という。


開拓された場所は広大な「農耕地帯」となり、更に開拓による人口増加で東部の工業にとって豊かな「国内市場」が形成された。

西部出身の最初の大統領「ジャクソン」は、「民主主義」を進展させ「ジャクソニアン・デモクラシー」を巻き起こした。


1830年、「インディアン」はミシシッピ川以西の「不毛な保留地」へ強制移住させられ、抵抗する先住民たちは合衆国軍と熾烈な戦いを繰り広げ、「人口激減」となってしまった。



その後、合衆国は南北に分かれることとなる。


北部は「商工業」が中心、「関税」で外国から安い商品が入ってくるのを防ぐ「保護貿易」を主張。

政府による中央集権的政策=連邦主義の「共和党」が中心の政党。奴隷制には反対の「自由州」。


南部は黒人奴隷を使用する「プランテーション」を経営。

原材料を輸出し、安価な工業製品を輸入する為「自由貿易」を主張。

州ごとの独自の政策=集権主義の「民主党」が中心の政党。奴隷制には賛成の「奴隷州」。


「西部」への開拓が進むにつれて、「新しい州」をめぐり南北対立が激化。


そんな中、奴隷制反対運動が幕を開ける。


1852年「アンクル・トムの小屋」。「ストウ夫人」が著した物語だ。

奴隷制反対を訴えかける物語となっている。


1854年に「共和党」が結成。1860年には「リンカン」が大統領に当選する。

これを機に南部はアメリカ合衆国から離脱、「アメリカ連合国」に。


1861年から1865年、「南北戦争」。南軍が「サムター要塞」を襲撃したことにより開戦した。

初期は南軍の士気が高く、「リー将軍」のもとに優勢であった。


しかし、リンカンが打開策を生み出す。


1862年「ホームステッド法」(自営農地法)。未開拓の地で5年働けば、その土地を無償で得られるというものだ。

これにより「西部農民」はもちろん北部を支持。これで拍者のかかったリンカン率いる北部は1863年「奴隷解放宣言」を発表。

これにより「内外世論」の支持を獲得し、同年の「ゲティスバーグの戦い」で南部に勝利。

翌1864年には北軍は「グラント」を総司令官に任命(後に大統領に)。

1865年、南部の拠点「リッチモンド」をが陥落し、北部は南北戦争に勝利する。


その結果、「合衆国の再統一」が行われた。


リンカン「フーーーハッハッハッハッハ!人民の人民による人民のための政治が勝利したのだ!」


とか何とか調子こいてたリンカンは「南北戦争」終結の5日後に暗殺されたという。

まさに「時の人」だったのだろうか。


この「南北戦争」は「the Civil War」(内乱)と呼ばれる。



1867年「再建法」。だがこれは1年しか続かず、終了後は黒人の権限が削減される。

また「合衆国憲法修正第13条」により奴隷制度は全面廃止されたが、黒人は土地をもらえず、結局は「シェアクロッパー」(分益小作人)となり、貧しい生活を送った。

このように、解放されても黒人への「法的社会的な差別」は解決されないままだったのだ。


例の「ホームステッド法」の影響で、西部は世界一の「大農場」に発展。更には1867年に「アラスカ」をロシアから購入。

1869年には「大陸横断鉄道」開通、これにより東部の「工業」生産力と、西部の「農業」生産力と「国内市場」が結合した。


1880年代には工業生産・小麦生産量ともに世界一。1876年、「ベル」は電話を発明。1879年には「エディソン」が電灯を発明するなど、時代が進んで行った。


1890年代、「フロンティアの消滅」。



このような合衆国の繁栄を支えたのは、「移民」の流入だった。


ジャガイモ飢饉による「アイルランド」移民、諸民族の春の失敗による「ドイツ」移民。

1860年ごろの「中国」からの苦力(クーリー)と呼ばれる移民、ハワイへの集団移民をした「日本」移民など。

更に1880年代にはイタリア移民の急増。ロシアで迫害された「ユダヤ人」の移民も。


様々な移民たちの労働力に支えられ、アメリカ合衆国は成立したのだ。

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