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喫煙人形

作者: 文屋カノン

 大阪旅行をした時に浮かんだ小説です。大阪以外にもハワイやサイパンの描写も出てきます。

 

旅行記感覚で楽しんで頂けたらなと思います。



 つまり自分は、作家に向いていないのだと小笹(こざさ)は思った。

ヨーロッパ旅行が、洋行と呼ばれていた時代について、書かれた随筆を、目にした時のことだ。当時その洋行とやらを行なった作家にとって、訪れた国を舞台に小説を執筆することは、文壇及び読者への、土産のようなものだったらしい。

 その時代、欧州行きは、特権階級のみに許される稀少な経験だった。欧州の風土を紹介する書物には現代以上の価値があった訳だ。

 だがそれだけの理由なら、旅行記でもよかったはずだ。要するに洋行経験というチャンスだけなら、ヨーロッパを舞台にした小説は誕生しない。ならば自分には無理だろうと、小笹は諦めた。

 現地の男と寝るなり、犯罪に巻き込まれるなりといった、ドラマティックな体験でもすれば別だ。けれど小心者の小笹には、おそらくそこまでのハプニングは、起こらないだろう。

 新婚旅行でハワイへ行った時も、うっかり者の(さと)が(し)早速、機内にパスポートを忘れた。しかしガイドにその旨を説明すると、数十分待たされただけで事なきを得た。

 その四年後に、聡はハント症を患った。顔面麻痺が治癒しない可能性があったが、せめて神経痛だけは押さえ込もうと、病院に足繁く通った。ブロック注射を打つためだ。聡曰く「発狂しそうなほどの痛み」が消えてからは、麻痺を完治させるために通い詰めた。

 ところが医者に

「もうこれ以上、注射を続けてもよくはならないでしょう」

 とさじを投げられた。医者にとって患者は聡だけではない。だからこれ以上治療を続けても、完治の見込みが無いと思えば、切り捨てることができる。

 初診の際、放っておいても治癒率が高い、ベル麻痺だと誤診されたこと。その後ハント症特有の耳の発疹を夜中に見つけ、慌てて夜間外来に駆けつけた事実。そこまでしても、夜間だったからという理由で、充分な量の薬を処方しなかった病院側の失態。そんなことなど、医者の知ったことではないのだ。

 西洋医学に不審を覚えた聡は、整体や電気針の治療に通い酸素カプセルに入った。顔面麻痺には顔の冷えがよくないからと、顔用のカイロも購入した。顔の血流をアップするためにと、顔面マッサージ機にまで金を投じた。

 そして挙句の果てには

「サイパンへ行って海に浸かれば、治る気がする」

 と根拠の無いわがままを言い出した。

 顔面麻痺が辛いことは、共に生活する小笹も承知していた。顔がアシメトリーになり、見映えが悪くなることもさることながら、しょっちゅう患部の筋肉がつってしまう。それによって、首の筋肉まで強張り、頭痛やめまいの原因になる。

 だが、サイパンの海水に浸かったからといって、麻痺が治るとは小笹には思えなかった。だったら自宅の浴槽に粗塩でも入れて、顔を突っ込んでいればよい気がした。

 聡は旅行用の資金のために、独身時代に購入した、リャドのシルクスクリーンを売ると言った。そうはいっても、バブル時代に入手した絵画など、たいした資金になるはずが無かった。どうせ足が出た分は、生活費で穴埋めをする羽目になるのだ。

 小笹は異論を唱えたが、聞き入れる聡ではなかった。そもそも聡のハント症は、聡が小笹の意見に耳を貸さなかったゆえに、発症したという事実は、聡にとってどうでもよいことだった。

 公共交通機関の発達していない、田舎に住んでいながら、あの頃まだ聡はバイクの免許しか取得していなかった。ある土曜日、小笹は月経困難症で七転八倒した。聡はまさかバイクに小笹を乗せる訳にいかず、救急車を呼んだ。

 駆けつけた救急隊員に、かかりつけのレディースクリニックを告げると、小笹はそこへ搬送された。そしてベッドに横たえられた小笹は、ドアを開けるなり

「どうして救急車、呼んだんですか」

 と冷徹な声を浴びせる、かかりつけ医を見ることになった。

 この地方では、一人一台車を所有しているのが常識だ。だから聡が付き添ったというのに、救急車を要請した行為は、不適切と見なされた。車が幅を利かせる地域に住む三十六歳の男が、まさか自動車免許を持っていないとは、医師は考えもしなかった。体の弱っている時に夫の異常さを指摘され、小笹はすっかり気が滅入った。

 しかしながら、爪に火を点すような節約生活のおかげで、ある程度の貯金はできていた。そこでその救急搬送をきっかけに、聡は自動車教習所に通うことになった。

 でもその後がいけなかった。会社に勤めながらの、免許取得だというのに、聡は教習所のスケジュールを詰めすぎたのだ。

「そんなきつきつに予定入れたら、体壊すよ。もっとゆとりを持った計画を立てなよ」

 という小笹の常識的な提案を、聡は聞き流した。

 聡がそういう人間だということを、小笹は先刻承知だった。そもそも聡が

「俺にぴったりの服を、タケオキクチで見つけたんだ」

 と、「馬耳東風」を模したTシャツを得意げに着ていたからこそ、小笹は聡に好意を持ったのだ。

 そんな経緯がありながら、人の話を聞かない聡を、諭すことができるだろうか。できる訳が無いと考え小笹は口を閉ざした。聡は自分で転んでみなければ分からない人間なのだ。このままいけば、聡はおそらく、風邪でもひいて倒れるだろう。

 その小笹の予想は外れた。聡は風邪ではなく、ハント症になってしまった。

 風邪は万病の元とはいえ、通常は肺炎になって死にさえしなければ、大抵の場合取り返しがつく。しかしながら、ベル麻痺ならまだしも、治療しなかった場合の治癒率が三割程度のハント症では、取り返しがつかないことが多い。

 現に聡は、県内で一、二を争う有名病院を受診したのに、新米の医者が薬を少なく処方したため、後遺症が残ってしまった。

 小笹は全く気が進まなかったが、聡がしつこくせがむので、仕方なくサイパンへ旅立った。そしてエコノミークラスで、体中が凝り固まった。小笹だけではなく聡まで全身の凝りを訴えた。どうやらサイパン旅行は、顔面麻痺に無効どころか、有害な気配が濃厚になった。

 とはいえ、飛行機はすでに飛び立っていた。今更引き返す訳にはいかなかった。二人は重い体を引きずるようにして、空港に降り立った。ハワイを知っている二人にとって、サイパンは寂しい地域に思えた。

 ホテルでチェックインを済ませた後、二人は滞在中の飲食物を購入するためにスーパーへ向かった。その道すがら、現地の女と思しき人物にマッサージのチラシを差し出された。二人は足を止めた。買物をする前に、ちょっとばかり揉んでもらえば、少しは元気になるかも知れない。そんな期待が芽生えた。

 二人は即座に、意思決定を行なうと、女に「お願いします」と頼んだ。女は濃いルージュを塗った若々しい唇で、「オーケイ」と答え、道端に停車していた車に乗るよう促してきた。

 なぜ車に、乗らなければならないのか。女がチラシ配布をしていた建物には、日本語で、「マッサージ」と書かれた看板が出ているではないか。ここでマッサージをするという、意味ではなかったのか。

 小笹の疲労した脳に小さな疑問が浮かんだ。けれどそれは、いそいそと助手席に乗り込む女の姿と、躊躇無く、後部座席に乗り込む聡の行為によって、一瞬弾けた。だがハンドルを握る男のいかつい後姿が、小笹に淡い警戒心を起こさせた。

 そんな小笹の思いを露ほども悟らず、聡は

「どこに、行くんだろうね」

 とおっとりした顔立ちで、のん気に笑っていた。聡がこの事態を全く恐れていないことを察し、小笹の疲れきった脳に電気が走った。

 以前何かで、サイパンのマッサージ屋は危険な場所が多いと、記されていたことを小笹は思い出した。行くなら必ず、事前に調べた店でなければならないと、その文書は警告していた。

 普段の小笹は、石橋を叩いて割ってしまうほど慎重だ。それなのについその注意を忘れたのは、日本を出立する前の晩、緊張のあまり一睡もできなかったからだ。小笹は心配性のため、海外へ行くことになると、トラブルを恐れ眠れなくなる。

 そして結果的に、睡眠不足によるトラブルに遭遇するという、負のスパイラルに陥りがちだった。寝不足のおかげで、機内ではよく眠れたが、日本からサイパンなどたいした距離ではない。小笹の心身には疲労が残っていた。

 もちろんだからこそ、小笹はマッサージを、受けようと思ってしまったのだ。だが何も異国の地で、会ったばかりの男女の車に乗る必要は無い。

この時さしあたって問題だったのは、その男女が、片言とはいえ日本語が話せたことだ。

 これでは窓の外を流れる、ひなびたガラパン地区の風景を、凝視している聡に

「このままじゃ、危ないんじゃない?」

 と注意を喚起することもできない。そういえば日本人の臓器は、高く売れるらしい。

 小笹が最悪の事態を想定していると、車は三分も走らない内に、マッサージ屋の前で止まった。どうやらマッサージは、してもらえるようだ。小笹は一瞬安堵した。それなのに女が降りた途端、車は再び走り始めた。運転席の男が片言の日本語で、近くにマッサージ屋があるから、そちらへ行ってもらうと言った。

 小笹は信用しなかった。あの女がチラシを配っていたから、あの女に、施術してもらえると思ってマッサージを頼んだのだ。それなのに、あろうことかあの女は、客であるはずの自分たちの車に便乗して河岸を変えただけなのだ。おそらくあの女は、客引き専用だったのだと小笹はうなだれた。

 男は女を、マッサージ屋の前で降ろすことによって、自分たちがマッサージ屋であることを、できるだけ長く、自分たちに信用させるつもりなのだろう。そして時間を稼いで、アジトへ向かうのだろう。そう考え小笹は絶望的な気分になった。

 すると傍らの聡が

「何だ、マッサージ屋の前で止まるから、その店に行くのかと思ったのに、まだ店があるんだね」

 とこの期に及んで、無邪気に感心していた。

 その楽天的な発言を聞いた時、自分がしっかりしなければならないのだと、小笹は決意した。すると運転席の男が、とうとう車を駐車した。男は浅黒い手で、小笹と聡に目の前の建物に入るよう指し示した。その建物にはマッサージのマの字も無かった。小笹は注意深く辺りを伺いながら、ドアを開ける男の後に従った。

 コンクリートに、カラフルなペンキが塗りたくられていた外観同様、屋内もうらぶれた華やぎが漂っていた。その疑わしい空気の中で、六人のうら若い女たちが、ソファーや椅子に思い思いのポーズで座っていた。

 なぜマッサージ屋なのに、施術師が女だけなのか。小笹が怪しんでいると、女たちが小笹と聡に椅子を勧めた。六人も手隙の女が待機しているのに、なぜすぐマッサージを始めないのか。小笹が不審を覚えていると、一人の女が茶を運んで来た。

 日本のマッサージ屋でも、茶や水のサービスがある所は珍しくない。だが日本では通常、飲み物が振舞われるのは施術後だ。ひょっとしたらこの飲み物には、睡眠剤でも入っているのではないかと、小笹は勘繰った。自分たちは金満日本人と間違われ、懐を狙われているのではないか。

 何の疑いも感じていない聡は、さっさと茶に手を伸ばした。小笹は慌てて

「お腹が、痛い」

 と顔をしかめた。聡を始め女たちが口々に「大丈夫?」と尋ねた。

 ホテルに鎮痛剤を、置いて来てしまったから、それさえ飲めば大丈夫だ。だからホテルの近くまでまた送って欲しい。薬を飲んだらまたすぐ来る。そう小笹は提案した。すると呆気無いほど簡単に先ほどの男がハンドルを握り、小笹と聡を、元いた場所まで送ってくれた。

 車を降りてから、実はあれは演技だったと小笹は聡に伝えた。聡は驚いていたが

「まあでもお腹痛いのが嘘でよかったよ。マッサージはやっぱり、安心できる所を、事前に調べてから行こう」

 と答えた。

 この素直さは聡の長所だ。ただ願わくは、もっと危機管理意識を持って欲しかった。

 しかし小笹が、機転を働かせて、マッサージ屋を逃げ出したことが正しかったのかどうかは、よく分からなかった。その後、安心なマッサージ屋を調べて、来店したところ、河岸は変えられなかったものの、やはり施術師は女だらけで、施術前に飲み物を飲まされたからだ。

 女の施術師が多いことや、施術前に水分を摂取させること。それはサイパンの特徴なのか、それともたまたま、そういう店に当たったのかよく分からなかった。そうなってくると、最初に演技をして逃げ出した店が、怪しかったのかどうかもよく分からなくなった。かといって、それを解明する気にもなれなかった。

 その旅行は、あくまで聡を海に浸けることが目的だったからだ。そして海水に浸かった聡は、言うまでもなく麻痺が治らなかった。

 旅行記ならいいと思う。嘘から出たまことであの後、小笹は本当に腹痛に襲われた。それしきの経験でも、もっと詳細に面白おかしく書けば、それなりのものになると思う。けれどその経験を小説という形に昇華させる自信が、小笹には無かった。

 せっかく異国の地で、異文化に触れていながら、小笹はインスパイアされなかった。それは自分が、作家に向いていないということだと、小笹は悲哀をもって解釈した。

あ る新人賞では四次審査までいった。旅行が契機でなくとも、小説は三十ほど書いた。旅行絡みではないが、小説のネタはすでに五十ほどある。そんなことは小笹にとって肝心ではなかった。小笹は作家を本気で目指し始めてから、四カ国を訪れた。それなのに何のインスピレーションも湧かなかった。

 およそ現代人にとって、海外旅行は、最も感性を揺り動かされる経験の一つだろう。それほどの経験をしても、その事実によって小笹の脳裏には、何のネタも閃かなかった。

 自分は作家に向いていないのだろう。その憶測は、小笹の心をさんざめかせた。あの素敵な男には、自分のような醜女よりずっとふさわしい女がいると、頭では分かっていても、恋の炎を消せない女と同じ気持ちで。

 ところが昨年、聡と出かけた川越の地で小笹は小説を受胎した。たった一泊二日の川越旅行で、小笹は小説をその身に宿した。

「感性には聴覚や味覚同様、生まれつきの鈍さや鋭さがあります。ですがそれは、訓練によって鍛えることが可能です。そのためには同じものを繰り返し読むことと、自分で文を書くことです」

 これは四年前に、県立文学館で行われた「創作を志す人たちの集い」という座談会で、館長が放った一言だった。

 小笹は幼い頃から貧乏だった。従って必然的に、同じ本を繰り返し読んでいた。また小笹は相当な筆まめだった。友人とは大抵、長文メールを送り合っていた。またエッセイや小説の投稿回数は、実に六十回に及んでいた。

 妊娠しにくい体質であっても、繰り返しセックスをすれば、妊娠の可能性は高まる。それと同様に、鈍い感性であっても繰り返し文章を綴ることにより、感性は研ぎ澄まされ、小説を身ごもることができるようになるのかも知れない。そんなことを考えながら、小笹は川越を舞台にした小説を産み落とした。

 投稿先は、〆切も随時なら発表も随時だった。そのため、その小説が受け入れられたのかどうか分からないまま、小笹は半年の間に更に四つの小説を産んだ。それらのネタを書き留めたのは、もう四年も前だというのに、小笹の頭には、新たな小説のネタが浮かんでいた。酷い時には一日に十も湧き出した。

 ネタを書き留める作業と、古いネタから順に、小説という形に完成させる作業に、追われる日々が続いた。その後小笹は更に新たな小説の執筆に手をつけながら、聡と大阪旅行の計画を立てた。

 川越旅行から、まだ半年しか経っていなかったからといって、小笹と聡が裕福な訳ではない。ただ単に聡の会社が、数年前に大手企業に、吸収合併されたことが原因だ。聡がそれまで勤めていた会社にはリフレッシュ休暇の制度があった。一方、合併先の会社にはその制度が無かった。

 ゆくゆくは、合併先の会社の形態に沿い、リフレッシュ休暇が無くなることは、聡も小笹も承知していた。それが来年から実施されることが決まっただけの話だ。今年中に遠出をしておかなければ、もう当分、チャンスは無いかも知れない。その危機感が二人に大阪行きを決意させた。

 また聡は、自分の四十一歳という年齢に焦っていた。九年前のオープン以来、USJに憧れていたからだ。あの手の遊園地というものは、若ければ若いほど楽しめる。

 もっとも若さにも限度はある。例えば幼児には、USJは向かない。彼らはセサミストリートのショーすら、「怖くない?」「噛まない?」と両親におびえて尋ね、挙句、館内放送を無視して座席を離れ親の膝に乗り、3Dの映像におびえ声をあげて泣く。

 しかしそんなことは、四十路を迎えた聡には、関係の無いことだった。加えて聡と小笹には子供がいなかった。彼らは少しでも若い内にUSJを体験したかった。また小笹が、無料のネット占いで調べた結果も、彼らの決意を堅固にした。その年の聡の開運スポットが、大阪の万博記念公園だったからだ。

 九年前から憧れていたUSJへ行き、ついでに万博記念公園へ寄れば、開運までできるのだ。それは願っても無い話だった。だが聡は、つぶらな瞳を真摯に輝かせながらこう言った。

「でも今年は、小笹が十二年に一度のラッキー年なんでしょ? だったら小笹の開運スポットに、行った方がいいんじゃない?」

 こんな提案をしたからといって、聡が以前から、占いを信じていたという訳ではない。聡はごく一般的な男同様、占いに興味が無い。聡はただ単に、作家を目指す妻を応援しているだけなのだ。

昨年の終わり頃から

「来年は十二年に一度のラッキー年だっていうのに、それでも新人賞を受賞できなかったら、あたしはどうしたらいいの」

 と騒ぎ始めた小笹に、聡は影響されていた。

 そこでどうせ旅行に行くのなら、小笹の開運スポットへ、行くべきではないかと考えたのだ。

「だってあたしの開運スポットは沖縄だよ。遠いよ」

「でも俺は特に開運しなくてもいいけど、小笹は今年、開運しなきゃ困るでしょ」

「何言ってるの? 夫婦は一心同体なのよ。聡の開運イコールあたしの作家デビューかも知れないでしょ。聡は早く、あたしに作家になってもらって、お金貯めてまたハワイに行きたいんでしょ。聡の開運スポットに行っとけば、それが叶うかも知れないでしょ。それに魚座の占いには、身の丈に合った旅行をしろって書いてあるし」

 魚座の小笹は熱心に訴えた。今年が本当に、小笹にとって十二年に一度のラッキー年になるかどうかは分からない。ただ魚座は、スピリチュアルなものに、惹かれやすい傾向があるというのが、西洋占星術の分析だ。少なくともその点に関しては、当たっているといえよう。

 ただ小笹が、スピリチュアルなものに惹かれていようといまいと、聡にとってはどうでもよいことだった。小笹は占いに、大金を投じなかったからだ。

 小笹はせいぜい年に数冊、占い特集の載った雑誌を買う他は、見料が五百円ほどの、通りすがりの占い師に手相を見せるくらいで、あとは無料のネット占いを利用していた。しかも小笹は、生まれてこのかた、金に困らなかった経験が無い上に、体が弱かったため聞き上手だった。

 貧乏でありながら、虚弱体質であるということ。それは人情を受けなければ、生きていけないということだ。だから小笹は、人さまのお情けを頂戴するために、聞き上手になった。従って薄利多売の占い師であっても、時間オーバーして、小笹の相手をすることが多かった。

 安い見料の占い師のアドバイスに、価値があるという前提で考えるなら、小笹が数年に一度、ワンコイン占い師の対面に座ることはお買い得と言えた。また小笹は、占いのアドバイスも無理の無い範囲で行なった。例えば衣類の整理やアイロンがけを、満月の日に行なうといった具合に。だから聡は別の観点で質問をした。

「沖縄は身の丈に合ってなくて、大阪なら身の丈に合ってるの」

 実は小笹に言わせれば、沖縄どころか大阪も、二人の身の丈に合っていなかった。高速道路の上限が二千円という、当初の政府案が実行されれば、自家用車を使うことにより、大阪は二人の身の丈に合った。けれど幹事長が茶々を入れた。

 幹事長のその行為が、反幹事長派である国土交通相への嫌がらせ及び、国民への目くらましだということは、小笹も聡も分かっていた。しかしそんなことは二人にはどうでもよいことだった。二人は先の衆議院選で今の与党に投票していなかった。つまり政府に、何の期待もしていなかったからだ。

 ただはっきりしていたことは、二人が旅立つまでに、高速料金がどうなるのか、さっぱり分からないということだった。だから小笹は、「分かんない」とつぶやいた後

「でも沖縄は、大阪より遠いから」

 と付け足した。

 今言えることは、二人は政府を、全く信用していないということだけだった。とはいえ二人が、政治というものを信用していた時代などは存在しなかった。とはいうものの、二人がいつの時代の与党も、信用していなかったことなど、旅の行き先を考えるにあたっては無関係だった。

 関係があったのはむしろ、哨戒艦沈没事件が、報道されたことだった。西洋占星術によるとその年、北朝鮮は韓国を挑発するもののたいした影響は出ないとのことだった。だが朝鮮戦争が再開するのではないかと二人は訝った。心配性の小笹は、特におののいた。

 小笹は占い好きでありながら、北朝鮮の韓国への攻撃の予言が、当たったことの方にたじろいだ。それでいて、旅行などしている場合ではないとは、思わなかった。隣国で戦争再開の気配があるのなら、むしろ今の内に旅行をしておいた方がよいというのが、小笹の考えだった。

 そしてそれは聡も同様だった。それはもしかしたら、聡がかに座だからかも知れない。西洋占星術によると、かに座は旅行好きということになっている。

 そして実際に、聡は旅が好きだった。紛争地を旅先に選ぶほど向こう見ずではないが、戦争の可能性を察したなら、早いところ旅行をと考えるタイプの男だった。だから二人は心配した。朝鮮戦争が再開すればガソリン代が上がるのではないかと。そこで二人は、自家用車による大阪行きを諦めた。

 ところが聡が、新幹線に難色を示した。世の中には四人家族が多いのに、JRは六枚綴りの切符を発行しているからだ。そのやり方を聡は汚いと感じていた。

 すると小笹が

「だからといって、近場じゃあるまいし、高速バスって訳にはいかないじゃん? あの元気なしげりちゃんでさえ、高速バスで関西旅行してくたくたになって、『もうこりごり』って言ったんだよ。しかもあたしたちが向かう先は、USJだよ。最高のコンディションで臨まなきゃいけない場所だよ。ここで金ケチって、高速バスで行って、疲れ果てて、結局USJを堪能できませんでしたなんてことになってごらん? とんだ金の無駄遣いだよ」

 と反論した。

 今しがた名前の出た、「あの元気なしげりちゃん」というのは、小笹の友人たちの中で、最も体力のある女だ。特に恰幅がいい訳でも無ければ、健康に留意してもいないのに、しげりは小笹の友人たちの中で、最も健康に恵まれていた。

 だからしげりが音を上げる移動手段など、腺病質の小笹には、無理な話だと判断するバロメーターになった。そこで聡は

「じゃあ新幹線、調べてみるよ」

 とあっさり折れた。

 だが口ではそう言いながら、聡はホテル探しを始めた。聡は基本的に正直者だ。とはいうものの、発言と行動を一致させるに当たる言葉数が足りないタイプだった。そのため結婚当初は、こういった類のことで、二人はよく小競り合いをした。小笹は嘘をつく人間が大嫌いだからだ。

 ただその都度、聡には言い分があった。例えば今回の件に関して、聡はそもそもホテルを最優先で探すべきだと考えていた。大阪を目指す手段には、ある程度しか選択肢が無い。一方ホテルには無数の選択肢があるからだ。

 平日出発なのだから、新幹線と決まった以上は最悪、当日に駅で切符を購入すればよい。しかし条件のよいホテルは、早めに抑えなければ、取れない可能性がある。当初は自家用車で行く予定だったので、実は聡はとっくに、駐車場が無料のホテルに幾つか目星をつけていた。

 けれど大阪は、交通マナーの悪さで全国に名を轟かせている。また日本第二の都市ということもあり、駐車代が滅法高い。そんな地で、車を転がす度胸が聡には無かった。だが高速近くのホテルに車を入れ、あとは公共交通機関で移動をすれば、問題は無いと思われた。けれど政府の迷走によりその案の実行は難しくなった。

 今、聡にとってはっきりしていることは、妻が新幹線を主張しているということだけだった。小笹は気まぐれな女だが、こういった大がかりな決定は、一度下すと、余程のことでも起こらなければ覆さない。

 だから聡は政府より妻を信用していた。ついでにいうなら、小笹と生活を共にしている内に、すっかり小笹を敬愛してしまった。

 妻にすっかり洗脳された聡は

「俺は、専業主婦を尊敬している」

 とか

「専業主婦が、総理大臣になればいい」

 などと、口走るようになった。

 専業主婦が総理大臣になってしまったら、それは最早、専業主婦ではない。とはいえそれはあまり重要なことではなかった。小笹にとっては、夫が自分を尊敬しているという事実だけで充分だった。

 もっとも小笹はたまに周囲に、政治家になってはどうかとか、生き方指南の先生になってはどうかなどと、無茶な提案をされていた。もちろん小笹にはその気が無かった。体が弱ければ、政治家など務まらない。生き方指南をするには肩書きが必要だ。

小 笹は人から、相談を受けることが多かった。また聞き役になることは嫌いではなかった。そのため人の悩みに寄り添うことには、興味があった。だがそれは何らかの肩書きを得て、初めて授かる仕事というものだ。その「何らかの仕事」が作家であることが、小笹の希望だった。

 しかし今回の大阪行きは、旅行のネタになるまいと、小笹は諦めていた。昨年訪れた川越では、近頃増え始めた安価なレンタル着物店で着付けてもらった着物姿で、小京都と呼ばれる和風の建物が、あちこちに点在した町並みを散策するという、ノスタルジー溢れる舞台設定があったからこそ、成り立ったのだ。

 しかも川越は、小笹が初めて体を許した男の故郷だった。ついでに言うなら小笹を初めて裏切った男の故郷だった。その男は当時、貞操堅固だった小笹に結婚を約束し、処女を奪った。そして陰で複数の女を掛け持ちしていた。

そ の中にはやはり小笹同様、結婚の約束をした者もいた。また男の故郷である川越を、共に旅した者もいた。そういった事実があったから川越は小説の舞台になり得たのだと小笹は思う。一方、大阪には感性を刺激されない自信があった。

 別に大阪では、小説の舞台にならないと、馬鹿にしていた訳ではない。ただ小笹にとって大阪は三度目の来訪地だった。また主目的がUSJでは、小説の舞台装置として、あまりにも近代的すぎる気がした。それでも小笹は念のため大阪の記憶を手繰ってみた。

 最初の訪問は十九歳の時。例の川越出身の男との、交際中のことだ。短大のゼミ旅行が長崎解散だったため、友人たちと大阪に一泊、神戸に一泊して帰ったのだ。長崎と神戸が、異国情緒溢れる土地だったため、間に挟まれた大阪は小笹に強い印象を残さなかった。

 そもそもその時、小笹が友人たちと訪れたのは海遊館だけだ。とにかくシャチだかサメだかが、巨大だったということを、小笹は漠然と覚えているに過ぎない。

 次に訪れたのはその二年後だ。小学生の頃からの友人が、大阪の大学に進学していた。そこで東京で就職していた、やはり小学生の頃からの友人と共に、泊まりがけで遊びに行った。通天閣や南港に連れて行かれた記憶があるが、小笹が最も印象に残ったのは、とにかくナンパが多かったことだ。

 大阪の友人も東京の友人も、小笹があまりにも、男たちに声をかけられるので、目を丸くしていた。その年は西洋占星術によると小笹は運気が低迷していた。恋愛運も波乱含みだったせいか、だぶり無しで、六人の男と恋仲になった。それだけでなく更にもう一人と体の関係を持ち、更にもう一人に小笹は焦がれた。

 そんな状態の中、大阪の男たちの誘いが降り注ぎ、小笹は真剣に考えた。都会の学校に進学し住み着いていれば、自分にはもっとチャンスがあったのかも知れないと。

 あの時、大阪という土地は、小笹にとってただの都会だった。半年前まで付き合っていた男が住んでいた東京や、一年半前に友人たちと訪れた名古屋と、何の変わりも無かった。とにかくうじゃうじゃと人がいて、人がいるということは、男も大勢いるというだけの場所だった。

 男といえば、と小笹は思い起こした。小笹は大阪の男と付き合ったことは無い。しかしながら大阪は、さすが都会だけあって大阪出身の看板をぶら下げた男たちを、各地に放出している。彼らの出身地が分かり易いのは、関西弁を用いるからだ。関西弁は使用者が多いため、方言でありながら市民権を獲得している。

 大阪では断る時に、「考えときます」というセリフを使うのだと教えてくれた、大阪出身の男からのデートの誘いを、「考えときます」と断った十八歳。誕生日にプレゼントをくれると言った、大阪出身の男に、カスミソウの花束をねだったら、頼んでいないピンクのチューリップが、主役になっていた十九歳。

 会社の健康診断の後

「小笹さんの健康が、心配だから」

と、体重を教えるようセクハラしてきた大阪出身の男に、意外にも心がうずいた二十五歳。友達だと思っていたのに、ホテルに誘ってきた大阪出身の男に、げんなりした二十六歳。

 どれもこれも話にならんと小笹は憤慨した。分かってはいたが、やはり大阪という土地を、小説にするのは、自分には無理なのだと思った。大阪とは実際にそこで暮らした人が、関西弁を用いて描いてこそ、空気が伝わる場所である気がした。




 精神科で処方された睡眠剤が効いたのか、旅行前日だというのに小笹は速やかに眠りに落ちた。それなのに二時間も経たない内に、覚醒してしまった。この頃はいつもそうだ。以前はとにかく寝つきが悪くて困っていたのに。最近は早朝覚醒ならぬ、夜間覚醒に悩まされる。

 一度目覚めてしまうと、その後五~六時間は、入眠できない点もタチが悪い。それくらいならいっそ、夜まで眠くならなければいいのに、暴力的とも思える睡魔が突如襲い掛かってくる。

 それでいてトータルの睡眠時間は、近頃やけに短い。微熱があるような日でも、三時間半や四時間半睡眠で、過ごしてしまう場合がある。

 日中に眠気がある訳でもないのに、睡眠時間が短いだけで、騒ぎ立てる輩を、小笹は暇人だと思うタイプだ。従って身体的に辛くなければ、一日の総合睡眠時間が短くても小笹は気にならなかった。だが一昨年から通い始めた精神科で、小笹は先月に、診断を受けていた。双極性障害の2型だというのだ。

 これでは気にしない訳にいかなかった。平たく言えば、小笹は鬱病だと思われていたのに、実は、躁鬱病だったことが分かったからだ。躁状態だったから、夜間覚醒しても気分は晴れ渡って爽やかだった。しかしこのまま放置していればまた鬱状態に陥るのだ。

 小笹は治療を受けなければならなかった。鬱状態でなければ、躁状態でもない、平均値に持っていけるよう、治療を受けなければならなかった。そうしなければ鬱も悪化して、ただのリストカットがその内、自殺未遂に発展する危険があった。また躁が悪化して強制入院させられる恐れがあった。

 自分が双極性障害だと知った時、まず小笹が思ったことは、今の躁状態はいつまで続くのかということだった。有体に言えば、旅行まで躁状態を、続けることができるのかを知りたかった。

 USJのような遊園地へ行くには、気分が高揚していた方がよい。しかも小笹は、鬱が重い2型なので、躁状態の時は、少し元気な人にしか見えないのだ。そして小笹の願いは叶った。躁状態は続いた。人によっては、鬱と躁のサイクルは数年おきなのだから当然だ。

 けれど躁状態が進み、小笹は夜間覚醒に、悩まされるようになった。それでも一日中ベッドから出られない鬱状態に比べれば、躁状態の方が旅行には向くと言えた。

 小笹は聡の眠るベッドから、長身の体を滑り出すと、洗濯をしたり、パソコンを立ち上げて、今日から旅行に行くというメールを友人に送ったり、占いをチェックしたりして過ごした。そしていよいよ出発時刻になった頃には、すっかりまぶたが重くなっていた。

 聡の調査によるところの、「新幹線を利用する前提で、最も安い駐車場が近場にある、便利な駅」に着くまで、小笹は助手席でまどろんだ。駅で電車に乗り込んでからは、新幹線乗車のための乗換駅まで眠りこけた。新幹線に乗り込んでからも惰眠をむさぼった。

 小笹にとって重要なのは、移ろい易い自分の睡眠リズムに、どの交通機関が対応し易いのかという点だった。とりあえず小笹は、移動中にほぼ眠っていたので、あっという間に、大阪に着いてしまった。その事実に小笹は気をよくした。そしてホテル京阪ユニバーサル・タワーに着いてからも、ご機嫌だった。

 USJのオフィシャルホテルは高額だ。だから当初、小笹は選択肢に入れていなかった。ところが調べ物が好きな聡が、耳寄りな情報を仕入れてきた。

 通常15時チェックイン、11時チェックアウトの、素泊まりで一人一泊35,450円の部屋が、18時チェックイン、10時チェックアウトにすることによって、ビュッフェ形式の朝食を付けて5,300円になるというのだ。三泊する予定だったから、こんなお得な話は無い。

 しかもチェックイン前でも、フロントで荷物を、預かってくれるという点も魅力だった。二人は初日に、海遊館を訪れる予定だったからだ。小笹は行ったことがあったため気がのらなかったのだが、聡が行きたがっていたので、予定に入れることにした。

 海遊館へ向かう方法の一つに、往復のキャプテンラインを、利用する手がある。そのキャプテンラインが出る、ユニバーサルシティポートは、二人が泊まるホテルのほど近くだった。キャプテンラインとは要するに海上を走る船だ。

船 酔いするほど長い時間を、小笹は海上で過ごした経験が無い。だから小笹は、海上移動にわくわくするタイプだ。ただ言うまでも無いが、スーツケースを持ったまま、キャプテンラインに乗ることは望ましくなかった。だから小笹と聡は、ホテルのフロントで嬉々として荷物の預かりを頼んだ。

 するとフロントの女が、もう部屋は空いているから、荷物を運んでもよいと言った。カードキーに記された、2023号室のドアを開けると、二人は

「読みが当たったね」

 とはしゃぎ合った。

 六月の末日だったため、この手のラッキーハプニングが起こることを予測していたのだ。

 USJは、ジョーズでは乗る位置が悪ければ、頭から水をかぶらされる。ペパーミントパティのスタンド・スライドでは、運が悪ければ尻が水浸しになる。ウォーターワールドでは、元気が無いだけで、バケツの水を浴びせられる。つまりどうせ濡らされる遊園地なのだ。ただそうはいっても梅雨時は客足が鈍る。

 とはいえ二人も、できれば雨の日は避けたいと考えていた。夏のぎらついた太陽の下でなら、多少濡れたところで瞬時に乾く。だが雨天時では、オープンからクローズまで、濡らされっぱなしになってしまうからだ。それくらいなら、プールにでも行った方がマシというものだ。

 それにも関わらず、梅雨時の七月頭に、二人はUSJ行きを目論んだ。それは聡の誕生月が七月だからだ。USJは事前に会員登録をしておけば、誕生月とその翌月が連れも含めて割引になる。

 ただだからといって、うっかり七月下旬以降に、のこのこと出かけて行った日には、夏休みに入った人々に、もみくちゃにされてしまうだろう。

行列が嫌なら、Eパスやらブックレット7やらといった、チケットを購入するという手もある。そうすれば、長蛇の列にくたびれ果てた人々を尻目に、優先的にアトラクションに入場できる。しかし二人には資金が無かった。そもそも資金があるなら、割引目当てで七月に予定を立てるはずが無い。

 割引になる上に、上旬なら、まだ空いているだろうとあたりをつけ、七月頭に行く計画を立てたのだ。それなのにEパスやら何やらを購入するのは愚かなことだと、小笹は考えた。第一、人気のアトラクションは混む時間帯が決まっている。その時間帯には、数ある土産物屋を、ひやかしていればよいではないか。

 小笹は日頃、世話になっている人に、旅行土産を渡すことによって義理を果たすタイプだ。旅行土産というものは、比較的、気を使わせずに受け取らせることができる。また土産の対価として、土産話ができるというメリットがある。小笹は土産話を、人に聞かせるのが好きなのだ。

 その土産話には、自慢も含まれる。従って小笹のする土産話というものは、聞いた人間にとってというよりも、話す小笹にとっての追加土産のようなものだ。ただその自慢は、いかに贅沢な旅をしたかという内容ではなく、いかにラッキーな旅をしたかという点が、小笹にとって重要だった。

 そうすると現時点では、契約時刻より五時間早く、入室許可が出た幸運が自慢できる。そしてその事実から、USJだけではなく、USJのオフィシャルホテルも、かなり余裕があるようだと推測できた。二人がエレベーターに向かうため、ロビーを横切った時も、中国人らしき団体客を見かけただけだ。

 まだ千閣諸島の問題が、起こっていなかった頃だ。おそらく梅雨時は、ツアー料金が安いのだろう。

「もし何とか天候が持てば、あたしたちの勝ちよ。梅雨時だからってここまで値段下げてもらった上に、六時チェックインの予定が、午後一で荷物運びこめたんだから」

 誰と勝負しているのだという疑問も感じないまま、浮かれた口調で勝ち誇ると、小笹は斜めがけバッグを、テーブルの上に置いた。ドレッサーテーブル以外のテーブルが、据えられる余地のある部屋に泊まるのは、小笹と聡にとって、久し振りのことだ。小笹は満足すると、バッグのチャックを開けた。

 フロントの女は

「今すぐお使いにはなれないんですが、荷物を運び込むくらいなら、構いませんよ」

 と二人に言った。だからといって馬鹿正直に荷物だけを運んで、慌てて部屋を飛び出すような、馬鹿はいない。

フ ロントとしては、正規のチェックイン前に、堂々と部屋を使用されては、何となく具合が悪いからそう言っただけだ。荷解きぐらいはするだろうことは、予想しているだろう。ここはフロントの女の意向を汲んで、さっさと荷物を解かなくては。

 そう思いつつ小笹は、聡に命じてお茶を入れさせ、電子タバコをくゆらせた。実は小笹は禁煙を始めて二十日目だった。禁煙を思い立ったのは躁状態だったからだ。かかりつけ医によると、軽い躁病患者は、複数の会社を経営するケースがあるという。そしてそれは別に問題が無いらしい。

 小笹は当初ピンと来なかった。だがすぐに、医師の言った意味が分かった。躁状態になるととにかく色んなアイディアが浮かぶ。様様なことに手をつけて、何一つ成し遂げられないまま、一日が過ぎてゆく。

 小笹と聡が住むアパートは、ついこの間までは、小笹が鬱のため荒れていた。ところが今は小笹が躁状態のため、小笹のやりっぱなし天国になっていた。通常、躁状態の人間は仕事がはかどっていると誤解する。だが実態は逆だと躁病に関する文書は指摘していた。小笹には自覚があった。

困ったものだと思いながら、小笹はこの状態を、何かに生かせないかと考えた。そして禁煙を思い立った。どうせ注意力が散漫ならタバコに未練を感じる可能性も少ない。ならば禁煙は、成功する気がした。かかりつけ医がチャンピックスを処方すると共に、禁煙セラピー本を、小笹に貸し与えた。

 その本は医師によると、読みさえすれば、禁煙補助薬はいらないというお墨付きだった。しかし小笹は薬をねだった。医師は

「あ、やっぱり欲しい?」

 と案外あっさり折れた。そしてこの本を読んでからでなければ、禁煙してはならないという条件で、チャンピックスを処方した。

 暗示にかかり易い小笹は、十二週まで、保険適用となるチャンピックスを三日で止めた。それはその本に、ニコチンが体内から抜けるには三日で充分だと書いてあったからだ。気の早い小笹は、本を読みかけで、さっさとタバコと灰皿を処分してしまった。

 本来なら、禁煙開始日の一週間前に、服用を始めるチャンピックスを、禁煙翌日から飲み始めた小笹は、もうニコチンは抜けたのだからと、三日でストップした。それでいて電子タバコの使用はやめられなかった。吸って吐くという行為、唇から放たれる白い気体を眺める行為を、小笹は好んでいたからだ。

 そうはいっても、本物のタバコほど、体と精神が欲する訳ではなかった。偽物に程よく依存するとはどういうことなのか、小笹にはよく分からなかった。そしてそれはたいした問題ではなかった。今はただ、速やかに荷解きをすることが肝心だった。

 ヴァージニアテイストと銘打ちながら、その実、全くそんな味わいの無い電子タバコを、小笹はぷっくりとした唇から放した。そして瞬く間に荷解きを終え、聡と共に部屋の外へ飛び出した。フロントの女を気遣ったためというよりも、自分たちの時間を、大切にするためだった。

 それなのに聡がミスをした。小笹を伴い、ユニバーサルシティーポートを探して、右往左往したのだ。

「あたしは寝不足だって言ってんのに、何で場所を調べもせずに、連れ回すのよ」

 悪態をついた挙句、小笹はベンチにふんぞり返った。仕方なく聡は一人ユニバーサルシティーポートを探してさまよった。元来、無気力な小笹は、一度腰を下ろしてしまったらてこでも動かない。その無気力さは、自分が魚座のせいだと小笹は考えている。一説によると、魚座は最もホームレスになり易いらしい。

 しかし小笹は、全くホームレスになる気は無かった。とはいえホームレスは別に皆が皆、是非にと熱望してなっている訳ではない。望むと望まざるとに関わらず、虚脱に駆られれば、人は住まいを失う可能性がある。

 だが差しあたって、住まいの問題は今の二人に関係が無かった。関係があったのは、小笹はひとたび気分が堕落すると、使い物にならないということだ。そんな小笹に下手に反論しようものなら、ホテルへ帰りかねない。しかも海遊館へ、小笹は行ったことがあるので尚更だ。

 ようやく見当をつけた聡の先導で、二人はキャプテンラインに乗り込んだ。だがデッキへ出た途端、小笹の機嫌が悪くなった。猛暑の午後の凄まじい日差しに、耐えかねたのだ。

「あーあ、せっかくデッキ付の船に乗ったって、あんなに日差しが強くっちゃ意味無いよね」

 日よけの為、仕方なく一階席に座った小笹は、窓枠についたひじで顔を支えた。こうすると頬が隠れる分、くりっとした瞳が目立ち小笹は愛らしく見えた。しかしその瞳は、不機嫌さをたたえてはいたが。

 聡は聡で

「帰りの便が一時間に一本しか無いって、しかも十九時台は、一本も無いってどういうことだよ」

と 温和な顔立ちを崩して憤っていた。聡はこれまでの人生で、人の機嫌を取るという経験を、したことが無いのだ。

 呆れつつも小笹は、末っ子の聡を好ましく思った。こちらがどんなに機嫌を損ねても、のびのびと振舞う人間というものは、気を遣わずに済んで楽なものだ。

 調子に乗った小笹は、海遊館に着いた途端、聡の冷房対策のカーディガンを奪い取った。冷え性の小笹は外出時には常時、上着を持参する。ところが今回はホテルに置いて来てしまったのだ。

「あたしは寝不足だって言ってたのに、どうしてホテルを出る時に、あたしに忘れ物が無いか、聞かなかったの」

 という理屈があったため、小笹は震える聡から、カーディガンをひっぺがすことができた。小笹は寝不足のため、風邪をひく可能性が聡より高かったからだ。

 不平を鳴らせば

「あたしは海遊館なんて、来たくなかったんですからね」

 という理屈で、やり込められることを聡は分かっていた、聡はカーディガンの他に、とうとう靴下まで取り上げられた。

 そして聡は、ぴかぴか光ったペンギンの模型や、植物園を模した場所で、自分から奪い取った衣類で当然のように身を固め、ポーズを決める小笹を写真に収めた。

 小笹は年中ホットドリンクしか飲まない。それなのに毎夏、冷房により腹が冷え下痢で点滴を打つほどだ。だからとにかく温めてやらなければ、旅行中に体調を崩しかねないのだ。

 翌日、本命のUSJに向かった二人は、まずスペースファンタジー・ザ・ライドに乗った。USJにはライドと呼ばれる乗り物と、ショー形式のアトラクションがある。ライドばかりに、立て続けに乗っては疲れてしまうという情報は、事前に掴んであった。

 そこで二人は、ライドとショーを、交互に体験するスケジュールを組んでいた。その前提で、スペースファンタジー・ザ・ライドを最初の予定に組み入れたのは、そのライドが、オープンしたばかりで人気が高かったからだ。USJの攻略本によると、パーク内が最も混むのは、昼過ぎから夕方にかけてということだった。

 オフィシャルホテルに宿泊した二人は、当然のことながら、オープンと同時にパーク入りした。だからたいして待たずに、そのライドを体験することができた。そこで小笹は随分と怖い思いをした。宇宙のような神秘的な空間を、ライドが進んで行くのだが、スピードが早い上に、動きに捻りがあったのだ。

 そもそも花やしきのジェットコースターでさえ、目をつぶってしまうもったいない小笹は、ライドの進む空間の幻想的な様を、あまり味わえなかった。ライドがゆっくりと進んでくれなくては、宇宙空間を満喫できないのだ。

 それでも恐々目を開けると、希望と正義の星と呼ばれる、巨大な木星に刻まれた模様に、はっと息を呑まれた。星々が瞬いていた。小笹はその空間に、ずきりとする魅力と恐怖を感じた。初めて知った幻惑的な世界で、乗り物が予測不能に動き回り、小笹を振り回すからだ。脳が揺さぶられる気がした。

 突如バッハの『G線上のアリア』の旋律が、脳内で奏でられた。バッハは小笹が傾倒している、音楽家の一人だ。あまりにも熱愛しすぎて、小笹はバッハの美点を上手く語ることができない。

 普段は

「口から、産まれてきたのではないか」

 と揶揄されるほど、流暢にものを話す小笹が、バッハについて述べる時は

「何かこう、脳みそをかき乱されるような気がするの」

 とか

「『G線上のアリア』って、もう駄目って感じ」

 などと、まるでけなしているかのような表現をした。

 ただその表現に賛同した男は過去にいた。その男、曽根(そね)は「もう駄目」と、恍惚の表情を浮かべる小笹に、ホストのなり損ないのような、油断ならない顔立ちを切なげに歪め、「駄目だよな」と同意した。

 ひょっとしたら、そのやり取りがあったからこそ、自分は曽根と復縁してしまったのかも知れないと、小笹は思う。

 付き合い始めてたった一週間で、掌を返すかのように、冷たくなった曽根。そんな曽根の留守電に、「別れたい」とメッセージを残すと、「別れ話をするため」という名目で、ラブホテルに連れ込まれたこと。

 ホテルの一室で、マリファナを吸った曽根に喫驚したこと。止めようとすると

「君に止める権利、無いでしょ」

 と凄みを利かせた声で、一蹴されたこと。

 その剣幕にびくついた途端

「それとも、俺とヤる?」

 とベッドに押し倒されたこと。

 今だけでもせめて、曽根をドラッグから遠ざけたい。そんな思いで曽根に抱かれたこと。自分から別れを切り出しておきながら、曽根に対する恋情が、全く消えていなかったこと。

 後日、曽根からの電話で

「友達に『ヤッてから捨てるなんて、ひでえ』って言われたけど、俺はこう言い返したよ。『そうじゃない。俺は捨ててからヤッたんだ』ってね」

と屈辱的なセリフを吐かれたこと。

 そんなセリフを聞かされても、何も反論しなかったこと。だからこそ、その二年半後に再会した時

「逃した魚が、大きくなり過ぎたよ」

 と心底、惜しそうな顔をした曽根に、にんまりしたこと。

 だからといって、当時のカレシと別れる気は毛頭無かったのに、遠距離恋愛の淋しさに耐えかねて、結局別れてしまったこと。

 付き合っていた間に、小笹が電話をかけると、曽根の反応が悪かったのは、ドラッグをやっていたから。そして小笹と別離の後は自己破産をしたという、どうしようもない曽根。それを再会してから知ったにも関わらず、小笹は結局、曽根とヨリを戻した。

 一人の男に、あれほど熱心に口説かれたのは、初めての経験だったし曽根が読書家だったことも原因だった。小笹は当時から、作家志望だったのだ。ならば書籍の購入を実行する人間と、なるべく接し、傾向を掴みたいと願うのは無理も無い話だった。なぜなら小笹は、本の虫だったにも関わらず滅多に本を買わなかったからだ。

 親の経済状況が子の学歴に影響するのは当然だ。そこで小笹は、大学志望だったにも関わらず短大に進学していた。それもずっと、レベルの高い短大にも、合格していたにも関わらず、学費と奨学金の関係で、たいしたことの無い短大に入学した。そんな訳だったから、就職後の小笹の収入は微々たるものだった。

 その中から、短大の奨学金の返済まで行なっていたのだ。いくら読書が好きだからといって、本を買うなどという行為を、おいそれと実効できる訳が無かった。どうしても本を手元に置きたいなら、ゴミ捨て場を漁ればよいのだ。しかしゴミ捨て場には、毎回本が捨ててあるとは限らない。

 だから曽根に貸し与えられる本は、小笹をときめかせた。曽根は当時、貴金属加工を生業とする父兄の雑用をしていたから、その関係で、安価に宝飾品を入手できた。誕生日には小笹にダイヤの指輪を贈ったこともある。

 ところが小笹にとっては、曽根に贈られた、幾つかのジュエリーより、貸し与えられる書籍の方がずっと心がきらめいた。

 小笹にとっては大金でも、一般的な金銭感覚で捉えれば、文庫本など安いものだ。内容の素晴らしさから考えると、申し訳ないほど安価と言える。だから曽根は、本当はもっと小笹に本を貸し与えるべきだった。

 要するに曽根は、もっと本を買うべきだった。違法薬物に投じる金があったのなら、本を買うべきだった。

「ドラッグは、もうやめた」

 という曽根の言葉を信じたからこそ、小笹は曽根と、元の鞘に戻ったのだ。

 けれど曽根と別れた後、彼がドラッグを、やめていなかったことが判明した。勤めを辞め収入が減っていたため、高額な覚醒剤は買えなくなっていたが、マリファナは相変わらず続けていた。また咳止め薬を大量に飲んだり、ライターのガスを吸ったりしていた。

 そこで小笹は再び曽根と別れた。そしてある日、情緒不安定に陥った。そこで「会おう」と連絡してきた曽根を、アパートの部屋に招じ入れてしまった。電話のやり取りで、小笹の心が不安定なことを察していた曽根は、持参したマリファナを言葉巧みに勧めた。

 そもそも小笹が心を乱していたのは、曽根と別れた後、自分の元へ、ツーショットダイヤルの請求が来たからだ。留守電に残された督促メッセージを、何かの間違いだろうと、当初は放置していたのだが、ある時、業者からの電話を直接受けた。

「覚えが、無い」

 と言い張る小笹に、業者は

「あなたの部屋の電話を、自由に使える人はいませんか」

 と尋ねた。曽根が部屋の合鍵を、こっそり作っていたことを知らなかった小笹は、「いません」と答えた。

 すると業者は、その人物が使っていた暗証番号を小笹に告げた。その2023という数字は、曽根の好きなナンバーだった。小笹は曽根が、犯人であることを悟った。曽根は追及されるとあっさり認め、代金を業者に振り込む約束をした。

 曽根が言うには、今までは代金を振り込んでいたのだが、今回はたまたま振り込みを忘れたとのことだった。確かに曽根は、代金を振り込んだらしく、業者からの連絡は絶えた。だがだからといって小笹の気分が、爽快になるはずが無い。

 曽根はドラッグの件を、偽っていただけでなく、小笹と付き合っていた間に、ツーショットダイヤルを利用していたのだ。しかも小笹の留守中に、小笹の部屋に忍び込んで。

 曽根はいつも、貞節を誓っていた。

「お前の両親のところに、結婚の申し込みに行きたい」

 と小笹をせっついていた。そして小笹を監視するため、毎日会社の送迎をし、小笹の部屋に泊まり込み、歯医者にまで無理矢理付き添った。

 そんな男が、ツーショットダイヤルを利用していたのだ。魔が差して浮気をしてしまった訳ではない。積極的に出会いを求め、ツーショットダイヤルを利用していたのだ。それもよりによって、小笹の部屋の電話器を使って。

 恋愛感情を、理性で無理矢理ねじ伏せ、曽根と別れた小笹にとって、その事実を受け入れることは困難だった。

「嘘よ! 嘘よ! 嘘よ! 嘘よ! 」

 大音量でバッハをかけて、小笹は泣き叫んだ。

 ようやく泣きやみ、バロック音楽の調べに耳を傾けながら、気分を虚ろにした時に曽根がするりと入り込み、マリファナを勧めた。自分の懊悩の原因を作った曽根が、傷口に塩どころか、毒を塗ろうというのに小笹は拒否しなかった。なるようになれと思った。堕ちるところまで堕ちてやりたくなった。

 十ヶ月前、再び曽根のものになることを決めた時、自分は地獄の道を歩むのだと小笹は確信していたのだ。そうでなければ、自己破産をした元ジャンキーの女になど、誰がなれるものか。元ジャンキーが、元ではなく現役だったことに何の違いがあるのか最早、小笹にはよく分からなかった。

曽根がジャンキーなら、自分にドラッグを勧めたとしても、何の不思議も無い気がした。曽根はだらしない唇で

「俺は付き合ってる女には、クスリはやらせないことにしてるからさ」

 と、何やら素っ気無い言葉すら吐いた。

 判断力が低下した中にあっても、曽根が危険な男であることは、小笹も察していた。危険な男とは、別離しなければならないと思った。だとしたら曽根の恋人でなくなった証に、曽根にクスリをやらせてもらわなければならない気になった。

 四年前に、仕事のストレスで、気が狂いそうになったのをきっかけに、喫煙が習慣になっていたことも一因だった。タバコもマリファナも、心身にとって有害な気体を、吸って吐くという点では変わらない。

 ただ小笹はタバコの味を愛していた。また喫煙によって、ストレス解消ができているという、錯覚にも陥っていた。

 さてそのマリファナを吸ったところ、小笹は何やら、不快な気分になった。この妙なイライラは何なのだろうと考えていると、曽根が小笹を求めてきた。イライラを誤魔化すために、小笹は求めに応じた。二人は付き合っていた頃のような普通のセックスをした。曽根と寝たことは、小笹にあまり感慨を与えなかった。

 そもそも曽根との、最初の交わり自体、別れを決めた後だったのだ。小笹にとっては、曽根と自分が恋人同士でなくなったことの方が重要だった。その前提さえあれば、他のことはたいした問題ではない気がした。

 曽根が再び小笹にマリファナを勧めたのは、その数日後だった。曽根は交際当時から、ハルシオンを酒で小笹に飲ませ、性行為に及ぶという、薬事法違反を行っていた。そんな曽根は、マリファナによる官能の相乗効果を期待していた。前回は小笹の反応が芳しくなかったため、純度の高い物を用意したのだ。

 初めてのマリファナで、むしろ不愉快な気分になった小笹は断った。しかし曽根はしつこく勧めた。小笹は断るのが面倒になって、再びマリファナを、ぷっくりとした唇にくわえた。

 深く吸い込みしばらく肺に気体を留め、そして吐き出せ。

 曽根の指示に従って、何回かマリファナを吸った後、小笹はやれやれと思いながら洗面所へ向かった。小笹はマリファナになど、何の興味も無かった。ただ曽根がしつこいから折れただけだ。

 この力関係は、ヨリを戻す少し前から発生し、完成してしまったものだ。

 カノジョになってくれなくていいから、せめて旅行に行って欲しいとねだられ、何回も断ったのに結局、小笹は折れてしまった。その後、お茶を飲むだけ、メシを食べるだけといった口実で誘い出され、いざ曽根の車に乗ると大抵ホテル行きを提案された。

「今日は、そういう気分じゃない」

 と断っても曽根は決して引き下がらなかった。結局いつも、小笹が面倒臭くなって言いなりになった。

 復縁を迫られた件も、何十回も断った。それなのに曽根はしつこく迫った。そして不眠が続き判断力が無くなった時、小笹はうっかり承諾した。

 それらの過去から小笹はこう解釈した。どうせ断ったところで、時間をかけて説得され、曽根の要求が通ってしまうのだ。だとしたら断っている時間は無駄だと、小笹には思えた。そんな関係に嫌気が差したことも、曽根と別れた一因だった。それなのに小笹は別れても尚、曽根の人形だった。

 だが違法薬物とは、そんないい加減な気持ちで、手を出すべきではない。もちろん真剣な気持ちであれば、手を出してよいということではない。現に小笹は、コンタクトレンズを外すために洗面所へ向かったというのに、いざ鏡に向かうと、指が動かなくなってしまった。

「曽根さん、何かあたし指が変なの」

 小笹は泣きそうな顔で、曽根に訴えた。

「指が動かないの。変なの。すごく嫌な感じなの」

 曽根は小笹の細長い指を、カップルつなぎのようにして、自分の指で掴んだ。

「お前の指の、形が好きだ」

 とささやいた交際時代には、曽根自身すら、小笹にクスリをやらせるつもりが無かった。それなのにその時、曽根の勧めで吸い込まれたマリファナは、曽根が執着していた小笹の白い指先を、強張らせた。

「そのままぎゅっとして。ぎゅっとして。もっと強く。強く」

 当初は指の不快感にのみ気を取られていた小笹は、突然「ああ」と叫び、もんどりを打つようにして華奢な体を床に打ち付けた。呼吸が荒くなり胸が苦しくてたまらなかった。曽根は冷静な声で

「落ち着いて。君の名前は? 言える?」

 と尋ねた。

 その時はまだ、小笹の意識は明瞭だった。だから自分は錯乱しているのではないと、曽根に伝えなければと小笹は思った。それなのに声を発することが困難だった。それでも小笹は必死に、声を区切りながら名前を発しようとした。

 けれど声が出るようになると同時に、小笹の意識に、変化が表れ始めた。小笹を落ち着けようと曽根が発する言葉も、全ては理解できなくなった。いやもっと悪いことに、曽根が何のために発したのか分からない、「ぶんぶん」という形容詞に、「やめて」と耳をふさいだ。

 その言葉を聞いた途端、ぶんぶんと唸り声を浴びて飛び交う、無数の虫が見えたからだ。小笹は肝を冷やしつつも、これがドラッグによる幻覚かと冷静に判断した。鏡を見たいと思った。マリファナによりバッドトリップしている人間の姿を、この目に焼き付け、いつの日か、小説に役立てたいと思った。

 姿見の方角へ顔を向け、上半身を起こそうとする小笹を、曽根のだらしない指先が支えた。自分を未知の苦痛へ貶めた男の手にすがりながら、小笹は鏡の向こうの世界を見た。自分の顔より先に小笹の視界に飛び込んできたのは、曽根の顔だった。それは呆れるくらい具象的な、悪魔の顔つきだった。

 自分の姿を確かめることも忘れ、小笹は姿見から目を背けた。そうすることにより、先ほど視界に入った、角の生えた灰色の悪魔の顔が小笹の頭に刻まれた。復縁する前から小笹は、曽根を悪魔のような男だと思っていた。だからそのまま曽根に体をもたれていた。

 ただ先ほどの、悪魔の幻覚が、あまりにもステレオタイプだったことに小笹は失望した。悪魔とは本当は、美しい姿をしているはずなのだ。美しく冷たい表情をしているはずなのだ。

 あるいは悪魔とは、ジョルジュ・ルオーの描いた『悪魔』のような顔をしているはずなのだ。復縁前に曽根に誘われた旅行で、向かった清春芸術村で観た『悪魔』の絵。

 それを観た瞬間、小笹は曽根に似ていると思った。だから肩越しに曽根が

「この絵、俺に似てるね」

 とつぶやいた時は驚倒した。

 それでいて小笹は、頭の片隅で理解していた。天使が堕ちようと決めた時、堕天使になった時に、悪の自覚が無かったはずは無いのだと。曽根は未だ自身が悪であることを知りながら、粉をかけてきているのだと。それを理解した上で、自分は曽根と旅行にまで来ているのだと。

 ドラッグ使用を知った時、そしてツーショットダイヤルの利用を知った時、小笹は騙されたと思った。同時に自分は、騙されることを選んでいたと理解していた。一体この世の、騙された人間の何割が、心底騙されたと言えるだろう。多くの人々は自分で自分を騙しているのだ。

 だがだとしたらその時尚、悪魔の間違った幻覚を見た小笹は、何なのだろう。それは小笹には分からなかった。ただ悪魔のようだと思っている男に与えられた苦しみの淵で、その当事者に、すがっている自分を不思議がっていた。

そ してそれどころではなくなった。小笹の息苦しさは、更に増した。喉を絞められているような気がした。その時小笹はいつの間にか曽根から体を離していた。小笹は一人、暗闇の中で喉元の苦しみにもがいていた。ふと遠くの方に光が見えた。

 誰かが

「あの光の差す方角へ、行け」

 と命じた。

「嫌だ。行きたくない」

 と小笹は心の中で叫んだ。

 それなのになぜかそちらへ転がり出てしまった。その瞬間、喉元の締め付けが消え、辺りが光で満ちた。肉体的な苦痛と交換するかのように、いやそれよりもっと大きな精神的苦痛が小笹を襲った。怖いと思った。この世界は嫌だ。怖い。それでいてもうここへ来てしまったのだという、諦めも抱いていた。

 諦観の境地でぼんやりしていると、打たれるような、爽やかな痛みが走った。その時何かが小笹の中でわっと弾けた。小笹は声をあげて泣き出した。

 この体験を、かかりつけの精神科医に、小笹は披露したことがある。喫煙者だと打ち明けた時、待っていましたとばかりに、マリファナの話を、医師が持ち出したからだ。自分にドラッグの経験があるのかどうか、知りたいのだろうと小笹は察した。そこで気を利かせて医師に語った。

「後で思い出したんですけど、あたしってすごい難産で、へその緒を首に三巻きして、真っ青な顔して生まれてきたらしいんですよ。それで自力で泣けなくて、看護婦さんにお尻ばんばん引っぱたかれて、やっと泣いたらしいんですけど、村上春樹の小説によると、マリファナをやると、過去の記憶が、鮮明によみがえるらしいんですよ」

 以前、母親に聞かされた出産逸話を添えると、初老の医師は

「それは、産まれた時の記憶っぽいねえ」

 と目を輝かせた後

「いや、貴重な体験談をありがとうございました」

 と白髪混じりの頭を下げた。

 違法行為を打ち明けて、礼を言われる事態になるとは、思ってもいなかった小笹は

「いえ、とんでもないです」

 とお辞儀を返した。

 曽根の言っていた

「最初にこんな経験すれば、ドラッグなんて、二度とやりたくねえって思うだろうなあ」

 という感想を、医師も抱いたからこそ、敢えてそのような対応をしたのだろうことを小笹は推察した。

 そう曽根は、「二度とやりたくねえ」と思わせるような体験を、小笹にさせた男だった。そんな男が、バッハの魅力に共感したからといって何だというのだろう。

 聡はクラシックの中では、モーツァルトを最も気に入っている。日本のクラシックファンの人気を、ベートーベンと二分すると言われる、モーツァルトを選んだ聡の凡庸さに、小笹は少し、失望気味だ。とはいえモーツァルトの生年月日や没年月日等を、正確に記憶している聡の個性には、感嘆しているのだが。

 しかしながら、人がどの音楽家を愛好しているかということは、小笹にとってたいした問題ではなかった。そもそも小笹は、音楽全般を愛しているからだ。

 だとしたら、先ほど乗った、スペースファンタジー・ザ・ライドによって、小笹の無意識下で、曽根の記憶がしまわれた引き出しの取っ手が、ガチャガチャと音を立てたことは、どうでもよいことだった。今の小笹にとって肝心なのは、先ほど同乗した聡の反応だった。

 聡は熊のような大きな体を丸めて

「すげえ、怖かった」

 とおびえていた。聡は絶叫系が全て駄目なのだ。小笹は再乗車を提案したが、聡は面長の顔をぶるぶる振って拒否した。

 小笹も食い下がりはしなかった。せっかくUSJに来ているというのに、そんな問答に時間を費やしている場合ではないからだ。

 その後二人は、ショーを挟んで幾つかのライドに乗ったが、アメージングアドベンチャー・オブ・スパイダーマン・ザ・ライドに、小笹がはまった。3D用のメガネを通して見る立体的な世界を、ライドに乗って進んで行くのが、たまらなく愉快だったのだ。

 このライドは、乗客を脅かすことなく単調に進行した。だから聡も再乗車を嫌がらなかった。そこで小笹は聡を連れて、翌日もそのライドに乗った。降りた後は間を置かずに再び乗った。人気のライドだというのに、夕方を回り待ち時間が皆無だったからだ。

 ライドの上で、小笹は声をたてて笑った。日常生活では到底見ることができない景色を、愛でられることが好ましかった。全身全霊で愉楽に浸っていたその時、ふと小笹の頭のどこかで、ドラッグという単語がよぎった。

 ジャンキーがドラッグにより、日常生活では到底見ることが不可能な景色を、堪能しているのかどうか、小笹は知らない。小笹はバッドトリップしたからだ。無数の虫の群れも悪魔の顔も、喉元の締め付けと共に表れた漆黒の闇も、小笹にとっては、ただ恐ろしく忌まわしいだけだった。

だ があの体験により、小笹はドラッグというものを、何となく掴んだ気はした。ジャンキーはおそらく、ドラッグの作用で心地好いシュールリアリズムを味わうのだろう。

 それは例えば、USJのライドで見る映像とは、引き換えにできないのだろうか。合法で健全な中毒性の無い、こういったものでは駄目なのだろうか。

 そんなことを、小笹の頭のどこかの部分がちらと考えた。そしてそれは、小笹本人が気付かないまま小笹の頭に巣食った。

 小笹はまだ気付いていない。今はまだ彼女は、合法で健全な中毒性の無いライドの上で、三度乗っても、見落としている景色があることに、ただただ嬉しい驚きを覚えている。




 電子タバコの水蒸気が、空気の中に溶け込んでゆく。

 旅行ももう三日目の晩だ。幸い三日共、天候に恵まれた。今のところは小笹の勝ちだ。

 ホテルの部屋のカーテンを開け放っているので、ユニバーサル・シティウォーク大阪の夜景が美しい。高層階に泊まれないことも、低料金の条件だったというのに、用意されていたのは、二十階の部屋だったため、人工の光の数々に見蕩れることができた。

 そういえば今朝、朝食の帰りに、エレベーターで同乗した中国人観光客たちは、下層階で降りて行ったと小笹は思い起こした。おそらく彼らより、小笹たちの方がリピーターになり得ると、ホテル側が判断したのだろう。

 中国人も、再び日本へ観光に来るかも知れない。しかし次に来た時には、北海道へ行ったり秋葉原で電化製品を買い漁ったり、九州で温泉巡りをしたりと忙しく、USJに再び、足を運ぶ可能性は低いだろう。だからホテル側は、リピーター率が高いと思われる小笹たちに、眺めのよい部屋を宛がったのだろう。

 これからビザの条件が、緩むという話だが、現時点で日本に観光に来ている中国人は富裕層だ。それなのに、その富裕層の彼らよりずっと、条件のよい部屋に連泊したことに、小笹は奇妙な気分になった。

 これまで小笹は、泊まる部屋の良し悪しというものは、金額で決まるのが前提だと思っていた。だがおそらく自分たちは、中国人よりずっと、ホテルに金を落としていないのだ。この論理的でありながら奇妙な現実。

 奇妙といえば、灰皿の無いホテルの部屋というものも、小笹にとっては懐かしすぎて奇妙な空間だ。こういう部屋に泊まったのは、修学旅行以来かも知れない。禁煙ルームというものが登場したのも、小笹の記憶によれば、比較的最近のことだ。

 そういえばホテルを決める際、気に入ったプランの中に、「禁煙ルーム限定」の文字を見つけたことも、小笹が禁煙を決意するきっかけの一つだった。

 喫煙者というのは不便なものだ。特に旅行をする際には。今回は使わなかったとはいえ、飛行機は全席禁煙だから、搭乗前に一服しておかねばならない。そして降りたらただちに吸わずにおれない。

 小笹は元々、喫煙習慣というものは、不便なので身につけたくないと考えていた。それなのになし崩し的に、喫煙者になってしまった。そのため昨今の嫌煙の風がことさら身にしみた。だからこそ小笹は、禁煙の決意ができたともいえる。

 ぽってりした唇から、水蒸気が吐き出され消えてゆく。見た目はタバコと大差が無いが、もう煙を吸っていない小笹は、喫煙者ではない。この偽物のタバコ、電子タバコという代物も、当初はトイレで吸えてよいと小笹はバッグに忍ばせていた。それなのに結局、この旅行で口にしたのは、ホテルの部屋でだけだ。

 本物のタバコは、トイレで吸うことを禁じる施設が近頃は多い。小笹は試したことは無いが、ライターの炎の温度や、タバコの煙に反応するセンサーが作動するらしい。けれど電子タバコは、高温にならない上に、水蒸気を発するだけだ。だからトイレの個室で吸っても問題無いだろうと、小笹は考えていた。

 それなのに小笹は、ホテルの部屋でしか、電子タバコに手を伸ばさなかった。USJにいる間に電子タバコなぞを吸うなど、時間がもったいなく思えたからだ。

 これまで小笹は、どのテーマパークへ行っても、わざわざ喫煙所を探し、聡を待たせてまで喫煙タイムを取っていた。それなのに今回は、たかだかトイレへ行ったついでに、電子タバコをくわえる時間を惜しんだ。その事実に半ば唖然としながら、小笹は自分の唇から放たれる水蒸気を眺めていた。

 以前の自分が、そこまでタバコに依存していたことが、恐怖だった。またそこまで依存していながら、やめられたことも不可思議だった。そして極端な依存をしていないにも関わらず、この電子タバコという代物を、吸っている事実がよく分からなかった。

 しかしそれは差しあたってどうでもよいことだった。明朝、二人はホテルを発ち万博記念公園へ向かう。今必要なのは、明日のため眠ることだった。小笹は医師に処方された七種類の睡眠剤を口にふくむと、水で飲み下した。最近は夜間覚醒が多いため、眠りを持続させるために、睡眠剤の種類が増えている。

 すとんと眠りに落ちたのは幸いだった。だが三時間後に、小笹は二重の瞳を、ぱっちりと見開いた。すでにやる気がみなぎっていてげんなりする。二晩何とか七時間ずつ寝たというのに、最終日になってこれだ。小笹は聡を起こさないよう静かに身を起こした。隣のベッドの布団の塊は、ぴくりとも動かない。

ど うやら聡は、熟睡しているようだ。小笹は枕元に用意しておいたハルシオンを手にした。

 これは医師によると、健忘の症状が出がちなため、犯罪に使われたケースが多く、アメリカではもう禁止されており、あまり望ましくない薬だ。しかし小笹は、マイスリーを飲んでいる内に効かなくなってしまったので、仕方が無い。

 ハルシオンは睡眠導入効果が高い一方、睡眠を持続させる力には欠ける。だからこそ翌朝に響かず夜間覚醒した際に用い易い。小笹は洗面所で水を汲むと薬を飲み込んだ。その瞬間、先ほど掌の上にあった青い粒の記憶が、小笹の脳裏を粘つかせた。

 その粘り気が、絡め取った単語は「ブルー」。それは曽根との交際当時に、曽根と小笹がハルシオンにつけていた呼称だ。

 医師は、アメリカで起きたという犯罪を、女性にハルシオンと酒を一緒に飲ませ、犯すのに使われたと説明した。

 昔の交際相手に、ハルシオンを酒と共に飲むよう、よく勧められたと小笹が答えると、医師は

「怖い話です」

 と眉根を寄せた。

 なぜ交際していたにも関わらず、ハルシオンを酒で、飲まされていたのか小笹には分からない。真相はきっと、医師の言う通り怖い話なのだろう。予想はしようがない。ならば考えても仕方がない。小笹は再びの眠りについた。

 眠りの向こうには夢の世界があった。その世界で小笹は一人、ライドに乗っていた。それはUSJのライドを全て、ごちゃ混ぜにしたような乗り物だった。辺りは闇がはびこっているのに、星々と人工的な色とりどりの光が交錯している。

 正義と希望の星、木星がやけに際立ち、その前をぴかぴか光るペンギンがふわふわと横断している。しかしその風景に、酔っている余裕は無かった。後ろのライドに曽根が乗って、小笹を追っていたからだ。

 小笹は曽根を、喫煙者だと認識し逃げた。捕まったら禁煙に失敗しそうな気がした。意思をのっとられ人形にされ、紫煙を吸わされそうな気がした。曽根を振り切ろうと必死になりすぎて、小笹はつい眠りから逃げ出してしまった。脳が嗚咽していた。

「初めて会った時お前、人形みたいだったよ」

「お前は、眠ってる時が一番可愛いよな」

 小笹の容姿を褒めた曽根のセリフの記憶が、闇の中で香った。そうだったのかと、小笹は二つのことを悟った。

 一つは、自己破産ではなくツーショットダイヤルでもない。自分への束縛でもない。自分は曽根を、喫煙者もしくは喫煙の誘惑者として恐れているのだということ。もう一つは、自分がこの旅行によって小説を孕んだことだ。

 旅行はまだ終わっていない。明日にはまだ、万博記念公園が控えている。伝説の太陽の塔が自分を待っている。

 それでも小笹は、自分が産み落とすだろう小説のその姿が、もう予想できた。万博記念公園はおそらく壮大だろう。しかし後ろにいかに強力な精子が迫っていようと、最初に飛び込んできた精子と、卵子は結合するものなのだ。

 旅というものに、こういった形で、インスパイアされることもあるのかと呆れながら、小笹は再びの眠りを求めてまぶたを閉じた。

 まだ辺りは闇が支配している。目覚めるには早すぎる。それなのに小笹の子宮は、生まれ出るだろう小説のタネにざわめいていた。それはどこか、予定していない妊娠をした女の心境に似ていた。


これは第1回さくらんぼ文学賞で、「踏んで踏まれてアンクレット」が1次を通ったことを受けて応募したんですけど、落選しちゃいました。


「踏んで~」と読み比べて、評価して頂けたら幸いです。


あと曽根には実在のモデルがいます。登場人物への感想もお待ちしています。

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