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一粒のチョコレート

オールディス辺境伯領は国境沿いに広がる大森林地帯『瘴気の森』と隣接している。

その森に住み着く魔獣たちが領土へ侵入しないよう、見張りと討伐の役割を担っているのがオールディス騎士団だ。


つまり、オールディス騎士団には、魔獣たちとやり合う手練れの騎士ばかりが揃っているということ。

見習いとはいえ、そんな騎士団に僕のような剣も魔法の才も無い者が所属するのは無茶な話だと思う。


しかし、それがわかっていても今の僕には現状を受け入れることしかできず、今日から訓練に参加するため室内訓練所へ足を踏み入れた。

途端に団員たちの視線が僕に突き刺さり、注目を集めてしまう。


「ふっ……。どうやら皆が僕の美しさに見惚れているようだな」

「辺境に追いやられた王子様が物珍しいだけですよ」

「何だと!?」


いつの間にか僕の背後に立っていたアイザックに驚きながらも、その失礼な物言いに抗議の声を上げる。

しかし、アイザックはそんな僕を見ずに、訓練場の団員たちをぐるりと見渡した。


「………見習い王子様がウロチョロしていると他の団員たちの邪魔になります。移動しましょう」

「なっ! 邪魔っ!?」


言いたいことだけを言うと、アイザックはさっさと室内訓練場を出ていこうとする。

あまりの言い草と態度に怒りが込み上げるが、ぐっと堪えてアイザックのあとを追った。


そして、僕とクライドが連れてこられたのは、まさかの屋外訓練場だった。


「まずは体力作りから。準備運動をして……」

「待て! ここで訓練をするつもりか?」

「何か問題でも?」

「問題しかないだろう! こんな場所で訓練をしたら僕の美しい肌が日に焼けてしまう!」

「………そうですね」

「そうですね、じゃない! 隈だけでも厄介なのに、日焼けなんてしてしまったら……」


そこへクライドが口を挟む。


「殿下、ここは王城ではありません」

「…………」


そう、ここは王城ではない。僕の容姿を管理する者たちはもういないのだ。


「日焼けなんて気にしていたら騎士にはなれませんよ。殿下はここへ何をしにいらしたのです?」


そこにアイザックの呆れたような声が続く。


「…………」


二人の言う通り、ここは王城ではないし僕は見習い騎士になったのだと自身に言い聞かせる。


「そうだったな……。よし、準備運動から始めればいいのか?」

「ええ。そのあとは俺の用意した訓練メニューをこなしてもらいます」

「わかった」


覚悟を決めた僕は、アイザックの指示通りに準備運動に取り掛かった。

しかし、何やらアイザックから不躾な視線を感じる。


「何だ?」

「いえ、やっぱり殿下の身体は細いと思いまして」

「昨日から白いだの細いだのうるさい奴だな!」


今日は訓練用の半袖シャツとズボンを着用しているため、僕の体型が余計に目についたのだろうか。

騎士団員たちと比べれば、ほとんどの男が細いだろうに……。


「こんなに華奢(きゃしゃ)だと、この訓練メニューをこなすのは無理かもしれませんね」


馬鹿にするようなアイザックの発言にカチンときた僕は、思わずムキになって言い返す。


「無理かどうかはやってみないとわからないだろう!」

「途中でやめたいと駄々をこねられても面倒なので」


今度は子供扱いされているようで、ますます腹が立ってくる。


「いいからさっさと始めろ! 僕は全てのメニューをやりきってみせる!」


それからは走り込みや筋トレなど複数のメニューをアイザックに言われるがままこなしていった。

ゼェゼェと息を切らし、流れる汗を腕で(ぬぐ)いながら考えることはただ一つ。


(どうしよう……。もう、やめてしまいたい)


最初はたいしたことがないと思っていたが、同じ動作を何度も繰り返していくうちに息が上がって身体が思うように動かせなくなってくる。


(うぅっ……ツライ)


なぜ僕ならできると思ってしまったのか……。

つい、助けを求めるようにアイザックへ視線を送った。


「ああ、やはり殿下にはきつかったですね」

「な、何も言ってないだろう!」


本当はきつくて仕方がないが、あんな大口を叩いた手前、途中でやめるとは言い出せず……。


「殿下ー! ファイトでーす!」

「…………」


日陰で休みながら棒読みの応援をするクライドを横目に、僕は全てのメニューを何とかやりきったのだった。



(もうダメだ……)


ようやく訓練が終わり、気力を振り絞って風呂にだけは入ったが、そのまま部屋のベッドの上に寝転がると動けなくなってしまう。

それほどに身体は疲れ切っていて、もうベッドが固いなどと文句を言う状況ではなくなっていた。


「夕食を運んでまいりますね」

「いや、あまり食欲がない……」


お腹は空いているはずなのに、なぜか胃が食べ物を受け付けようとしないのだ。 


「殿下、疲れているからといって何も食べないのはダメですよ。食堂で軽くつまめそうなものを選んできますから」


そう言って、クライドは僕の部屋を出ていった。

一人残され、僕はベッドに寝転がったまま睡魔に襲われる。


(ダメだ……。寝る前にスキンケアをしてストレッチを……あれ? もうやらなくてよかったのか?) 


そうだ。ここは王城ではない。

手を抜いても責められることはないとクライドも言っていた。


(でも、僕には容姿しか取り柄がないのに……それすらも失ってしまったら……僕は……)


そのまま思考はするすると闇に溶けていく……。

すると、ノックの音が部屋に響いた。


(ん……? クライドか……?)


時計を見ると、クライドが部屋を出てから十五分程が経っていた。どうやら気づかない内に眠ってしまっていたようだ。

僕はのろのろと起き上がり、ベッドから降りて何も考えずに部屋の扉を開ける。


「え?」


しかし、そこに立っていたのは、まさかのアイザックだった。


「食欲がないそうですね。食堂でお会いしたクライド殿から聞きましたよ」


クライドが告げ口をしたらしい。

しかし、当のクライドの姿が見当たらない。


「クライドはまだ食堂か?」

「ええ。夕食を食べておられましたから」

「…………」


(あるじ)を放って先に食事をするなんて……。


「それより、殿下にいいものをお持ちしたんです」

「いいもの?」


一体なんだろうと好奇心にかられた僕は、言われるがままアイザックを部屋へ招き入れる。

そしてベッドの端に座った僕に、アイザックはにっこりと微笑んだ。

その笑顔がなんだか胡散臭い。


「殿下、口を開けてください」

「え? 口を……?」

「ほら、大きく開けて……あーん」


戸惑いつつも言われた通りに口を開けると、そこにアイザックの指が()じ込まれる。


「んぅっ?」


突然、口の中に突っ込まれた指の感触に驚き、思わず唇を閉じると、ちゅぽっと音を立ててすぐに指が引き抜かれた。

そして、口の中に強烈な甘みとほのかな苦みが広がる。


「ただのチョコレートですよ。訓練がきつくて食事がとれない時はこれだけでも……」

「お、美味しい……!」

「え?」


チョコレートを食べるなんて何年振りだろうか。おそらく十年は口にしていないはず……。

僕は嬉しさと驚きで、あっという間に一粒のチョコレートを飲み込んでしまった。


(ああ、もったいない!)


口の中に残る甘さを最後まで味わいたくて、唇を閉じたままもにょもにょと口を動かす。


「……チョコレートがお好きなんですか?」


なぜか虚を突かれたような表情(かお)で、アイザックが尋ねる。


「ん? だって、久しぶりに食べたから……」 

「…………」


そのまましばらく僕の顔を見つめるアイザック。

僕はそんなことも気にならないくらい幸せな気持ちで口をもにょもにょと動かし続けた。


「もう一ついかがです?」

「いいのか!?」


アイザックからチョコレートをもう一粒受け取り、口の中に放り込む。

今度は舌を動かさずにじっくり味わっていると、痛いくらいの視線を感じた。


「どうしたんだ?」

「いや、思っていた反応と違うというか……。てっきり『肌に悪いものを食べさせるな!』って怒鳴られるかと思っていたので」

「…………」


わざわざ怒鳴られると思った行動をする意味がわからない。


「王城で甘いものは召し上がらなかったんですか?」   

「ああ。チョコレートだけじゃなく菓子類は全て禁じられていたからな。果物やナッツなら食べていたが」

「小動物か」

「ん?」

「あー……何でもないです。じゃあ、明日もチョコレートを用意しましょうか?」


アイザックのその言葉に、ぶわりと期待が高まったのが自分でもわかった。 

たかが菓子ぐらいでと思われるかもしれないが、十年もの間ずっと食べたくとも叶わなかったものを差し出されたのだ。


その時、頭の中に声が響く。


『全てはあなたの美しさを保つためなのですよ! 容姿しか取り柄のないあなたのためを思って言っているのです!』


キンキンと響く母上の金切り声……。

途端に、しおしおと気持ちが(ちぢ)れてしまう。


「容姿に影響が出るものは食べてはいけないんだ……」


これまで、僕が口にするものは母上によって徹底的に管理されていた。

そこに僕の好みが反映されることはなく、僕の容姿をより良い状態にするためだけの食事が用意され、それに異を唱えることは許されなかったのだ。


(うつむ)く僕を見ながら思案するような表情でアイザックが黙り込む。そして、再び口を開いた。


「身体を動かしたあとに甘いものを食べれば疲労を回復する効果があるそうですよ。これは嗜好品としてではなく回復を促すために食べるものです」

「疲労を回復……?」

「ええ、そうです」


整った笑みを浮かべながら、アイザックはきっぱりと言い切る。


「そ、そうか! それならば仕方ない。明日も頼んでいいか?」


疲労回復のためなのだから、チョコレートを食べるのは悪いことではない。

そんなふうに自身に言い聞かせていると、向かいに立つアイザックが笑みをこぼした。


「ぷはっ。殿下は可愛いですねぇ」

「はあ? どう見ても僕は美しいだろう!?」


そう言い返すと、僕を見つめる紫の瞳と目が合った。


これまでは(あき)れたような揶揄(からか)うような……そんな表情ばかりを僕に向けていたのに、今のアイザックはまるで獲物を狙うかのように目をギラギラとさせている。


(何なんだ……?)


なぜアイザックがそんな目で僕を見るのかわからず、戸惑いと居心地の悪さを覚えたのだった。



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