魔獣の暴走
※本日2話目の投稿になります。
よろしくお願いいたします。
アイザックに告白をされてから数日が経った。
彼は自身の言葉通り返事を待ってくれているのだが、僕への態度は目に見えて甘いものへと変わる。
訓練中は変わらず手厳しいが、それ以外の時間は僕への想いを隠そうともしなくなったのだ。
「サミュエル!」
訓練が終わり、宿舎へ戻ろうとする僕の背中にアイザックの声がかかる。
立ち止まり振り返ると、すぐにアイザックが僕に追いついた。
僕は相変わらず個別で訓練を受けているのだが、ちょうど終わる時間が重なったようで、廊下には僕と同じように宿舎へ向かう他の団員たちも歩いている。
そこへ僕の名前を敬称も付けずに大声で呼んだものだから、皆がぎょっとした表情でアイザックに視線を向けていた。
「な、何か用?」
ぎこちなく尋ねる僕に手を伸ばしたアイザックは、僕の左手を取ると、チュッと音を立てながら指先にキスを落とす。
「な、何を……!?」
「今夜も会いにいく。部屋で待っていてくれ」
「こんな場所でなんてことを言うんだ!」
反射的に大声で叫ぶと、余計に団員たちの注目を集めてしまう。
(本当に……どうして、わざわざそんなことを……)
ぷるぷると羞恥に震える僕に向けて、アイザックは余裕たっぷりの笑みを浮かべる。
その表情がこの男によく似合っていて、悔しいことに目を奪われてしまう。
その日の夜、僕の部屋を訪れたアイザックになぜ人前で誤解を招く言動をしたのかを問い詰めた。
辺境伯子息であり、騎士団の団長を務めているアイザックが相手であると広まれば、僕に手を出そうだなんて考える者はいなくなる。
だから、わざと人目につく場所であのような振る舞いをしたのだと、アイザックは悪びれることなく言う。
「返事を待っている間に横から掻っ攫われたくないからな」
そう言いながら甘ったるい視線を向けられ、僕は思わず俯いてしまう。
(しっかり外堀を埋めにきているな……)
僕の返事を待つと言いながら、攻撃の手を緩めるつもりはないらしい。
(アイザックのことは……嫌い、ではないと思う)
彼が周りを牽制していることも、やり過ぎだろうと思うのと同時に、そこまで僕を想ってくれているのだと……そう嬉しく思う気持ちがあるのも確かだった。
ただ、アイザックが僕へ向ける恋情と同じくらいの感情を自分も持っているのか……。
そもそもアイザックと恋人になってうまくいくのだろうか……。
考えれば考えるほどにドツボに嵌まってしまい、自分の思考に雁字搦めになっていく。
つまり、どうすればいいのかわからないまま時間だけが過ぎていく状況だった。
「そういえば、明日はピクニックに出かけるんだろ?」
アイザックがさらりと話題を変えてくる。
おそらく僕が返答に困っていたからだろう。
押しが強いくせに、変に気遣いのできるところがズルい。
「ああ。ジェイミーから誘われたんだ」
「アイツ、何日も前から楽しみにしていたみたいだぞ」
そう言って、アイザックはふふっと小さく笑う。
よほど甥っ子が可愛いらしく、ジェイミーの話になると彼の表情は柔らかなものに変わるのだ。
「アイザックは来ないのか?」
「あー……明日は騎士団の仕事があるんだ。悪いな」
そう言って、アイザックは僕の頭をぽんぽんと優しく撫でる。
「次の休みには一緒に遠乗りにでも行くか?」
「僕、馬に乗れないんだけど……」
「ははっ! そうだったな。ちょうどいい機会だ、乗馬にも挑戦してみろよ」
そうして穏やかな時間が流れていった。
◇
翌日、ジェイミーと共に馬車で向かったのは広大な湖のほとり。
馬車の見張りは御者に任せ、護衛騎士が乗ってきた馬たちを木に繋ぐと、さっそく木陰にシートを広げて準備を進めていく。
「王子様! 今日は晴れてよかったね!」
「ああ、そうだな」
木の葉が風にさらさらとそよぎ、水面にさざ波が立つ。
そんな目の前に広がる湖のさらに奥には、こんもりとした森が見えている。
このような自然に囲まれた場所で食事をするのは初めての経験だった。
「王子様! サンドイッチをどうぞ!」
「あ、ああ……」
「飲み物は何がいい?」
「水をもらおうか……」
「僕に任せて!」
シートの上に座った途端、ジェイミーがちょこまかと動き回り、僕の世話を焼き始める。
「ジェイミー様は僕より有能な従者になれそうですね」
そんなことを言いながら、僕の隣でしれっとサンドイッチを摘むクライド。
本来なら、これはお前の仕事だろ……。
「でも、僕は強くて立派な領主にならないとダメだから!」
ふんっと鼻息荒くジェイミーは宣言をする。
その様子を微笑ましく思うと同時に、こんなに幼くともすでに領主になる自覚があることに驚かされた。
「ジェイミーなら、きっと立派な領主になれるさ」
「本当!?」
「ああ、僕が保証しよう」
すると、ジェイミーがモジモジと恥ずかしそうに俯く。
「じゃあ、僕が大人になったら……その……」
「ん? どうした?」
言葉の続きを待っていると、顔を上げたジェイミーは何かを決意したかのような表情で口を開いた。
「王子様にプロポーズをしてもいい?」
「は?」
予想だにしなかった方向から爆弾が落とされる。
「だって、王子様はお城を追い出されちゃったんでしょ? 僕が領主になったら王子様を養ってあげる!」
「…………」
誰だ。ジェイミーに余計なことを吹き込んだのは……。
僕の隣で肩を震わせるクライドが、ゆっくりと口を開く。
「殿下の将来は安泰ですねぇ」
「…………」
結局、ジェイミーには大人になってから考えようと伝え、問題を先送りにして誤魔化してしまった。
ダメな大人である。
それから食事を再開し、あらかた食べ終えたジェイミーは護衛騎士に連れられ馬に餌をやりにいった。
「殿下はオールディス家の男たちにモテモテで……僕、妬いちゃいそうです」
二人になった途端に茶化すクライドをジロリと睨む。
僕の側にいるのだから、アイザックとのことも当然わかっていての発言だ。
「子供の戯言だろう」
「いえいえ、子供だからと侮ってはいけませんよ。大人でも子供でも人を好きになる気持ちに変わりはありませんから」
(ずいぶんわかったようなことを言うんだな……)
もしや、僕が知らないだけで、実は恋愛経験が豊富な男なのだろうか……。
アイザックのことを相談するチャンスかもしれない。
「その、相手から想いを告げられたとして……恋人になってもいいとどうやって決めるんだ?」
「そんなもの人それぞれですよ」
「ぐっ………」
思いきって質問をしたのに、身も蓋もない答えがクライドから返ってくる。
「だが、相手と同じくらいの想いを持っていないのに、応えるのは失礼じゃないか?」
「お付き合いをしていくうちに好きになることもありますからねぇ」
「いつ好きになるのかもわからないのに……」
「そもそも、頭で考えてどうにかなるものじゃありませんよ。どうにもならないのが恋なのですから」
「…………」
聞いてはみたものの、やっぱり僕にはよくわからなかった。
「ねえ! みんなで散歩にいこうよ!」
馬に餌やりを終えたジェイミーが戻り、そのまま湖の周りを散策することになった。
先導する二人の護衛騎士の後ろを僕とジェイミーが並んで歩き、その後にクライドが続く。
片付けと馬の見張りは、残った護衛騎士たちが引き受けてくれた。
懸命に僕に話しかけるジェイミーに相槌を打ちながら、湖に沿った遊歩道をゆっくりと歩いていく。
その時、パァンッと破裂音が空に響いた。
続けて二度、三度と破裂音は続き、音の方向に目を遣ると空には真っ赤な煙が漂っている。
「赤っ!?」
途端に護衛騎士の一人から緊張と驚愕の入り混じった声が発せられた。
この辺境の地では、有事の際にこのような色付きの煙が空へ打ち上げられる。
そして、空に漂う不気味な赤が示すのは──魔獸の暴走だ。
瘴気の森に住まう魔獣たち。
普段は広大な森から出ることはほとんどなく、稀に出てきたとしてもその数はたかが知れている。
だが、魔獣の暴走となると話は別であった。
すぐに避難をすべきだと判断し、僕らは来た道を急いで戻る。
すると、背後から空気がビリビリと震えるほどの咆哮が響いた。
「グルォォォォォォオ!!」
振り向いた先には、全身が深緑の皮膚に覆われた巨体に、前足と翼が一体化した翼竜。
その紅い瞳が僕たちの姿を捉えているのは明白だった。
「ここは我々が引きつけます! 早くお逃げください!」
そう声を張り上げながら、護衛騎士の二人が僕とジェイミーを庇うように前へ出て剣を構える。
「サミュエル殿下!」
後ろからクライドが僕の名を呼ぶ。
主である僕の指示を仰いでいるのだ。
「クライドは騎士たちに加勢してやってくれ。ジェイミーは僕が連れていく」
「御意」
「行くぞ、ジェイミー!」
「あ……あ……」
しかし、ジェイミーは翼竜の姿を目にしたまま恐怖で固まってしまっている。
仕方なく、僕はジェイミーを抱き上げて走り出す
僕だって震えるほどに目の前の魔獣が恐ろしい。
それでも、自分より幼いジェイミーの存在が、守るべき者がいるという事実が、僕の中の勇気を奮い起こしていた。
(鍛えておいてよかった)
以前の僕だったなら、ジェイミーを抱えて走ることすら難しかっただろう。
そのまま無我夢中で走り続けていると、片付けと見張り役を引き受けてくれた護衛騎士たちがこちらに走ってくる姿が見えた。
おそらく、赤の煙と翼竜の咆哮を聞きつけ、僕たちの救助に動いたのだろう。
(助かった!)
そう安堵した瞬間だった。
「グルォォォォォォン!」
咆哮と共に横から強風が叩きつけられ、空には旋回する翼竜の姿が……。
(まさか……!?)
一瞬、クライドたちがやられてしまったのかとヒヤリとしたが、目の前の翼竜はずいぶんと小型で、すぐに別個体であることがわかった。
もしかしたら、幼体なのかもしれない。
(もう一体現れるなんて……)
幼体といえども、その大きさは人とは比べるまでもなく、ジェイミーを抱えたままでは戦うこともできない。
そもそも、剣も魔法も翼竜に攻撃できるほどの腕が僕にはなかった。
(僕にできるのはこのまま逃げることだけ)
だが、騎士たちと合流するべく、再び走り出した僕の背中に痛みと衝撃が走る。
ワイバーンが後ろ足で僕の背中に蹴りを入れ、その衝撃に耐えきれずに僕は地面に倒れ込んだ。
咄嗟にジェイミーの頭を腕で庇い、そのままゴロゴロと地面を転がっていく。
──ジェイミーを守らなければ……!
その一心で、地面を転がり終えた僕はジェイミーの上に覆い被さる。
「ああああああっ!」
今度は背中を切り裂くような衝撃。
そして、与えられた痛みに耐えきれず、僕は人とは思えぬような獣じみた叫び声を上げていた。
それでもジェイミーだけは傷つけまいと、覆い被さった姿勢のまま痛みに耐え続ける。
「殿下ぁぁぁっ!!」
クライドの声と、何かが燃えるような焦げた匂い……。
そこでプツリと僕の意識は途絶えてしまったのだった。