愛しい香り姫、その健気さで幸せを手に入れる
むかしむかし、ある国にルキアという美しい姫がおりました。絹のように滑らかな肌に柔らかく輝く髪、黒真珠を埋め込んだような瞳は気高く誰もが姫の虜になりました。また、姫からは生まれつき薔薇のかぐわしい香りが漂っていました。人々は彼女を「愛しい香り姫」と呼び、慕っておりました。
ところが、ルキアに嫉妬心を抱いた者がありました。魔女ワガバーヴです。ワガバーヴは侍女になりすましてルキアに近づきました。そして、二人きりになったところでルキアに呪いをかけました。
なんということでしょう。ルキアの肌は皺だらけになり、髪はボサボサの白髪に変わりました。すっかり老婆に成り果てたルキアに変わって、ワガバーヴはルキアそっくりの美女に変身します。
「さあ、これで誰もアンタなんかに振り向かないさ。どこにでも行っておしまい」
ルキアは泣きながら城を後にしました。ワガバーヴに身の上を乗っ取られては、誰もみすぼらしい老婆の話など聞かないと思ったのです。
それからのルキアには、辛い旅が待っていました。一晩の宿、ひとかけらのパンすら満足に恵んでもらうことも難しい日が続きます。これほどまでに容姿のみで人々は冷たくなるのだとルキアは涙を流しました。
***
数年後、ルキアはとあるお屋敷の調理場で働くことを許されました。主にかまどの番をする辛い仕事でしたが、凍えてお腹がすくよりいくらもマシでした。ルキアは炊事場で賢明に働きました。はじめは意地悪だったコックたちも、ルキアのひたむきな態度に直に心を入れ替えました。
「明日はいよいよ、坊ちゃんの結婚式だ。しっかり準備をしなければ」
屋敷の主人の息子の結婚式のため、ルキアはその日働き続けました。次の日、屋敷で盛大な結婚パーティーが開かれました。若い二人が幸せそうに寄り添い、周囲は二人を讃えていました。本当は年がそれほど離れていないルキアでしたが、結婚式をとても遠い世界の出来事のように感じました。
結婚パーティーは夜遅くまで続きました。他の者が寝てしまっても、ルキアは暗い調理場で火の番をしながら後片付けを続けていました。
「ちょっと、水をくれないか」
そこへ、パーティーの参加者がやってきました。酷く酔った、若い男でした。
「はいはい、どうぞお座りになって」
ルキアは男を自分が使っている椅子に腰掛けさせ、すぐに水を差し出しました。
「悪いな……ばあさん。ここは静かでいいな」
水を飲み干しても、男はルキアの椅子に座り続けました。
「静かで、とても寂しいところですよ」
「そうだろうか。何故かとても、懐かしい感じがするんだ。何故だろう」
男は顔を上げました。その顔を見て、ルキアはあっと叫びそうになりました。まだルキアが城にいた頃、熱心にルキアの元を訪れていた国務大臣の息子のグレゴリーでした。
「なあ、ばあさん。よければ俺の愚痴を聞いてくれないか」
「わ、私のようなおばあちゃんでよければ……」
ルキアはおそるおそるグレゴリーの話を聞くことにしました。
「俺には昔、好きな女がいた。だけど、最近すっかり変わってしまった。俺はその女の見た目よりも、心根が好きだった。誰にでも笑いかける、花のような優しさが俺は大好きだったんだ! それなのに、あいつは、変わっちまった!」
酔いに任せて、グレゴリーはルキアに知らず知らず愛を伝えました。
「今日友人の結婚式に来て、俺は自分が情けなくて仕方なくなった。俺はあいつと結婚するかもしれない。俺の好きだった女じゃなくて、変わり果てた女を俺は一生愛さないといけないのか!? 俺の言うことを誰も信じない。俺だけはわかるんだ、あいつが変わっちまったってな!」
ルキアは、グレゴリーが変わらず自分を愛していたことを知ってはらはらと涙をこぼしました。
「こんなこと言っても誰も信じてくれないだろう……おい、ばあさん。何を泣いているんだ?」
「いえ、大変お可哀想なお話だと思いまして……」
「酔っ払いの戯れ言だぞ。そんなに入れ込むような話じゃないだろう」
それでも涙を流し続けるルキアを見て、グレゴリーはあることに気がつきました。
「言え。何故俺の話で泣く?」
ルキアの胸は潰れそうになりました。グレゴリーはルキアに近寄り、その腕を取りました。
「ご、ご勘弁を……」
「もう泣くな。これは命令だ」
そう言って、グレゴリーはルキアを抱き寄せました。
「やっと見つけました、愛しい香り姫」
調理場には、薔薇の香りが立ちこめていました。懐かしい花の香りに包まれ、グレゴリーはルキアの正体に気がついたのでした。
「誰ですか、あなたをこれほど泣かせたのは。あの女の正体を暴かねばなりませんね」
グレゴリーは、ルキアに「今しばらく隠れていてほしい、必ず迎えにくるから」と告げました。ルキアはグレゴリーの腕の中で、ただ頷くことだけしかできませんでした。
***
一方、ワガバーヴはルキアの容姿を手に入れてから好き放題に暮らしていました。ひとたび笑えば男が振り向き、涙をこぼせば女が慌てる。このような有様でしたから、ワガバーヴは全てが自分のものになると本気で信じていました。
その日は、婚約者である国務大臣の息子のグレゴリーとの会食の日でした。昔からルキアに熱を上げていたこの御曹司も手に入れられると思い、ワガバーヴは有頂天になっていました。
「ねえ、ルキア。相談に乗ってくれないか?」
「一体どんなことでしょうか?」
最近はあまり口をきかなくなったグレゴリーが話しかけてきたので、ワガバーヴは嬉しくなりました。
「最近、僕の友人が酷い目にあったんだ。悪い女に騙されて、本当に結婚するはずだった人とは違う人と財産目当てで結婚させられてしまった」
「まあ、なんて酷いお話」
「ルキア、君ならどんな罰を与えるかい?」
ワガバーヴはグレゴリーと話を続けたくて、罰の中身を考えました。
「うんと酷い罰にしてやりましょう。裸にして、みんなの前に放り出して国民ひとりにつき一回ずつ鞭打ちさせるってのはどうかしら?」
笑顔で答えるワガバーヴに、グレゴリーは笑顔で答えました。
「それはいい考えだ。入っておいで、ルキア」
グレゴリーに招かれてその場にやってきた老婆を見て、ワガバーヴは凍り付きました。全てが白日の下にされたことで呪いは解け、ルキアは老婆から元の美しい姿に戻りました。そして元の姿に戻ったワガバーヴを一斉に兵士たちが取り囲みました。
「確か我が国の人口は四万六千、七千だったかな? 自分で考えた罰は、自分で受けるべきだ。この魔女め」
兵士たちに捕らえられ、ワガバーヴは叫びました。遠ざかっていくワガバーヴの悲鳴を聞きながら、グレゴリーは再度ルキアを抱きしめました。
「もう離さない。もう二度と、君を泣かせたりはしない」
ルキアは涙を流す代わりに、にっこりと微笑みました。その頬に浮かんだ薔薇色の血色に、グレゴリーは唇を押し当てました。
***
その後、魔女の処刑が行われました。鞭何発まで魔女は生きているかという賭けが行われ、庶民はこぞって処刑を見に行きました。魔女であったワガバーヴの生命力は強く、千発までは耐えましたがそこから先は意識がなくなり、三千発で全く動かなくなりました。それでも皮と肉がある限り、彼女は鞭打たれ続けました。花弁のように舞い散る肉片が、処刑台の上にたくさん降り注いでいました。
それからしばらくして、ルキアとグレゴリーの結婚式が開かれました。絹のように滑らかな肌に純白のドレスが、柔らかく輝く髪には金のティアラが、黒真珠を埋め込んだような瞳から溢れる慈愛はグレゴリーを包み、二人はその後いつまでもいつまでも幸せに暮らしましたとさ。
〈了〉
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