思い出の英雄
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――これは、ネーゼ・シルバという一人の少女のとある物語
彼女が生まれ育った村は、作物もロクに育たない辺境の土地だった。
そのせいか15歳を越えた男達はみな、兵役と称して都へと連れて行かれていた。
そのおかげで彼女は、生まれてこの方父の顔を知らない。
それでも、彼女はそれ自体は不幸だと感じたことはなかった。
なぜなら、それは彼女だけに課せられたものではなかったからだ。
だがある日、彼女は世界が理不尽だと知ってしまった。
彼女が住む村が、たった一匹のモンスターに壊滅させられた日に。
彼女は知った。モンスターと人類との間にある圧倒的な力の差を。
でも、彼女が真に理不尽だと感じたのは力の差ではなかった。
彼女が理不尽だと感じたのは、あくまで人間のシステムの方にである。
彼女が住む村を含めたここら一帯の地は治めるのは、とある商会である。
つまるところここは商会領であった。
国に属することなく貿易や駐屯兵を安定させ、ここら一帯に強大な影響をもたらしていた。言わば、独立国家そのものであった。
そして、彼女が住んでいた村の目と鼻の先には駐屯兵が駐屯する都があった。
それなのに、出現したモンスターは放置し駐屯兵すらよこさない有様だった。
さらに言えば、そのモンスターはお世辞にも強いと言えるほどのモンスターではなかった。
村に男達さえ居れば壊滅すらしない程度のモンスターだったのだ。
彼女は怒った。世界の理不尽さに、モンスターという存在に、醜悪な人間達に、生産性がないという損得でしか見れない商人の秤が、数百人の命より数人の駐屯兵の軽症を惜しんだのだ。
だが、彼女が怒る理由は他にもあった。
彼女はこの土地を誰よりも愛していた。
友人達との日々の暮らしも、母親との思い出もすべてが至宝であった。
その思い出の土地が崩壊しようと、彼らがいればそれで良かった。なのに、なのにだ、商会は助かった命すら見捨てようとしたのだった。
彼女達が住む村人全員に、都への交通許可はもちろん侵入することすら禁じたのだ。
そして、不運は連鎖するように続いた。
当時の彼女は知る由もなかっただろうが、村が崩壊したのにも関わらず全滅をしなかったわけを。
それは、モンスターに知能があったからだ。
そして、知能があるモンスターを人々は魔族と呼ぶらしい。
つまり魔族はあえて村を崩壊に押し留め、しばしの狩り場ということを商会へと宣言したのだった。
そして見捨てられた彼女達は逃げ場がない中、一人一人喰われていくことが魔族と人間とで暗黙の了解となり、村人の死が決定していた。
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だが、彼女をさらに激昂させる事態は続く。
それは、魔族の家畜として生かされて一週間と少しばかり経った頃のことだった。
その日の晩、ネーゼはついに魔族から夕食として指名されたのだ。
髪の長い人間の女性のような魔族に、「今日は、君」といった感じで。
常人であったならその瞬間に、逃げ出すか泣き叫んだかもしれない。
実際、今まで指名された家畜達は大概魔族に半ば強引に連れ去られていた。
だが、この少女は違った。今の彼女とほぼ変わらない強い精神力で、指名された直後に自ら魔族の元へと向かった。
常人がこの日を恐れる中で、ネーゼはこの日を待っていたのだ。
魔族が家畜から食事へと初めて指名したあの日から、今日という日をずっと静かに待っていた。
隠し持ったナイフをあの日以来ずっとポケットに忍ばせ、今まで喰い殺した人間の仇と自らの生存をかけて、ネーゼは人生初めての人殺しを覚悟し歩み出ていた。
しかし、そこに待ったをかける人物がいた。
それは、ネーゼの母親だった。
「待ちさない!その子を連れて行くなら、私を連れていきなさい」
病に冒された身体を娘のために久方ぶりに起き上がらせ、今にも倒れそうな身体をドアノブを杖のように掴み何とか立っている状態だった。
村人達が黙ってその光景を眺める中で、母親が向ける眼差しはとても病に蝕まれた人間の顔ではなかった。
凛とした顔立ちで、魔族の返事次第では食って掛かりそうな剣幕だった。
だが、
「弱ってるのはいらないから君は寝てていいよ」
と魔族の女はしれっとした顔で告げる。
意味は多少異なるが、それは女の戦いであった。 もし仮に相手が人間の雄であったのなら、どんな傑物であろうと間違いなくこの場を後しただろう。
しばしの睨み合いが続いたが、ネーゼの母親が支えている腕から時間切れの痙攣がしその場で倒れ込んだ。
村人達がネーゼの母親を心配し駆け寄ったが、誰よりもその場に向かいたかったであろうネーゼは魔族の腕を掴んだまま踏みとどまった。
その様子を魔族はちらりと見ると、そのままネーゼを連れて寝所へと向かった。
その間、ネーゼの母親が這いつくばりながら何度も何度も静止するように語り続ける中で、ネーゼは揺れ動く心を隠し持ったナイフを手に掛けて何とか繋ぎ止める。
そして、母親の声が届かなくなるまでに心を落ち着かせ再び魔族を殺す覚悟を決める。
ネーゼが大きく最後に息を吐き出しようやく覚悟が決まった時、魔族はネーゼが逃げ出さないと理解したかのように手を離し前を歩き出した。
そのタイミングで、『はっ!』と気合を込め背後から刺突を食らわせる。
次の瞬間、ネーゼの手から温かい感覚がした。
生まれて始めて殺したという実感と、手に飛び散った血が染み入るような気色悪い感覚が寒い夜空の中で鮮明に感じる。
そして、
「離して……」
と魔族からこぼれた。
魔族の女はまるで刺されるのがわかっていたかのように腹部で食らい、それに驚いて距離を取るネーゼが置き土産として残したナイフを抜き取る。
魔族はナイフから自分の服で綺麗に血を拭き取り、ネーゼへと迫る。
そして「はい」といいながらナイフを差し出す。
警戒するネーゼとは対照的に、表情一つ変えず柄の部分を向けて渡す気遣いまでしていた。
ネーゼは少し困惑した。
命を狙った自分を殺さず、何故か未だに寝蔵へと連れて帰えることに固執していることに。
しかし、この化物が村人を殺したことは紛れもない事実。
ネーゼは化物からナイフを奪い取り、再びナイフで攻撃を仕掛ける。
が、今度は爪で上手くあしらい躱した。
結局最後には、ネーゼが持っていたナイフは魔族によって弾き飛ばされてしまった。
そしてやはりと言うべきか、魔族は一向にネーゼを攻撃する素振りを取らない。
挙句の果てに、自らで飛ばしたナイフを拾いネーゼへとまたしても差し出した。
「なんで?」
と思わず口に出してネーゼに。
「君のでしょ?」
と静かに答え、ネーゼへと血まみれの手を差し伸ばす。
「あぁ、血がついて手はやだよね」
そう言って服で血を拭き、再びネーゼへと手をのばす。
「これでいい?」
「なんで……?」
ネーゼは先程と同じ言葉が出た。
どう考えても理解できない彼女の行動が、それ以上の問いが思い浮かばなかったからだ。
目の前にいるこの化物は、間違いなく自分を殺すと決意した眼差しを向けている。
だが、こちらからどれだけ仕掛けようと彼女は絶対に攻撃を仕掛けない。
むしろ、攻撃を弾く段階ですら怪我を負わせないように注意してように見受けられる。
それ故に、彼女はそれ以上の言葉が出なかった。
沈黙が数秒流れ、ようやく彼女から出た言葉は。
「喰べるためだよ」
と、ごく当たり前の回答が出てきた。
微かではあったが、その時ばかりは母親の顔をした。
それだけでネーゼは理解した。
自分は、おそらくこの化物の子供に与える食料なのだと。
「子供のために?」
「そうだよ」
「じゃあ、子供達は私が殺すわ。文句ないよね」
「わかった。殺せたら、君は逃してあげる」
そう返した魔族が腕を出し、それに応じ手を出そうとしたところで。
「何だ、お主?その子の母親か?にしては似てないが?」
と男の声が聞こえそちらへと視線が動く。
すると、そちら側にいたのは人間だった。
それも、三人組と何とも少ない数の。
ネーゼは傭兵という存在は知っていたが、実際に見たことがなかった。
だが、おそらくこれが傭兵何だと一瞬で理解した。
彼らが目指す進行方向とは逆の方向は、ろくに国道も整備されていない完全な人間圏外の領域だったからだ。
そこから姿を現した三人組、騎士達が纏う鎧とは似ても似つかない素朴な装備を纏う彼らの正体は傭兵以外にいなかった。
「どいて、そうしないと殺す」
魔族は傭兵の一人が声をかけた時にはすでに腕をかざし、魔法を放つ素振りを一瞬でとったが、その男を見て瞬時に交渉へと切り替えた。
しかし魔族が次の言葉を発する時には、地面にめり込み『ぶしゃ!』と汚い音がするだけだった。
「何だ、今のが魔族か?噂に尾ひれどころか羽まで生えた程度の輩ではないか」
と地面に沈めた頭蓋を離し、男らしい声でつまらなそうに吐き捨てた。
「魔族はお前だ。化物を一撃を沈めるようなやつを人間とは呼ばねぇ」
「そうか?なら、魔族と人間にさほどの力量の差はなさそうだな」
と巨躯のから異次元発言が言い渡され、ネーゼへと視線が向けられた。
「ほんでお主、何用でこんなところにいる?夜道は危ない。儂らが連れ添ってやるから村へ案内できるか?」