愚者か賢者か3
不意に放った店員の一言がアルベールのコーヒーに差し出された指をピクリと止める。それだけではない。
どこからか無数の視線が店員へと集中する。あのプライドの塊の王のことだ。アルベールを反乱を企てた主犯にでも仕立て上げたのだろう。
事実、モンスターを引き連れたのはアルベール自身なのだから、あながち間違えではなかった。しかし、アルベール達の所在がバレるのはさすがにまずい。
ここにいることを知れば、兵を派遣するかもしれない。そうなれば全滅は道理。だか、アルベールを凍り付かせたのはそんなことじゃない。
彼を留意させたのは誰もが一度は住みたいと願う王都から犯罪者呼ばわりされている男達を前に、一切の嫌悪感を示すことなく接する少女自身にだ。むしろ彼女からは親しみすら感じさせた。
「へぇー、知ってたんだぁ。通報すれば懐が暖まるだろうに……。それとも、取り引きでもしたいのかい?『お嬢ちゃん』」
アルベールはその一言で表情を変え、刺すような低い声で相手の様子を伺う。
「ううん、そんなことしないわ。私、あなたみたいな人結構好きよ。『助けたい』にそれ以上の理由はいらないもの。だって、助けたいんですもの」
キッパリと、穢れを知らなそうな純粋な出で立ちで凛として答える。正しくあろうとしているようには見えない。
彼女が掲げる子供じみた願望のようであり、信念にも見える。彼女のあり方に不意に口元が緩み、アルベールはまるでワインでも味わうように噛み締めると、少女を正面に捉え次の問いに耳を傾ける。
「なら君に問おう。一一君はなんのために生きている?そして、君は何で笑っていられるんだい?ウェイターとしてのプロ意識か?それとも、諦めからくる笑顔か?僕に教えてくれないか?」
本当に愉しげに、それでいて恐ろしげな目線で問いかける。彼女から発せられるすべての情報を汲み取り、心の底まで見透かした眼光炯々とした面持ちで。
「笑顔って、とてもかわいくてハッピーにしてくれるからよ」
「ハッピー?」
そのあまりに短い言葉以上の意味を含んだコールアンドレスポンスを挟み。
「そう。世の中は広いのよ、私より可愛い子だっているし、私より綺麗な子がいるかもしれない。でも、私が笑っていればその子より可愛くなれるかもしれないでしょ?」
「つまり、自己顕示欲のために笑うと?」
「何でそんな偏った見方しかできないの?私が笑えば皆が笑う。皆が笑えば世界が笑う。世界が笑えばハッピーになるでしょ?そしたら絶望なんてどこかへ行っちゃうもの。たとえ希望なくても、笑顔だけはなくなってはダメ。だって、笑えない世界なんてちっとも楽しくないもの」
舐め腐ってるとしか言い難い回答。たかが町娘一人の笑顔一つで、世界を変えられると。あまりに傲慢で愚かな回答。
浅薄として鼻白んでもおかしくない。現に、レナであったならばそうしたかもしれない。しかしながら自信たっぷりに、恥ずかしげもなく言い切った言葉はもはや清々しい。
馬鹿と天才は紙一重という言葉も存在する。店員が胸を張って発した言葉は、一周回って賢人のそれにも聞こえる。
世界を回って導き出された回答がそれ即ちこれである。と言われれば、そうであるとも取れる。だが、文字通り馬鹿正直に受け取れば愚案のそれである。
彼の目にはどう映ったのだろうか?愚者か、賢者か、あるいは別の何かか。レナは物珍しそうにアルベールを見る。愚者として普段相手を驚かせるこの男が、一体どう反応するのか?と。
「ハハハハハ。なるほどなるほどそりゃあいい。私の負けだ。確かに世界中の人間が笑っていられる世界があったのなら、君の言う通り世界は笑顔で溢れているだろうね。まったく、女性には驚かされてばっかりだ」
アルベールの表情は綻び、破顔した。それも、とても満足そうに。
「君のような優しい笑顔をするものもいれば、私に好意を寄せながら冷たい態度ばかりとる者もいる。ね、レナ」
「蹴るわよ」
「ハッハッハ。そういえば、まだ君の名前を聞いていなかったなぁ。名は?」
「私はネーゼ!ネーゼ・シルバよ。よろしく」