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海鎮め  作者: 柴乃与一
3/3

最終章 海鎮め

 八月十四日

 午前二時十三分


民宿の古びた引き戸を、なるべく音を立てないよう慎重に開ける。

玄関先で白装束に着替えた山田さんが座礼をし、出迎えた。

「中は狭いので、ここから先は俺一人で」

 俺は背後で息を潜める四人の付き人に告げ、屋内へと入った。

「祀り人様は二階で寝でらっす。ただ……腹つれぇどのごどで、晩げのまま一口も食わねがったっす……」慣れない敬語を使い、山田さんが言う。

 海鎮めの際、祀り人が負う苦痛を最小限に和らげるためにも、夕食には多量の眠剤を混入させる取り決めとなっていた。それを浦木は予定外にも口にしなかったという。

「ただ、さきたちょっと部屋どご覗いでみだっけ、ぐっすり寝でる様子だったっす」

 時刻は深夜二時を過ぎている。旅の疲れもあるだろう。眠剤がなくとも熟睡しているはずだ。いや――、そうであってほしい。痛みも感じないほどに眠っていてほしい。俺は山田さんに頭を下げ、二階への階段を上がり始めた。

 息を殺し、一段一段慎重に上がっていく。面をつけているためか、酷く息苦しい。刀を握る手が汗ばむ。

 だが、面の下で俺は――笑っていた。口角が上がり、顔が歪む。

 俺は楽しんでいるのだろうか。この状況を。

 早く殺してしまいたい。

 殺して、全部終わらせてしまいたい。

 俺に町民全員の命がかかっている。

 俺は救世主だ。

 俺にしかできないんだ。

 俺がなにもかも救ってみせる。

 俺ならやれる。

 今の俺に、出来ないことなんかない。


 浦木が眠る居室の前に立ち、呼吸を落ち着かせる。

 襖の取っ手に指を掛ける。

 片目がやっと覗けるほどの僅かな隙間から中の様子をうかがう。

 障子窓が微かに開いており、青白い月光が差し込んでいる。

浦木が布団を頭の先まで被り、眠っているのが見えた。

 しばらく様子を見るが動きがない。完全に眠っている。

 俺は覚悟を決め、恐る恐る取っ手に掛けた指に力を込めた。

 衣擦れの音にも細心の注意を払い、忍び足で居室へと入る。

 息を殺しながら布団の真横に立ち、浦木を見下ろす。

 月に雲がかかり、部屋が次第に暗黒に染まっていく。

 注射針を皮膚から抜くように、ゆっくりと鞘から刀を引き抜く。

 鞘を足元へ置き、両手で柄を握る。

 切っ先を、膨らんだ布団に向ける。

 浦木の腹部であろう位置に、狙いを定める。

 目を閉じ、深く静かに、肺の中を空っぽにするように息を吐き出す。

 これで、全てが終わる。

 目を見開き、思い切り空気を吸い込み、俺は刀を突き刺した。


 ドスッ――


「あのさぁ……いつまでこうしてんの? 夜明けまでこのままここに居るつもり?」

 助手席に座る紺色の作業着を着た痩身の女が、スマホを片手に、明るく染めた長髪をかき上げながら怠そうに言う。流行を過剰に意識したメイクを施し、その見た目からは年齢が読めない。

「うるっせぇな……。おめーが池田んとこのガキに会いてぇつーから乗せてきたんじゃねぇか。暇なら夜釣りでもしてこいよ。竿貸してやるから。今の時間ならイカとか釣れんぞ」

 運転席に座った中年の男が言う。助手席の女と同じ紺色の作業着を着こんでいる。がっしりとした体躯に髭面という風貌から、土建業者を連想させる。袖をまくった腕は筋肉が盛り上がり、切り傷や火傷などの、多数の傷跡が見える。

「いや……別に釣りとか興味ないから。潮風でべったべたになるし。こんなに暇するとは思ってなかった」

「今まであいつの勘が外れたことがあるか? 上手くいきゃあ、後処理のこと考えずに今日一日で全部済ませることが出来るかもしれねぇんだ。黙って待とうや」

「はいはい。あーあ、早くヒデに会いたいなぁ。つかさ、この三人って誰なの? ヒデの知り合い?」女がスマホの画像ファイルを眺めながら訊く。

「知らん。どこのどいつにしろ、とにかくそいつらは『なし』だ」

 夜の波間を眺めながら二人はタバコを吹かした。男が溢れんばかりの灰皿に無理やり吸い殻をねじ込もうとした時、男のスマホがけたたましい着信音を上げた。

「ホラ、来なすったぜ」男がニヤリと笑う。

「しっ!」女が男のスマホを凝視しながら制止する。

 スマホの着信画面には『いかれ野郎』と表示されている。

電話には出ず、二人は期待に胸を膨らませた様子で着信を告げ続ける画面に見入っている。やがて着信は止み、車内を再び静寂が包んだ。

「何秒?」

「三十」

「は……? マジ? うわ、だる……」

「多いな……明日休みでよかったわ。帰り遅くなるって連絡しとけ」

 男は胸ポケットからグシャグシャになったウィンストン・キャスターソフトを取り出し、一本咥えて火をつけた。

「あたしにも一本」女がシートベルトを締めながら右手で催促する。

「ざけんな。大体お前、今日一日で何本俺から取ってんだ」

 男はイラ立ちをぶつけるかのようにアクセルを勢いよく踏み込んだ。


 終わった――。

 全部、終わった。

 加藤は目を閉じ、肺の中身を全て吐き出した。

 呼吸を落ち着かせようとするも、身体が言うことをきかない。

 突き刺した刀を握ったまま、加藤はその場にへたり込んだ。

 罪悪感は微塵もなかった。あるのは鎮め人という重圧から解放されたことによる、津波のように押し寄せる安堵感だけだった。

「浦木……ありがとう。本当に、ありが――」

「いえいえ。どういたしまして」

刹那、加藤は刀を引き抜き、声がした背後へ遠心力を乗せた一撃を繰り出した。

金属と金属がぶつかり合う衝撃音。安堵から一転、気が完全に動転してしまい、焦点が合わない。

 月を覆っていた雲が晴れ、月光が再び居室を照らし出した。

 浦木が立っていた。

 昼間と同じ、黒のTシャツに黒のハーフパンツ。

 大型のサバイバルナイフで加藤の刀を止めている。

「あ……あ……う、浦木……な、なんで――」声にならない声が漏れる。

「なにアホみたいな声出してるんですか。それになんですかその恰好。かっこよすぎ」

 ナイフを一振りし、刀を弾き返す。加藤は面を外し、浦木を見据える。

「加藤さんが刺したのはただの座布団ですよ。押し入れにたくさん入ってたので。あんな古典的なトラップに引っかかるとか……うちの村の小学生以下ですよ」

「お、おま、お前その……」

「暗殺を狙うつもりで来てるんですよね? なのにあんな大勢引き連れて……バカですか? 階段上がってくる時の呼吸音も足音も丸聞こえ。でもまぁ、気が動転しつつも咄嗟に攻めに転じた姿勢は百点ですよ。普通は中々できない」

 浦木になにを言われても加藤は声が出なかった。今、自分が置かれている状況を整理しようとするも、目の前の現実に理解が追いつかない。

 海鎮めが失敗した? 自分は次にどう行動すればいい? 下の役員を呼ぶか? どうするどうするどうする――。

「まぁ、そりゃパニックでしょうね。加藤さんが落ち着くまで談笑でもしましょうか。訊きたいことがあったらなんでも訊いてください。答えますよ」

 浦木がナイフを弄びながら持ってきたクーラーボックスに腰をかける。

「初めから知っていたのか? 自分が殺されると、全部知った上で琴浜に来たのか……?」

「いや、確信に変わったのは、それこそ昨日ですよ。加藤さんの正月頃からの豹変ぶりを見て「あ、この人、ひょっとしたら僕と『同類』かな?」と思って、機会を窺っていたんです。で、昨日鎌かけたら案の定あっさり釣られてくれちゃって。そりゃアホでも勘づきますよ」

 浦木が加藤を嘲るように笑う。

「『同類』って……どういう意味だよ」

加藤が歯を食いしばりながら訊く。

「カッコつけて言うなら、因習に囚われた哀れな歯車――かな」

「お前の地元にも、海鎮めのような因習があるって言いたいのか?」

 加藤は落ち着くどころか、鼓動が早鐘を鳴らしている。

「ええ、ありますよ。『灯獲り』といって、五年に一度、村の人間に敵意と殺意がある人間の首を五つ、山の石碑にお供えするんです。五年のサイクルで首を五つってヤバくないですか」

 浦木は自分の地元に纏わる因習を、小学一年生の児童に対し、新任の教師が昆虫の生態を面白おかしく解説するかのように聞かせた。クーラーボックスに腰かけたまま障子窓をそっと開き、外の様子を窺っている。

「で、今年がその灯獲りの年なんですけど……先月、村の連中に「お前も参加しろ」って言われちゃいましてね……意外と大変なんですよ。ただ殺して首スパンってわけにはいかないから。本気の敵意と殺意を持った人なんて、そうそうお目にかかれるもんじゃない。もうまいっちゃって」

 それで最近調子が悪かったのかと、加藤は理解した。昨日、俺がこいつから聞いた悩みは全てでまかせ――、誤魔化すためのただの茶番。浦木も自分と同じ、因習の役目を背負った人間なんだ、俺はハメられた――と。

「お前、この町になにをしに来たんだ? 海鎮めを調べたいって目的も嘘なのか」

「本気の敵意と殺意を拾いに。でも、海鎮めを調べたいって目的は大マジですよ。むしろ僕的には調査の方が何倍も大事だ」

加藤が「敵意と殺意を拾うってなんだよ」と、言いかけた時、ドタドタと階段を上がる足音が聞こえ、山田が血相を変え居室の襖を開いた。

「し、真ちゃん! こ、こいは……祀り人――起ぎだったんだが」

「あ、こんばんはー。さっきは晩ご飯食べれなくてすみません。どうせ薬盛られてんだろうなぁって思ったら食べる気が失せちゃって」

「こ、こんの、どぐされぇえええぇえッ!」

 山田が手にした料理包丁を振りかぶり、浦木に突進した。

 浦木が振り下ろされた手を、センターフライをキャッチするように軽々と片手で受け止めた。掴んだその手を、ドアノブを軽く捻るかのように回した矢先、地鳴りのような音が響いた。

 山田が床に倒れ、痙攣しながら泡を吹き、失神している。

「ね。これが本気の敵意と殺意ってヤツですよ」

 手首の骨を軽快に鳴らしながら、横たわる山田を足で小突く。 

 瞳孔が開いた浦木の両目が月光で妖しく光り、加藤を見据える。

「お前を殺らなきゃ……みんな死ぬ。お前を殺らなきゃ俺が死ぬ……」

 加藤が刀を握る手に力を込め、指先がみしみしと音を立てる。

「あー……、止めといた方がいいと思いますよ? 加藤さんは僕に勝てない。絶対に」

「浦木ぃいいいいいいッ!」

 浦木の頭上から一気に刀が振り落とされた。

 しかし、刀は浦木の身体ではなく、浦木の背後に掛けられていた、水墨画の掛け軸を斬りつけた。

加藤が「いない?」と思うよりも速く、右足に激痛が走り、身体が大きく傾いた。

屈んで刀を躱した浦木に、足払いをかけられたと理解した頃には、加藤は入口の襖を突き破り、無様に廊下に倒れていた。

足払いで姿勢を崩したとほぼ同時に、浦木は加藤の胸に掌底を浴びせ、三メートル以上突き飛ばした。

「だから言ったでしょ? 勝てないって。僕の育った村じゃ、物心ついた時から、ありとあらゆる戦闘訓練を嫌というほど積まされるんです。自由もクソもない。外の世界で子どもが友達と大はしゃぎで遊ぶ中、僕は村の大人相手に本気の殴り合いやら命懸けのサバイバルを経験させられて育ったんですよ」

 加藤は消え失せそうな意識を必死に留め、浦木の言葉を聞く他なかった。一呼吸する度に、胸に耐えがたい激痛が走る。

「少し、僕の産まれ育った村の話でもしましょうか」

 浦木はタバコに火をつけ、深々と紫煙を吐き出した。

「さっき僕の村の因習、灯獲りについてちょっと話しましたよね。海鎮めと同じく、灯獲りにも元となった伝承があるんです。

 大昔、人を喰う五つの首を持った龍が僕の村の山にある洞窟に棲みついていたそうなんです。村民が山に入れず困り果て、食べる物が底を尽きようとした時、一人の旅の僧が村を訪れました。自分の命を犠牲に洞窟ごと龍を封印すると言ってね。それからですよ。五年に一度、村民に対し強い殺意と憎悪を持つ者の五つ首を捧げなきゃならなくなったのは。さて、ここで問題です。村の窮地を救った旅の僧とは、誰でしょう?」

 浦木は幼稚園児に絵本を読み聞かせする保育士のように、胸を抑え倒れこんでいる加藤に優しく問いかけた。

「し、知るかよ……」痛みに耐えながら加藤が吐き捨てる。

「加藤さんもご存じ、世乃ですよ」

「は……? 何言ってんだ……? 世乃様は琴浜で死ん――」

「ええ。死んでますよ。ここに来た世乃はね」

加藤は浦木の言葉に思考が追い付かず、黙る他ない。

「ここからは僕の考察ですが、世乃と名乗る人物は恐らく無数に存在していた。発端は個人の名前ではなく、組織の通称だったのかもしれない。いずれにせよ、世乃と名乗る人物達は各地を周り、その地で命を賭してまで因習を創りあげた。僕の村や琴浜のようにね。現に僕が昨日、居酒屋で加藤さんに見せた土着信仰や因習をまとめた資料、あれらには全て世乃が絡んでいるんです。年代がバラバラにも関わらず。古いものだと平安時代の文献にも、世乃という言葉が出ています。全てこの日本国内の話ですよ」

「な、なんで……そんなことしてまで……大体、予言は――予言があるんだ。琴浜には。世乃様はそんなお方な訳が――」

「予言って、コレのこと?」

 動揺を隠せない加藤に対し、浦木が古ぼけた漆黒の丸筒を見せつける。

「お前、なんでそれを……」

「あぁ。さっきスマホを忘れたと嘘付いて神社に戻った時に、蔵の中を漁ったら出てきたんです。南京錠で厳重に保管されてたけど、ぶっ壊して持ってきました」

 浦木はタバコを咥えながら丸筒を開け、中から一枚の和紙を雑に取り出した。

「ここの連中はこんなアホなもんを信じて、大勢の人を殺し続けてきたんですね。定められた因習か……抗えるわけないか」

 呼吸を取り戻しつつある加藤が刀を支えに立ち上がった。足払いを受けた右足が痛み、顔を歪める。

「予言がアホとはどういう意味だ」

「そもそもコレは予言なんかじゃないですよ。たまたま当たったから予言に思えてしまうという子ども騙しです。

例えばノストラダムスが一九九九年の七月に恐怖の大王がやってきて人類は滅亡すると言いましたよね? 滅亡はせずとも、それに匹敵する世界規模の混乱が生じたとなれば、ノストラダムスの予言は的中したと言える。

世乃は琴浜が飢饉に瀕していることを、予め知っていてここに来た。その後、適当に疫病が流行ると言い遺し、実際に疫病が流行ってしまえば世乃の言葉を信じざるを得なくなる。そうやって因習は形創られていくんです。大昔の人達なら尚更信じ込んでしまったことでしょう。飢饉の難を脱したのだって、別に世乃が命を張ったからではない。その刀だって、ただの刀ですよ。因習をよりリアルに演出するための小道具に過ぎない。まるで、おままごとみたいですよね」

 民宿を囲う町民のざわめきが聞こえ、役人が不穏な声を漏らしている。加藤の戻りが遅いことに疑問を抱き始めているのだろう。浦木が話す内容に、加藤は何も言えず立ち尽くしている。

「僕らのように、因習が定着した土地で産まれた者は、産まれたその瞬間から因習に縛られているんです。物心がつく頃には周りの大人達によって更に刷り込まれていく。言わば『遺伝子レベルの洗脳』と言っても過言じゃない。だから僕も加藤さんも殺人の衝動を抑えられないんです。僕はコレを個人的に『世乃の因子』と呼んでいます。加藤さんの場合、海鎮めの重役を担うことでトリガーとなり、今まで自分の中に潜んでいた狂気が顔を出した……ってとこですかね」

「世乃の……因子……。自分が死んでまで因習を創って……目的は一体……」

「目的は分かりません。争いに満ちた世界を創りたかったとか? いずれにせよ世乃ってワードは加藤さんが思っている以上にタブーなんですよ。ここまで調べ上げている最中、何度か暗殺されそうになりました。普通にネット検索しようとした程度じゃ、なに一つ出てきませんよ」

 外を囲う町民のざわめきがより大きくなっている。「猟友会」や「鉄砲」、「武器」といった言葉が聞こえ始め、加藤の顔色が一層青くなった。

「そこまで固執して世乃様のことを調べて、お前は一体なにがしたいんだ? もう何百年も前に死んだ人間に、何故そこまで執着する――」

「世乃は生きていますよ。いや、正確には『世乃の意志を継ぐ者達』と言えばいいのかな。今この瞬間もどこかで新しい因習が創られているのかもしれない……。

僕を暗殺しようとした人間は金で雇われただけで、なにも知らないただの殺し屋でした。ですが、必ず世乃に近い人間は生きている。僕はそいつらを一人残らず殺したい……。僕もこんなクソみたいな因習に縛られず、自由に普通の人生を送ってみたかった。僕の人生をめちゃくちゃにした元凶を、僕は絶対に許さない。でも、結局この町でもそいつらの足取りは掴めませんでした……」

 山田がカニのように泡を吹きながら横たわり、浦木と加藤の争いによってめちゃくちゃになった六畳間に、場違いな明るく軽快な楽曲が流れだした。浦木のスマホが着信を告げている。

「お前まずこの町から出られると思ってんのか? 外を見ただろ」

加藤が鳴り響く着信音を無視して浦木を睨みつける。

「普通に出ていきますよ。ホラ、迎え来たし」

 浦木が持つタバコが根本まで燃え尽き、灰が畳に落ちるのと同時に、けたたましいブレーキ音が鳴り響いた。

「すみません、加藤さん。時間です。おしゃべりもここまでのようです。もう行きますね。加藤さんはここで休んでてください。さっきので多分あばらが何本かいってると思うし」

 浦木は持ってきたバッグの中からスニーカーを取り出し履き始めた。

「行くってお前……」

「あー、あと、それ。記念に貰っていきます。刀。もう要らないでしょ」

 加藤の手から刀を奪い、落ちていた鞘に納める。再びバッグの中を漁り、拡声器を取り出した。

 浦木が障子窓を勢いよく開け放つ。白のハイエースが群衆に突っ込んでいる。車体には『悪・即・斬』と書かれたステッカーが貼られていた。昼間、琴浜へ向かう途中、高速道路で加藤の車を追い越していった車だった。

作業着を着た男女二人組が町民と乱闘を繰り広げている。

男の怪力は凄まじく、拳を一振りしただけで数名の町民が吹っ飛ぶ。

町民が片割れの女を捕えようとするも、人間離れした速さと身のこなしで、触れることも出来ない。手にした大鉈で次々と斬りつけていく。

「あー、あー、お集まりの皆さん。こんばんは。誠に残念ではありますが、今宵の海鎮めはこれにて終了です。そこの暴れてるおっさんといい年してギャルやってるアホは僕の仲間です。これからこの中の四人に死んでもらおうと思います」

 拡声器を手にした浦木に向かい、町民の罵声や怒号が響く。

「ヒデーッ! 元気だった?」女が血に染まった右手で浦木に手を振る。

「池田の坊主! 演説なんかいいから、さっさと手伝え!」

 二人の立つ位置に向かい、浦木が拡声器を投げつけた。

「あだ名で呼ぶな! 苗字で呼ぶな! これだから村に残った連中は……。素性を誤魔化す大変さってのを知らないんだから」

 浦木が深々と溜め息をつきながらバッグとクーラーボックスを担いだ。

「ちょっと待て、下でなにが起きてんだ。それに四人に死んでもらうって――」

「加藤さんは降りてこないでください。外に出たら……きっと加藤さんはそれこそ僕に対して本気の敵意を殺意を持つことでしょう……。僕は加藤さんを殺したくない。マジでクソみたいな会社だったけど、加藤さんと仕事が出来て楽しかったです。――さよなら。加藤さん」

「待て! 浦――」

 サバイバルナイフの柄で頸椎を強打され意識が揺らぐ。加藤は薄れゆく視界の中、『せめて、人間らしく』と書かれた浦木の背中が、障子窓から飛び降り、消えていくのを、ただ見ているしかなかった。


民宿に集まった町民が、着地した浦木を囲う。両手に得物を手にしていることに臆した様子で、距離を置いたまま警戒している。

「……すみませんが、どいてくれません? 荷物を車に積んじゃいたいんですが」

浦木が町民に向かい、日常会話でもするかのように朗らかに問いかける。

「それは……ナギサヨビ――! 真矢君は……失敗したのか」

 浦木を囲う群衆を割り、小田原が前に出た。浦木の手にした刀を凝視している。

「あぁ、これ? 琴浜に来た記念に、さっき加藤さんからパクりました。いいですよね? 別に貰っても」

「――殺せ」

 小田原の一言でスイッチが入ったように、町民が一斉に襲い掛かった。

浦木は眼前に迫る拳の雨を、僅かな身のこなしで易々と躱した。一発も浦木を捉えることは出来ない。子どもをからかうかのようにあしらいながら、タバコに火をつける余裕すら見せている。

「――ん、んがら、なにやってらんだ……!」

「ひいいいいいいいッ!」

 闇夜を切り裂くような絶叫が響き渡った。

 作業着を着た男女が殴り倒した町民の首を鉈を用いて切断している。ゴリゴリと鈍い音を立て、鮮血が噴き出す。活魚を捌く板前のように、手慣れた手つきで肉を裂く二人から、町民が蟻の子を散らすように逃げていく。

 町民が逃げ惑う阿鼻叫喚の中を縫って、浦木が二人の前にかがみこんだ。

「やぁ、久しぶり。思ったより数が多かったけど、なんとかなりそうだね」

 バッグとクーラーボックスを車内に積みながら浦木が言う。後部座席には一面、ブルーシートが敷かれており、鉈やノコギリ、サバイバルナイフが乱雑に積まれている。

「ザコな連中の集まりで良かったが、この人数で神無町の時みてぇなやべぇヤツら相手だったら俺ら三人、まとめて死んでたぞ……」

 まだ成人していないであろう若い娘の首を、表情一つ変えず切断しながら男が言う。

「とか言って、腕ちょっと食い千切られてるじゃん。神無町、懐かしいね。あの時、瀕死の岩谷さん連れ帰るのすげぇ大変だったな。俺も腕折れてたし」

「そんなことよりさ、『やっちゃいけない』三人て結局誰だったの?」

 女が手際よく切断した中年男性の首を、ハイエースの後部座席に放り込み訊く。どちゃりと不快な音を立て、車内に敷かれたブルーシートの上に首が転がる。

「友達の身内だよ。てか、田口が足引っ張らないで仕事してんの珍しいね――」

 銃声。浦木の頬を弾丸が掠め、一筋の血が伝う。四人の町民が猟銃を構え、銃口から硝煙が漂っている。

「……銃か。めんどくせぇの出てきたな。お前行けよ。この中で一番速ぇだろ」

 岩谷がタバコに火をつけ、怠そうに田口に命じる。

「えぇ……。あたしよりヒデの方が絶対速いって……」

「だったら二人でやってしまえ。あんま時間掛けんな」

 岩谷が切断し終えた娘の頭髪を掴み、車内に投げ入れる。

「んがら……いい加減にせってぇ!」

 激昂した町民が一斉に猟銃を放つ。銃弾は闇を裂き、虚空に消えた。

銃の反動が腕を伝うよりも速く、四本の腕が宙を舞った。両腕を斬り落とされた町民がうずくまり絶叫する。浦木の刀と田口の大鉈が街灯の明かりを受け、赤く染まった刃を光らせている。

「なんなんだ……なんなんだ、こいがだ……」

「ば、化け物だ……」

 猟銃を捨て、二人の男が走り去った。浦木が銃を拾い上げ、岩谷に投げつける。岩谷はすかさず銃を拾い、車に積み込んだ。

「田口、首を頼む。俺は『後処理』を」

「おっけー。よろしく」

 田口が腕を失い悶え苦しむ男の胸に、高く振り上げた鉈を突き落とす。両脚を細かく痙攣させ、ぐるりと白目を向き、血の泡を吹いた。その光景を目の当たりにしたもう一人の男が「死にたくない、死にたくない」と繰り返しながら、顎と脚を動かしながら芋虫のようにずるずると這う。両腕の切断面から、おびただしい量の血が流れだし、地面を赤黒く染めている。

「……チッ、うるっさいなー。ちょっと待っててよ」

 田口が逃げ帰った町民が落としていったであろう鎌を拾い、這って離れようとする男のふくらはぎに深々と突き立てた。

「うぐえぇぇええあああああああッ!」

 男の絶叫が木霊する。道路中が血の海と化し、地獄絵図の惨状となっている。その場に残っている町民は、小田原を含め、数名のみとなっていた。

 浦木が刀をぶらつかせながら、散歩を楽しむような足取りで小田原へ歩み寄る。

「小田原さん……下がってでけれ」

 藍色の着物を着た屈強な体躯の男が、拳を固く握りこみ、小田原の前に歩み出る。

「ケガしたくないなら、帰ってテレビでも観てた方がいいですよ」

「加藤の息子がなんとなったがは知らねぇども、オイがおめどご祀ってやる」

「あっそ」

浦木がタバコを投げ捨てた瞬間、凄まじい速さの拳が浦木の顎を襲う。

「な……ッ!」

 男が繰り出した正拳は虚しく空を切った。直後、白木の鞘が男の顔面を直撃し、顔の骨を砕いた。

「うぶえええぇぇえええッ!」

男が歯と肉片が混じった血を、ぼたぼたと吐き出す。

 悶え苦しむ男には目もくれず、浦木が小田原の前に立つ。

「お前らは一体……なにが望み――」

「しゃべんな」

 浦木の右手が小田原の頭部を鷲掴みにする。小田原の頭蓋骨が、みしみしと音を立て軋む。

「小田原さん――!」

「宮司ッ!」

「来るなッ!」小田原が周りの町民を制止させる。ガクガクと震え、大量の冷や汗を浮かべている。

 震える小田原の耳元へ、母親が子どもに耳打ちをするように、浦木がそっと顔を寄せる。

「黙って聞け。ご覧の通り、俺らは正義の味方でもなんでもない。これから先あんたらが海鎮めを続けて何人殺そうが知ったこっちゃないし、止める気もない。勝手に続けたらいい。俺らにとっちゃどうでもいいことだ。

だが、今日この場であったことを公にした暁には、この町で過去に行われていたことを全て明るみに出した上でこの町を潰す。加藤さんや加藤さんの家族を見せしめに殺したり、村八分のようなマネをしても町を潰す。切り傷一つつけても潰す。俺らにはそれが出来る。

 お前らの大好きなこの予言にある『戦火』が、俺らの村による総攻撃ってことにならないように気をつけるんだな」

 まるで地の底から滲み出たような声色で浦木が告げる。

世乃の予言が書かれた和紙を取り出し、小田原の顔面にぐしゃぐしゃと擦りつける。

 恐怖の限界に達し、失禁しながら卒倒しかける小田原を、藍色の着物を着た男二人が慌てて支える。

「じゃ、用が済んだので僕らはこれで――」

「待でってぇッ! クソガキいぃいいッ!」

 車へ戻ろうとする浦木を、拳銃を構えた大高が阻止した。

「あぁ。あんたは昼間の。やっぱそれ、実銃だったんですね」

「帰れると思ってんのか? ぶっ殺してやるよ。お前も、向こうの二人もまとめて海に捨ててやる」

 撃鉄を起こし、浦木の額に照準を定める。

「……距離約八メートル。あんたのビビり散らかした手の震えからくるブレと、シグの初速から考えても、僕に当てるのは相当難しいと思いますよ。お巡りさん」

「うるっせぇえッ! 死ねやあッ!」

「世乃の因子――か。絶対に無理だと解っていても突っ込んでくる。まるで発情した猪だね。こんなのと同類だと思うと吐き気がするよ……」

 浦木がタバコに火をつけるのと同時に、乾いた銃声が響く。銃弾は浦木に命中せず闇に消えた。二発、三発と撃ち続けるも、掠ることさえできず、やがて拳銃は「カチンッカチンッ」と情けない音を立て、無常にも弾倉の空を告げた。浦木は紫煙を吐きながら首の骨を鳴らしている。

「な、なんで……そんな、そんな……」

「こんなダッセェお巡りさん、見たことないよ。僕の村の中学生の方がもっと射撃が上手い」

 ゴミ溜めを見るような視線を大高へ向け、浦木はハイエースに戻っていった。大高はその場にへたり込み、浦木の背中を眺めることしか出来なかった。周りの町民も言葉を発することさえ出来ず、ただ茫然と立ち尽くすのみだった。

「終わったか?」

 岩谷が腕を止血しながら、後部座席に乗り込んだ浦木に訊く。

「うん。今回もなんとかなったね。人数の割に、神無町の時と比べると、全然大したことなかった」

 救急箱からガーゼを取り出し、頬にあてながら浦木が言う。敷かれたブルーシートの上におびただしい量の血が広がり、四つの首が苦悶の表情を浮かべ、無造作に転がっている。

「そいじゃ、さっさと帰るか。もう夜明けだ」

 岩谷がエンジンを掛けながらタバコに火をつける。

「てかさヒデ、会社は大丈夫なの?」助手席から田口が訊く。

「あぁ。大丈夫。昨日帰り際に退職願出してきたから」

 浦木が口元を緩ませ、荷台に積んだクーラーボックスに目をやる。

「にしても、お前をハメようとした兄ちゃん、気の毒だな。よりによって村で一番ヤベぇ『いかれ野郎』を引っ掛けちまうなんてよ」

「いかれ野郎は余計だよ。筋肉オヤジ」

「十歳くらいからもう村の大人は誰もヒデに歯が立たなかったもんねぇ」

「お前らが弱いだけだろ」

 空が白みつつある海沿いの道を、三人を乗せたハイエースが何事もなかったかのように平然と走り出した。その場に残った者は誰一人として車を追おうとせず、呆然と走り去るエンジン音と波の音を聞くことしか出来なかった。


 民宿から数百メートル離れた漁船の停留所にかかる古びた桟橋の上で、一人の女が黒い日傘を差しながらボイスレコーダーを手にしている。深々と指した日傘から、艶やかな黒髪が覗き、明け方の海を渡る潮風に揺れている。

 静まり返った琴浜町を、一台の白いハイエースが走り去っていく。女はその様子を車体が見えなくなるまで見届け、一呼吸置いてからレコーダーのスイッチを押した。

「二〇二七年、八月十四日。秋田県O市 琴浜町(Dランク)にて、海鎮めと思われる祭事を観測。祭事中、長野県I市 影ヶ丘村(Sランク)の者と思われる男女二名の襲撃により、祭事は中断となる。海鎮めの対象者であった男は影ヶ丘村出身の仮称『浦木ユイ』と思われる。影ヶ丘村の三名は灯獲りと思われる祭事行動により、琴浜町の男女四名を殺害。その後、逃走している。浦木ユイ含む三名については、影ヶ丘村のアクセスブロック及び、個人データの改ざんにより、身元不明。定点カメラの映像と、観察対象である加藤真矢より得られた音声データを転送。尚、音声データより得られた浦木ユイの言動から推測するに、既に『観測者』の対象者であると予想される。観測番号R‐178、新菜恵茉。記録終了」


 琴浜診療所で目を覚ました頃には午後一時を過ぎていた。

 ベッド脇に置かれた丸椅子に、ジャージに着替えた小田原さんが座り、俺の顔を不安や安堵が入り交ざったような、複雑な表情で俺を見つめている。後ろには役員と思われる二人の男が立っており、俺の意識が戻ったと知るや否や、二人は慌てて病室を出て行った。

「気がついたかな」小田原が訊く。

「はい……。あ、あいつは、浦木はどこに――」

 身体を起こそうとすると胸と右足に激痛が走った。

「まだ動かない方がいい。全治三カ月の大怪我、安静にしていなさい」

 俺は痛みに呻きながら窓辺に目をやった。心地よい風に揺れるカーテン越しに、閑静な昼下がりの港町が見える。遠くを走る車の音が微かに聞こえる。

「彼は……行ってしまったよ。町の者に車のナンバーを調べさせたが、偽造だったようで、手掛かりは何も得られなかった」

「そう……ですか」

「昨夜、海鎮めの場で起こったことや彼のこと……話せるのであれば、聞かせてもらってもいいかな」

 俺は浦木を祀り人として選ぶに至った経緯と、琴浜町に到着してから昨夜、意識が飛ぶ瞬間までの出来事、浦木との会話の内容などを可能な限り詳細に話した。小田原さんは終始無言で、俯きながら絡めた指を見つめていた。

「……恐ろしい風習の続く地域がある、ということは噂には聞いていたが……そうか、彼はそんなことを……。世乃様に対する底知れない憎悪――、信仰の差異ともいうべきか。いずれにせよ、君は彼に『してやられた』というわけだ」

「本当にすみません……。ですが、海鎮めは必ず――」

「今年の鎮め人は大高君に代わってもらったよ。君は休みなさい。鎮め人を全うせずとも、君は責任を負う必要はない。どちらにせよ、その身体じゃ無理だ」

 責任を負う必要はない――本来であれば鎮め人としての任を全う出来なかった者は祀り人と共に祀られるはずだ。

 俺は小田原さんに昨夜、民宿の外で何が起こったのかを聞いた。小田原さんは苦虫を潰すような表情で話してくれた。

「そんな……俺の所為で……俺があいつにハメられた所為で……町の人が四人も――」

「真矢君、君の所為ではない。現にその怪我――。君も十分に被害者だ。だが、四人……大き過ぎる犠牲だった……」

 犠牲者の一人は島崎さんの娘さんだったようだ。まだ十七歳にも拘わらず、自分の身の丈よりも遥かに大きい襲撃者に果敢にも立ち向かい、その若い命を落とした。俺が浦木を琴浜に招いた所為で――。

 一つ気がかりなのが、話の最後、浦木が俺と俺の家族を庇うような発言を小田原さんにしたこと――。この怪我も全治三カ月とはいえ、致命傷ではない。俺を見せしめに遭わせないための浦木の計算だったとしたら――。実際、俺は鎮め人を遂行出来なかった責任を負うことなく、こうして生きている。

「話してくれてありがとう。私はそろそろ戻るとするよ。ゆっくり休むといい。後のことはこちらに任せなさい」

 小田原さんが丸椅子からゆっくりと立ち上がり、疲れ切った様子で病室のドアに手を掛ける。

「小田原さん、最後にもう一つ、聞いてもいいですか?」

「なにかな?」

「世乃様の正体は、一体なんだったんでしょう……」

「……彼の話した内容は確かに興味深い。だが、世乃様は……私達の信じる世乃様は、琴浜を救った英雄。その事実に変わりはないよ。英雄は英雄として語り継がれなければなるまい。これからも――」

 小田原さんが病室を去った後、俺は呆然と窓の外を眺めてた。四人の死者を出した惨劇の後とは思えないほど、青く澄み切った空が広がっている。

 不意に枕元に置いた俺のスマホが鳴った。画面には会社の同僚の名前が表示されている。

「……もしもし」

「お前ニュース見たか? やべぇな!」

 ニュース――もしや昨夜の襲撃が明るみに? 背中に冷たいものが走る。

「いや、見てない。なんか……あったのか?」

「お前、マジか! 課長だよ、課長!」

「課長? 課長がどうした」 

「死んだんだよ! 殺されて!」

「……殺された?」

「そう! 奥さんが逮捕されて自供したらしい」

 電話を切った後、スマホでネットニュースを検索した。

『夫を惨殺、妻を逮捕。M県警は今日午前十一時頃、M県S市在住の無職、菅原圭子容疑者(51)を殺人及び死体遺棄の疑いで逮捕した。菅原容疑者は容疑を認めており、警察は詳しい動機について調べを進めている。菅原容疑者は十三日の深夜未明、夫である菅原光成さん(53)を近所の公園に呼び出し、鋭利な刃物で腹部を数十か所刺して殺害した後、頭部を切断した疑いが持たれている。遺体の頭部はまだ発見されておらず、頭部の行方に関し、菅原容疑者は黙秘しており、警察は捜索を進めている』

 十三日の深夜に首を切断。

 浦木の村に伝わる五つの首を捧げる因習。

 殺された琴浜の四人。

 浦木の持ってきていたクーラーボックス。

 間違いない――あいつだ。

 琴浜の昨夜の出来事は一切明るみに出ていなかった。四人もの死者を出した惨劇にも拘わらず、表沙汰になっていない。小田原さん含む役員が隠蔽したのだろうか。

 俺がハメられた所為で四人もの琴浜の人間が死んだ。だが、俺は浦木に対する恨みよりも、自分を取り巻くこの世界に対する疑問の方が大きくなっていた。

 古くから伝わる土着信仰に縛られ、この町はこれからも人を殺し続けるのだろう。

 いや、この町だけじゃない。俺がなにも知らないだけで、この国の至るところで琴浜と同じようなことが行われているのかもしれない。

 そして、何故か大きな力で隠蔽され続け、人知れず人が死んでいく。

殺意の連鎖――。産まれたその時から仕組まれている、抗いきれない殺人の衝動――『世乃の因子』とあいつは言っていた。

 俺はもう一度あいつに――浦木に会いたい。

 誰かが描いた世界の中で。 

 



 八月十三日

 午前十二時四十分


「もしもし」

「おう、池田の坊主。どうした、こんな時間に」

「そっちの進捗状況はどうなの? 何人やった?」

「俺も仕事忙しいんだよ……こっちはまだゼロだ」

「はぁ……だろうなとは思った。明日秋田県の琴浜町ってとこまで来れそう?」

「……『当たり』か?」

「恐らく。運次第だけど上手くいけば、二、三人は堅いと思う」

「了解、秋田県の琴浜だな。……神無町の時みてぇなイレギュラーはごめんだぞ」

「そればっかりは行ってみないと分からないよ。不安なら誰か応援連れてくればいい。まぁでも最悪、俺と岩谷さんだけでなんとかなりそうだけど」

「分かった。そいじゃ、よろしく頼む」


 八月十三日

 午前一時五十五分


「こんな時間に呼び出して、どういうつもりだ? お前には常識ってもんがねぇのか?」

「こんばんは。課長。いやぁ、今夜も暑いですねぇ」

 公園のベンチに座りながらタバコを吹かすスーツ姿の浦木。ベンチ横の外灯には、二匹の大きな蛾が光を求め舞っている。

「ところで課長、今までどこでなにをしてたんですか?」

「んなことどうでもいいだろうが。お前になんの関係がある」

「電話でお伝えしましたよね? 経理の安中さんの件でお話が――と」

「……や、安中君がどうしたって言うんだ」

「あれ? さっきまで一緒だったんじゃないんですか?」

 じっとりとした夜風が吹き、虫の音が一層強まった。

 浦木が地面に吸い殻を捨て、靴で火をもみ消す。

 浦木の眼が妖しい光を湛え、菅原を見据える。

「んなわけねぇだろ。今日は得意先の集まりに顔出して飲んでたんだよ。大体なんで俺が安中君とこんな時間まで一緒に――」

「じゃあ、コレはどういうことでしょう? 駅前の繁華街にあるラブホテルの映像です。おかしいですねぇ、十一時頃に課長と安中さんが腕を組んで入ってくるのが映ってますし、二十分前に課長が出てくる様子も映ってますよ」

 浦木がタバコに火をつけ、スマホの画面を見せながら紫煙を吐き出す。

 青ざめた菅原の握り拳から血が滲む。

「僕、ここのホテルのオーナーとちょっと知り合いでして。入口にある監視カメラの映像を僕のスマホに繋いでくれたんです」

「お前に関係ねぇだろ……俺を強請ってんのか?」

「確かに。僕には一切関係ないですよ。でもどうでしょう、もし奥さんにバレたらどうなるかなぁ」

 怒りで震える菅原の様子には全く興味を示さず、スマホでゲームを始める浦木。

「……いくら、出せばいい」

「金? ハハハ。あんた、金なんて持ってないでしょう? 借金まみれじゃないですか」

「お前……なんでそれを……」

「あぁ、ちょっと課長ん家のポストに投函された郵便物を調べたらすぐ分かりましたよ。女遊びで作った借金、奥さんにはなんと言って誤魔化してるんですか? 娘さん、もうすぐ高校生ですよね? 学校で悲惨ないじめに遭っていたこと知っていますか? 『貧乏中学生』って呼ばれながら。だから奥さんの実家がある田舎の学校に転校させたんですよ? 家庭に目を向けず、女のケツばかり追いかけてるあんたには分かるわけないか」

「お前、そこ動くな。ぶっ殺してやるよ」

 完全に理性を失った菅原が、浦木の座るベンチへ近づこうとした時、一人の中年の女が、肩からクーラーボックスを下げ、公園の入り口から入ってきた。

「け、圭子……お前なんで……」

 圭子は虚ろな表情のまま、無言で菅原に近づく。右手には料理包丁を手にしている。

「け、圭子、待て。待て――ッ!」

 菅原の腹に包丁が深々と突き刺さる。瞬く間にシャツが赤く染まっていく。

「が……ッ、うぐぅうううッ」菅原が腹を抑え、片膝を着いた。

「浦木さんから、全部聞いています。言っている意味、解りますね?」

 蹲る菅原を、圭子が汚物を見るような冷たい視線で見下ろす。

「はぁ……はぁ……うぐおおおおおおおあああッ!」

 眼を見開いた菅原が、腹に刺さった包丁を引き抜く。ぼたぼたとおびただしい量の血が地面を叩く。

「奥さん、本当にいいんですね?」

「ええ。この人の顔は、もう死んでも見たくない」

「うぅらあぎぃいいいいいいいいいいいッ!」

 菅原が引き抜いた包丁を振りかざし、浦木に斬りかかる。

 浦木は深々と紫煙を吐き出した後、吸い殻を投げ捨て、ゆらりと立ち上がる。

「死ねぼげぇえええええええええええええッ!」

 渾身の力を込め振り下ろされた包丁が、浦木ではなく木製のベンチに突き立った。

「な――うぐッ!」

 一瞬で背後を取られた菅原は、なにが起こったか理解出来ぬまま、裸絞めにされた。菅原の首がめきめきと軋む。

「課長、あんたの敵意と殺意、確かに受け取った」

「う、うら……ぎ……、あ……あ……あ……」

 ごきゃっと鈍い耳障りな音が鳴った後、菅原が人形のようにだらりと動かなくなった。

 浦木はベンチに突き立った包丁を抜き、菅原の首に突き刺した。念入りに歯を磨くように、細かく素早い手捌きで包丁を動かす。ぶちゅぶちゅと不快な音を立てながら、包丁が肉を裂いていく。

「――うッ」

 凄惨な解体に耐えきれず、圭子が嘔吐した。

「大丈夫ですか? もうすぐ終わるんで……はい、終わり。じゃ手筈通り、それ、貰いますね」

 浦木は圭子が持ってきた小型のクーラーボックスに、切断した菅原の頭部を、スーパーで詰め放題のじゃがいもをビニールに詰めるように、強引に押し込んだ。

 浦木が血で染まった両手を公園の蛇口で洗い流そうとした時、圭子が包丁を拾い上げ、頭を失い既に絶命している菅原の腹部に突き刺した。

「全部全部全部全部全部全部全部あんたの所為私はなにも悪くないあんたさえもっと早く居なくなれば私も恵も幸せになれたのに私はなにもなにも悪くないあんたが全部奪っていったなにもかも全部あんたの所為私は何も悪くない私はなにも悪くない私は悪くない死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね消えてなくなってちょうだい私達のために死んで消えてなくなってアハハハハハハハハハほら死んでよ早く死んでアハハハハハ」

 両手で包丁の柄を握りしめ、菅原の腹部をめがけ、何度も切っ先を振り落とす。ぐちゃりぐちゃりと血と肉片が飛び散る。

「あーあ、壊れちゃったよ。まぁ……別に関係ないけど」

 ぼろぼろと涙を流し、笑いながら包丁を突き刺し続ける圭子を、浦木が気の毒そうな視線で一瞥する。

 蛇口で両手の血を洗い終え、菅原の死体の元へ戻ると、圭子がベンチに腰掛け、虚ろな表情で虚空を見つめていた。衣服は返り血で真っ赤に染まっている。

「気は済みましたか?」タバコに火をつけながら浦木が訊く。

「……ええ」

「僕は別に隠蔽するつもりもないし、課長はここに野晒しにするつもりです。通行人か誰かが見つけてすぐに発覚するでしょう。警察もバカじゃありません。課長の身元から真っ先に圭子さんの名前が上がると思います。僕はスーツだし返り血もほとんど浴びてませんが、圭子さんは着替え持ってないですよね? その恰好で歩いて帰ったら、いくら深夜でも目撃者が出てしまいます」

「ええ。解ってます」

「もしもの時は遠慮せず僕の名前を――」

「私は元から自供するつもりでした。浦木さんには感謝しています。恵のいじめだって解決してくれましたし。浦木さんが居なかったら、どの道、私と娘でこの人を殺していました。娘の手が汚れなかっただけでも私は本当によかったと思っています。浦木さんの名前は出しません」

「そう……ですか。それじゃ僕はこれで」

「色々とお世話になりました。お元気で」

 ビジネスリュックを背負い、菅原の頭部が入ったクーラーボックスを肩にかけ、浦木は公園を後にした。

「自分から捕まりに行くなんて――。あんたの奥さんも変わった人だな」

 クーラーボックスに目を落とし、浦木が吐き捨てるようにつぶやいた。


この部屋とも今日でお別れか。

別に愛着もなにもないけど、思ったより長く居着いてしまった。前回の灯獲りは不参加だったから――もう十年か。

住居がバレているにも関わらず、刺客の襲撃も減った。一度目の襲撃に遭った時は部屋を変えようか心底悩んだのを覚えている。その後の処理が面倒だったからだ。刺客を返り討ちにすること自体は至極簡単なことだった。村の高校生よりも情けない連中ばかりで、こんな弱い連中でも殺し屋を名乗って儲けられるなら「俺もやろうかな」と思ったくらいだ。九人目を除いて――。

九人目の刺客は他のゴミとは比べ物にならないほど、別格に強かった。結局お互い消耗しきったところで逃げられた。あいつは一体――。

刺客に世乃に関する情報を吐き出させようと思い、粘ってはみたものの、結局有力な情報は得られず、九人目を境にピタリと止んでしまった。

部屋を見渡しても家具もなければベッドもない。衣服もほとんど捨てた。あるのは中古で買った十九インチの小型テレビと冷蔵庫程度。

 いつでもこの部屋を出られるような暮らしをずっと続けてきたおかげで、岩谷さんから灯獲り参加の要請が来ても、準備はスムーズだった。

 いつだったか、加藤さんがこの部屋に遊びに来たいと言ったことがあった。なにもない部屋を見たら加藤さんはなんと言っただろう。適当に「散らかってるからダメ」と断った覚えがある。加藤さんは全てを悟ったような顔をしていた。一体俺をどういう人間だと思っていたのだろうか。

 秋田県O市、琴浜町に伝わる因習、海鎮め。

まさかとは思ったけど、加藤さんが因子持ちだったとは――。

あの人のいい加藤さんが、今じゃ俺を殺そうとしている。

入社して十年。ずっと『親友』と呼べそうな人だと思ってたんだけどな。

 因習に縛られ続け発現する、抗えない殺人への衝動。世乃の因子――。

 本当に、この世は――腐ってる。


 深い溜め息の後、浦木はタバコに火をつけ、部屋の隅に無造作に転がるサバイバルナイフを拾い上げた。

手にしたナイフを、壁に向かって思い切り投げ付ける。

 壁に貼り巡らされた写真や、殴り書きのメモで作られたウェビングの中央に、深々と突き刺さった。

 ナイフが刺さった先には酷く乱雑な文字で『世乃』と書かれていた。



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