二つの空
時々、まだ彼が生きているような不思議な感覚を感じる事がある
絶対に私より先には死なない
生涯、ずっと傍にいる
あの日、そう約束したのに…
貴方は逝ってしまった。
それから毎日夢を見るようになった
私は貴方と会いたいのに、貴方は夢に出てこない
貴方のいない世界
なんて空っぽな世界なんだろう
夢の中にも現実にも貴方は存在しない
でも、貴方との思い出が、ちょっとした時にフラッシュバックする
いつも私が朝、鏡の前で歯を磨いていたら、鏡越しに歯を磨いている私を見て微笑んでいた貴方
食パンを食べるのが下手な私の為に焼いた食パンの耳を切ってくれた貴方
犬が大好きで犬を見ると寄っていって嬉しそうにじゃれていた貴方
夜中に一緒に行ったコンビニエンスストア
今はもういない…
繰り返す日々の中に、貴方との思い出の欠片が一瞬だけ貴方を生き返らせる
私の心の中に今も貴方は生き続けている
だから泣かない
貴方の生きた証を涙ではなくて笑顔で思い出したいから…
でもね、もうすぐ一年経つ今でも夜寝る時だけは、寂しくて涙が止まらなくなるんだ
また、貴方の腕枕で眠りたい
貴方の温もりを感じたい…
気がつくと泣き疲れて眠りについていた
珍しく夢を見なかった
『なぁ、美香?』
『…』
『美香ってば』
『…?』
『起きろよ、もう9時だぞ』
『う…うん…?』
幸一の声がする
そんなはずがない、幸一は一年前に事故で亡くなった
『会社、遅刻するぞ』
『幸一…?』
『何?どうした?』
目を開けるとそこには優しく微笑む幸一がいた
夢…?
何が起きたのかわからない
そっと幸一の頬に触れる
暖かい…
紛れもなく、本当に幸一が目の前にいる
長い長い夢を見ていたのかもしれない
いつからが夢だったのだろう?
それともこれも夢?
考えると頭の中が混乱する
何が起きているかなんて関係ない、今はただ幸一の温もりを感じていたい
こんなリアルな夢なんて無い、確かに幸一が目の前にいる
それだけで十分だ
離れたらまた目の前からいなくなってしまいそうで怖い
気が付くとすごい力で幸一を抱き締めていた
『いてて…美香…そんなに強く抱きついたら痛いよ…』
『だって…だって…』
『何?どうしたの?』
『怖い夢を見ていたの…』
『どんな夢?』
幸一は優しい顔で私をジッと見ている
自然と涙が込み上げてくる
幸一が死ぬ夢を見た、そう言おうとしたが、何故かそれを口に出したらいけないような気がして
ただ黙って首を横に振りながら、私は精一杯の笑顔で幸一をジッと見つめた
泣きじゃくる私を幸一は、泣いている理由はそれ以上聞かず泣き止むまで優しく抱き締めてくれた
夢なんかじゃない、現実だ。私の大好きな幸一だ。
これが現実だっていう証明がほしい。何かないかと辺りを見回す。
ふと、ベッドの横にあるカレンダーを見た
確かに現実だ
夢じゃない
幸一が死んだ日から明日でちょうど一年だ。
どういう事?
少しずつ冷静になってきた私の頭の中に当然のようにひとつの疑問が浮かび上がる
今、目の前にいるのは間違いなく幸一だ
でも、間違いなく幸一が死んだと思い込んだ日から約一年が経過している
私はおかしくなってしまったのだろうか?
幸一の幻を見ているの?
幸一を失って毎日泣いて過ごした一年間の記憶は紛れもない事実
一体…何が起きたの…?
『美香…?』
幸一が心配そうに私の名前を呼んでいる
『ん?ううん、大丈夫』
『大丈夫そうに見えないけど…』
沸き上がる疑問と再会出来た喜びが頭の中を駆け巡る
そして、ひとつの解決策を私は思いついた
『幸一…』
『ん?』
『今日、久しぶりに幸一のお母さんに会いに行こうか』
『久しぶり?』
何を言っているんだ?と言うような顔で私を見ている
『いいから、今日はお母さんに会いたいな』
『美香は本当に母さんが好きだなぁ。美香、今日は仕事じゃなかったっけ?』
『ううん、今日はいいの』
『そっか、わかった』
幸一は納得いかないような顔をしているが、これで分かる。
全ての疑問はこれで解決する
私の中に存在する二つの現実
幸一が死んで悲しみ過ごした悪夢のような一年
一年の空白の後に生きている幸一
幸一が生きているのは嬉しいけど、頭の中がフワフワしていて夢とも現実ともない不思議な世界に迷い込んでしまったようで目の前にある現実を見る事が出来ない
幸一のお母さんに会えば答えがわかる
もしくは、少なくとも何が起きているかはわかる
そう思っていた
『あ、もしもし母さん?』
幸一がお母さんに電話している
こういう段取りの良さと、行動の早さは間違いなく幸一だ。何だかホッとする
『何かさ、美香がまた母さんに会いたいんだって』
また?幸一のお母さんには1ヶ月以上会っていない
明日が幸一の命日で、一緒に墓参りに…っていう話をしたのが最後だ。
思い出すと涙が出そうになる
『美香がさ、まるで一年くらい俺と会ってなかったような顔で俺を見たり、昨日会ったばっかの母さんにまた会いたいって言ったりしてさ。今日は怖い夢かなんか見たみたい』
私の考えとは裏腹に幸一とお母さんの会話は私の疑問を逆に大きくしていく
昨日…会った?
なんだか…頭がグルグルする…めまいがする…
一瞬、世界が歪んだような気がした
バタン!
『美香!!』
幸一が私の名前を呼ぶ声がしたあと、私は意識を失った…
それから、どれくらい時間が経ったのだろう
『う…うぅん…』
気が付くと暗い部屋に私は寝かされていた
ここどこだろう…?
ズキン!!
頭が、痛い…。
薄暗さに目が慣れてきた
正方形の部屋にベッドと小さなテレビ、窓には白いカーテン
ここは…病院だ…
そっか、私気絶して運ばれたんだ…
とりあえず看護婦さんを呼んで状況を聞こう。
ナースコールをして少ししたらスピーカーから、しゃがれた声の女性が話かけてきた
『気がつかれたんですね、今から看護婦が伺いますので少しお待ちください』
そう言うと通信が切れた
小学生の頃にウイルス性の病気で何日間か入院した時も思ったが
ナースコールに出る看護婦は少し冷たい気がする
時間は恐らく深夜だろう
物音ひとつしない、窓からは薄らと月明かりが差し込んでいる
夜中の病院は何故か薄気味悪い
勝手な思い込みとかもあるんだろうけど、一人だと少し怖い
キュッ、キュッ…
看護婦の足音が聞こえる
この病院は看護婦の靴は靴底がゴムなんだなぁと考えていると
コンコン。
ノック音
『失礼しまーす』
そう言うと、私より見た感じ二つ三つ若そうな看護婦が入ってくる
『田村さん、気がつかれたんですねー』
語尾を伸ばすのは癖なんだろうか。看護婦なんて大体こんなもんかな、と思いながら看護婦に問いかける
『私…どうなったんですか?』
『連れてこられた方の話だと突然気を失われたそうですよ?』
幸一、帰っちゃったんだ…
気がつくまで傍にいてくれたらいいのに…
また約束破った…
傍にいてくれるんじゃないのかよ。
『もう帰ってしまったんですよね?』
一応確認してみた
『え?お母さんですか?』
幸一のお母さんも来てくれてたんだ
何か申し訳ない…
『いえ、私の夫です。私を連れてきた人です』
看護婦が首をかしげる
『田村さんの旦那さん?連れてきた方は、たまたま歩いていたら目の前で突然倒れたから放っておけないからってここまで運んできてそのまますぐ帰ってしまいましたよ?』
この看護婦、何を言っているんだろう?
『そうですか、じゃあ夫のお母さんは?』
また看護婦が首をかしげる
『先ほどまで付き添われていたのは、田村さんのお母様ですよ?』
私の…?
幸一が連絡してくれたのかな?
でも、それなら幸一も一緒にいてくれてたはず…
幸一は私を一人にしたりしない、私が人一倍寂しがり屋なのを彼は知っている
絶対に帰ったりしない
『田村さんまだ少し混乱してらっしゃるみたいなんで今日はゆっくり休んで下さい、明日また伺いますので。』
『混乱?私は冷静ですよ?』
状況が整理できなくてイライラして少し口調が強くなる
『田村さん、旦那さんは昨年…。あ、いえ申し訳ありません!今日はおやすみ下さい…』
頭を深々と下げて看護婦は帰ってしまった
昨年…。その続きは想像がついた
もしかして、夢だったの?
私は気を失って、病院に運ばれた
目が覚めるまで夢を見ていただけ?
生きている幸一の夢を…
目まぐるしく変わる状況に頭がついていかない
もう…私は、夢と現実の区別がつかなくなっているんだ…
いや、冷静に考えればわかる事だった
やっぱり、幸一は…
こっちが、現実か…
信じたくはない、認めたくはないけど…
考えても無駄、答えははっきりしてる
今の状況は納得がいく
矛盾がない
一瞬だけど、夢の中で一年ぶりに幸一に会えた
しかも、現実と間違えるくらいリアルな夢
きっと、私を病院まで運んでくれた人の温もりが夢の中での幸一の温もりと錯覚したんだ
現実の私は別の人に抱えられてたのか
幸一と勘違いするなんて、何か悔しいな…
会いたいよ…幸一…
幸一と居られるならずっと夢の中でいい…
目なんて覚めなければいい…
幻でもいいから会いたい…
幸一…幸一はいつも、美香は強いねって言ってたけど…
私…強くなんてないよ…
毎日、毎日、幸一のいる世界に私も行こうかなって思うんだよ…
そしたら、幸一にまた会えるかなって…
もう限界だよ…
私…思い出しちゃったもん…
幸一の温もり…
幸一を失う寂しさ…
辛いんだ…思い出の中の過去の幸一としか会えないの…
『一番幸せになるから、幸一…ありきたりだろ?』
何が一番幸せになる、だよ…
『じゃあ私は、美しい香りがするから美香なのかなぁ?』
『美しい香り?別に何にも匂わないけどなぁ〜』
『何よ!!そこは素直に頷いてよ!!』
幸一…
『美香、お前さぁイニシャルSMだな』
『違うもん!!MSだもん!!佐々木美香だからMSだもん』
『そっか(笑)じゃあさ、MTにならない?』
『え?』
『田村美香』
『ぇ…』
『結婚しよう、ずっと傍にいる。ずっと傍にいたい』
『…』
『返事は…?』
『…ヒック…ヒック…は、はい…ありがとう…愛してる…お願いします』
嘘つき…傍にいないじゃん…
『なぁ美香、今日さ、お前に渡したいものがある』
『なぁに?』
『バカ、今言ったら意味ねぇじゃんか』
『バカって言うな…』
『コラコラ、そんなんで泣きそうになるなよ(笑)』
『泣いてないもん!!』
『ははっ、美香は強いもんね。じゃあ、夕方五時に新宿の大型ビジョン前で待ち合わせな。絶対に遅れんなよ!!』
『わかった、幸一の方こそ遅れんなよ!!(笑)』
夕方五時、約束の時間になっても貴方は来なかった
大型ビジョンには夕方五時ちょうどに【美香、愛してるよ】って表示されてた
本当は、きっと一緒に見る予定だったんだよね
よりによって、そんな日に交通事故にあうなんて…
明日が、あれからちょうど一年、幸一の命日か…
最後に…あれから一度も行ってない大型ビジョン…行ってみようかな…
そしたら、もう悔いはない…
幸一のところに私も行こう…
翌日、病院を退院した私は新宿の大型ビジョンのあるビルの前に行く事にした
時刻は、16時45分
相変わらず凄い人だ
みんな幸せそうな顔で歩いてる
自分がいつ死ぬかなんて誰にもわからない
そんな事考えてる人は一人もいないんだろうなぁ…
今からちょうど一年前、ここで幸一を待ってた
プレゼントって何だろうってドキドキしながら待ってた
もう幸一は来ない…
そんな事はわかってる
でも、きっと私の中の時間はあの日から止まったままなんだ
あの日、待ち合わせ時刻に幸一が事故にあわず来ていたら私は今ごろ幸せに過ごしていたのかな…
時刻は、16時58分
少しずつ、周りの音が聞こえなくなっていく
この日、この時間は私と幸一の時間
他の音なんて何もいらない
時刻は、16時59分
『美香、お待たせ!!』
『もう、ギリギリじゃん!!』
『ごめん、ごめん(笑)事故があったみたいでさ』
本当なら幸一と一緒に…
17時。
大型ビジョンを見上げる
【美香、ずっと傍にいるよ】と表示されていた
え…?
何…?
偶然?
『美香…』
『何で泣いてるの?』
『どうしたの?』
幸一…?
頭の中に幸一の声が聞こえる
また、夢…?
私はどうしたの?
また目が覚めるの?
『早く起きろよ!!』
『いつまで寝てるんだよ』
『俺は、ずっと傍にいる』
『お前が目を覚ますまでずっと…』
『愛してるよ、美香…』
幸一…?
起きたら、また病院で一人なんて嫌!!
もう絶対に起きない!!
幸一!!
どこ…?
どこにいるの?
幸一!!
返事して、幸一!!
『幸一!!!!!』
『美香!!!!』
『母さん!!母さん!!先生呼んできて!!美香が!!』
目を覚ますと、また病院だった…
真っ白のカーテン
真っ白の天井
小さなテレビ
やっぱり夢だった。。。
目の前には…
優しく微笑む、幸一…
幸一!!
そっか…
そういう事か…
私、思い出したよ
あの日、交通事故にあったのは私だったんだね
ずっと傍にいてくれた
ありがとう幸一
愛してるよ、幸一…
後で、聞いた話だと
私は一年昏睡状態だったそうです
夢の中で、一度は死を選ぼうとしました
最後の最後に私を生かしたのは、幸一への強い想い
今は後遺症でまだ喋る事が出来ません
喋れるようになったら幸一に聞きたい事があります
『私って、どんな香りがする?』
何か、最初に書こうと思っていたストーリーから
気がついたら全然違う作品が出来上がってましたw
最初はバッドエンドの予定だったのですが、結果的にハッピー?エンドになったみたいで。
まぁ、結果オーライかな、と。
もう少しファンタジー色の強い感じにしたかったのですが…それはまた次回に。