97.教えに従った時
城下町を出て数分。
小さくなりつつある城下町の門を背に、シルド達は馬を連れて歩いていた。
当然だが、馬に乗らずに手綱を引いて歩いているのには理由がある。
「"キリステアン・メリウルス"。知っての通り、主に人間の間で広まっている教えの言葉だ」
「これは、俺がかつて信じていた教えでもある」
(かつて、ね…)
それは、シルドが孤児だった頃の話なのだろう。
しかし、いつからその教えに頼らなくなったのか、エルは前々から気になっていた。
「あの時、"キリステアン・メリウルス"と言ったのは、切り札に限りなく近いラッシュ・アウトを放ったからだ」
「俺にとってラッシュ・アウトとは、あくまで高威力広範囲の技。そのまま唱えてしまえば、頭の中に浮かぶのはいつものラッシュ・アウトだ」
ラッシュ・アウトと別物であることを認識し、更にそれを突き詰めたものとして従来と区別するため、"キリステアン・メリウルス"と唱えたのだそう。
「一説によると、昔は大規模な戦争の前には、多くの兵士が祈りを捧げていたらしい。今では違法行為だがな」
「えっ、違法なの?」
「ああ。正確に言うと、軍規違反になる。軍に在籍している者は、宗教に関わってはいけない決まりになっているんだ」
「…変なの」
驚くエルをよそに、エラはボソッと呟いた。
(前にもそんな事を聞いたような……聞いていないような…)
「城下町から早く出ようと言ったのは、それが理由だ。流石に見聞きしただけでは違反にならないだろうが、周りに居た兵士達を緊張させたのは事実だからな」
シルドが”キリステアン・メリウルス”と発した時も、エルとエラがそれについて追及した時も、近くに居た兵士達は気まずそうな雰囲気になっていた。
「でも、何で違反になっちゃうの?宗教って、人によってはかけがえのないものでしょ…?」
「………」
そう言われたシルドは、孤児院に居た頃の記憶を思い出していた。
(……そうだな。心の拠り所だ)
何かを懐かしみながら、心の中でそう呟いた。
「恐らく、連携力を強化するためだろう。皆がそれぞれ違うものを信じていれば、必ずどこかで衝突が起こる」
「それを避けるために、軍の中では宗教を禁止し、代わりに軍を一つの宗教として見立てさせているのかもしれない」
「軍の規約なんて、魔物を倒すだとか、国を守るだとか、どこも同じようなものだ。それを軍全体で共通の信条にすることで、連携力を高めている…そんな所なんじゃないかと思う」
もっともらしい推察に、納得が促される。
「確かに、シルドが所属していた魔王討伐部隊も、魔王を倒すための部隊だものね。それなら理に適ってるのかも」
すると、ある疑問が浮かんだ。
「…もしかして、シルドが教えに頼らなくなったのって、軍に入ったから?」
「そうだ。元より、敬虔な信者というわけでもなかったがな」
シルドはそう言うが、エルとエラにとって教えを放棄することは、自分の故郷と縁を切ることに近しい。
"神"が身近な存在なのだから、当たり前と言えば当たり前だ。
「あとは、軍内部での競争に必死で、信仰に一切意識が向かなかったというのもある。信仰にしがみつくような奴も見なかったな」
「そ、そう。本当に、特に何ともなかったのね」
思っていた以上に信仰心が薄れている…もしくは薄かったようで、心配して損をした気分だった。
「軍に入ると教えが禁じられることは、周知の事実だからな。信仰に熱心な人は、そもそも入隊しないだろう」
エルとエラが知らなかっただけで、確かに信心深い軍隊の兵士は見たことがない。
(うーん…昔のどこかの時代なら、そういう軍隊が存在してもおかしくないわよね…)
見聞きしたことはないが、想像が捗る。
「メリウルスを放つ前に唱えていたのは、何?」
突拍子もなく、エラが聞いてきた。
(私も気になってたけど…もしかして、同じ事考えてたのかも?)
"キリステアン・メリウルス"に対し、エルが魔法のようだと例えた通り、詠唱のようなものを挟んでいた。
どうやら、エラもそれが気になっていたようだ。
「魔王討伐部隊に居た時の話になるんだが…レイネによると、スキルも技の名とは別に詠唱をすれば、一定の効果上昇が見込めるらしい」
シルドが前代未聞で空前絶後なことを話すと、エルとエラは凍り付いたように動かなくなった。
「魔法の詠唱ほどの効果はないが、どんな技でもさじ加減程度には効果が出るそうだ。”キリステアン・メリウルス”で試してみたが、そもそも比較対象が無いことを忘れていた」
エルが、震えを堪えて問い質す。
「そっその話って、本当なの?今まで聞いたことはないし、本当ならとんでもない発見なんじゃ……」
「レイネは、国家レベルで魔法の研究、開発を担っている。本人曰く、結論はまだ出せないそうだが、研究者の一つの解として受け取っていいとは思うぞ。適当を言う奴ではないからな」
青ざめているエルをよそに、シルドは話を続けた。
「それに、些細な変化でしかないから、既に見つけている人が居るかもしれないとも言っていた。気になるなら、エルも試してみるといい」
(そんなこと…言われても……)
そう話を振られるも、衝撃的すぎて頭がパンクしてしまいそうだった。
エルが口籠っている内に、エラが口を開いた。
「やっぱり、シルドは不思議な存在。かつての仲間達も。仲間達のことを、教えてほしい」
「ああ……」
シルドは馬に跨り、エルとエラもそれに続く。
そして、改めて昔話を始めた。
魔王討伐部隊隊長、つまりは勇者。勇者アルサール。
明るい色の短髪に、青い瞳が特徴。
二つ名がそのままの”勇者”であり、文武両道で選抜部隊を振り分ける演習戦では、最後にシルドの前に立ちふさがった男。
士官学校を卒業し、軍に入隊してからも模範生に抜擢されており、戦略性においては右に出る者が居なかった。
部隊の中での立ち位置はアタッカーであり、魔法もある程度使いこなせるバランス型で、剣と盾を使っている。
実はベルニーラッジ出身ではなく、シルドも知らされていないが異国の出身なのだそう。
しかし、普段の所作から育ちの良さが目立っており、異国の貴族という可能性も捨てきれない所がある。
魔王討伐部隊副隊長、魔法使いレーネオラ・シルビュート。
暗い茶色でぼさぼさに伸びた長髪に、やけに綺麗な真紅の瞳が特徴。
特に決まった二つ名はないが、桁外れな魔力量や魔法に関する知識から、天才や奇才と呼ばれているらしい。
魔法職であるため、シルドやアルサールと直接演習を行うことは無かったが、関わりが薄かった頃でも互いのことを認識していた。
戦士のシルドとアルサール、魔法使いのレーネオラと呼ばれる程、訓練生だった頃から三者の名は知れ渡っていた。
しかしながら陰気が強く、友人の数は多くなかったようだ。特にアルサールは今でもこの事をイジりの常套句にしている。
アルサールと同じくレーネオラも異国の出身であり、3人兄弟の末っ子なのだそう。
最後に、シルド・ラ・ファングネル。
魔王討伐部隊指定隊員。
隊長でも副隊長でもなく、軍部からの指名を受けて入隊した、ただの一般隊員だ。
孤児の出身で、後に士官学校に入り、ベルニーラッジ軍、魔王討伐部隊に配属され、引退して今に至る。
「──以上だ」
「…それだけ?」
「………」
エルとエラは共に不満そうな顔をしていた。
「そう言われても…容姿はこの通りで、他に言うことは無い。逆に、何が聞きたいんだ?」
「ん……小さい頃の話は?」
その要望に応えようと記憶を辿ると、ある共通点を見つけた。
「なら…俺の面倒を見てくれていた、シスターの話でもするか?」
「!」
それは、シルドの運命を変えた人。
異種族ではあったが、確かに人間を慈しみ、脅威から守るために寄り添った、”一番最初にシルドを理解した者”。
「聞きたい。どんな人?」
「実は、その人もエルフだったんだが、あだ名が脳筋シスターで───」
”牙の子”、シルド・ラ・ファングネル。
極点に立つ可能性を秘めた者。
人並み外れた身体能力に加えて、身体に変化を伴う謎の能力を有している。
何も分からないまま何かを目指し、長い回り道を経て、ようやく自身の目的を見つけた、大人のフリが上手い子供。
二度の天涯孤独を経た末に、今や過去の自分に挑もうと、三度目の孤独を防ごうとしている。
その有り余る獣性を隠したまま、彼はただ全力で、一生懸命で居るだけだと思っている。
自分が真に何者なのかも、分からぬままに。
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