94.Broken Humanity
「───!」
「ッ!!」
突進を仕掛ける魔物に、その圧倒的な身体能力で軽くあしらう”獣”。
シルドではない紅い目をした誰かは、先程までのように吠えることはなくなり、どちらかと言うとシルドに近くなったように見える。
ツナジリヤ達と戦った時のように、明らかに体長が大きくなったりなどの、目立つような体の変化は見受けられなかった。
「何、これ…」
エラは絶句しており、シルドの変貌が余程衝撃的だったことが分かる。
「初めて見ると、やっぱり言葉が出ないわよね…あれはシルドの特異な能力みたいなものだから、変に警戒しないで大丈夫よ」
「やっぱり、星の狩人みたい…」
「…??」
以前にも、シルドの事を例える時に、そう言っていた気がする。
その際は、全盛期のシルドが幾つもの武器を使っていたという話から、絵本に登場する星の狩人と例えていた。
「何で星の狩人なの?」
「星の狩人も、赤い目をしている。扱える武器も、あの赤い目も、星の狩人と全く同じ…偶然じゃない気がする」
そう話している間にも、シルドは魔物と戦闘を続けていた。
「───!!!!」
エルとエラが戦っていた時よりも、明らかに魔物が興奮しており、シルドを吹き飛ばした強力な突進を惜しみなく放っていた。
しかし、更に驚くこととして、その突進を受け止め切っているシルドが居るのだ。
「ぐっ…ぅうッ!!」
突進を受けて、その場に留まるというわけではないものの、突進されても足が地面から離れることはなくなり、段々と反撃までに要する時間が短くなっていった。
自分達では成し得ない戦闘技術に、エルとエラは目を奪われた。
「──────!!!!!」
魔物の興奮はとどまる事を知らず、シルドの突進への適応と共に、更に突進の頻度を上げていった。
両後ろ足が地面に付いた瞬間、即座に突進を仕掛けてきている。
最早、エルとエラは、魔物の姿をほとんど視認できずにいた。
(シルドが突進を受け止めた時しか、姿が見えない……というか…)
シルドは攻撃を仕掛けているものの、魔物の動きが逐一速いため、仕掛けた攻撃のほとんどは当てられていない。
ところが、呑気にもエル達が眺めていると、徐々に動きを変えつつあることに気が付いたのだ。
「───!!」
再び魔物が突進を仕掛けた時に、その変化は明確なものへと変わった。
「うァアアッッ!!!」
「──…!」
人間らしい声で吠えたシルドは、防御を捨て、魔物の突進と相打ちになる形で攻撃を当てた。
シルドの攻撃が中々応えたようで、魔物はふらつきながら、鳴き声と共に後退した。
ただ、今の光景にはおかしな所がある。
(な、何で、吹き飛んでいないの……?)
魔物の突進と相打ちだったはずだが、シルドは吹き飛ぶどころか、一切の後退をしていない。
痛がる素振りも無く、本当に攻撃が当たったのかどうかも怪しい。
「───!!!!」
魔物がもう一度突進を仕掛けるも、シルドは先ほどと同じように防御を捨てたまま、的確に眉間の部分に拳を叩き込んだ。
(左胸上部と鎖骨の間…もろに牙が入ったように見えたけど、そのまま殴った…)
折れた牙が地面を転がると、魔物からは動揺や混乱が見て分かり、それまでの興奮が嘘だったかのように委縮し始めていた。
「っ──!」
追撃でエラが剣を振り下ろすも、魔物は閃光と化し、それをかわした。
魔物は極端にシルドを警戒しており、今しがた攻撃を仕掛けてきたエラのことは、全く眼中に無いようだった。
そして、徐々に後退していった魔物は、急に背を向けて走り始めた。
魔物にしては珍しいことに、逃走を図ったのだ。
「逃がさないわよ……っ!」
エルが矢を手にした時、何らかの違和感を覚え、矢をつがえながらシルドを見た。
「………」
シルドは、その紅い瞳を魔物が逃げた方向に向けており、何かを追って見ているようだった。
それは、途轍もない違和感を放っていた。
”獣”がただ黙って、静かにしているからだろうか?
それとも、何かを追って見ているかのような素振りをしているからだろうか?
いいや、どちらも違う。
(何かを、しようとしている……?)
エルには、立って視線を動かしているだけのシルドが、何かの予備動作をしているように見えたのだ。
そう思い至った瞬間、少し離れた場所から、何らかの衝撃が響いた。
まるで地面を強く殴ったかのような、あるいは強く踏みつけたような衝撃だった。
「───ようやく……倒せたか」
「!」
何の脈絡もなく、急に人語を話し出したものなので、エルとエラは体を跳ねさせて驚いた。
(目の色が戻ってる…)
それに加えて、激しい息切れに、大量の発汗が始まった。
”獣”ではなく、シルドらしさが戻ってきた。
「倒した…?」
「魔物がどこにいるか、ここからだと全く分からないと思うんだけど…」
エルとエラが揃って言うと、シルドは前方に進み始めた。
その先は、魔物が逃げた方向だった。
「ま、待ってよ……!」
息を切らし、汗をだらだらと流したたまま、どんどん道の奥へ進もうとしているため、2人は急いで後を追った。
しばらく舗装された道を進んでいたかと思いきや、急に草むらの中に押し入り、腰辺りまで伸びる草の中を前進した。
(魔物の足跡らしいものは見ないけど、本当に大丈夫かしら……)
エルが疑問に思っていると、草の禿げた地面が見えた。
その空間はさほど広くなく、シルド、エル、エラの3人がその場に入った時点で、空間の3分の1が詰められた状態になっている。
「ここで、止めを刺した………っ」
そう言うと、シルドは突如その場で崩れ落ちた。
しかし、体勢を崩すことはなく、いつでも動ける姿勢で座り込んでいた。
「大丈夫?」
「…疲れただけだ。悪いが、そこに落ちている物を拾ってくれないか?恐らく、それが魔物のドロップ品だ」
シルドが指をさした方を見ると、黒い布のようなものが見えた。
「私がシルドを見る」
エラがシルドの傍に座り込み、複数の魔法をかけ始めた。
左手からは魔法で生成した流水、右手からは回復魔法の温かい光が放たれている。
エルはシルドに言われた通り、魔物のドロップ品と思わしき物の回収を試みていた。
(これは…毛皮?てっきり牙が落ちると思っていたけど、これはこれで……)
躊躇しながら手に持ったそれは、紛れもなく先ほどの魔物の毛皮だった。
黒い毛並みに、赤い線が走っているのが何よりの証拠。
それに加え、どことなくエルが使っている剣に似ていて、雷属性の力を感じる。
シルドは一体、何をどう操ってここまで離れていた魔物を倒したのだろうか。
(下手に扱うと、大変なことになりそうな代物ね…)
とりあえずと、手のひらに乗せてシルドの元へ戻る。
「言うまでもなく、さっきの魔物の物ね。普通に素手で持っちゃってるけど、大丈夫かしら…」
「それはギルドに提出する物だから、袋に包んでくれ。あとは、報告書を書かないとだな」
そう言うと、置いてあった荷物の中からスクロールを取り出した。
ギルドの印が見えたことから、あれが報告書なのだろう。
エルは適当な袋に魔物のドロップ品を入れた後、シルドに気になっていた事を聞いた。
「難敵の魔物だったのに、いつの間にかシルドが倒しちゃったけど、どうやって倒したの?」
「切り札を使った。東之国から帰ってきて、少しずつ昔の感覚が取り戻せてるみたいだ」
シルドは報告書を書きながら答える。
(切り札…切り札ねぇ…)
シルドの切り札と言えども、エルには疑問が残っていた。
「戦っていた時のシルドって、"獣"の状態だったじゃない?意識があったの?」
「…それは……」
「?」
エルの問いに、シルドは報告書に記入していた手を止めた。
エラは、なんのこっちゃという顔をしている。
「…突き飛ばされた後の記憶は朧気だが、それ以降の意識ははっきりしていた。だが、自分の意思で魔物と戦っていたのかと言われると、そんな気はしない」
「…どういうことなの…」
切り札のこともあり、頭の中がこんがらがってしまいそうだ。
以前までのシルドは”獣”の状態になると、自我を失うと言っていた。
しかし、今回の”獣”の発現では、”部分的に”そうならなかった。
(以前にフェアニミタスタで襲われた時…ツナジリヤと戦った時のような体の変化はなく、意識があった)
以前と何が違ったのか?
ツナジリヤと戦った際は意識が無かったものの、後に正気に戻ってからは、その戦闘を記憶していた。
ツナジリヤとの戦闘以前は、”獣”になっている間の記憶が無いと言っていたはず。
雀の涙ほどの希望で言うなら、東之国でヴィアヴェルベイパロと戦った時のことだろうか。
(あの時に見せた、異常な攻撃…)
あの過ぎた攻撃から、”獣”に近い何かを感じたかと言われたら、その通りだ。
あれがあったからこそ、シルドの中にあった二つの魂は、まるで一つに融合したかのように形を整えた。
(…魂が関係しているとか?)
そうであると予想する他はない。
「切り札は、なに?どうやったの?」
考えを巡らせていると、今度はエラがシルドに聞いた。
「ラッシュ・アウトの応用だ。かなり感覚に依存していて、ほぼ試作段階の技だが、攻撃においての実用性は桁違いだ」
「安定しているとは言えないが、部隊に居た頃に戦った、魔王軍四天王への止めになった技でもある」
その答えに、エラはあまり腑に落ちていない様子だった。
「私、ラッシュ・アウト、あまり知らない」
「あー……」
シルドは周囲に目を配った後、のっそりと右手を挙げた。
挙げてから間もなくして、目の前の地面に対し、手を振り落とした。
すると、地面に3つの拳の跡が形成されていた。
「これがラッシュ・アウトだ。普通は剣でやるんだが、そっちは見たことあるだろう?」
「うん…でも、それ、どうなっているの?」
「分からん」
「………」
「………」
何とも言えない空気がその場に流れた。
エラは疑問のあまりに表情が変わらず、シルドは疲れのせいか、何も考えていなさそうな顔をしている。
「そ、その切り札で止めを刺した魔王軍四天王って、どんな相手だったの?」
空気を変えるべく、エルが口を開いた。
それまで呆けていたシルドの表情が、一気に生気を帯びた。
「…1人は、ヴィアヴェルベイパロと同じサキュバスで、セトランシースと名乗っていた」




