90.帰路に就く
ベルニーラッジへと帰る道。
その後も山道を駆け回り、遭遇した敵を全て吹き飛ばしながら、2人は最初の地点へと戻って来た。
そこには、待機を命じていたエラと、東堂くめが居た。
エラは東堂の膝枕で眠っており、2人と別れた時よりも距離が近づいているように見える。
「おや、もうお戻りですか?」
「シルドのお陰で、思っていたよりも早く終わりました…エラ、凄く懐いてますね」
東堂は視線を落とし、エラの前髪を優しく撫でる。
「…互いの言葉は通じませんが、同じ人である以上、他の方法で意思を交わすことができるはず」
「少々話が変わりますが、シルド様があの一室にて、偽りの安らぎを得ていた事も、お見通しですよ?」
それに関することは一切言っていないのに、見抜かれていたことに驚いたシルドは目を見開いた。
「しかし、この度お会いしてみればどうやら、以前よりも顔色が良くなったように見えます。何か、良い変化があったようですね?」
「…浪人から何か聞いたのか?」
「いいえ。あの方と話したのは、シルド様にもお話したかつての事のみです」
信じ難かったが、その落ち着いた振る舞いからは、謎の説得力があった。
「それで、浪人は何て言ったんだ?」
「そうですね…」
それを聞いた東堂は、少しの間口を閉じた。
「…それは、浪人から直接聞くべきですね。人情事ですので、私が話すのは良くないかと」
人情事ということは、やはり何らかの関係があったことが伺える。
「…それもそうだな」
しかし、他人の縁の話であるため、シルドはそれ以上を探ろうとは思わなかった。
そうして、4人は山を下ることにした。
──翌日
シルドとエル、エラの3人は、今後の移動について話していた。
今は京村に滞在中だが、京村の奉行所に張り出されていた難敵は全て討伐してしまったため、今や一枚も張り出されていない。
難敵相手でないと修行にならないため、近々京村を出て来た道を戻り、各所で近場の難敵を倒しながらベルニーラッジへ向かおうという提案が出された。
エルはその提案に頷いたが、意外なことにエラも頷いてくれた。
「巡礼の旅は大丈夫なの?」
「海を渡った目的は東之国だけで、東之国より向こうの地に行く予定はない。ここに来る前までは海沿いに巡礼地を回っていたから、ベルニーラッジにはいずれ向かう予定だった」
…とのことで、ひとまずベルニーラッジまでは同行してくれることになった。
シルドはエルを独りにすることがなくなり、エルはエラについて気になる点が残っているため、2人にとっては得な話。
なので、断る理由は無かった。
山で走り回った翌日、シルド達は早速フェアニミタスタへ戻ろうとしていた。
正確に言うとミウソマ港だが、あそこは滞在する場所ではない。向こうの港に着いたら、一気にフェアニミタスタの城下町まで戻るつもりだ。
そして現在、3人は浪人に案内されながら港へ戻っている最中だった。
「俺も近々、東之国から離れるとするか」
そう呟いた浪人に、シルドとエルは凝視する。
「外に出て、一体何を…?」
「奉行所の仕事がある故、長く離れることはできないだろうが、外の世界に興味が湧いた」
「…三百年間でがらりと変わった、知らない景色を楽しんでいる自分がいる。不安が無いわけではないが、お前のような奴が居ると思うと、俄然興味が惹かれる」
浪人はシルドを見て言った。
「なら、一緒に海を渡るか?」
既にエラが同行しているが、浪人も同行するとなれば、更に心強い。
だが、浪人はそれに頷かなかった。
「今すぐの話ではない。それに、俺は理から外れている。本来なら有り得るはずがない、数百年を生きた人間だ」
「であれば、この身にはそれ相応の何かがあって然るべきだろう。必要以上に他者と馴れ合おうとは思わん」
浪人はシルド達に限らず、誰かと共に行動するつもりはないようだった。
「所詮、ただの思い付きに過ぎないがな。外国の言葉を学ぶつもりもない…?」
話して歩いていると、突然雨が降りだした。
雨の勢いは弱めだが、晴れ空のまま降るという珍しい状況だった。
「天気雨?かなり久しぶりに見るわね」
「………」
エルとシルドは呑気に空を見上げていたが、浪人はそうでもなさそうだった。
エラもどこか、何かを警戒しているように見える。
「…”狐の嫁入り”だ」
浪人がそう呟くと、目の前で続く道の上に謎の怪火が現れた。
「弟子ともう一人に顔を下げさせろ。お前はともかく、並大抵の者にあれは耐えられん」
浪人が何を言っているのかは分からなかったが、遠くから近づきつつある謎の鈴の音に悪寒を感じ、その指示を受け継いだ。
シルドがエルに伝え、エルはエラに伝える。
話の伝達に少し時間が掛かったが、シルドがようやく前方に注意を戻すと、怪火の傍には人影のようなものが連なっていた。
「あれは…何の影だ…?」
「お前には影が見えるのか…ふむ」
どこかで再び鳴った鈴の音が、体の隅々に響き渡る。
身の毛がよだつ思いになり、体が何らかの危険信号を発しているようにも感じた。
(何だ、これは……?)
武者震いではなく、理解できないものに対する恐怖心から、身を強張らせた。
シルドの人生において、その現象が起きた例は片手で数える程度しかなく、今になってようやく狐の嫁入りが危険な現象なのだと理解した。
理解したというよりも、断定したと表現した方が正しい。
何故なら、切り札を放とうとしているからだ。
「アルス・アルマス────!」
「待て」
血迷うシルドに、浪人が手で遮った。
そしてそのまま、シルドの半身を庇うように一歩前に出た。
「…存外、早とちりなようだな。己が身分を忘れたか」
「!……」
浪人の言葉で、シルドの恐怖心は嘘だったかのように消えていった。
「しかし、人影か…俺には人間が見えているのだが、この見え方の違いは一体どこに条件があるのやら」
「人によって見え方が違うのか?」
そう話している内にも、鈴の音はどこからか近づいてきている。
「妖怪という、人の曖昧な認識によって出自した点が強く影響しているのか、”狐の嫁入り”は視認できる者の方が少ない」
「大半の者は、これを天気雨と言う」
怪火や人影が道を進み、4人の方へ寄ってくる。
「では、間違いのない妖怪なのかと言われたら、それに確証はない」
鈴の音も、数歩先から聞こえているようで、かなり距離が近づいたように思える。
「だが、これが現実でないことには違わない」
浪人は刀の柄に手を置き、狐の嫁入りを前に構えた。
「であれば、俺が切るのが適切だろう。絶技───」
そう言った浪人は、誰でも目で追えそうなほど、それほど速くない動きで刀を抜いた。
「断チ」
シルドはそのまま見惚れるように、刃を振るう瞬間も目にしていた。
決して速くはないが、その動きには一切の無駄がなかった。
その結果として、速い一振りが完成されていた。
刀を振った時の音は無く、その一振りがどれだけ精巧に放たれたものなのかは、そこからも実感できる。
「………」
気づけば、前を塞いでいた怪火と人影の列は消えていて、天気雨も止んでいた。
言葉が出ず、無言でエルの肩に手を置く。
「ん?な、何?もう顔上げていいの……?」
エルがエラと一緒に顔を上げ、辺りを見回すも、何が起きたのかは把握できない。
唯一分かることは、雨が止んだということだけだった。
「三百年の成果にしては、悪くないだろう?」
「悪くない…と言うか…」
「えっ、何?何を見たの??」
明らかに思考が止まっているシルドに、地面を見詰めていただけのエルは何が何だか分からず、気になっているようだった。
「素振りとは本来、ある一定の型を身に着けるもの。”刀で切る”ことを目指した俺の素振りは、実を成したと言えよう」
「今まで、多くの剣使いを見てきたつもりだが、それでも驚いた。刃を振るうという行為が、あれほどの一閃になるとは」
他に語ることが無い。
あれは正しく、何の変哲もない、ただの一振りだった。
「元より、刀は刃物。つまり、対象が切れれば良いだけのこと」
「変に飾る必要は無い。それが、三百年間で得た答えだ」
シルドは堂々と言い放つ浪人が、少し羨ましく思えた。
自分はただ敵を倒すためという、曖昧な理由で剣を振っているのに、浪人は自身の行いに明確な答えを出せている。
(…俺は、今でも何がしたいのかは、答えが出せていない)
ベルニーラッジに戻り、仲間を救うためにもう一度戦いに身を投じると言ったは良いものの、それが終わった後はどうなるのだろうか。
ひと段落した後の自分の姿が、想像できない。
それ以前に、ひと段落したとして、自分の行いに答えが得られるかどうかは確証がない。
(地道に探していくしかないな)
結局の所、問題とはいつもこれである。
それに立ち会うまでに、可能な限りの選択肢を残しておくことが最善だ。
不確定な未来の話であるのなら、なおさらのこと。
気付けば、港が見える所にまで来ていた。
「ここで良いだろう。東堂には、何か言い残すことはあるか」
「いや、大丈夫だ。昨日で別れは済ませてある」
「なら行け。ここで留まる由は無い」
そう言うと、浪人は何の会釈も無しに体の向きを変えて、もと来た道を戻ろうとしていた。
「あ、ありがとうございました…!」
エルが挨拶をするが、シルドは何かを考えていた。
すると、浪人が数歩足を進めた所で、シルドが口を開いた。
「待て、浪人」
「…何だ」
「突然の話だが、お前さえ良ければ、魔王討伐に協力してほしい」
前触れなく飛び出たスカウトらしき言葉に、唯一その造形を理解しているエルが一番驚いていた。
エルの袖を掴んでいるエラは、言語が理解できないことも相まってか、終始無頓着な風に頭を傾げている。
「前にも概要は伝えたかもしれないが、俺は軍の中でもかなり上位の部隊に所属していたんだ。それこそ、ある程度は国王に意見できる立場だった」
「お前の剣技は初めから凄いと思っていたが、”狐の嫁入り”を切った時のあの剣技が、目に焼き付いて離れない」
「もし協力してくれるのなら、富も名声も用意できる。それ以外は分からないが、願いには極力答えるよう口添えしておく。協力してくれないか?」
真剣な様子で頼み込むその姿勢に、傍らで見ていたエルは只事ではないのだと察した。
(魔王の討伐って、やっぱり難しいのかしら…)
魔王軍との戦争について、今まで特に触れることが無かったため、あまり現実味は湧かない。
だが、シルドが他人に協力を頼むほどと考えると、各国が用意した軍隊でも戦力が足りないということで間違いないのだろう。
浪人はシルドの方に振り向き、変わらない態度で答えた。
「富や名声に興味はない。そして、俺は京村の奉行所に身を置いている。そこで魑魅魍魎を切っている最中、気づいたことがある」
「俺が考えていた程、京村どころか、東之国全体の防衛に余裕が無いということにな」
富と名声に興味が無いというのは実に浪人らしいが、東之国の防衛状況についてはごもっともだ。
東之国で魔獣の出現が多くなっているのは、間違いなく今の魔王が関係していることなのだから。
「姿形が変わったとはいえ、京村は俺の故郷。何を積まれようとも、離れるわけにはいかない」
「…そうだな。すまなかった」
それで話が済むかと思いきや、今度は浪人が何かを考えているようだった。
「だが、頭の隅には入れておこう。何か手伝えることがあるかもしれん。時が来れば、伝書鳩でも寄越せばいい」
「??」
東之国から出ずに、何をどうやって手伝うというのか不思議に思ったが、とりあえず了承の旨を伝えておく。
そして、浪人は今度こそ道を戻り始めた。
自制があったとはいえ、結局浪人が何者なのかは、その輪郭にすら触れられなかった。全身包帯ぐるぐる巻きであることからも、まさに文字通りである。
300年間を生きたといい、東堂くめが守る社との関係といい、歴史的な重要人物であっても不思議ではない。
知りたいことは山ほどあるが、今はやるべきことがある。
少なくとも、現時点でやらなければと感じていることがある。
「何となく分かってたけど、かなりあっさりとした別れだったわね」
「前に別れた時は、挨拶すらなかったからな。今回ここまで送ってくれたのは、浪人にしてはかなりの親切だと思うぞ」
そうして、3人は船着き場へと歩いて行った。
ベルニーラッジへ帰ろう。
その道中で、色々な人と挨拶をしよう。
更新が遅くなって申し訳ないです。
今もかなりバタバタしてるので、次話も遅くなるかもしれないです。
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