87.シルド式鍛錬法
シルドは疲労のあまり、決戦兵装という謎の言葉を洩らしてしまった。
「今なんて…決戦?」
一気に状況が悪くなる。
熱さに気を取られて、うっかり機密情報を洩らしてしまった。
「な、何でもない」
その否定の仕方はあまりに怪しく、エルにとっては更に興味がそそられる。
「何でもないことは無いでしょ、何よ決戦なんとかって?」
(完全にやらかしたな…)
「…?」
引き下がりそうにないので、素直に答えることにした。
エラと浪人はどちらとも標準語を知らないし、エル1人ならまだ都合が良い。
「…決戦兵装。ベルニーラッジ国王の許可を得て製造される、魔王討伐部隊のためだけに作られる防具だ」
「防具?今のシルドって、熱いから防具を脱いでるんでしょ?なのに、何でそれが必要になるのよ」
「俺の兵装には特殊な魔法が掛けられていて、冷却機構が備わっているんだ。あれを着ていれば、全力で動いてもここまで汗をかくことはない」
「へぇー。でも、それなら何で普段から着ないの?一回も着ている所を見たことないわよね…?」
明言することに躊躇し、シルドは少しだけ間を開けた。
「…国宝なんだ。決戦兵装自体がな」
「………え?」
「魔王討伐部隊の隊員に合わせて作られるくらいだから、他では見ないような特殊な機能が実装されることもある。だから、機密事項でもあるし、国宝に指定することで公的に守られている」
それはつまり、エルが機密情報を知ったということを表している。
別に、決戦兵装の存在自体が知られることは問題ではない。それが問題なのであれば、先ず人前に出れなくなるということになる。
ただ、エルの場合はシルドの弟子という立ち位置からして、少々面倒なことになる可能性は拭えない。
「決戦兵装を狙う輩の事などを考えると、有事以外では持ち出さないのが吉とされている。簡単には動かせないんだ」
「それって……私が知っていいものなの?」
「………」
それに対して、シルドも詳しく知らない所であるため、すぐに答えることができなかった。
「え…大丈夫よね?……そうよね???」
「…多分大丈夫だ」
頼りない声色で返されたエルは、強い不安感を顔に表す。
「目的の任務は果たしてしまったわけだが、この後はどうするんだ?」
「まだ別の任務を受けている。高難易度の任務に指定されていたのは、今の傀儡がしゃどくろだけだがな」
「どれほど請け負ったのか知らんが、ついて行くだけで骨が折れそうだな…」
そうして、4人はしばらくの間周辺を歩き回った。
もちろん、受けた討伐任務は全てシルドだけで遂行し、その全てを蹴散らしてきた。
魔法やスキル、剣を抜くことは一度もなく、その身一つで魔物も魔獣も妖怪も倒してしまった。
敵の群れを拳一つで粉砕し、吹き飛ばす光景を前にして、エルは絶句する他なかった。
度々思うことだが、シルドが片腕である理由が分からない。
何故、それだけの質量を相手にしながら、片腕の筋力だけで破壊できるのか。
もちろん、魔王討伐部隊として活動して得た知識や経験があるだろうが、それを含めてもあれが人体から、ましてや隻腕から出て良い出力だとは思えない。
ペンニエルは、シルドのことをこの世界における番人と言っていた。
その理由の中に、圧倒的な強さが含まれるのであれば、納得する他ない。
シルドが一人で任務を遂行する姿を見ていて、新たに感じたことがある。
それは、戦闘の際に余裕を見せなくなったことだ。
これまでの戦闘時のシルドをポーカーフェイスと表すなら、今のシルドは形振り構わずに一撃を振るっている。
牙を剥き、絶叫を隠そうともせず、文字通りの全力を体現していた。
覇気だけでも只ならぬものであり、エルの認知していた”世界最強”、”ラッシュ・アウト”の称号を持つシルドは、そこには居なかった。
それに伴い、以前のように絶対的な強さを感じさせる雰囲気は無くなってしまったが、デメリットがあるようには思えなかった。
そこに居るのは、唯一つの生命として輝きを放つ、シルドそのもののように感じられたからだ。
全ての討伐任務を終えたシルドは、今度こそ指一本も動かせまいと、その場に座り込んで動けなくなっていた。
それでも、荒々しい呼吸から深呼吸に切り替わり、幾分かマシになっている。
「大丈夫?流石にぶっ続けっていうのは、無理があったんじゃない…?」
「はぁ…ふぅ…っそうかもな……」
再びエルに魔法で水を掛けてもらっているが、単純な返事をするのも苦しそうである。
「お前の弟子ともう一人が昼餉を食っている間も、お前は見世物のように一人で暴れ回っていたからな。あれだけ元気に動いておいて、まだ涼しい顔を続けるものなら、俺が相手になってやった所だ」
「…これ、あげる」
浪人の冗談に返せずにいると、エラが液体入りの小瓶を渡してきた。
この状況で渡してくるということは、ポーションの類のものなのだろうと、シルドは一切疑わずに受け取った。
「ありがとう…」
荒い吐息のまま、小瓶の中の液体を一気に飲み干すと、シルドは妙な味に違和感を覚えた。
小瓶を見ると、残念なことにそれがポーションではないことに気付く。
「これ……あぁ…(麻痺)」
「えっ。シルド!?」
小瓶の中の液体が何なのかを大方認識した瞬間、全身からありとあらゆる感覚が失われた。
シルドはすぐさま体勢を保てなくなり、地面に大の字で寝転んだ。
「え……?」
小瓶を渡したエラでさえ、倒れてしまったシルドに驚き、地面に転がった小瓶を確認した。
「あれ、これって…」
エラはあたふたしながら、エルとシルドの傍に寄る。
「ご、ごめん。これ、動物用の麻酔薬が入ってたみたい…」
「ま、麻酔薬…そっかぁ……」
そして、2人揃ってシルドの顔を覗き込む。
「…首から下が動かない」
むしろ、動物用の麻酔薬を飲み込んでおいて、何故意識を保っているのだろうか。
とりあえず、状態異常を解除する魔法をかけておき、様子を見る事にした。
「麻痺を解除する魔法をかけたけど、効き目が出るまで少しかかると思うわ。それまで大の字のまま寝てなさいな」
「助かる……」
そのまま、倒れた先の木陰で呼吸を整えていると、急速に空腹感が襲って来た。
直前まで激しい運動をしていたことと、まだ昼食を取っていなかったこともあり、体が麻痺していても腹の空きは感じられる。
「腹が減った…」
その言葉と共に、腹の虫が鳴いた。
「妥当だな。あれだけ暴れ回っていたのだから、食ったものよりも、運動量の方が超過しているだろう」
「体が麻痺してるってことは、その分体内の機能も停止してるわけだし、今ご飯を食べるのはちょっとね…」
すると、シルドの腹の音を聞いていたエラは、ポーチの中から何かを取り出した。
「これ、食べる?食べられる…?」
「…?」
残念ながら、シルドは体の位置が地面と同じ状態のため、その袋に包まれたものが何なのかは分からない。
「これは…干し肉ね。何であっても、今はとにかくダメよ。誤嚥とか、喉に詰まっちゃうかもしれないもの」
「…食べたい」
シルドは干し肉という言葉を聞いた瞬間、食欲が爆増した。
腹の鳴る音が更に大きく、長くその場に響いた。
「私達が食べてたサンドイッチなら作れるけど…まだ食べられないわよ?」
「いい。つくってるところをみてごまかす」
「そ、そう……」
何故か呂律が怪しくなってきているシルドの横で、言われた通りサンドイッチを作ることにした。
パンに切り込みを入れて、そこに干し肉とオリーブを詰めるという本当に簡単な調理だが、その少しの間でもシルドの麻痺は治りつつあった。
「ん…体を捻れるようになった。もう食事してもいいんじゃないか?」
「ダメよ。万一を考えたら危なすぎるし、貴方もそれを自覚しなさい…」
どうしても早く口に入れたいのか、事あるごとに食事の許可を求めてくる。
(凄くお腹鳴ってるし、食べさせてあげたい気持ちはあるんだけどね…)
「喚くな。芋虫にしか見えんぞ」
早く寄越せと言わんばかりのシルドに、浪人が釘を刺す。
エラは、ずっと申し訳なさそうな顔をしている。
「ごめんなさい、私が麻痺薬を飲ませたから…」
幼い身振りで悲しそうな顔をしているエラに対し、シルドは完全な被害者ながらも罪悪感を覚えた。
「…よく考えてみれば、どの道疲れて動けないんだ。麻痺していた方が、体力の回復には効率的かもな」
その言葉と共に、麻痺でまだ上手く動かせない右手で親指を立てる。
それを見たエラは、ほんの少しではあるが安堵の表情を見せた。
そのまま数分待つと、シルドの体は完全に回復し、今度こそ食事ができる環境に落ち着いた。
「うまい、うまいな……」
「そんなに詰めて食べると危ないわよ…?」
エルから食事の許可が下りた瞬間、水を浴びるように飲み、干し肉のサンドイッチを無我夢中で食べる。
麻痺から回復したはいいものの、今度は喉の渇きと飢えに脳を支配されてしまった。
傍に座ったエラが無限に水を用意してくれて、サンドイッチを一口かじる度にコップ3杯の水を飲んでいく。
体から流れ出た汗の量を考えると、妥当なのかもしれない。
「食べきってしまった………足りないな」
「ええっ。2人で3日分のパンと干し肉を使ったけど、まだ足りないの?」
「肉だ…肉が無いと死ぬ…終わる…」
「そんなに!?」
気の所為か、シルドの顔が青くなり始めたように見えた。
そう言った今も、どこから持ってきたのかエラが野イチゴを食べさせている。
「酸っぱい物は体に良い。沢山あるから、食べて」
シルドが水を飲む音と、エラから供給される野イチゴをかじる音がその場に響く。
「東之国だと獣肉はあまり出回らないぞ。魚の方が圧倒的に多い」
「魚でもいい…早く食わせてくれ…」
「俺達が持ち合わせているわけがないだろう。食いたいのなら、京村に戻るんだな」
「よし戻るぞ」
シルドは迷いなく突然立ち上がり、京村に続く道をおぼつかない足取りで辿り始めた。
その足取りと顔色を心配し、エルは一目散に後を追った。
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