85.もう一度、あの場所へ。
エルフの村から京村に戻った2人は、エラの帰りを待つことにした。
──京村の宿にて
エルフの村から京村に帰ってきた2人は、宿にてエルの帰りを待つことにした。
「カメリールが居て驚いたでしょ?あの子、本当はもっと離れた別の村に住んでるんだけど、シルドと会うためだけに来たんだって」
「ああ。あの人を助けたのは1年以上も前の事なのに、礼の一つを伝えるためだけに来てもらったと考えると、少し申し訳なく感じるな」
「………」
エルは、シルドがカメリールに向けた笑顔が気になっていた。
「…実家から、何か良さげな絵本を持って来ようかなって思ったんだけど、全部エルフ語だから諦めたわ。いくら絵本とは言っても、文字が読めなかったら面白くないしね」
「そういえば、そんな話もあったな…本気で読ませようとしているのか?17歳にもなって、正気か??」
「もちろん。座学はそれで良いとして…じ、実技は……」
エルはそこで言葉が止まったが、シルドが即座に口を挟んだ。
「待て。絵本が座学とは、意味不明なんだが。一体何を対象に学習させるつもりなんだ?」
「子供に決まってるでしょ。目の前に居るガキンチョが対象よ」
ため息と共に吐き出されたその言葉は、シルドの眉をひそめた。
「それじゃあ…はい」
エルはそう言うと、両手を広げた。
シルドには、それが何を表しているのかが理解できなかった。
「何だ?」
「ハグよ。実技はハグだから」
「???」
意味が分からないというような顔をするシルドに対し、エルは時間が経つ毎に頬が紅潮していった。
「何故だ。何がしたいんだ?」
「い、いや…貴方って、理屈は分かっていた上でこの前の暴走があったわけなんだし、言葉でダメなんだったら物理的な愛情表現の方が良いかなって…」
思っていたよりも計画的な行動だったことも相まり、シルドは驚きを隠せなかった。
しかし、計画的だからと言ってすぐには抱き着けない。
「しかし、ハグというのは…どうもにも、遠慮の方が勝つ」
「何でよ?一番それらしい方法だと思うんだけど」
「俺とエルがハグをすると、傍から見れば男女のそれじゃないか。もはや師弟関係も崩れつつあるのだから、尚更良くないような…」
それを聞いたエルは、露骨に大きなため息を吐いた。
「…ヘタレ」
「!」
ボソッと呟いたかと思うと、エルの方から体を寄せて、シルドを優しく包んだ。
シルドは、その精神的にも肉体的にも寛容な包容力に負けじと、戸惑いながらもエルの背中に腕を回した。
「………」
互いに言葉が出てこず、意識は自ずと接触している体に集中する。
(温かくて、線が細い。力加減を間違えれば、すぐにでも壊れてしまいそうだ)
(体がゴツゴツしてるからか、大木に抱き着いているみたい…)
抱擁の心地は口には出せず、2人の心中にて語られた。
そんな状況が、数十秒間に渡って続いた。
「……流石に長くないか?」
気まずさに耐えられなくなったシルドが、先に口を開く。
顔色一つ変えていないシルドを見て、エルはそれを良しとは思わなかった。
「時間は関係ないわ。貴方は満足したの?」
「ま、満足……?」
その言葉に困惑する所からして、ハグをすることで得られるものが何なのか分かっていない様子だった。
「そんな様子じゃダメね。このハグにどんな意味があるのか、見出せるまで終わらないわよ」
「何故だ…?」
シルドは純粋に困惑した。
「もっとこう、ハグしていて心地良いと感じる所を探してみたら?今の貴方って、私が抱き着いたから抱き返しているって感じなのよ」
「よく分からないな…」
とりあえず、言われた通りに探ってみることにした。
「んっ……」
エルを少しだけ強く抱き締めてみたり、傍らに来るように抱き締めてみたり。
単に肩を組むような格好も試した。
「……!」
色々と探った結果、ようやくしっくり来るような恰好を見つけた。
それは、エルの頭の後ろに手を添えて、軽く身を寄せるような抱擁だった。
「…ふふっ」
耳元でエルの優しい笑い声が聞こえる。
昔、自分がベッシーにされていたからという理由でこの恰好を選んだが、思っていたよりも凄く馴染みがあった。
(…何と言うか、これは…)
保護者という観点から見ても、この恰好を選ぶのは納得できる。
顔が近いので、相手の声や感情が分かりやすい。
頭に手を添えることで、ある程度の安全性も確保している。
(何だか、いいな…)
その馴染み深さは、感動を覚えるほどだった。
「良いじゃない、これ。何だか安心するわ」
エルからも好評な所を見ると、これが心地の良いハグということなのだろう。
「ん~……」
エルはゆっくりと呼吸しながら、体を自由に預けている。
段々と呼吸が一定になっていき、シルドも特に気にすることなく背中を擦っていた。
そして、1分も経つと、シルドはある事に気が付いた。
「Zzz…」
(寝てるな…)
考えるまでもなく、午前中は色々な事があった。
村に戻り、そこから村を巡って、古代龍と衝突して、今度は神様が出てきて話を聞かされたりと。
忙しなく動いていたことに違いは無い。
シルドはエルを慎重に剥がし、そのまま寝かせた。
(…奉行所にでも行くか)
そう決めたシルドは、静かに部屋を後にした。
──数時間後
宿の一室にて、1人のダークエルフが扉を開けた。
「ただいま」
「エラ!少し早めに帰ってこれたのね。どうだった?」
「特に変わったことはなかった。エルの方こそどうだったの?」
「私の方は色々と大変だったわ。ついさっきまで、いつの間にか寝ちゃってたんだもの」
「そうなんだ。シルドはどこに行ったの?」
エラは、部屋の中を見渡しながらそう言った。
「それが私にも分からなくて、書置きとかメッセンジャーも無いの。シルドの事だから大丈夫だとは思うけど、どこに行ったのかしらね?」
すると、宿の廊下から誰かの足音が聞こえてきた。
扉を開けっぱなしだったエラは、その足音の主を確認するために扉から顔だけを出した。
「あ……」
「エラか。帰って来たんだな」
シルドは何気なく話しかけてしまったが、この2人には共通する言語がない。
「シルド、帰ってきた」
エラが先に部屋の中に戻ってくると、それに次いでシルドも部屋に入ってきた。
「悪いな、急に部屋を留守にして」
「お帰り……ん?」
戻ってきたシルドの装備には、土汚れなどが付いていて、明らかに汚れていた。
「シルド?かなり装備が汚れてるけど、何かあったの?」
「ああ、魔物と魔獣の群れを叩いてきた。少しでも体力を戻したくてな」
そう言うと、報酬と思わしき硬貨が入った袋を渡してきた。
(お、重い…)
少しだけ袋を開くと、大量の金貨が顔を覗かせた。
「いや、この報酬の量って…一体どれだけ倒してきたのよ?」
「量はそこまでじゃない。ただ、討伐困難な対象を纏めて倒しただけだ。流石に少し疲れたがな」
そう言いながら、シルドは諸々の装備を外し、息を吐きながら座り込んだ。
(討伐困難ってことは、既に誰かが討伐に失敗した任務ってことよね?簡単に倒せる敵じゃないと思うんだけど…)
それを纏めて倒して尚、少し疲れただけで済むシルドの体力というのは、相変わらずのものだった。
「シルド、疲れてるの?」
「そうね。魔獣を沢山倒してきたんだって」
エラはしばらくシルドを見詰めると、その傍に座った。
「疲れているのら、私の膝を貸す」
シルドを見ながらそう言うと、自身の腿をトントンと叩いた。
「…?」
エルフ語が分からないシルドは、エルの方を見た。
「膝枕してくれるって。良かったじゃない」
「あー…いや、遠慮しておく」
言葉が伝わらないので、身振り手振りを加えて断りを伝えた。
「………」
すると、エラは何を言うこともなかったが、悲しそうな顔をしていた。
「あららー」
エルからは、謎の含みがある声が飛んできた。
「気持ちはありがたいが、人の膝を借りるほど疲れてはいないんだ…」
それをエルに伝えてもらうも、エラの悲しそうな顔は更に深刻化していく。
罪悪感に耐えられなくなったシルドは、あることを思い付いた。
「…次に疲れてる機会があったら、その時にお願いしたい」
「……!」
エルを伝手に言葉を聞いたエラは、一気に表情が明るくなり、何故かシルドの膝に飛び込んできた。
(変な事で一喜一憂するんだな…)
おかしな状況になっているが、今後の目標についてエルに話をしなければならない。
でなければ、この前の”話し合い”が無意味になってしまう。
「今後の目標についてだが、俺は軍に戻ることを目指す。だが、今のままでは実力が足りない」
「そこで、明日から高難易度の任務をこなして、できる限り当時の状態に体を戻していきたいと思う」
「…うん」
エルは優しく頷いた。
「エルとの師弟関係は、しばらくお預けになる。強くなるためには、俺も全力を尽くさなければならない。つまり、師匠の面が保てない」
「それに伴って、危険な挑戦も増す。それでもついて来るか、来ないかを知りたい」
全力で自分を鍛え直す。
それはつまり、危険な状況に身を置くことと同義。それこそ、エルを守りながら戦う余裕がなくなるほどだ。
強敵と戦い、体が応えなくなるまで鍛え続ける。それが、全盛期のシルド・ラ・ファングネル。
正直、理解者にもなってくれたエルを連れていきたいかと言われたら、連れていきたいわけがない。
しかし、”話し合い”で負かされた以上、その決定権は俺にはないと考えたのだ。
「ついて行くに決まってるでしょ。ペンニエル様も言ってたじゃない?面倒を見てあげてって」
考える暇もないほど、答えは即座に返ってきた。
「私はシルドの弟子だし、人の世界に疎くて、それを知るために村を出た」
「貴方が守ってくれているように、私だって形が違ってもシルドを守りたいと思うし、その願いを叶える手助けをしたいわ」
「それに、ついて行くメリットを考えたら、これ以上無い経験だと思うの。魔王を倒す瞬間に立ち会えるかもしれないんでしょ?」
そう言って、エルは悪戯に笑った。
「…危ない考えだな」
それに釣られて、シルドも笑みが零れた。
「………」
エラから凄い視線を感じ、シルドは視線を落とした。
「…あなた、笑うのね」
「ん……?」
何を言っているのか分からなかったが、エラが両手の人差し指を使い口角を上げた。
「笑わないんだと思われてたんじゃない?」
「あ、あぁ……そうだな、もっと笑わないとな」
そう言うと、シルドはエラの頬を軽く突いた。
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