76.本当の心の安寧と、おとぎ話の世界へ行く準備。
一行は京村に戻り、今度はエルの故郷に向かうこととなった。
決断したシルドは、もう二度と迷うことはないだろう。
──くらいどこかにて
「うぐっ……!!」
光が一切差し込まない、洞窟の奥底のような場所で、悪魔のような翼を生やした魔人が悶えていた。
その全身には、打撲や切り傷など、強い衝撃を受けたような痕が、これでもかとつけられていた。
「はあっはあっ…う……ッ!」
女性の姿をした魔人は、黒い霧のようなものを発しては、それを傷痕に纏い、修復を繰り返していた。
(あんな力……魔王様は、何故教えてくれなかったの…?)
魔人は喘鳴を洩らし、全身から伝わる苦痛を必死に堪えている。
(魔王様が迎えに来てくれないってことは、あの力を知っていたということ…そうじゃないなら、援護に来てくれるはずだもの)
(もう、残基は一つも残ってない…満足に回復もできない…)
そして、一通り体の修復を終えると、呼吸を整え始めた。
(あとほんの少しでもあの場所にいたら、私は……!)
そんな魔人の元へ、魔王ではない別の誰かが足音を立てて近づいた。
当然、魔人は慌てて臨戦態勢をとる。
「これでお互い、負けた者同士ね。ヴィアヴェルベイパロ…いいえ、ベイ?」
「!」
魔人は、その声に覚えがあった。
そして、その影はどこか、ヴィアヴェルベイパロにそっくりだった。
「セトランシース……様?」
──京村 奉行所にて
「よし。皆、手を止めて聞いてくれ。出入り口の施錠は済ませてあるな?」
依頼人や請負人が居なくなった奉行所内には、職員のやり取りや作業音だけが聞こえた。
それらの音も、仕切り役の男の一声によって全てが止んだ。
「皆も何となく把握してると思うが、しばらくの間ある人物を雇うことになった。軽く挨拶してやってくれ」
そう言って仕切り役が視線をやった先には、全身包帯巻きで笠帽子を被り、一本の刀を腰に提げた怪しげな男が立っていた。
仕切り役に促され、その男は組んでいた腕を解き、しっかりとした姿勢を取る。
「…名を浪人と言う。縁あって、お前達と共に魔物やらを狩ることになった」
特に言うことを考えていなかった浪人は、そこで一度言葉が止まってしまった。
誰も話していないため、奉行所内には静かな空間が広がる。
職員たちが喋らない浪人を疑問に思う中、浪人はあることを考えていた。
(綺麗事を並べるのが定石だろうが…)
「……浪人?」
仕切り役が言葉をかけると、浪人は何かを決めたように顔を上げた。
「…俺もかつては、この村に住んでいた」
そう言うと、奉行所内は一気に騒がしくなった。
動揺や混乱、職員達のありとあらゆる声が聞こえる。
(本気で彼奴等の跡を辿るのであれば、俺もある程度の情報は出さねばなるまい)
(…尤も、見つかる可能性は無いに等しい、数百年以上前の一般人の痕跡だがな)
──京村 宿内にて
京村に戻ってきたシルド、エル、エラの3人は、宿にてそれぞれの部屋を取ることができた。
それぞれの部屋を取れたのだが、当然のようにシルドの部屋にはエルとエラが居た。
お昼を過ぎた良い時間ということもあってか、エラは少し眠たいそうで、布団の上で横になっている。
「私が言うのも何だかアレだけど、この子、意外と子供っぽいわよね。本当は子供だっていう秘密を知ったから、拍車が掛かってそう見えてるのかもしれないけど…」
「ただ容姿が変わっているだけで、中身は子供のままなんだろう。警戒なんて以ての外の、良い寝顔をしている」
「ほぼシルドと同じじゃないの。まだ1回しか見たことないけど、シルドだって赤ちゃんみたいな可愛い寝顔してるわよ?」
「そう…なのか……??」
珍しく少し恥ずかしそうにするシルドと、それを見てくすくすと笑うエル。
少し間を開けてから、エルが口を開いた。
「それで、シルドはこれからどうしたいの?」
「………」
即答することができなかった。
それ故に、シルドは自分が言おうとしていることが、本当に正しいのかどうか迷ってしまう。
「別に是非を言うわけじゃないわよ?でも、あんなことがあった訳だし、弟子としてもそれくらいは教えて欲しいなって」
”あんなこと”とは、恥ずべきことだ。
その話を擦られてしまえば、答えないという選択肢は無いと言って良いだろう。
「……仲間を助けたい」
「二度と友を失わないために、魔王との戦いを終わらせたい」
恥ずべきことだ。
自身から離れていった戦場に、もう一度戻りたいと言うことになるとは。
先見の明というものがあるのなら、俺はそれから最も遠い所に居るのだろう。
「そう。良いんじゃない?」
意を決して、恥を忍んで放ったシルドの言葉に、エルはあっさりとした反応だった。
自分とエルでは今の言葉の重みが違うのだと、はっきり理解できたと同時に、その差に驚いていた。
「でも、そうねー……一つだけ言わせてもらうなら、今すぐ戦争に戻るというのは止めておいた方が良いわよね」
「戦争って、言ってしまえば生と死の二択しかないじゃない?どんなに百戦錬磨の英雄でも、それは違いないはずよ」
「貴方が弱いとは思わないけど、戦争に勝って生き残って欲しい身としては、これ以上ないくらい完璧な状態になってから戦争に戻る、というのが最適解だと思うのよ」
すると、エルは”それだけ”と言って、話を切り上げてしまった。
「全盛期のシルドって、どんな感じなのかしら。今より強かったって自分でも言ってるけど、他に今とは違ったことは無いの?」
「あ……」
エルが話題を変えるも、シルドはまだ話が切り替えられなかった。
それは、自分が恥ずべきと思っていることに対し、エルは気にも留めなかったということ。
弟子と喧嘩をしたことも、自分で見切りをつけたことに図々しく戻るということも、エルは言及しなかった。
個人の都合と言ってしまえばそれまでだが、それがどこかに引っかかっていた。
(…そうだ。これは、俺が向き合うことなんだ)
エルはシルドの言うことを肯定しているのではなく、シルドが向き合うべき問題に口を挟んでいないだけなのだ。
是非は言わないということは、そういうことなのではないだろうか。
(所詮、これも勝手な解釈だが…それが一番府に落ちる)
「…今よりも、腕白だったと思う。友人が常に近くに居たから、ということも関係しているだろうが」
「わんぱくなシルド…想像できそうでできないわね。どんな感じだったのかしら」
「ただ元気だっただけだ。血の気が多かったとも言えるかもな」
そうして、シルドはようやく他愛もない会話に話を移すことができた。
「そういえば、今度絵本とか買ってみない?というか、絵本ってちゃんと見たことある?」
「絵本?孤児院で読み聞かせがあったのは覚えているが、何故だ?」
「絵本って想像力とか、色々な考え方を育むのに役立つっていう話があるの。私もしっかりと見たのは百年も前だし、暇があったら一緒に買いに行きましょうよ」
「今さら絵本を読んだ所で、本当に想像力が鍛えられるのか…?もう十分発達していると思うんだが」
「まぁまぁ。やってみないと分からないことだってあるじゃない?」
そう話していると、横になっていたエラが体を起こした。
30分ほどの睡眠から目覚めたエラは、快眠だったのか眠気は残っていなさそうだった。
「何してるの?」
「ただ話してただけよ。ごめんね、起こしちゃった?」
エラは、シルドとエルの近くに座った。
(俺の布団…)
何気に使わせてしまったが、エラはシルドの布団で横になっていた。
それで何かするという考えはないが、変に思われないか少しだけ心配になる。
「何の話?」
「シルドの全盛期の話よ。まだ魔王討伐部隊に居た頃のこととかね」
「…私も気になる」
そして、シルドは2人のエルフに迫られ、もう少しだけ自分語りをするのだった。
「──幾つもの武器を使えるなんて…まるで、星の狩人みたい」
「星の狩人?」
「絵本に出てくる登場人物。小さい頃、よくその絵本を見ていた。村の古い書物が置かれている所に、沢山あるから」
「へぇー…それで、シルドと似ているってことは、あらゆる武器を使いこなすってこと?」
「ええ。特に弓で描かれることが多いけど、剣や槌、槍に戦車、魔法以外のほぼ全てで描かれていたわ」
エラはそう話しながら、再びシルドのガントレットを気にし始めた。
(よく気にしているな…着けたいのか?)
シルドは腕を振った。
正確に言えば、手首に着けているブレスレットを振った。
「!」
すると、ガントレットが各部位に細かく分かれ、浮遊しながらエラの右腕に収まっていった。
不器用ではあるが、それがシルドなりのサービスと言うか、コミュニケーションだった。
「え。それって他の人も着けられるの?サイズ合わないんじゃ…」
「部品が細かいからな。大きくすることはできないが、装着者に合わせて部品を減らせば、問題なく機能する」
ガントレットを装着したエラは、目を輝かせながら腕を上げたり、手を閉じたり開いたりして感触を確かめているようだった。
「凄いわ…防御性能は十分だし、魔力を通すと幾つかのパターンで動かせるのね」
「貴女の解析能力もかなりのものよね。探知魔法とかも使ってないんでしょ──?」
「………」
2人が話している間に、シルドはガントレットを外したことで露出した、自分の右腕の素肌を何となく見ていた。
手を握ったり開いたりして、筋肉の動きを観察しているようだった。
(血管が細い…それに、筋肉の盛り上がりも、掘りも無くなっているような…)
(これなら、士官学校時代に歯を食い縛って腕立てをしていた時の方が、筋肉の完成度は高かった)
少し思考を止めると、考える時間を作った。
目の前では、エルとエラが楽しそうにしている。
(…いや、弟子に背中を押されたんだ。ここから……)
(ここから、もう一度戦争を目指すんだ。今度こそ、アルサール達と一緒に魔王を倒すんだ)
片腕になったシルドが、そこまで届くのかどうかについては、何の確証も無い。
しかし、それと同時に、"やってみなければ分からない"という言葉が適応する。
(…原点回帰だ)
富や名声。そんなものは、シルドの眼中に無い。
ただ思うのは、魔王軍もとい、魔王への圧倒的な憎悪の片鱗。
何も必要ない。
ただ、友と戦うためだけに、戦場に戻りたいのだ。
もう一度体を傷付け、全てに挑戦を仕掛けよう。
かつての友は帰ってこない。
それを、エルにこれ以上無いほど教えてもらった。
だからこそ、シルドは長らく留まっていた場所から進むことが叶い、それと同時に過去を偲ぶ道を選んだのだ。
停滞は終わった。
これより先は、懺悔と憎悪の道。
かつて神を信じていたように、これからは友を信じよう。
であれば、自身の恥など何でもないはずだ。
『管理者たるこの私を以てしても、貴方の全てを視ることは叶わなかった』
『それほどまでに、その身を憎悪の限りで尽くしたというのか』
『姿形のみらならず、魂までもが人の形を捨て去っている』
『しかし、私はそれを許そう。憎悪の者よ』
『私と同じく、遥か彼方より辿り着いた者として、その願いを叶えるべく動くが良い』
2章 終わり
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