63.誰かが我を取り戻した静けさ
12分も掛けて階段を上った先は、何の変哲もない神社だった。
そこでとある巫女と会った2人は、神社ではない別の場所へ案内される。
「えぇ…ど、どちら様…?」
エルは汗を拭い、荒い息を整えながら振り向いた。
その女性は、白と赤の2色で構成されている和服に身を包んでおり、一般人とは明らかに違って見える姿をしていた。
「私は、この神社にて神主と巫女を務めている、”東堂くめ”と申します。貴女様は、シルド様のお付きの方でしょうか…?」
東堂くめの穏やかな笑みと声色に、エルは思わず見惚れてしまった。
心に淀みが一切無いためなのか、異様なまでに魅力を感じる。
「え、エルフォレストラです。初めまして…」
エルは、少し不器用に挨拶をした。
(こ…これが、大和撫子というものなのかしら!?まだ若いだろうに、凄く落ち着いてる…)
「俺の弟子だ。また”あの部屋”に案内してもらうことはできるか?」
「お弟子様だったのですね。もちろん可能ですが…まだ、迷いを感じているのですか?」
「いや、今回は弟子にも体験させたくて来た。迷いが全く無いというわけではないがな」
エルにはそれが何の会話なのか分からなかったが、疲れのあまりに分かりたいとも思わなかった。
汗を拭きつつ、水を飲むことだけが、今のエルにできる唯一のことだった。
──社務所の離れにて
(ここは……?)
鳥居と呼ばれる赤い門を通り、立派な拝殿、本殿の方へ向かうのかと思い気や、向かった先は社務所の更に奥。
そこにあった物とは、ちょっとした小綺麗な小屋だった。
外観としては、神社の敷地内にあったものとは似つかず、特に神聖さも感じない。
「先ずは、少しだけ屋内の整頓をしてまいります」
東堂くめはそう言うと、1人だけ小屋の中へ入って行った。
そこですかさず、エルはシルドに問い掛ける。
「ねぇ、ここで何をするの?」
「景色を眺めて、休む。それだけだ」
「え……?」
あれだけ苦労して階段を上がってきて、その報酬が綺麗な景色という事を知り、エルは何とも言えない気持ちになってしまった。
言葉で言い表したいのだが、何が言いたいのかが上手くまとめられず、身振り手振りが挙動不審になってしまう。
「あのー…えっと、あれよ…あれ………」
「?」
額に手を当てたり、かと思いきや離したり、今度は腰に手を当ててみたり、かと思いきや頭を掻いてみたり。
言葉が出てこない代わりに、身振り手振りだけは出てしまう。
「…ダメね。多分、脳が疲れてるのよ。言葉が全く出てこないもの」
エルは何かを言おうとすることを諦め、膝に手を突いて素直に疲れていることをアピールする。
そんな所に、丁度良く東堂くめが戻ってきた。
「準備が整いました。どうぞ、縁側の方にお掛けください」
屋内に入ってみると、畳が敷き詰められた部屋が広がっていた。家具は一切無い。
玄関から見て正面には壁が無く、そこから砂利や小石で整えられた庭が見える。
「何だか…凄く静かな場所ね。屋内なのに、自然と変わらない雰囲気…いえ、自然より落ち着くかも」
「それが、この場所の価値だ」
しみじみと全体を見渡すエルをさておき、シルドは率先して縁側に座り込んだ。
座ってからは微動だにせず、ただ庭とその先に見える景色を眺めている。
「………」
何も言わず、何もしない姿勢のシルドに興味を引かれ、エルもシルドと同じように座る。
(……あ…)
人々の喧噪はおろか、動物の鳴き声すら遥か遠く。
耳に入るのは、どこか遠くで鳴く鳥の声か、木々の葉が擦れる音のどちらかのみ。
視界には、落ち着いた灰色で統一された庭と、柵の向こう側には低所で林木が広がっている。
(今まで感じたことが無いくらいに静か…だけど、凄く心が落ち着く…)
「ふふっ。シルド様は、この静けさにすっかり馴染んでおりますね」
東堂くめは、2人分の湯呑と急須を盆の上に乗せて持ってきた。
急須からは、既に湯気が立っている。
「今も、こうして惚けてしまうように、この静けさこそが東之国に来る理由だ。俺の住む山小屋でさえ、この静けさは無い」
シルドは景色から目を離さず、穏やかな声で言った。
「本来であれば、神社に参拝することが山を登る理由になるはずですが…これでは、変わり者のように見えてしまいますね」
東堂くめは、困り顔で微笑む。
そして、湯呑にお茶を注ぎ、2人に差し出した。
シルドはそれを受け取ると、何を言うこともなく静かに茶を飲んだ。
エルもそれに続き、茶を口に含む。
(初めて飲むタイプのお茶だわ…独特な苦味と、落ち着く風味ね)
茶を堪能しながら、静かに時を過ごしていると、エルはある事を思い付いた。
「そういえば、神社の運営は大丈夫なんですか?あまり人気を感じなかったんですけど…」
「客人への対応ということであれば、何の問題も有りません。恥ずかしながら、この神社に訪れる人は極端に少ないのです」
ばつが悪そうな顔になった東堂くめから、意外な事実が明かされた。
「この神社の維持も、先代の神主が遺してくれた莫大な財産により賄われています。人気を感じないと仰いましたが、神社に駐在している者は、私を含めて3名しかおりません」
「さ、3名?それだけの人数だと、神社の管理も大変なんじゃ…」
「あらゆる面において、人手不足は常に感じています。しかし、他人様からの需要も無い神社ですので、存外何とかなってしまうのです」
東堂くめは、茶を一口飲んだ。
口元から湯呑が下がると同時に、エルが質問をする。
「村には沢山人が住んでいるのに、この神社には全く来ないんですか?」
「そうですね…来るまでに何段も階段を上がらなければならない上、大した物も有りませんので。それに、最近は都を中心に新しい宗教が広まっているそうで、祭事に興味が有る方はそちらに行ってしまわれるとか…」
「そうなんですね…山頂から見える景色は綺麗だし、それだけでも来る価値は有ると思うんだけどな…」
その答えに、東堂くめは優しく笑うと、再び茶を一口飲んだ。
「…そういえば、これはシルド様も知らない話なのですが、この小屋を建てたのは私の一存なのです。趣の有る部屋で、一息を吐けたらという考えの元、建設を決定しました」
「えっ?ということは、元は客人用じゃないってことですか?」
エルがそう言うと、シルドが反応を見せた。
「何…?」
「鋭いですね。仰る通りです」
東堂くめは顔色を変えることなく、穏やかなまま答えた。
「だとすると、何でシルドはここに……?」
シルドもそれが気になっているようで、エルと同じく東堂くめを見る。
「初めてシルド様とお会いした時…失礼ながら、”何て哀れなんだ”と思ってしまったのです。齢に見合わぬ大傷を負い、戦で植え付けられた心理から抜け出せないその姿は、現世を彷徨う亡霊のようにすら見えました」
「神に仕える神主として、巫女として。そして同じ人として、哀れな異邦人に何をしてやれるのかと考えた時、この場にご招待しようと考えたのです」
昔を懐かしむような表情のまま、東堂くめは話を続ける。
「もしかしたら、趣が合わないかもしれないとも思いましたが、その実はシルド様に必要な物の一つだったようで…」
すると、東堂くめはその優しい顔を、シルドの方に向けた。
それに、シルドは少し気まずそうに答えた。
「…昔の話は、エルにはしていないんだ。あまり掘り返してくれるな」
「ええ、その方が良いでしょう。どの世界にも限らず、”子は皆健やかに育つべき”。そう信じている身からすると、シルド様の身に起こったことは、あまりにも残酷過ぎます」
(前々から何となく聞いてたけど、そこまで酷かったんだ…)
エルは、知らないシルドの姿に想像を膨らませながら、茶を一口飲んだ。
「そういえば、浪人とはお会いしましたか?」
「ああ。相変わらず、あの場所に佇んでいたな」
それを聞いた東堂くめは、少し神妙な面持ちになった。
「浪人のことを知っているんですね。あの人って、やっぱり京村周りだと有名なのかしら…?」
「京村を知っている人なら、大抵の人は浪人のことも耳に挟んでいると思いますよ。シルド様、最近の浪人についての噂はご存知ですか?」
「いや、聞いてないな。何かあったのか?」
「…どうやら、あまり良くない噂が立っているようなのです」
東堂くめは、あまり乗り気ではないように語り始める。
「彼の持つ刀…あれが、”錆厳鉄”という名前で呼ばれているのはご存知ですか?」
「錆厳鉄?いや、初めて聞いた」
「実は、錆厳鉄の有する特性が、京村における歴史上の人物が所持していた刀と合致するとして、彼が名実共に浪人とされてしまっているのです」
「名実共に浪人…つまり、盗みを行ったりなどの、悪事を働く者として挙げられてしまっているということか。なら、錆厳鉄の特性とは何だ?」
「私は実際に目にしたことは有りませんが、錆厳鉄という名の通り、刀全体に錆のような模様が入っているのです。その特性と合致する刀が、古くから村に残されている書物の中で発見され、浪人が話題になったそうなのです」
「以前剣を交えた時、確かに不思議な模様が入っていた。それで、浪人が盗んだという噂話に繋がったのか」
「そうなります…」
シルドと東堂くめが沈黙し、その場に静寂が流れた。
そこに、疑問の表情を浮かべていたエルが話し出す。
「言われてみれば、あの人は何で浪人なんて名乗ってるのかしら。東之国においても、浪人っていう言葉はあまり良い意味じゃないのに…」
「それは、単に本名を隠すためだと考えております。不思議なことに、彼があの場所に現れてから早3年が経ちますが、彼の素性を知る者は誰一人として居ないのです。京村においても、別の地域においても」
「それ故に、好き放題に噂が流れるということだな」
「はい…ところで、シルド様は彼と剣を交えたと仰いましたね?もしそれが本当なら、彼とは見知った仲ということでよろしいのでしょうか?」
「まぁ、見知った仲ではあるな。仲が良いというわけでもないと思うが…」
それを聞いた東堂くめは、少し食い気味に話を続けた。
「もしよろしければ、その真偽のほどを、浪人に伺ってはいただけませんか?」
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