59.海獣怖い
ついに始まった船旅だが、海の美しさに感動していたのも束の間、思いの他退屈な時間を過ごすことになった2人。そんな退屈を破るためにか、海中より大きな影が船に近付こうとしていた。
のんびりと潮風を楽しみ、2人は会話に戻る。
「今更だけど、ツナジリヤについて…あの人って、結局何者なの?魔法で魔法を防いできたり、かなり高度な魔法を覚えていたっぽいけど…」
「…ツナジリヤ・ノーウェンデスタビア。ベルニーラッジ諜報部隊に居た者であり、俺と同じ士官学校に通っていた者でもある」
「そこまでは聞かされたけど…奇襲の理由も分からないし、何よりあの魔法よ。あれ、並大抵に手に入れられるような物ではないわよ。多分、貴方の”スルトの剣”と同じくらいにはね」
「スプラッターのことか?俺もあれが原因で殺されたが、エルも使われたか…」
シルドは少し間を空け、再び口を開いた。
「俺も知らなかったが、どうやらあれは精神に影響を与えるものらしい。お前は魔法を発動できなかったそうだが、俺はスキルが発動できなかった」
「精神に影響を与える?なら、状態異常のようなものなのかしら…」
「俺がツナジリヤと交流していた頃には、あんな魔法は覚えていなかったはずだ。それに、諜報部隊が使う魔法とも違う」
「なら、やっぱり個人的に覚えた魔法ということになるのね…シルドが”スルトの剣”を覚えることになった遺跡とか、ツナジリヤもそういう所に触れちゃったのかしらね?」
色々と意見を交わしてみるが、何も解明していないためまともな連想すらできなかった。
思考を一旦止めて、しばらくの間海を眺める。
「…シルド、あの時は間違いなく死んでいたわよね。バーサークを使ったって言って騙したけど、貴方は間違いなく死から蘇ったことになる…はずよ」
「確かにそのはず、なんだがな……」
シルドは刺された箇所を確認するように触れた。
「よく分からない黒い炎によって瞬時に癒えて、今はちょっとした傷跡に落ち着いている。心臓の鼓動も感じるし、思考もはっきりしているが…」
「私にも、少しだけ見せて」
エルが真剣に言うも、シルドは少し動揺していた。
「は…?いや、ここは人前だろう」
「別に脱げってことじゃないでしょ?服の裾をちょっと捲れば確認できるんだから、気にしないで良いじゃない」
「むしろ、周囲の人にとっては良い肉体が見れるんだから、目を付けられたとしても歓声が上がるくらいよ」
「それはそれで嫌なんだが…」
エルは急かし、シルドは少し渋っていた。
結局はシルドが折れて、周囲に警戒の視線を巡らせてから、エルにしか見えないように軽く裾を捲った。
「何これ…本当にただの傷跡じゃない!しかも、ちょっと刃物が掠った程度の…!」
視認できた傷跡は、刃物で軽く切りつけられた程度のものだった。
あの時にシルドが負っていた刺し傷は、決して軽いものではなかった。それは、ツナジリヤ達が使っていたナイフからしても明白だ。
何より、エル自身がその生傷を目にしていたのだ。見間違いではないのかと、何度も傷跡をよく見回した。
(こんなに綺麗に治るはずが無いのに…それにやっぱり、魔法の痕跡も感じられない…)
魔法に限りなく近いながらも、魔法ではなかった黒い炎だけでも何かを辿れないかと、傷跡に手で触れてみる。
「…冷たいし、くすぐったいんだが」
「我慢して。死から蘇生したなんて、生物としてのルールを破っていることなんだから…」
そもそも、この会話自体がおかしな話だ。
ワープなどの転移魔法は概念が存在し、いつか必ず実現されると夢見られている説である。
しかし、死の蘇生については”絶対的に実現不可能”とされており、概念自体がおとぎ話でしかなかった。
蘇生の可能性が本当にあるのなら、老いて死ぬことに何の意味があるのだと、常識ある大人なら誰もが理解している。
皆がそれを分かっているからこそ、死の蘇生はおとぎ話上での概念というのが常識だった。だからこそ、人間が挑戦し続ける概念でもあるが。
(…でも、そんなおとぎ話を、私はこの目で見てしまった…)
あの時に止まっていた鼓動も、今はこうして脈動している。
傷跡も、まるで始めから大した傷では無かったかのように、掠り傷程度で治まっている。
もう何も言わない人形になってしまったシルドが、当然のように立って自分と話してくれている。
心底安心するが、納得はできなかった。
「…本当に治ってるみたいね、もう大丈夫よ。ありがとう」
そう言うと、最後にほんの一瞬だけ腹筋に触れてから手を離した。
「………」
シルドはそれに気づいているのかいないのか、何とも言えないような表情で裾を下ろした。
「ラッシュ・アウトに続いて、今度は黒い炎に死の蘇生。貴方、前世で徳でも積んでいたのかしらね?」
「どうだろうな、それなら謎が全部消えてありがたいものだが」
結局、フェアニミタスタで起きたことの大半は謎のままだった。
(できれば精霊様に会いたいけど、シルドに村の事を話さないといけなくなるし…)
森の声も言っていた通り、真実が知りたければ精霊を頼るしかない。
納得行かないが故に、どうにかして自分で解決できないかと探ってしまうが、そういう問題では無いのだ。
シルドが生物のルールを破ったのであれば、エルも生物である以上絶対にその謎の解明には辿り着けない。
それは人間やエルフが作り出したルールではなく、この世界における生物全てに定義されたルールなのだから。
「……ん?」
エルは何も分からないなら仕方ないと、諦めて地平線を眺めていると、かなり遠くに横に広い尾びれが見えた。
尾びれが見えた方向からして、船と接触する可能性が有りそうだった。
「今、クジラか何かの尾びれが見えたんだけど、流石にぶつかったりしないわよね?」
「大丈夫なんじゃないか?クジラは温厚だと聞くし、船もそれに合わせて舵を取るだろう」
実際たった今、帆柱の頂上にいる見張り員と、その下に居る船員がやり取りをした。
すると、少しだけ船の向きが変わった。
「本当に何か居たらしいな。今避けるということは、こっちに向かって来ているということか?」
「怖い事言わないで…きっと早めの対応をしてるだけよ」
そう話していると、再び見張り員と船員がやり取りをした。
今度は隣の船とも連携を取り、大きく曲がった。
「あ…あれ?」
かなり大きく曲がったはずだが、乗船している者達全員が視認できるほど、先ほどよりも近くにクジラの尾びれが見えた。
それも、今度は1つだけではなく、3つが並んで見えた。
明らかにこちらに向かって来ている大きな影に、乗船客は皆が動揺していた。
「ちょっ、ちょっとこれ本当にぶつかるんじゃ…!」
「───」
海面の下から、クジラの鳴き声が聞こえてきた。
それは、海に響き渡る綺麗な鳴き声とは言えず、雄牛のように重々しい鳴き声だった。
「ぶつかるな。エル、態勢を低くしておけ」
「防御結界を張れ──!!」
シルドに引っ張られて体勢を低くすると同時に、船員の1人が大声を上げた。
「────!」
そうはさせまいと言わんばかりに、1匹のクジラが海中から高く飛び跳ねた。
防御結界がギリギリ間に合ったと同時に、その巨体との衝突が船を激しく揺さぶった。
そのクジラは外観がおかしく、明らかに普通のクジラではないように見える。
「な、何あれ!?魔獣化してるの…!?」
禍々しい色に染まり、船に直接体当たりを仕掛けてきた所からして、そう思わざるを得なかった。
「港の聞き込みでは、最近は滅多に遭遇していないと聞いていたが、魔物の代わりに魔獣と遭遇するとはな」
「戦闘に自身のあるお客様は、船の防衛にご協力ください!」
船員が乗船客全員に聞こえるように、甲板の上を回りながらそう叫んだ。
それを聞いた一部の乗船客は、待ってましたと言わんばかりに武器を取る者が一部居た。
そんな状況を見たシルドは、座り込んで一息吐いていた。
「…シルドが一番心強い支援なんじゃない?まさか、座って見てるつもり?」
「人手は足りているようだし、熱気を帯びた者達に任せようと思う。エルも参加してきたらどうだ?防衛戦は初めてだろう?」
確かに、戦う意志満々の者を見てみると、戦闘には十分な装備を身に付けていた。
その者達で十分と考えたのか、シルドは戦うつもりが無いようだった。
「十分そうなら、私も戦わないけど…」
「───!!」
そう言い終えると、シルドの背後からクジラが飛び出してきた。
空から落ちてこようとする巨体に、シルドは即座に剣のグリップに手を掛けた─────
「はあッ!!」
手を掛けたのだが、そんなシルドの一歩先を行くように、エルが先手を打った。
「───」
うなだれるような鳴き声と共に、クジラは海の中へと戻って行った。
「相手が水の生物だから、この剣を持っていれば敵無しね!」
雷属性の光を放っている剣を掲げ、誇らしげにそう言った。
”どう?助けてあげたけど?”と言わんばかりに誇らしそうにしている。
「──────!!!」
そう誇らしげにしていると、今度は半ば突進気味にクジラが襲い掛かって来た。
もちろん、近距離での突進なので、エルが反応できる間もなくクジラは目前に迫っていた。
あんぐりと開かれた大きな口に、夥しい数が密集した牙のような物が見える。
「ラッシュ・アウト」
波が止まって見えるほどの一瞬だったのだが、シルドだけは油断していなかった。
冷静に剣を抜きつつ、攻撃を繰り出した。
「───…!」
「きゃっ!」
再びクジラが海中に戻って行くのと同じく、エルも声を発した。
「ふむ…同時発動も大分馴染んで来たな」
その言葉から察するに、ミカとエルのコンビで戦った時に使った、剣と格闘を混ぜたラッシュ・アウトを使ったのだろう。
相変わらずの高速攻撃だったが故に、エルにはクジラが透明な壁にぶつかったようにしか見えなかった。
動揺を隠せないまま、エルは口を開く。
「さ…最近、ラッシュ・アウトの改造にハマってるの?」
「改造と言うほどでもないと思うが、他にも何かできないか探ってるような状態だな」
(…最早、片腕でいることがこの世へのハンデよね。もし両腕だったら、環境とか地形が平気で崩壊しそう…)
底知れないシルドに怯えていると、隣の船から歓声のようなものが聞こえてきた。




