40.恐怖の雪原
──社交界から数日後 フェアニミタスタ城下町 郊外
城下町から郊外に出て、1時間ほどが経った地点。
私達は、異様なまでに変わっている景色を目にした。
「ね、ねぇ、本当に大丈夫なの?状態異常が掛かった所を通るなんて…」
あと数百メートルも進むと、驚くほどに境界線がはっきりとしている、雪原地帯が広がっていた。
しかも、外から見る限りは吹雪が激しく、荒れた海よりも空間が濁って見えた。
幸い、私達が立っている場所にはまだ緑草が生えているが、雪原の中には白一色しか見えない。
「それも、幻覚を見せる状態異常なんでしょ?”ホワイトテラー”……だっけ?」
「その対策は準備済みだ。心を強く保つことと、お互いの姿以外は、基本的に幻覚だと思えば問題ない」
そうは言っても、数日前にトラウマで体を動かせなくなっていた事もあり、迷いなく足を進めるシルドに対して不安を抱く。
ホワイトテラーとは、その人にとって最も苦痛となる幻覚を見せる、”隔絶区域イエーヌスノー”の周辺を覆う雪原地帯特有の状態異常。
それに実体は無く、魔物ですらない。正体は分かっていないものの、はるか昔の魔王が人類への侵攻時に掛けた、一種の魔法なのではないかと言われている。
魔法説が事実なら、人が未だに制御できない雷属性に続いて、”天候を操る魔法”ということになる。これを信じ、研究のために様々な魔法学者がここに訪れようとするも、ホワイトテラーの所為でまともに研究は進んでいない。
「それに、ホワイトテラーが見せてくるものは、明確に幻覚と分かるようなものだけだ。猛吹雪の中だというのに、そんなものを見せられたところで、無意識にでも幻覚だと思わざるをえないだろう」
「つまり、それを分かっていれば、幻覚が見えても大丈夫ってこと?」
「ああ。自身が強く集中しなければ、見える幻覚は夏の陽炎と変わらない。吹雪の中で、意味不明な現象が見えるだけだ」
そして、シルドは背負っている物資入りの袋と共に、私とシルドを繋いでいる特殊な縄を入念に確認した。
「これがあれば、どちらかが倒れた時にすぐ認識できる。もし俺が倒れた時は、この枝を折って、近ず遠かずの所に投げるんだ。そうすれば、吹雪の中でも見える炎が空に上がる」
「不思議な枝ね。まるで、雪の中で育ったみたいな色…」
その白い枝は、中心に赤い宝石のようなものが埋め込まれており、火の魔法を帯びているようだった。
「普通に、火の魔法を使うのはダメなの?」
「ダメと言うより、あまり効果が無い。猛吹雪の中だから、火の魔法を使ったところで直ぐに消えて、雪も積もる」
「なるほど…」
「幸いと言えるか分らんが、積もる雪の量が制限されているようで、特別な履物は必要ない。この分厚いコート以外は、戦いやすい恰好で構わないということだ」
「ワァ、ウレシイ」
私は、乾いた声でそう返した。
歩きながら雑談したり、心の準備を整えたりしていると、簡易的な検問所に到着した。
「どうも。イエーヌスノーへ行かれるのですか?」
「ああ。ギルドの依頼で、この物資を届けるのと、スノウクロウに会うつもりだ」
「なるほど。では、身分を証明できる物はお持ちですか?」
私達は、ギルドの登録証と、フェアニミタスタへの通行許可証を渡した。
検問所の男はそれを受け取り、細部まで確認するように、1分ほど目を通していた。
「確認できました。では、村の検問所に連絡を取ります」
男は書類を返し、少し待つように指示してきた。
(この人だけ…なのかな……?)
周囲を少し見回すが、やはりこの男1人だけのようだった。
ただ、場を区切るように作られた管理人駐在所に、たった1人だけ。
これで警備が成り立つのは、少し先に広がっている猛吹雪が、犯行すらできないような厳しい環境ということなのだろう。
「確認が取れました。ご存知かもしれませんが、道中では等間隔で鉄の柱が立っています。それに沿って進んでいけば、必ず村の検問所に辿り着けます」
男は検問所から出て、施錠されていた柵を開いた。
「通常のメッセンジャーですが、利かないことはないですが、吹雪に影響されて届きにくいという現象があります。緊急時には、この後にお渡しする緊急キットの護符を使用すれば、管理者達に通達が行きます」
「柱には、幻覚に反作用する魔法が掛けられているので、柱の幻覚が見えることはありません。安心して、柱を辿ってもらって結構です」
それに加えて、手と同じ位の大きさを持つ、緊急キットなるものを手渡してきた。
「その中には、気持ち程度の非常食と着火剤に、各所へ救助通達が届く護符があります」
「ご、ゴフ…?」
エルは護符を知らないのか、首を傾げていた。
「メッセンジャーのようなものだ。魔力も精神力も消費しない…特別な紙だな」
「な、なるほど……?」
実際に箱の中を覗いてみると、非常食のパーフェクトキャンディーが3つと、不燃性の袋に包まれた着火剤、知らない文字が書かれた紙が入っていた。
(ほうほう、これが護符ね…)
──20分後
雪原に入りたての時は、綺麗に積もった雪が神秘的な雰囲気を漂わせており、観光地になり得そうに見えていた。
だが、吹雪が発生している地帯に入ると、それは正しく地獄のようだった。
風と雪に吹かれているから体が冷えるのはもちろん、荒れる雪に幻覚とで視界も酷かった。
「シルドー?何か裸のおじさんが、セミみたいに地面で倒れてるんだけどー!」
吹雪で声で伝わりづらいため、声を張って今見えている幻覚を伝えてみた。
「俺には、ヤシの木と海が見えるぞー!」
シルドから聞いた話によると、ホワイトテラーは自分を恐れられていないと、片っ端から試すように変な幻覚を見せてくることがあるのだとか。
(本当に、吹雪の中でいきなり変な光景が広がるのね。こんなの、誰も引っ掛かりそうにないけど…)
これも同じくシルドが言っていたことだが、幻覚でそれらしい光景を見せられるより、未確定の可能性を想像させられる方が、シルド自身のトラウマは燻ぶられるらしい。
(確かに、こんな吹雪の中でいきなりビーチが見えたり、裸のおじさんが見えたりしたら、幻覚としか思いようがないなぁ)
「村までは、あと2kmだそうだー!」
「分かったー!」
そう言うと同時に、吹雪の中から抜けて、入り口付近と同じ綺麗な雪原へと躍り出た。
(……?)
綺麗な雪原で呼吸と気持ちを落ち着けていると、今度は裸のおじさんではなく、誰かの後ろ姿が見えた。
その後ろ姿の前には、別の吹雪が立ちはだかっていた。
「ね、ねぇシルドー?」
その誰かから目を放すことなくシルドに声を掛けるも、出した声は張れていなかった。
知らない男はゆっくりとこちらを振り返り、私に向かって頷いたと思えば、吹雪に飲み込まれるように消えてしまった。
「っ……!!」
100年にも及ぶ、遥か昔の記憶が蘇る。
『お父さんはね、貴女を守るために戦ったの。貴女のためにやったことなのだから、苦しんでなんかいないわ』
『私達は、精霊様と共に暮らしているでしょう?だから、お父さんの魂も、きっと私達を見守ってくれているはずよ』
そんなはずがない。
魔物に殺されていながら、苦しまずに死ねるはずがない。
「シ……シルっ…」
エルは、その場に力無く倒れ込んでしまった。
その状況に、シルドは縄が突っ張るまで気づけなかった。
「エル…?」
縄の違和感を感じ、後ろに振り返ると、雪の中に倒れているエルの姿が見えた。
「エル!」
焦って駆け寄り、背負っていた荷物を近くに放ると、エルの体勢を仰向けに変える。
「はっ…はっ…はっ…」
(過呼吸…っ!)
幻覚で気を失うだけならまだしも、過呼吸を引き起こすのは直接命に関わる。
今居る位置は、前後で吹雪に挟まれており、極めて環境が悪いと言える状態だった。
(寒霊の祓いを…!)
放ってあった荷物の中から乱雑に材料を取り出し、エルの喘鳴が聞くに堪えなく感じる中、10秒で調合を完成させた。
倒れているエルに、調合した寒霊の祓いが喉に詰まらないよう少量だけ飲ませて、辺り一帯を確認する。
「はーっ…はーっ……」
(少しだけ安定した…全て飲ませたいが、場が悪すぎる…)
呼吸が安定したとはいえ、寒霊の祓いを全て飲ませていないのは心配だった。
それに加えて、ここで回復を待つのは、攻撃を受けながらポーションを飲むようなもの。
未だに深く呼吸を繰り返すエルと、辺りを挟んでいる吹雪を交互に確認する。腹ただしいことに、吹雪を確認する中でも、ホワイトテラーは幻覚を見せてきていた。
どうするべきか、ほんの少しだけ葛藤した後、俺は防寒コートを脱いでエルに被せ、剣を抜いた。
(…絶対、死なせない。この俺の目の前では……絶対にッ!)
「…スルトの剣!」
そう唱えると同時に、大きく振り掲げた剣が赤く光り始めた。
それを地面に深く突き刺すと、エルの周囲を囲うように剣を這わせて、傷を着けた。
地面から一度も剣を抜かないまま、エルの周りを一周した後、言葉と共に勢いよく剣を引き抜いた。
「ラグナロク!!」
その言葉を唱えた瞬間、傷を付けた部分と、その外側のあらゆる所から、広範囲に渡って巨大な炎の柱が出現した。
炎は、まるで一世界に終焉をもたらすが如く燃え盛り、地面に積もった雪どころか、吹雪でさえも消し飛ばした。
積もっていた雪が蒸発し、地面が剥き出しになった辺りを見渡すと、少し離れた所に洞窟を見つけた。
(あそこに避難を…!)
シルドは即座に荷物を背負い、防寒コートで二重に包まれているエルを、足早に洞窟まで運んでいく。
抱きかかえたエルの呼吸は安定しており、寒冷の祓いを全て飲ませれば、目を覚ますのも時間の問題だった。
ラグナロクを使ったとはいえ、効果が切れた今では炎も消え失せ、雪が少しづつ積もり始めている。
自分の体に付いた雪に気を留めず、洞窟に着くや否や薪を取り出した。
(洞窟内の方が暖かく感じるが、ここが氷点下であることは変わりない。火をつけて、エルの体温を上げなければ…)
検問所で渡された緊急キットを取り出し、着火剤である火打石を薪の上に置く。
金属なら火花は散ると思った俺は、ガントレットを着けている右腕で火打石を4回ほど殴り、息を吹きかけた。
火打石が四方に砕けたのが良かったのか、薪は煙を上げ始めた。追加の息を吹きかける間もなく、煙は火種へと変わり、火種は立派な焚き火へと変わった。
すぐにエルを洞窟の奥側に持ってきて、火の近くに寄せる。
(呼吸が落ち着いた今なら、寒霊の祓いも問題なく飲ませられるはず…)
スプーンを使い、少しづつ寒霊の祓いを飲ませていった。
全てを飲み終わらせた時には、エルが倒れてから数分が経っていた。
(後は、少し待てば意識が戻るはず……)
シルドは、処置が済んでから少しも気が休まることは無く、エルの顔色を伺いながらの3分が経過した。
「…んん……」
「っ!」
突如、エルが唸り声を出した。
それはまるで、窓から入る朝日が鬱陶しくて出たような声だった。
「あれ………」
「エル…!」
情けないながら、俺はエルの意識が戻ったことに対する第一声が、”名前を呼ぶこと”だった。
平生を取り戻した後、再びエルに話しかける。
「他に、違和感を感じる所はあるか?」
「……あぁそっか。私、倒れたんだ…」
一見眠そうにしているエルは、周囲を見回すために上げていた首を下ろし、一息を吐く。
「ホワイトテラーに憑りつかれた気分は、どうだった?」
いつも通りのエルに安心し、冗談を言ってみたりする。
「最悪よ。裸のおじさんが見えたと思ったら、次は平凡な男の人が見えて、それで……」
「裸のおじさんより、平凡な男の人の方が嫌だったのか?」
嬉しい気持ちが強く表れている俺は、ちょっとした揚げ足を取ってみたりもした。
しかし、よく考えてみると、俺はエルが一番嫌だと感じることを聞いたことが無かった。
「……私ね、小さい頃にお父さんが死んじゃったの」
俺の感情を読んだのか、エルは呟くようにそう言った。
「シルドみたいな、これと言ってトラウマはないけど、一番嫌な思い出がそれなの。村に急襲してきた魔物達を倒すために、弓と魔法で戦ってくれたんだ」
「それで、死んじゃった。特別規模が大きいわけでもない、少し大きな魔物が5匹入ってきただけっていうのにね…」
それを聞いて、返す言葉も無かった。
俺は物心がついた時には既に1人だったが、既に物心がついていた状態で親を失うという気持ちは分からない。
「…何も、特別じゃない戦いだったのに、唯一死んじゃったのがお父さん。3匹同時に襲われて」
エルの顔は、歪み始めていた。
俺はエルフのように、相手の感情を読み取ることはできないが、それでも今のエルがどんな気持ちなのかは理解できた。
人であれば、誰でも分かるはずだ。エルは、酷く悲しんでいた。
「最後に見たのが、魔物と戦う前にドアを開けた時。私に不安を感じさせないように、優しく笑ってくれたのよ?」
震えた声で誇らしそうに言うと、エルは遂に涙を流した。
ホワイトテラーは幻覚を見せるが、その幻覚に作用されるのは、紛れもない感情。
見せられたものが偽物であっても、その感情だけは本物だ。
俺は、自分に何ができるのか、何も分からなかった。だが、泣いているエルを見て、自ずと体が動いた。
「!」
卑しいなどと思うことなかれ。俺の右手は、エルの頭に着いていた。
かつて、俺もベッシーにされたように、頭を撫でていたのだ。
エルもそれに驚いたのか、手が触れた際に体がビクッとなっていた。
「…俺は、産まれてすぐに1人だったから、エルの気持ちは一生を掛けても理解できないのだと思う」
「だが、悲しそうにしている人が居たら、手を差し伸べてやりたいとも思う。もちろん、片腕で良ければ、だが」
それを聞いたエルは、気持ちだけでも心が安らいだのか、少しだけ笑みをこぼした。
子供のように笑うエルを見て、俺も表情が緩んでしまった。
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