26.エルが緊張し過ぎて吐きそうになる話
「エル。王族の者と接する際の作法は分かるか?」
「わ、分からないわ…」
謁見の間まであと数歩の所、一緒に歩いているエルに声を掛ける。
王族と接する際は、通常の礼儀作法に加えて目線を低くしなければならない為、姿勢に気を使わなければならない。
「簡略化して言うが、王の前まで歩いた後、膝を着いて頭を下げる。これを覚えていれば十分だ」
「そ、それなら何とか大丈夫…!」
「王との会話は俺がするつもりだが、自分が声を掛けられることも考えて、言葉遣いは丁寧に意識しておけ。あと、退場する時は、俺がお前の横を通り過ぎてから、後に続いて歩いてくるんだ」
(す、凄い…普段は見せる機会が無いだけで、作法もこなせるんだ…)
「位置は…そうだな、俺の左後ろについてくれ。他は、俺の動きを真似していれば大丈夫だろう」
言葉を聞いただけだが、個人的に”腕っぷし上等!”のイメージがあるシルドが、礼儀作法においても精通しているとは想像していなかった。
騎士3人と共に、丁度扉の前に着いた。
騎士達が扉に触れる寸前で止まると、女騎士だけが振り返った。
「この先からは、物から人、床の塵や埃に至るまで、全てが王の所有物です。準備はできていますか?」
真剣な顔つきで、緊迫した雰囲気へと変わる。
確認しなくても分かる。この扉の向こうには、今までに感じた事の無い重圧と緊張感で、雰囲気が作られているのだろう。
「エル、大丈夫か?」
「…少し、深呼吸させて」
シルドの声を遮り、一呼吸する。
(むりむりむりむりむりむりむりむりむり。こんな状況で落ち着けるわけが無い…心拍と体温が上がって、緊張していることが周囲に伝わってもおかしくないくらいよ……!!)
その内心は、落ち着いた態度で呼吸を整えるのとは正反対で、今にでも爆発しそうなほど心拍が上昇していた。
「フゥー……よし、行けるわ」
(大嘘よ!身だしなみとは別に、心の準備は100年近く待ってくれないと!)
初めての人間の王様との謁見で、へまをしたくないという気持ちが大きい。
私が少しへまをするだけで、シルドの名声が傷付くのだから。異国とはいえ、幾人かの兵士や要人は構えさせているだろうし、何もかもがとんでもない緊張に繋がった。
「…本当に大丈夫か?」
シルドは、私に疑いの目を向けてきた。だが、それは至極当然と言えるだろう。
これだけ緊張しているのだから、耐性の無い私は少なからず顔に緊張が表れているはず。
シルドは私の顔を数秒間見た後、女騎士の方に振り返った。
「では、開きます───」
かなり大きく、重厚そうに見える扉を、女騎士が一人で開け切った。
女騎士が定位置に着くと、王の方へと伸びている赤いカーペットの上を歩き始めた。
その後ろに、2人の騎士が続く。
「行くぞ」
シルドは振り返らずに言い、私に有無を言わせることなく歩き始めた。
私は内心が爆発しながらも、所作に違和感が出ない様にシルドの背に付いて歩く。
見ない様にしても、視界の端に並んだ兵士が見える。シルドへの敬意を示すためだろうが、剣を掲げて微動だにしない。
それよりも怖いのが、王座の方だ。
緊張が酷くて、王の顔すら見れそうにないし、その隣に立っている近衛兵と思われる騎士達と、要人が私達に目を光らせているのが見えた。
いつもなら珍しい目で見られることは慣れているけど、この空間になっては全く違う。緊張感で溢れている。
(…えっ?)
先導して歩いていた3人の騎士は別れ、2人は兵隊の列に並び、女騎士は近衛兵の”中列”に収まった。
(そ…そうよね、王様の勅令を受ける身分だし、近衛兵の中でも実力者になるんだろうな…)
「よくぞお出で下さいました。シルド様、シャーレティー様」
王様が言った言葉と同時に、シルドが膝を着いて頭を下げる。
それに遅れを取らない様に、私も同じ姿勢に変える。
(…き、気持ち悪くなってきた……)
極度の緊張のあまり、吐き気ではない別の気持ち悪さが込み上げてきた。
「我が名はジュリア。先代ブリンクの娘にして、フェアニミタスタ国王12世代目を担う者である」
とてつもない威厳を感じる。
威圧感はあるものの、それはとても高潔で、王であることだけを示すための威圧の様だ。
見下したり、軽蔑するための威圧とは全く違う。
思わず上がりかけていた視線が、自然と下がっていく。別に、掛けたつもりは無いわよ?
……なんてね。緊張のお陰で、一蹴回ってテンションが高いのかも、私。
「…そんな王としての挨拶はさておき、お久しぶりですね。シルド様」
数秒前の威厳ある声はどこへやら、急に柔らかい物言いになった。
私はてっきり、この緊迫した状態で会話が続くものだと思っていたから、驚きながら顔を上げた。
「ベルニーラッジを出て以来、何の音沙汰も無いと伺っていましたので、心配していたのですよ」
「ジュリア王の頼みとあらば、呼びつけにはメッセンジャーで十分かと存じます。直筆の手紙を書かれるなど、早朝から御手間を掛け過ぎかと」
「何を仰いますか。私はただ、尊敬の意思を表したいだけですよ」
王様は、ものすっごい美人だった。あの王様にだけは、私のエルフである特徴を活かしても、一切自分の美しさに自信が持てなくなった。
もちろん、さっきの女騎士も綺麗な顔だったけど、この王様の顔は”綺麗”という2文字で表せる様なものではない。
地で美しいだけでなく、余裕のある表情も美しく見えることに関係しているのだろう。そこに振る舞いと、優しい声が加わったことにより、まるで女神と対話しているかの様な気分になる。
威厳ある声に怯えて、顔すら見れなかった自分がおかしくなってしまった。
「その女性が、噂で聞いていた弟子の方でしょうか?エルフ種の方とお話しするのは初めてなので、言葉遣いが変になってしまっていたら、ごめんなさいね?」
王様の美しい顔に見惚れていると、声を掛けられてしまった。
何を言うべきかも、どう言うべきかも考えていなかった私は、焦りながら王様の質問に答えた。
「いっいえいえ、とんでもないです!私の方こそ、軍事関係者でも何でもないのに王城にお招きいただき、これ以上の光栄は無いと思いました!」
早口かつ、かなりの文字数を言葉に発した。
何て言ったのか聞き取れない者も居たのだろうが、何名かが隣の者と顔を合わせる。
ただ唯一、エルが喋るごとに表情豊かになっているのは、王であるジュリア様だけだった。
「なんと、まあ。異種族であっても、丁寧な言葉遣いと文化への理解を頂けるとは。永久に近い命を持つに相応しい種族とは、これこのことなのですね」
それこそよく分からないが、不快には感じていないらしい。無礼な行動を取った時を考えると、命拾いしたと言うべきなのだろうか?
エルも、不器用なはにかみ笑いを浮かべるだけで、ジュリア様が何を言いたいのかまでは理解しきれていないらしい。
「ご挨拶もよろしい様なので、早速、今回お呼び出しした件のお話をいたしましょう。戦地にいる者達は、一刻を争う戦いを強いられているでしょうから」
王は真剣な面持ちに変わり、今回の支援要請の件について、詳しく話し始めた。
予想はしていたが、現地の詳しい事はジュリア王でも知らないとのこと。当然だ。
現地の者の状況を、実際に赴いていない者が詳しく語ろうなど、現地の者達とは違う主張になる可能性がある。
「手紙にも書きました通り、所属不明の第三勢力が、紛争鎮圧の活動に割り込んできたのです。領境と言っても、私達の領地の中での出来事ですので、あちらの国は軍を動かす気が無い様で…」
現地にいる兵士達は、その第三勢力が相手国の手先だとは疑っていない様だった。
いや、既に疑いが晴れていると言うべきだろうか。フェアニミタスタ以上に相手国の民を傷付ける行動があったらしく、無差別的に行動している様に見えるらしい。
名乗らないその者らの通称は、”ヴァンタス・ロター・タム”。人名の様にも聞こえなくはないが、人名ではなく団体名だそう。
彼らは目的すら宣言せず、ただ不正に割り込み参戦を仕掛けてきただけで、捕虜もほとんど情報を吐かない。現状で分かっていることは、彼らの団体名と、恐らくはならず者の集団組織だということ。
「報酬は、こちらでいかかでしょう。金貨1000枚に相当する物を用意いたしました」
王の横に控えていた執事が、とある箱を持って前に出してきた。
執事が箱を開くと、そこには金の延べ棒が6つ収められていた。
「必ずや、兵士全員と共に帰還することを誓いましょう」
ジュリア王は俺の言葉を聞くと、再び優しく微笑んだ。
──2時間後 紛争地にて
フェアニミタスタ軍が盾を構え、列を成している所に、領境近辺の住民と思われる者達が押し寄せる。
民はまともな装備どころか、武器すら持っておらず、鎌やつるはしを武器の代わりに使っている様だった。
ここで他国籍である民の命を奪ってしまうと、それこそ国際問題に発展すること間違いないので、フェアニミタスタ軍は手を出せずに盾で身を守るしか術は無かった。
フェアニミタスタ軍にできることは、盾で攻撃を防御しつつ、攻撃できない様に縄で縛ったりと無力化するのみ。
故に、フェアニミタスタ軍の方が被害が大きく、段々と人員が足らなくなっていた次第だ。
おまけに、国家間の軍事条約に縛られているわけではない民は、兵士の生活などお構いなしに夜襲だって仕掛けてくる。
それに苦戦を強いられ、フェアニミタスタが限度数の兵士を割いても、事態の収拾がつかないほどになってしまった。
それを知ってて助けない隣国もどうかと思うが、それが狙いだとしてもおかしくはない。一般国民の殺害は、合法的に戦争を起こす理由に成り得る。
「伝令!シルド・ラ・ファングネルが支援要請に応答!合流まであと少しとの知らせ有り!」
1人の兵士が、半ば絶叫気味に仲間の間を通り潜る。
その言葉を聞くと、座り込んでいた兵士達の士気が上がり、驚嘆とやる気に満ちた雰囲気に変わった。
───だが、それも束の間。
「ぐああぁっ!」
民衆側の1人の大男が、盾を持った兵士に体当たりを仕掛け、一列に並んでいた兵士達は見事に崩れてしまった。
「権力の犬共が…俺達の暮らしも知らずに、関税だ何だと巻き上げやがって!」
「ぐっ!」
その大きな体から繰り出される蹴りは、農作業しか知らない素人であっても、そこそこの威力が伴っている。
狙われた1人の兵士は必死に転げ回り、その巨体から繰り出される蹴りや、振り落とされるスコップを避け続ける。
周りの兵士が止めに入ろうとするが、兵士が4人がかりで盾で遮っても、男は止まらなかった。それどころか、兵士達が次々と突き飛ばされる。
(やっ、やられる…!)
「死ねえええええッッ!!」
床に倒れている兵士に狙いを定め、足部の筋肉を収縮させる。
大きく上げた足を、力一杯に落としたその瞬間、望んでいたものとは違う感触が足に伝わった。
足が触れたものは、兵士達が持っている盾だった。
「軍人の殺害は、国際指名手配になる。止めておけ」
「なっ……!?」
その盾を持つのは、右腕しかない男。それも、かつては国民的英雄とも呼ばれていた男だった。
シルドは、大男の蹴りを盾で受け止め、床に倒れている兵士を庇ったのだった。
「い、一体どこから…」
周りの兵士や民衆が驚く中、シルドは役目である最終警告を宣言した。
「フェアニミタスタから、正式に支援要請を受けてここに来た。これは、最終警告だ」
声を張って、その場にいる全員に聞こえる様に警告をすると、民衆だけではなく兵士までもが動きを止めた。
「祖国に誇りを持つのは良い事だ。だが、誇りだけでは世は回らない」
シルドは辺りを見回しながら、全員の顔を見て話を続ける。
「今すぐにこの暴動を止めるなら、専門の議会に招待してもらう様掛け合おう。それでどう───」
「───!」
シルドが提案をしていると、どこか遠方から魔法を唱える声が聞こえた。
遠すぎて、何を唱えたのかは聞き取れなかったが、それを心配する暇もなく、火の塊がシルド目がけて飛んできていた。
シルドは持っている盾を使い、殴る様にして火の塊を叩き落とす。
そして、魔法が飛んできた方向を確認すると、大人数の武装した集団がこちらに向かって来ていた。
「だ、”第三勢力”だ!!」
「”ヴァンタス”だ!逃げろおおおおっ!!!」
民衆は逃げ出し、兵士達は盾を構えなおす。
(あれが、ヴァンタス・ロター・タム……)
武装具合を見て分かる様に、フェアニミタスタ軍も民衆も見境なく攻撃する集団とは、彼らのことで間違いなさそうだ。
俺は盾を外し、剣を抜いて構える。
ヴァンタスの代表と思われる4人が、他の団員よりも前に出てきた。
「…最初の話し合いには応じてやる。それが俺らの流儀だ」
槍を持った代表者の1人がそう言った。
俺は構えを解くが、剣の柄をしっかりと握っておく。
「俺ぁ、こいつを知ってるぞ。殺れば、とンでもねぇ金が動く」
「何を言ってる?家を持たない奴でも知ってるぞ」
1人は重装備。鎧を着込んでいて、自身の背丈より大きな斧を持っている。口調に独特な癖がある様だ。
1人は軽装備。革の鎧を身に付けているが、武器は手に持っていない。素手で戦う者の装備ではないため、武器は隠し持っていると思われる。
「……そうだ、こいつだ」
そして、最後に1人。
誰よりも、俺に最も近づいてきた。
彼らの分析の手前、俺は何も言わずに剣を前に出して、警告の意を示した。
「あの時は、随分やってくれたよなぁ…?」
被り物で隠されていた素顔を見ると、見覚えのある顔をしていた。
デカルダの町で追った、2人組の内の1人。
盗賊紛いに堕落した、中級冒険者留まりの奴らだ。
「もう釈放されていたのか。関連人物への復讐は仮釈放無しだが、それを覚悟でここに居るのか?」
「馬鹿な事を言えたもんだな。今後、俺がいつ憲兵の世話になるってんだ…?」
剣に触れるギリギリまで体を寄せ、俺に近付きながら言う。
自分が逮捕されるとは、微塵も思っていないらしい。
「既に退避した民衆には言ったが、今止めるなら罪は重くならない。加えて、専門の議会に招待してもらう様に掛け合うが…」
「…それが目的に見えンのか?」
当然ながら、見えないな。民衆とは違って武装済みだし、統率者が居る時点で計画的な行動だろう。
「言ってやるな。この男は、戦いしか知らないんだ」
「ほぉ~?そいつぁいけねぇ。箱入りンとこ可哀想だが、殺すンに躊躇は無ぇ」
悪意の込められた言葉に、一同が侮辱を込めて笑いあう。
「ああ。俺は、こいつの実力すら信じていない。俺にやった様に、急襲でしかまともに戦えないんだろうよ!」
その言葉を聞いて、ヴァンタスの仲間達が笑った。
その笑いによって、自分が仲間達に認められているという承認欲求を満たせて、さぞかし気持ち良くなっているのだろう。
「良い雰囲気の所に悪いが、お前達はこの暴動を止めないということで良いんだな?」
「止められないの間違いだろう?」
いちいち言葉を挟んできて、面倒な奴だ。
頼むから、一区切りだけでも言葉を紡がせてくれと、俺は思ってしまった。
「なら、試してみると良い」
「………?」
俺がそう言うと、ヴァンタスは全員笑いを止めた。
俺が何を言っているのか分からないというか、正気で言っているのか?という様な感じで。
「4人での実力を、自分1人の実力だと勘違いでもしたのか知らないが、それは実際に戦えば分かる話だ」
「俺から見てみれば、お前達は数百倍劣化した勇者一行に見えるぞ。傲慢さだけは、俺達を出し抜いているがな」
俺の言葉を聞いた4人の統率者達は、険しい表情に変わった。
「…手ぇ、出すンじゃあねぇぞ」
統率者の1人が、後ろに控えている団員達にそう言った。
そして、俺の間合いには盗賊紛いの男が、再び近付いてきた。
「この戦闘に手助けは不要だ。民衆の保護と、兵士達の補給に回ってくれ」
俺は、自分の後ろで盾を構えているフェアニミタスタ軍に、そう伝えた。
「一対一が所望だろう?」
落ち着きが無く、目の前でうろつく盗賊紛いの男に気を利かせて、軍を止めておく。
「……ふんッ!!」
怒りがピークに達したのか、目の前にいた男が剣を振り回してきた。
それを見た所為か、俺も血が騒いでいる様な気がした。
確か今日は、満月だったか───?
最後までご覧いただき、ありがとうございます。
詳細告知などはX(Twitter)まで!
https://x.com/Nekag_noptom




