消失ー9
❝獣化人❞の殆どは理性を保てず凶暴化すると思っていたが……。
ウォーレンは、そんなところも克服済みらしい。
しかもビジュアルまで格好いいだと?
俺が以前対峙した❝獣化人❞のオーガストとは全然風貌が違うな。
獰猛で汚らしい獣を体現したかの様なオーガストとは違い、今のウォーレンの姿には気品さえ感じられる。
なにからなにまで恵まれているやつだ。
むかつくから煽っておこう。
「それがお前の奥の手か? 怪物め」
「❝獣化薬❞が規制されてからというもの、獣化になるつもりは金輪際なかった……
まさかこんな形で変身してしまうなんてね」
そのウォーレンの発言に俺は疑問を抱いた。
「そういえば その獣化薬はどこで手に入れた?」
俺の疑問にウォーレンは答える。
「以前ガルム君から没収した獣化薬さ
まぁ、成分は分かっているから自分で調合して作り出す事はできるんだけどね」
「そうかよ
まぁ、傷は癒えているみたいだが、所詮は図体がでかくなっただけの獣だ
どのみち俺には勝てねぇよ」
苛立ち、更に挑発すると。
「それはどうかな?」
ウォーレンが、そう発言した瞬間。
「――!?」
どんっと、ものすごい砂煙が巻き上がったかと思えば、俺の横を凄まじい疾風が通り抜けた。
見ると、俺の前にいた筈のウォーレンが消えていた。
「な……!?」
突然の事に困惑していると。
「なかなかやるじゃないか」
背後からウォーレンの声が聞こえてきた。
まさか、あの一瞬で俺の背後に回っただと?
全く見えなかった。
だが、ウォーレンの台詞が意味不明だ。
❝なかなかやる❞だと?
なにを言ってやがる?
と、思っていた時。
ウォーレンは続けた。
「この状態の僕の初撃を――」
言っている最中。
俺の目の前に、なにかがボトッと、落ちてきた。
なんだ?
砂煙が依然として舞っていてよく見えない。
俺は落ちてきたものを、確認しようとそれを凝視した。
その時。
「――!!」
俺はそれの正体に気付き、絶句する。
ウォーレンは発言を続けていた。
「片腕だけの犠牲で済ますとはね」
俺の目の前に落ちてきたもの。
それは俺の左腕だった。
なにかの見間違いかと思い、慌てて俺は自分の左手に目を向ける。
しかし、そこに俺の手は確認できなかった。
肘から下が、まるっきりなくなっている。
その切断面からは、白い骨らしき部位が見えた。
それ以外は赤一色だ。
おびただしい量の血が、心臓の脈打つ鼓動に合わせて、ドクドクと滴り落ちている。
おい。
おいおいおい!!
これはなんの冗談だ!?
俺の左腕が……。
ちっ……!
狼狽えるな俺。
落ち着け。
落ち着ける状況ではないが、落ち着け。
今はアドレナリンの影響で、痛みの波は緩いが、すぐにでも激痛が俺を襲うだろう。
腕を切断された激痛など、想像を絶する。
下手をすると意識を失いかねない。
とりあえず俺のとるべき行動は……。
「闇術――❝鈍痛❞」
これで、痛みは感じない。
激痛の心配はなくなった。
だが、依然として出血の状況は看過できない。
このまま放っておいたら失血死は免れない。
俺は止血を試みる。
ズボンに巻かれているベルトを引き抜いて、左腕に巻いた。
口を使って、それを絞る。
ふう……。
なんとか、出血は抑えられたが……。
俺はウォーレンを睨んだ。
ウォーレンの右腕の爪には、血がべっとりと付着していた。
俺の血か。
「てめぇ…… よくも……」
「悪いけど 手加減はできそうもない」
「いい度胸だ 俺の左腕を奪ったら、自分もどうなるか分からなかったのか?」
俺は❝因果応報❞を発動する身構えをして、尋ねた。
するとウォーレンは。
「勿論、分からなかったわけじゃないさ 言っただろう? 君と差し違えてでも止めると」
ほう……。
自分の左腕も覚悟の上だったか。
格好いいじゃねぇか。
だが、借りは返してやる。
「闇術――」
俺が❝因果応報❞を使おうとした時。
「でも みすみすそれをさせる程、僕にも余裕はなくてね 次は右腕を頂くよ」
言った途端ウォーレンは、凄まじい速さで再び俺に飛びかかってきた。
❝因果応報❞を阻止する気か……!
くっそ……!
万事休すだ!
間に合うか!?
ウォーレンは左腕を振り上げ、俺に迫っていた。
先ほどとは違い、今度は警戒していたので流石にウォーレンの姿は見えていた。
だが……。
見えていたからといって、避けられる様な攻撃速度じゃねぇな。
これが❝獣化人❞の身体能力か。
理性がある分、オーガストより機敏で動きにも切れがある。
非常に厄介だな。
俺はすぐさま❝因果応報❞を発動させた。
「くっそ……! 闇術――❝因果応報❞」
言った時には、ウォーレンは左腕を振るって俺の右腕を捉えにきていた。
ここまでか……!
俺は流石に覚悟を決めた。
次の瞬間。
ズバッと、なにかが切り裂かれた様な音が鳴り、辺り一面に真っ赤な血が噴き上がった。
その直後に、ドサッと遠くの方でなにかが落ちた音が聞こえた。
恐らく切り裂かれた物体が、勢いによって飛ばされたのだろう。
その飛ばされた物体は、❝腕❞だと予想はできていた。
問題なのは、それがウォーレンの左腕なのか……。
それとも、俺の右腕なのか……。
果たして……。
それを確かめる手段は単純だ。
俺とウォーレン、どちらかの腕を確認してみればいい。
だが、それを確認する前に俺は自らが血だらけになっている事に気付いた。
なんの血だ?
と、疑問に思ったのは一瞬で、その原因は直ぐに分かった。
俺に付着している血。
それは、ウォーレンのものだった。
「…………」
ウォーレンは、自らの左腕を眺めていた。
そこにある筈の左腕を。
そう。
先ほど飛ばされた腕は、俺が❝因果応報❞によって奪ったウォーレンの左腕だった。
つまり、俺に攻撃が届く前に、その攻撃手段をウォーレンは失っていた。
左腕が飛ばされ、肘だけを振るったウォーレンの攻撃は俺に届かず、その切断面から噴き出した血が俺に飛び散っていた。
よし。
俺の勝ちだ。
っていうかウォーレンのやつ、左腕を切断されたにも関わらず無言で冷静さを保っているとは……。
予めその覚悟をしていたとはいえ、凄い精神力だな。
脱帽するぜ。
すると、しばらくしてウォーレンは口を開いた。
「ふむ…… 見事なものだね でも……」
言って、その場で体をぐるんっと捻った。
ん?
なんの行動だ?
と思ったのも束の間。
遠心力によって振り回されたウォーレンの巨大な尻尾が、突然俺に迫った。
狐を彷彿とさせる楕円形の尻尾が、俺の胴体に直撃した。
瞬間。
俺の足が地面から離れた。
「ぐっ……!?」
は、腹が……!!
凄まじい衝撃を、体中に受けている時。
ウォーレンは、勢いをそのままに体を一回りした。
すると、俺は視界からウォーレンが離れていくのを感じた。
吹き飛ばされたのか!?
と、理解した瞬間。
ドンッと、俺は背に衝撃を受けた。
「かはっ……!!」
息が詰まる。
俺の体は群生している木に激突していた。
そのまま、木に背を預けたままズルズルと腰を下ろす。
くっ……。
頭をフラッシュでたかれた様な感覚に陥った。
意識が飛びかける程の衝撃だ。
「げほっ……! げほっ……!」
呼吸を整えようとすると胸が苦しい。
っていうか、俺吐血しちゃってるし。
肺をやられたか?
肋骨が折れていても不思議はない衝撃だった……。
折れた肋骨が、肺を損傷しているのか。
❝鈍痛❞の影響で痛みを感じないからな。
体の異常をいち早く察知する為に痛覚は割と重要な器官だ。
❝鈍痛❞の使いどころも考え物だな。
だが、まぁ……。
「闇術――❝吸生❞」
俺は後ろに右手を回し、背を預けている木の生気を吸い取った。
はい回復完了。
直ぐに治ればどうという事はない。
だが……。
左腕が生えてくる事はなかったか。
傷こそ塞がったが、そこには断面しかない。
流石に欠損した部位までは、癒せないみたいだ。
ちっ……。
さて……。
俺はウォーレンと向き合った。
「咄嗟に尻尾を使って攻撃するとはやるじゃねぇか 獣の身体的特徴をよく理解しているな」
ウォーレンは血の滴る左腕をだらんと垂らしていた。
「少しは効いてくれると期待したんだけど」
効いたよ。
だが、相手が悪かったな。
「無駄だ 片腕で俺に適うとでも?」
「その言葉 そっくりそのまま返してあげるよ
どうやら、その吸生による回復にも限度があると見える
だったら、一瞬で首でも跳ねてみようか?」
「いよいよ俺を殺す気だな」
「かくなる上は致し方ない 覚悟してくれ」
好き勝手に言ってくれるぜ。
「ほざけ 人間様をなめるなよ」
言った後。
突然、俺の左腕から闇が噴き出した。
闇術――❝鈍痛❞
痛みを感じなくなる。 神経が麻痺する。
痛覚器官に闇を通わせ、脳への伝達を遮断する。
どれほど損傷を受けようと、痛みを一切感じなくなる。
痛みとは生きる上で必要不可欠な感覚ではあるが、煩わしいものである。
かつての人は、凄まじい技術力を以て痛みを克服した。
それは、体中を切り刻まれても安眠し続けられたという。




