ルードランの休日
久しぶりの公務のない日とかで、ルードランが外出の誘いに来た。
侍女たちには、予定があらかじめ知らされていたのだろう。マティマナは、外出するのに良い服装に整えられていた理由を知ってウキウキ気分だ。
「久しぶりに、一日ずっとマティマナと過ごせそうで嬉しいよ!」
ルードランは弾む声で囁き、マティマナの部屋へと入ってくる。
「ずっとルーさまと過ごせるなんて、ホントに嬉しいです!」
ここのところルードランは、公務が立て続いていた。ふたりきりになれる機会はほとんどない状態だ。
マティマナは夢中で作業に没頭し気持ちを誤魔化していた。何かと皆が気をつかってくれて話をしに来てくれたが、でも、やはり、肝心のルードランに逢えなければ寂しい。
それでも、ルードランは小まめに顔を見せてくれていたから、その都度、心は甘美に満たされてはいた。
「じゃあ、出かけようか」
近づいてきたルードランは、そう囁くとマティマナを抱きしめる。
吃驚しながらも、反射的に軽く背へと腕を回すと一瞬で転移していた。
「あっ、そうでした。ルーさま、転移ができるんでしたね」
抱きあった体勢のまま、目映い場所に佇んでいる。自室の部屋で不意に抱きしめられて驚いたが、転移でいきなり別世界なのにも頗る驚いていた。ルードランは一度行ったことがある場所に、マティマナと一緒であれば転移できる。危険なら即座に転移で戻ればいいと思っているのか、供は連れずに、ふたりきりでの遠出のようだ。
「マティマナと一緒なら、どこでも行かれるようになるかもしれないね」
ルードランは抱きしめの腕を解きながら囁く。
森につながる夏の湖のほとり。青空と山地が映って鮮やかだ。人の気配は全くない。きっと、小動物くらいは居るのだろう。
「なんてステキ! ここも、ルルジェなのですか?」
周囲を見渡しながら訊いた。ルードランは頷き、マティマナと手を繋ぎながら湖畔を歩き始める。
ルルジェの都は広いし山地も含むが、湖もあるとは全く知らなかった。
「一度、ここにマティマナを連れて来たかった」
「よく、こんな場所をご存知でしたね!」
「旅の途中で通りかかったんだ。街道からそれているし小道は険しかったけれど、この景色を見たら疲れも消えたよ」
ルードランは笑みを深め、嬉しそうにマティマナの顔を覗き込む。苦労して辿り着かなくてはいけない場所に、一瞬で連れてきてくれたようだ。
「はい。とても綺麗な景色です。湖なんてはじめて見ます!」
池というには大きすぎるから、たぶん湖だとマティマナは判断していた。
対岸の更に先は山続きとなっている。ルルジェ北側の山地に違いない。
「僕が来たときと季節は違うけれど、思った通り、この季節も綺麗だね」
夏の盛りの鮮やかな空と、森の緑。穏やかな湖水は少し揺らめきながら景色を映す。
ルードランは、湖畔を森の方向へと歩いていた。
「こんな自然がたっぷりの場所、嬉しいです! 夢のなかにいるみたい……」
マティマナは街中から外に出たことはなかったから、天然の美しい景色に見蕩れ、うっとりと見回す。
目映い太陽の光も、街中でみるのと全く違って感じられた。
夏の花がたくさん咲いている。そよぐ風は心地好く、とても開放感があった。
「こういう小旅行なら、ちょくちょく可能だよ?」
確かにマティマナの部屋から一瞬で、ルードランの知る場所へと飛べる。帰りも、ライセル城を目指すだけだ。
「それは、とても嬉しいです! ですが、ルーさまの知っている場所ばかりになってしまいます」
マティマナは、それではルードランにとっては旅とは言えないのでは? と、心配になった。
「そう。だけど、先ずは僕の見たことのある景色を改めてマティマナと一緒に愉しみたいな。新しい場所への旅行は、その後で」
ルードランはマティマナの心配を直ぐに察したらしい。極上の笑みを向けながら、そんな風に囁いてくれた。心が温かいもので満たされて行く感じがある。
「ルーさまと、同じ景色を分かち合えるの嬉しいです!」
マティマナは繋いだ手に、淡く力を込めながら囁いた。
「それに、この湖畔から続く森には、僕は入っていないんだ。マティマナとの新しい旅だよ?」
「それは、どきどきしますね。ルーさまと、冒険に出かける気分です」
森へと一歩足を踏み入れると、空気はひんやり気配が別物に変わった。神聖な感覚だ。
木漏れ日が美しい。
「妖精がいる」
ルードランの驚いたような声を聞いて見回すと、確かに森のあちこちに妖精たちが飛び交っている。葉の合間から射し込む陽光に、羽の煌めきが混ざっていた。光の繚乱する幻想めいた光景だ。
「魔法の森?」
「とても綺麗だね。危険はなさそうだ」
風がさわさわと木立を揺する音が響き、妖精たちの明るい笑い声が微かに届く。小鳥たちの声も混じり、どこからか川のせせらぎも聞こえてきていた。
ふたりで手を繋いだまま、ゆっくりと清らかな空気の森を散策し導かれたように進む。
と、前方に森の木々が開け光が降り注いでいる場所が見えてきた。大きな円形の草地に、崩れた石壁が乱立している。
「……廃墟……ですかね?」
壊れた神殿だろうか?
草地にある崩れた石造りの壁には、元は立派だったろう建築物の名残がある。なんだか、見覚えがあるようで、既視感めいた。マティマナは不思議な気分になっている。
ふたりの歩みは、草地に入ったところで止まった。
「森のなかに、神殿が在ったのだね。不思議と懐かしい感じがするよ」
「ルーさまも? わたしも、なんだか既視感が……」
ルードランも、神殿が存在していたと思ったようだ。
妖精たちは、森から草地には出てこない。
神聖すぎる場所だったのか? 草地は整えられたようで、雑草が生い茂るのとは違っている。
「きっと、マティマナと一緒に再び訪れることになるのだろうね」
ルードランは確信したように囁いた。マティマナの心にも、同じ思いが存在している。
「わたしも、そんな気がします」
神殿のあった場所まで足を踏み入れることはできず、手前で陽光に晒された廃墟を眺めている。
崩れていても陰影は美しく、かつての荘厳さを保持しているようだ。
ふたりでしばし、光景に見蕩れた。
「一旦、城へ戻ろうか。少し食事しよう」
「はい。そういえば、だいぶ歩きましたよね」
「食事したら、今度はライセル城を探索しよう!」
「それ、ステキです」
会話しながら廃墟の手前で抱きしめられる。
景色は脳裡に焼き付いたまま。ライセル城のマティマナの部屋へと、ふたりは一瞬で戻っていった。






