死霊蟲の情報
手を取ったままマティマナの身体へと伏せ気味だったルードランの身体が起き、見詰めてくる。
そして深く安堵した吐息をこぼした。
「魔気が尽きる寸前でした。聖女の杖に保管していた魔気も底をついていました」
危なかったです、と、真っ青な顔のまま法師が告げる。
「一体、どうして、あんなことに?」
ルードランが訊いてくる。
皆にしてみれば、気がついたときにはマティマナがどこにも居ない、という状態だったろう。
「中庭を散歩中に、小さな黒いテントウ虫が突撃してきました」
マティマナにとっても、ほんの一瞬の出来事だった。マティマナは、寝台の上で上体を起こし、少しふらつく頭の感覚に、額を支えながら呟いた。
「次の瞬間には、あの空間に閉じこめられていて……」
どのくらの間、閉じ込められていたのか、マティマナには全く分からない。
「昼頃にマティマナの姿が見当たらないと気づいて。すぐに手分けして探したのだけれどね」
夕刻になっても手がかりがなかった。と、ルードランが呟いた。
その後、城のなかに気配がないと気づき、異界へと来てくれたのだろう。
ならば半日たたないうちに、全魔気を使い果たしたことになる。本当に危なかった。
「異界で皆が蟲を退治していたとき、隙をついて螺旋階段を往復した蟲がいたのだそうです。ベルドベル王シェルモギは、その蟲に術を施して、ライセル城に。テントウ虫は小さすぎて、人に着いて外にでても誰も気づけなかったようです」
マティマナは、シェルモギの言葉を思いだしながら状況を告げる。
小さな死霊蟲を操り、マティマナを転移させた。恐るべき技だ。
「そう言えば、異界で退治したとき、あの蟲たち結晶化しませんでしたね」
不意に思い出してマティマナは法師に訊いた。死霊蟲は、害獣登録されていないのだろうか?
「新しい方法で造られた死霊蟲だったようだよ」
ルードランが応えてくれた。新しい異界だから、似た害獣でも今までとは種類が違うのだろう。
「結晶化のための申請はしておきました。ですが、蟲以外は今のところ申請しようがありません」
マティマナは頷いた。蟲だけでも、結晶化の魔法が早く王宮から配給されることを祈ってしまう。
「マティマナを、どうにかして守らねば」
ルードランは、かなり蒼白な気配で、決意したように呟く。シェルモギは、マティマナに随分と執着していた。ルードランもさすがに気づいたろう。
「小さな蟲に入り込まれたら、防ぎようがない気がします」
マティマナは力なく呟く。
「戦闘で倒した蟲の種類は、入り込まれれば自動的に駆除するように通路出口に設定しました」
ご安心ください、と告げ、法師は部屋を後にした。
「マティマナ! ああっ、僕は、マティマナなしでは絶対に生きられない! 戻ってくれて感謝する」
法師が扉を閉めた途端、寝台へと崩れ込むようにしながらルードランはマティマナの上体をギュと抱きしめ懇願するように言った。もの凄く心配させてしまったようだ。
マティマナは反射的にルードランに抱きつき、背に腕を絡めた。
「頼むから、どこにも行かないでくれ!」
掻き抱きながらルードランは続けて言葉を紡ぐ。
ガシっと抱きしめられ、苦しいくらいだが安堵感がとても強い。
「はい! わたしだってルーさま無しで生きること、できないです!」
半ばに減ったままの魔気が、じんわりと回復して行く感じがした。とはいえ全快まで戻るには、どのくらい掛かるのか見当がつかない。こんなに大量に魔気を消費したことは初めてだ。
「マティマナ。消滅なんて、絶対したらダメだよ。考えるのもダメ!」
抱きしめたまま、ルードランは必死に諭す口調だ。
「はい。やり方わかりませんし」
そんな魔法はもとより知らない。ルードランと一緒にいれば、きっと、もう、そんなことを考える必要などないに違いない。
「マティマナは、いざとなればやりそうで心配だ。何があっても必ず助けるから。いや、手放したりしないから」
「はい。ルーさまから離れません」
心から安堵した響きでマティマナは囁いた。
「マティ、これを、身につけて」
部屋へと見舞いにきてくれたライセル夫人が、心配そうにしながら豪華な肩掛けをマティマナへと、ふわりとかけた。
「気休めではありますが、魔法を弾く品です」
優しい笑みを浮かべながら、告げてくれる。
上等な品なのだろう。繊細な感触で、とても軽く、しかし安堵感をもたらしてくれる。
「あ、ありがとうございます。とても綺麗で、魔法の力、感じます!」
「ゆっくり休んでね」
休んでいたところ、ごめんなさいね、と囁き足しながらライセル夫人はそっと立ち去った。
ルードランは、公務の合間に頻繁に部屋へと出入りしてくれている。
休むといっても、立ち上がって歩くのがしにくいだけで、マティマナは眠くもないし、暇だった。
「あ、暇だからって、魔法使ったらダメだよ」
ルードランはしっかり釘を刺す。
「まだ……戻りませんかね?」
自分では、魔気の不足が全く把握できない。もっとも把握できていたら、シェルモギに囚われたとき、魔法の出し惜しみで早々に敗北していただろう。
「魔気が元に戻っても、マティマナは異界に行くの禁止だよ」
ルードランに続けて釘を刺され、マティマナはこくこく頷く。実際、シェルモギの魔の手が怖く異界へ行こうとは思わなかった。鳳永境の異界通路のある広場は、そのままベルドベル国との国境に繋がっている。シェルモギの力が働きやすい場所だろう。
「主城からでるのも怖いです」
「そうだろうね」
中庭で死霊蟲に襲われたのだから無理もないよ、と、ルードランはマティマナを抱きしめながら囁いた。
暇ではあるが、何かと、見舞い客が訪ねてくれるのが幸いだ。
ディアートは、魔気の回復しやすい飲み物を差し入れてくれた。
バザックスもギノバマリサと一緒に見舞ってくれている。
「例のふたつの鉱石は、義姉上が使うのが良いようだね」
バザックスは興奮した気配を押し殺しながらマティマナに告げた。
「バズ様、古文書から、あの鉱石の記述を見つけたの。素晴らしいことよ!」
ギノバマリサが嬉しそうに補足する。
「古文書によると、魔法細工をするときの触媒となるらしい。回復したら、ぜひ見せてほしいね」
バザックスは、マティマナが魔法の品を造る際に鉱石を触媒として使用することで、新たなものが造り出せるのだと説明してくれた。
雑用的なものから、聖なるものに到るまで、いかなるものの加工でも、触媒となるらしい。
触媒?
マティマナは首を傾げる気配で聞いていたが、要は、魔法でなにか造る際になんらかの方法で関わらせれば良いようだ。
異界の店でも、魔法の道具造りに便利、と言っていた。
あれ? わたし、雑用具以外にも何か造れるってこと?
意外に色々造っていたことは、ルードランと話をしていて気づいたが、なにか役に立つものが造れるかもしれない。
バザックスは、ふたつの鉱石をマティマナの部屋に棚に飾るようにして置いて行く。
ふたつの鉱石は綺麗な魔法の光で淡く輝いていた。






