屍の国からの脱出
マティマナの魔法と、不浄のかち合う辺りは、ずっと掠れたような不鮮明な状態だった。浮いているし、良く見えないので幸いだ。たぶん、見えていたら、疾っくに気が変になっていた。
たぶん、床は死体の山だ。ありとあらゆる種類の死骸。魔法に囲まれていなければ、臭気も酷いだろう。
ルーさま!
魔法を撒くようにしながらルードランの存在を捜し、心のなかに声を響かせた。きっと、ルードランも捜してくれているはずだと、マティマナは信じている。場所を示すように、何度も、ルーさま! と、繰り返す。
『少しでも眼を離すべきじゃなかった!』
ルードランの声が遠くに聞こえる。朧気に姿も。
幻聴? 幻覚?
いや、たぶん、ルードランの現状を、なんらかの方法で視ている……。
マティマナを捜して走りまわっているようだ。法師もキーラも、一緒に捜してくれているらしい。
ルードランは蒼白な気配だ。
『異界に連れ込まれたのかもしれません。城の敷地内にマティマナ様の気配がありません』
ルードランの耳に届く法師の声。そんな会話や様子は、耳飾りを通じて不鮮明に伝わってきていると分かった。
皆は、ライセル城にマティマナの気配がないので、異界への螺旋階段を走り下りている。
(ルーさま、ここです!)
無駄かも知れないが、耳飾りの絆に賭けて呼び続けた。魔法を大量に撒きながら。幻のような皆の姿が淡く、少しずつ鮮明に視えてくる。
(ここです、助けて!)
耳飾りの絆への賭けは、効いてる? 魔法が尽きたら終わりだけれど、どのみち声が届かなければ終わりだ。
(マティマナ? どこだ? 声が……? どこにいる?)
異界通路を抜けたようだ。
今、わたしたち、同じ鳳永境に居る!
(ここです! って、目印無いんですよね。ああ、でも、ルーさまの声!)
幻聴ではない。泣きそうなのを我慢し、マティマナはルードランに意識を集中させる。目印になるように、一層、大量に魔法を撒き散らした。
(マティマナ! 魔法の光が……視えてきた……!)
ルードランも、マティマナへと意識を集中させてくれている。
すると、離れているのに、ルードランの耳飾りの転移が働いたようだ。
マティマナがひとり閉じ込められていた魔法の空間のなかへ、ルードランが、ふわっ、と、飛び込んできた。
「ルーさま! ああっ、本当にルーさまですね!」
間違いない。姑息な幻覚など、この魔法の空間には入ってこられない。
空間のなか、ふたりとも浮いている。ルードランの腕に、しっかりと抱きしめられた。
「ああ、マティマナ! 良かった! 見つけた!」
ふらつきながら必死で意識を保ち、ルードランにしがみつく。
「ありがとうございます! もう、消滅するしかないと、覚悟を決めるところでした」
「……消滅?」
「だって、ここで死んだりしたら、死霊使いに好きに使われてしまいます。方法はわからなかったのですが……」
「ここは、ベルドベル国なのか?」
死霊使い、との言葉でルードランは思い当たったようだ。それまで、マティマナの姿が消えた原因には全く見当も付かない状態だったのだろう。
「死霊使いであり、ベルドベルの王シェルモギの仕業です」
「一刻も早く、抜けだそう」
「はい。もう、魔法が尽きるかも……」
積もる話はたくさんあるのだが、限界はとうに超えているとマティマナは感じていた。ルードランの存在が、辛うじてマティマナの魔法の発動を助けてくれていた。
「お前は何ものだ!」
不意に、空間の外から気味の悪い響きの声が響いてきた。シェルモギが戻ってきたようだ。
空間に仕切られているせいか、声は歪み、姿は不鮮明。だが、怒り狂っている気配はわかる。
「シェルモギか! マティマナをこんな目に遭わせて。許しはしない!」
ルードランが怒りを押しとどめるようにしながら、宣言する。そして、ルードランはマティマナを抱きしめたまま転移に入った。
魔法の空間を抜け出す刹那、シェルモギの姿が一瞬、鮮明に浮かび上がる。
戦慄するほどの超絶美貌、黒髪に怪しく光る赤い眼。暗い、というか翳りがある故の美しさ。本来、美などとは無縁でありそうな姿は、冒瀆的に美しすぎた。
着飾る豪華な司祭めいた衣装は、美しい宝石で飾られているのに穢れた悪しき光を放つ。
ルードランと共に空間を抜け出すと、マティマナの放っていた魔法での空間が不浄によって圧縮された。やがて、コロンと、結晶めいて転がり落ちた気配に、後ろ髪引かれる思いだ。
「聖女マティマナ、気に入った。必ずや迎えに行こう」
「決して、君の手には渡さない。もう二度と、拐わせることはない」
ルードランが即座に言葉を返している。
力尽くで我が物に、と、シェルモギの高笑いが聴こえていたが、転移の完了と共に途切れた。
マティマナは、魔気不足で倒れたようだ。無事にライセル城に着いたらしい。マティマナは、ぼうっと意識のないまま、夢に似た感覚で身体の外の景色を視ていた。
『拙いです! 魔気が枯渇寸前です! 聖女の杖に保管された魔気も空です』
寝台に横たわるマティマナへと、法師が魔気を補充してくれているようだ。
『足りません。このままでは、目覚めることができない』
もともとの魔気の器が途轍もなく大きいので、通常の回復では全く間に合いません、と、言葉が足されている。ありったけの、魔気の回復薬も注がれたようだが、あまり足しにはならなかったようだ。
『僕の魔気を、分けてあげてくれないか』
『わかりました』
法師はルードランとマティマナを、魔気の通路めいたもので繋いでいる。ルードランの魔気がゆっくりとマティマナへと注がれてきた。
『ありったけ、注いでくれ』
焦燥に駆られたようにルードランが法師に告げている。
だめです、ルーさま! そんなに大量の魔気!
マティマナは、必死に声を届けようとするが、夢のなかで声をあげているようなものだ。
『限度はありますが、もう少しだけ』
さすがに王家由来のライセル家のルードランは、豊富な魔気量だ。どんどん注がれ苦痛が和らいでいる。だが、異界の異様な空間のなかへの突入と脱出の転移で、ルードランも、かなりの魔気を消費しているはずだ。あまり注いでは、今度はルードランが危険になる。
起きなきゃ! 起きれば、魔気の流入を止めさせられる。
「……あっ……」
マティマナは、必死で意識を浮上させた。深く潜っていた水中から不意に上がってきたような、そんな苦痛があった。呼吸が上手くできずに、寝台の上でしばし身悶えてしまう。
「マティマナ! 気がついたのか!」
ルードランが手を握ってくる。法師も安堵した表情で、ルードランと繋いでいた魔気の通路を消した。
魔法が使えるような魔気量には回復していないが、必死で呼吸を整え、何度か瞬きする。
「ルーさま! ああ、助けてくださってありがとう」
掠れたような嗄れ声になっていた。
「ああ、良かった! 目が覚めてくれて」
ルードランは手を取ったまま、床に膝をつきマティマナの肩口に額を押し当ててきた。極限まで心配させてしまったようだ。
マティマナは、握られた手の温もりに安堵の息をついた。






