小さな異変
大夜会の賑わいの余韻も後片づけも落ち着いてきた頃、マティマナは久しぶりに実家へと帰った。
実家へは、ライセル家の馬車が送ってくれている。今までの邸ではなく、新たにログス城となった元ジェルキ城だ。
「ただいま~!」
ばたついている城へと入って行きながら声を掛ける。以前のほどよい狭さの邸と違って広いので、声は届かないようだ。
広いし、まだ使用人たちの役割も半端な状態なのだろう。
引っ越しの荷物は、全てを整頓できたわけではなさそうな状況だった。
良い具合に散らかっているし、荷物の移動で人の行き来が多いせいだろう、ゴミやら塵やら落ちている。
「手伝うわね~!」
誰にともなく声を掛け、マティマナは愉しい気分で掃除をはじめた。久しぶりの掃除しがいのありそうな状況に、すっかりうきうきしている。元ジェルキ城には何度か来ているので馴染みの場所だ。
「きゃ~~! ちょっと、マティ! 何やってるの~!」
しばらくすると、悲鳴めいた実母の声が響いた。
「ダメよ、マティ、何してるの?」
母の悲鳴を聞きつけて走ってきた姉も、悲鳴をあげている。
「え? 手伝いにきたのよ? 片付けさせて?」
実家に戻って引っ越し後の手伝いをする気満々だったマティマナは、掃除を止められ瞠目しながら最早懇願の気配だ。
「だめだめ、天下のライセル家に嫁ぐ者が、片付けだなんて!」
母はぴしゃりと言う。
「え~? 掃除くらいさせてよ?」
掃除したくてうずうずしながら、文句めいて呟いた。
「わぁぁっ、だめよ、マティ。聖女さまが、何やってるの?」
姉も必死で止めに入っている。
「聖女なんだったら、なおのこと、お掃除しなくちゃでしょ?」
「ダメダメダメっ!」
「ああ、もう、とんでもないわ! マティ、あなたライセル城に帰りなさい!」
「ええっ、ここ、わたしの実家でしょう?」
ううっ、せっかく魔法をタップリ使えると思ったのに……!
実家に帰ってきたのに即座に、ライセル城へと戻されるためログス家の一番良い馬車に乗せられた。
呪いが消えたライセル城も本来の魔法が正常に働き始めたから、片付けや掃除は不要になった。
え? わたし、やることない? かも?
ず~ん、と、落ち込みながらマティマナはライセル城へと入って行った。
「あれ、マティマナ、早いね! 嬉しいな。でも、どうしたんだろう?」
すぐに気づいてルードランが迎えに出てくれた。
「片づけを手伝おうとしたら、追い出されたの! せっかくお掃除できるって張り切ってたのに」
マティマナの微かなふくれっ面に、ルードランは愉しそうに笑っている。
「休めるときに休んでおいたほうがいい」
これから忙しくなるからね、と、ルードランは囁き足した。
マティマナは頷くものの、呪い除去で慌ただしくしていたのが癖になっている。休むなんて落ち着かない。
聖女の杖は、形を変えて携帯できる方法を教えてもらった。
細い腕輪になって常に手首に付けた状態だ。
そのせいかマティマナが歩くだけで、あちこち綺麗に磨かれてしまう。どこもかしこも掃除の必要は全く無くなっていた。
「マティマナ様、ルードラン様、武器に結晶化の付与をつけてはいかがですか?」
ライセル家のお抱え法師ウレン・ソビが、勧めてくる。
「僕の武器?」
「わたしの武器?」
ふたりして首を傾げた。
「あ、マティマナ様の武器は、聖女の杖です。ルードラン様の場合は、例の鍵状の品です。鍵の形をしていますが、恐らく他の武器の形に変化するはずですし、マティマナ様のように腕輪として身につけておくこともできますよ」
結晶化の魔法は、王宮が各地に配布している。害獣や指名手配の者に反応し、結晶化させることが可能だ。武術や魔法の段階に対応しているので、配布の魔法を全て付与できる者は限られているらしい。
「この鍵、武器として所持できるのか」
法師が鍵を取り寄せ手渡すと、ルードランは不思議そうに見詰めながら呟いた。
「魔気を込めれば、好みの武器に代わりますよ」
「やってみよう」
大きめな黄金の鍵は、ルードランが魔気を込めるにつれ形を変えた。最初は綺麗な装飾の短剣になり、更に魔気を加えると、豪華な装飾の弓となった。
「弓? 矢はどうするのだろう?」
「射る形にすれば、現れるのでは?」
「こう?」
ルードランが射つ構えをつくると、光の矢がつがえられた。とても見映えのよい麗しい光景だ。
「まぁ、なんて綺麗!」
マティマナはルードランの麗姿に思わず声をたてる。
ルードランが矢を放つと、目的なく放ったためだろう。途中で綺麗に光って矢は消えた。
「なるほどね。いざとなったら、どんどん射ることができそうだよ」
「では、ふたりとも、結晶化をつけましょう。武器を軽く触れさせるだけで良いですよ」
そう言うと法師は、厚めの石版のようなものを出した。
ルードランは、短剣の形に戻して石版に触れさせている。
ぱあああっ、と、光がルードランごと包み込んだ。
「素晴らしい! 王宮から配布されている、すべての結晶化が可能になりました!」
法師は驚きの声を上げた。
「腕輪のままでも、大丈夫ですか?」
マティマナもやってみようと思って訊く。勿論です、との言葉を耳にし、マティマナは華奢な腕輪で石版に触れる。ルードランのときと同じようにマティマナも光に包み込まれた。
「素晴らしい! マティマナ様も、すべての結晶化が可能です!」
法師は随分と驚いた表情を浮かべている。
「あ、僕のも腕輪にできるようだよ。ほら、マティマナとお揃いになった!」
嬉しそうに魔気を込めて形を変えると、マティマナと同じ形の腕輪の形にして手首に嵌めている。
ご満悦な表情のルードランに、マティマナも満面の笑みだ。
「お客様棟の地下室の床から、奇妙な音が響いているのです」
使用人が数人、ざわつく気配で歩み寄ってきて困ったように申し立てた。
法師とルードランとマティマナが揃った状態だった。ルードランが丁度とばかりに場所を訊く。
ライセル城の、もっとも端で城壁近くの棟のようだ。法師は、案内の使用人も連れて皆を転移させた。
棟は綺麗に掃除され、いつでも客を迎えられる状態に整えられている。
「こちらです」
狭い階段から、地下へと入った。広い廊下の両側に、ふた部屋ずつ。地下は本来、客には入らせない場所だ。地下でも、ライセル家の魔法で自然に灯りが点っている。
念のために用意されている地下室なので、何も置かれてはいなかった。
使用人は、ひとつの扉を開いて誘導する。
広大な部屋だが岩を刳り抜いてそのまま床と壁にしたような雰囲気だ。
「あ、確かに、床から音が響いてきてるね」
ルードランが不思議そうに呟いた。
「この部屋の下にも地下室があるのですか?」
マティマナは特に嫌な感じとか寒気とか、そういうのは感じなかった。ただ、下の階で工事でもしているような響きの音に聞こえている。
「この階の下は、岩盤のはずですね」
「何の音だろう?」
ごごご、というか、ずっずっずっ、というか、低い音。ただ勢いとしては弱そうな感じだ。
法師は、床に耳を付けて確認しているが、確かなことは分からなかった。
「様子を見るしかないね。ただ、当分、立ち入り禁止にしよう」
時々見張りに見回りさせることにし他の者は出入り禁止と、ルードランは決めた。






